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カンクンの奇跡



「てか、馬鹿なディレクターが多すぎるわ。こんな業界、こっちから願い下げだよ」
「ブレイブ・ファクトリーは本格派バンドなんだよ。そこいらの売れ線野郎と一緒にすんなって」
 レコード会社に契約を切られた僕らは、退職金に貰ったわずかな金を握り締め、ミュージシャン生活の最後の思い出にと、メキシコへと旅立った。楽器も売り払って、旅費の足しにした。場所なんてどこでも良かったけれど、今更サラリーマンは無理だから、みんなでタコス屋でもやろうやと酔った勢いで行き先は決まった。メンバー全員がテキーラを好きだったのも背中を押した。
 一週間の貧乏旅行、とにかく安い店を探して、遅れてきた修学旅行のように、毎晩呑んで呑んで酔いつぶれた。それは僕らのバンドマン人生からの卒業旅行でもあった。見知らぬ土地で、テキーラをあおる度に涙がこぼれた。
「俺がタコスを作るけぇ、お前はドリンクを頼む」
 ボーカルの鉄平は酔いつぶれながら言っていた。
「出来るかどうか分からんけど、がんばるけん。いいお酒、一生懸命作るけんね」
 僕も泣きながら頷いた。
 世界有数のリゾート地カンクンで優雅に楽しむ外国人観光客を横目に、ボロボロになるまで四人で飲み明かした。そして最後の晩に辿りついたのが、街の外れの汚いライブハウスだった。看板は落ちかけ、中に入ると酒の匂いが渦巻いていた。
「今日で、本当に俺達のミュージシャン生活も終わりだ。もう死ぬ気で呑んじゃおうぜ」
 「おう、飛行機乗り遅れたって知ったことじゃねぇ」
 肩を組み、叫び声を上げながらドアを開けた。

 奏でられるバンジョーに、響き渡るトランペットの音。店内では地元のバンドがステージに立ち、代わる代わる演奏を続けていた。聞いたことのないメキシコの民謡のような音楽だった。僕らはガラの悪い客に混じり、陽気に踊り狂った。言葉も分からない曲ばかりだけど、なんて楽しく、底抜けに明るかった。そして、テキーラをあおりながら体を動かしていると、なんだか涙が止まらなくなった。音楽で世間をあっと言わせてやるなんて肩肘張ってきた僕らのエゴは、あまり上手いとは言えないアマチュアバンドたちの心のこもった演奏に打ち砕かれた。酔いにまかせて歓声を上げる。店内では全身タトゥーのギャングから白髪頭の老人まで、みんな音楽を楽しんでいる。僕は何度も涙をぬぐった。回し飲みのテキーラの瓶は次々と空いていく。

「ハポネ?」
 カウンターで酒を買っていると、初老のバーテンダーから声をかけられた。
「イエス、ハポーネ! アイライク、ミュージック。ウィーアー、ミュージシャン!!」
 僕らがそう叫ぶと、老人は傍らの男を呼び寄せ、「プレイ!プレイ!」とステージを指差した。もう、こうなると旅の恥は掻き捨てだった。テキーラを一気に喉に流し込むと僕らはステージに上がった。日本人が珍しいのか、客も「ハポネ!ハポネ!」と煽る。壁に飾ってあったマスクを勝手に被り「ミルマスカラーーース!」なんて叫びながら、お蔵入りしたシングルを、ミュージシャン生活最後の思い出に弾き出した。
 見せ付けるためにテクニックだけを駆使したイントロ、難解なコードを使った僕のベース。異国の開放感からか、渾身のバラードのはずなのに、ドラムのリズムはアップテンポを刻み出し、いつの間にか陽気なサウンドに変わっていく。ギターのノボルはノイズを奏で、メキシコの客を煽る。
 その時だった。
 ストールで顔を隠した女性がステージに上がり、マイクを手に取ると、勝手にコーラスを始めた。泥酔してるのか足元はふらついている。しかし、それは聞いたことのない声量と、右脳を揺さぶられるような歌声だった。女性の声に引きずられ、僕らの演奏もヒートアップする。目を落とすと、ステージ下の大男たちが叫んでいる。
「ミシェル!」
「ミシェル!」
 奥の席で飲んでいた客たちも押し寄せる。
「ミシェル!」
「ミシェル!」
 瓶を振り上げ、嬌声を上げている。ギャングのような男は目に涙を浮かべていた。その女性は、客席にストールを投げた。青い瞳に、透き通った白い肌。僕は思わず息を飲んだ。
ミシェル・マリアーノだ…
 十九歳で鮮烈なデビューを果たし、ファーストアルバムは全世界で二千万枚を売り上げたメキシコ生まれの天才女性シンガー。セカンドアルバムではグラミー賞も受賞した。しかし二十一歳の時、熱狂的なファンに銃で撃たれ、表舞台から姿を消した伝説の歌手。精神病院に入っているとか、ドラッグにまみれ廃人になったという噂もあった。
 そのミシェル・マリアーノが目の前に・・・
 酔っ払った鉄平は、ミシェルと肩を組むと嬉しそうに歌っている。まさか彼女が伝説の歌姫だと気づいている様子はなかった。マイクをミシェルの口元にかざしながら、歌詞を忘れたのか適当な言葉を叫んでる。ノボルは目を閉じ、夢中でギターを奏でている。いつしか構成も崩れ、僕らの曲なのに、僕らの曲じゃないかのように生まれ変わっていった。それはミシェルの歌声がかけたマジックだった。
 二番に入ると、スペイン語らしい言葉を即興で乗せ、鉄平のボーカルを完全に食っていく。ライブハウスは熱狂の渦に包まれた。僕はフレットを叩きながら、曲がラストに向かっていくのを、こんなにも切なく感じたことはなかった。ステージの中央に移動したミシェルが手を突き上げると、フロアの男たちが絶叫する。頭の中が真っ白になって、自分でも何を演奏しているのか分からなかった。だけど、勝手に指が動いていく。見栄とプライドも全てを捨てて、ただただ心の中から沸き起こる衝動を音にする。それはメンバーへも伝わり、ビートは加速し聴衆の歓声へと変わっていく。曲がラストへと向かうのが、こんなにも寂しい気持ちになるのも初めてだった。ミュージシャン生活、最後の夜に、僕らは音楽の女神の奇跡を体感した。
 三十分以上続いたセッションが終わると、メンバー全員がステージからダイブした。メキシコの大男たちにもみくちゃにされ、気がついた時にはミシェルは会場から姿を消していた。
 夜明けのカンクン。マスク姿のまま肩を組み舗装もされていない道を歩きながら鉄平が叫んだ。
「やっぱ音楽続けてーよ。食っていけなくたって続けてーよ。わし、音楽が好きなんじゃ」
 ノボルも泣きながら声を上げた。
「もう一回やり直そうぜ。俺だって音楽辞めたくねーよ」
 遠くに見える朝の光の中、僕らはマスク姿で抱き合った

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