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第六話 武人妻と袁術討伐

 汝南を本拠地に定めて月日が経ち、蝉が鳴き、暑さで汗まみれで働いた民草の寝ているある夏の夜、関平の元に黄忠が妻と娘を連れて来た。

 美しい深紅の服を纏い天女の様な美しさと裏腹に、武芸を備えている覇気を備えた十代半ばの女が関平に挨拶して来た。

黄泉(こうせん)と申します。貴方が父の申していた関平殿でございますか? 私より弱い男に興味が無いのですが父上は貴方に嫁がせるつもりです。そこで勝負致しませんか?」

「良いだろう。黄忠が勧める縁談なら受けようと思ったが面白い、抱く前にそなたの強さを教えて頂こう」

 すると、黄泉は両手にトンファーと呼ばれる小剣を構えて襲いかかって来た。

 関平も右手に青龍刀を構え相手をした。

 黄泉は鳥の様な素早さと体術を重視した技を繰り出して来た。

 いきなり前に現れ股関に蹴りを打ち込もうとするが、それを右腕で押さえると、更に左肘を顔に打ち込もうとして避けるとトンファーで胴体を狙う等、とにかく多彩な技である。

 しかし、最初は翻弄されたが関平はわざと身を引き、近付いて来た時に青龍刀を捨て、両手を掴み、投げ飛ばして、羽交い締めにすると失神させた。

 関平の実力を見せつけると。

「妻になるわ。関平様。貴方と居れば楽しい退屈せずに済みそうだもの」

 と、笑顔で応えた。





  



 その後、黄忠は洛陽である人物に偶然会い、関平に紹介した。

 その人物とは?

 何と、以前戦った韓馥軍一の知勇兼備の武将、張郃である。

 関平の噂を聞きつけて黄忠に会い、家臣として仕官に来たのであった。

「お恥ずかしながら韓馥の元を去り、諸国を見聞して参りました。どうか、それがしを家臣にして下され」

 張郃は強敵であり、相当の武将なので両手を握り。

「良く来た張郃殿。貴殿が家臣になってくれればありがたい。よろしく頼むぞ」

 張郃は華雄、黄忠の次に魏延の私兵軍の地位に就いて、三番手の将軍となる。







 そして秋。

 民草は秋の収穫に追われ、また、関平と黄泉は夫婦となり治める汝南も黄巾賊を討伐、吸収した為、国境以外は平穏な日々を送っていた。

 そんな時である。

 許昌から官僚が訪れ、汝南を支配するのに大義名分のある印綬(いんじゅ)を持って関平を正式に太守に任命した。 

 だが、条件として袁術討伐の兵を挙げよとの事。

 実は関平を気に入り、家臣に加えようと企む曹操の仕業である。  

 仮に家臣に成らなくても袁術との戦いで損害を受けた後で汝南に攻め入ろうと企んでいた。

 勿論、関平、沮授、龐統は企みを見抜いていたが、武力や治政だけでは、いつ、国を私物にした賊として討伐の名分を与えてしまうので企みに乗って利用する事にしたのであった。

 この曹操への借りは高く付くと思い、素直に喜ぶ事ができず力が足りぬと思い、思惑に乗り勢力拡大をする事にした。

 実は南の寿春(じゅしゅん)の袁術の軍勢が国境付近で略奪、強姦、放火を行い、挑発してくるのである。

 狙いはどうやら成り上がりの関平が豊かな汝南を治めているのが気に喰わぬらしい。

 今までは正式に太守で無かった為、反撃も出来ず怒りを抑えていたが今の地位と大義名分ならば報復して可能ならば寿春を奪う事が出来る。

 龐統、沮授と協議を重ねた結果、間者を寿春に放ち、兵力を調べた所、約五万五千人程らしい。

 対して関平軍は約一万二千人。

 汝南の守備に五千人を残して七千人で攻め入る。

 すぐに曹操に使者として沮授を送り、寿春攻めの邪魔と汝南に侵攻されぬ様に手を打った。






 五日後の晴天、緑色の鎧に統一した関平の軍勢は風の様に速く、火の様に寿春に向かい、龐統の策と黄忠、華雄、周倉、劉辟、元黄巾賊残党武将の武勇で進軍した。

 そして袁術軍将軍、紀霊(きれい)率いる三万五千人の軍勢と国境付近で戦いになったが袁術軍の多くは歩兵であった為、華雄に練磨されてきた三千人の騎馬隊と黄巾党残党軍の投網戦法により混乱して勝ちを得た。

 また、紀霊は盲目の将軍華雄との一騎討ちによりって討ち取られた。

 実は華雄は関羽に敗れた後、血を滲む修練をして目が見えずとも馬乗にて矛を振り回し戦える様になっていた。

 しかも、余計な視界が無いので、敵の詐術に掛からない技まで身に付けていた。


 一騎討ちでは。

「国盗人!」

「逆賊!」

 罵詈雑言の挑発に掛かる事無く。

「言いたい事はそれだけか? ならば死ね!」

 騎乗している馬諸共、矛の一撃で斬り倒してしまう。

 まさに盲目の武神である。



 袁術軍、まさかの大敗北により、袁術は二万の軍勢があるのに関わらず紀霊と同等の将軍が居ない為、恐怖に震えたが一つ策があった。 
 

  



 孫策(そんさく)と、その家臣達を客将にしていたので関平と戦わせ様ようとした。

 無論、戦わせるには褒美を約束するしかない。

 それは伝国の玉璽(ぎょくじ)

 孫策の父の形見であり皇帝になる為の品。

 袁術は孫策を呼び出して関平討伐を依頼した。







 関平軍は袁術のいる寿春城に間近に迫っていた。

 そんなおり、袁術率いる灰色の鎧を着た軍勢二万人、孫策率いる赤色は軍勢五千人の連合軍と対峙した。

 関平軍も紀霊の残党軍を吸収して一万六千人となっていた。

 誰しもが予想外の事が起こった。

 関平軍と孫策軍が同時に袁術軍に攻め掛り、動揺した袁術軍は瓦解して袁術は混乱の中、討たれて死んだ。

 実は龐統と孫策の軍師、周瑜(しゅうゆ)の密約によるもので、袁術は伝国の玉璽を孫策に返還する気も無い事を理由に離反させていた。

 戦後処理の後、寿春は関平の領地となり、孫策には報奨として伝国の玉璽、廬江(ろこう)の領地、袁術の宝物の半分を渡して孫策は袁術残党を討伐すべく廬江に侵攻する事になった。

 関平と赤き鎧を纏い、二十代前半で黒く日焼けをして屈強な身体をしている孫策は互いの力量を認め。
  
「去らばだ汝南の虎、関平殿」

「江東の虎、孫策よ。どちらが中華の高みを登りつめるか? 勝負だ」

 と、手を握り締めて別れを惜しんだ。

 




 曹操の思惑に外れて関平は殆ど損害を受けず、汝南、寿春の二カ国を支配する事となる。

 

 

 




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