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第十一話 二方面作戦

 同年秋。降りしきる雨の中、宛城を支配している張繍の領地に曹操率いる八万人の軍勢が攻め寄せた。

 その知らせを聞いた関平は、すぐに軍師、将軍、武将達を集めて如何するか会議を行わせた。

 龐統が最初に進言した。

「今が好機かと……。汝南の夏侯惇。寿春の李典(りてん)に民草が蜂起する準備は整いました。曹操に反攻するならば今にございます。亡き華雄の死を無駄にしない為にも侵攻し、汝南、寿春を取り戻してみせましょう」

 関平や将軍、武将達は全員賛同したが、副軍師の沮授が危惧している事を進言した。

「皆様、楽観は行けませぬ。確かに私も汝南、寿春を取り戻すのは大切ですが、今一つ気になる事がございます。それは新野の北に位置する宛が曹操の大軍が侵攻している事にございます。もし、宛が奪われれば間違い無く新野に侵攻して参りましょうぞ。援軍と食料を送り張繍を守り、曹操への盾にせねばなりませぬ」

 関平は軍師二人の進言を受け入れ。

「張郃、黄忠は宛に一万人の軍勢と一年分の食料を運び援軍に行け。そして、沮授と高順は新野を一万人守り、残りの者は全軍を率いて汝南に侵攻する事とする」


 こうして、三日後晴天、張郃、黄忠率いる別働隊は援軍として張繍軍二万人の籠城している宛城に入城して民草から歓声を浴びた。

「張郃様! 黄忠様が援軍に来られたぞ!」

「張郃! 黄忠! 関平!」





 同じ頃、関平軍本隊三万人も汝南に侵攻して援軍と同じ様な歓声を浴びていた。


 関平を慕う汝南、寿春の民草数十万人と関平軍が合流し、夏侯惇、李典は合せて六万人しか軍勢が居ない為、領地を放棄して下邳に退却した。

 こうして、僅か十日間で領地を取り戻した関平は民草に銭や食料を与え慰撫を行い。

「関平! 関平! 関平!」

 と、歓声を浴びて手を振りながら民草に応えた。


 



 更に三日後の晴天。

 宛城では必至に張繍、黄忠、張郃連合軍が守備を行い、曹操軍は攻めきれて無かった。

 原因は三つ。

 一つ目は関平から一年分の食料を得た為、長期間籠城出来る事。

 二つ目は弓の達人の黄忠が、曹操軍の武将を弓で狙い撃ちにした為、武将が不足。

 三つ目は張郃が籠城の達人で、その的確な指示で城を守る。

 曹操は流石に宛城攻めは無理だと感じ。

曹仁(そうじん)。すでに汝南、寿春は関平に奪われた。皇帝の居る許昌が襲われれば国どころの騒ぎではない。全軍退却する。そなたは追撃してくる張繍を防げ!」

 曹操軍の退却を始めると張繍軍が追撃しに来たが四十代前半の智勇兼備の将軍、曹仁は弓矢隊を伏兵にして待ち受けた。

 関平軍は追撃をかける危険性を知っていた為行わなかったが、領地を蹂躪(じゅうりん)された張繍は得意の騎馬隊を引き連れ追撃を行った。

「進め! 追撃じゃ! 曹操を討ち取った者に多大な褒美を与える! 進むのじゃ!」

 しかし、伏兵の弓隊が騎馬隊の両脇に森から射放ち、次々に死傷者を出して、特に矢は張繍に多く放たれ、やがて人馬共に十数本の矢が刺さり。

「おのれ…、 曹操……」

 矢傷により意識を失い張繍は討ち取られた。

 生き残った張繍軍残党は曹操と敵対していたので庇護して家臣となる事で改めて関平に使者送った。

 使者となったのは軍師の賈詡。

「我ら宛城にいる軍と民草を救って頂き感謝致す。しかしながら、主君を喪い支えがありませぬ。願わくば、貴殿の家臣になりたく存じます。無論、残された軍と民草も忠誠を誓い宛城も領地に加えて下され」

「相分かった。そなた達を受け入れよう」

「ありがたきしあわせ」

 こうして、残党軍、軍師の賈詡、宛城を得て、その守備は黄忠、張郃に任された。

 また、宛城を得た為、新野は劉表に返還出来ぬ事になり、代わりに競馬場の利益を三割渡す事で新野も得て、その守備は沮授、高順に任された。

 再び手に入れた寿春の守備は張遼、周倉に任せ、関平は汝南を本拠地とした。




 現在の状況

 新野、宛、汝南、寿春の四か国支配

 第三の軍師、賈詡






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