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 夜も深まると落とし穴や屋敷の周囲に篝火を焚き、松明を持って闇に紛れて襲撃されないよう厳重な見張りをした。
 揺れる炎の明かりの中でやっと罠が完成し、確実に仕留められるか何度も確認をする。
 十分な『食料』があるので古猪はまだ姿を現さない。だがそれもいずれはなくなる。今度やつが来たら狩られて食われるのは自分たちだ。
 もう誰一人犠牲にするものか。
 村長はそう誓った。
「ちょっと聞いてくれ。あれを誘き寄せるんに巳代治の亡骸を使お思う。あとでちゃんと弔うさかい、こないなことするわしを許してくれ」
 見張りでこの場にいない者以外、みな神妙な顔でうなずいた。権三だけ暗い目で嘉助を振り返り、それを嘉助が無視した。
 村長はそんな二人を見ていたが、権三も嘉助もそれ以上絡むことはなかった。
 真夜中。誘引餌として落とし穴のそばに巳代治の遺体を置いた。落とし穴に確実に誘導するため、随所に篝火と松明を持った者を配置し山道以外から襲撃されないようにもした。
 山から下りて来た古猪がこれに向かって突進し穴を踏み抜けば成功だ。
 うまく穴に落ちてくれたらいいが。
 村長は成功を心から願ったが、夜が明け昼になっても古猪の姿は見えなかった。
「まだ腹減ってないんやろ」
 離れた場所で経過を見守っていた村長は一緒に見守る村人たちに、いや、自分自身に言い聞かせた。
 結局夜になっても古猪は来ず、みな疲労が溜まり地べたに座り込んでいた。
「巳代治やったらあかんのちゃうか、嘉助」
 権三の声に項垂れた嘉助が顔を上げた。村人たちが上げた顔も松明の明かりに見える。
「どういう意味や?」
 嘉助の目に険が浮かんだ。
「硬い男の肉ばっかり食うより女も食いたいんちゃうか言うとんやっ」
 二人立ち上がり睨み合った。
「お前ら、やめっ」
 村長が割って入るも、
「たえはどうせ死んどるで誘い餌にしたらええんや。子供の肉にも味しめとるさけあいつらも餌にしたらええ」
 激昂し、まきたちを指さす権三の頬を嘉助が殴る。
「身内殺されたんはお前だけやないでっ。茂やんや太一たちも殺されたんや――わしんとこのみつもたえも――」
「ほいで手負いにしてあれを連れてきたんやろがっ」
 嘉助が言葉に詰まってうつむいた。
「あれが狂暴なんはあんなかすり傷のせいやないで――」
 村長は権三をはじめ一人一人の顔をゆっくり見回し、「――歳くい過ぎて化けもんになってしもたんや。
 この年、気候もあかんかったやろ。山に食いもんあったらこんなんならんかったかしれん。そやけどな化けもんは化けもんやで、いずれは人の味覚えたんに違いないわ。
 そやかい誰のせいでもない」そう力強く言い放った。
 顔を上げた嘉助の頬に涙が流れていた。
「村長。たえ使うてくだせ」
「それはあかん」
「もし生きててもたえは自分の身体使うた思うで、本望や思います」
 涙をぬぐう嘉助の肩に村長はそっと手を置いた。
「わかった。せやけど心配せんでええで。うまいこと穴に落ちたら食われることはないんやさけな」
 それを聞いて嘉助が小さく何度もうなずく。
 権三が率先して動き始め、松明を持った。
「ほな、たえ連れに行くで」
「権三っ、わしの言うてることまだわからんかっ」
 かっとなって村長は怒鳴った。
 動ずる表情も見せず権三が嘉助を振り返る。
「鼻っ面もたえに触らせんよう穴へ落とすでっ。お前もちゃんとせえよ」
「ご、権三――」
 和解した二人が遺体を安置している屋敷へと戻っていく。与平を含め男数人がそれに続き、残りは巳代治の遺体を回収し始めた。
 村人が一丸となれば必ずこの状況を打破できる。
 もう大丈夫だと村長は固く信じた。

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