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マスクマン故郷に凱旋する

 二日酔いと戦いながら、なんとか目を覚ます。雪乃ちゃんが別の席に移ってから、呑むってことは、こういうことだと呑みまくった。窓から差し込む朝日。時計を見ると十時半だった。
 5年ぶりの実家の部屋、高校時代に貼った雪乃ちゃんのポスターもそのままだ。ヤスジたちと一緒にバンド練習してる写真もあった。でも感傷に浸っている暇はなかった。勉強机の上にノートパソコンを広げると、借り歌の音源を聞き直しながら、サビの言葉を直していく。英語に変えるくらい楽勝ですって言ってみたものの、サビを直すと、曲全体のバランスが悪くなる。画面を睨みつけながら作業を進める。
よく偉大なミュージシャンたちが、急に言葉が降りてくるって言うけれど、僕みたいな凡人に、簡単に言葉は降りてこない。いつだって作詞の時は泣きそうになる。だけど追い込まれて追い込まれて煮詰まり過ぎたあと、いい歌詞が浮かぶことがある。だからわざと、締め切りギリギリまで自分を追い込むこともあった。

 頭を掻きむしりながらペンを走らせる。時計を見ると十一時半。やばい、あと三十分しかない。二日酔いの頭痛が焦りとともに酷くなる。えーい、こんな時は現実逃避だ。部屋のテレビのスイッチを入れると、車のCMに出てる雪乃ちゃんの姿が飛び込んで来た。
 その時、何かが降りてきた。ボールペンを握ると、次々と浮かんで来る言葉を紙に書きなぐった。それを見直すと一筋の光が見えた。
 Everyday is New day… 
 イヤホンを耳に差し込んで、歌いながら音ノリを確かめていく。
 Everyday is New world 何が起こるか分からない・・・
 気になったAメロにも直しも入れる。そして、出来上がった歌詞を打ち込むと、急いで若松マネージャーにメールした。時計の針は正午を差し、締め切りジャストに間に合った。大声を上げガッツポーズをすると、部屋の入り口から冷ややかな視線を感じた。そこには腕組みをしているオカンがいた。
「久しぶりに帰って来たと思ったら、泥酔してタクシーで運ばれてくるし、顔中落書きだらけやし、あんた三十過ぎて恥ずかしくないと」
 ドアを閉めると、ベットに腰を降ろした。 
「それにさ、こないだ送ってくれたお金やけど、あんな大金どこで手に入れたと? まさかオレオレ詐欺とかやってなかろうね」
 それは家のリフォーム代に振り込んだ三百万円のことだった。
「仕事しよるって言っても、会社名も教えてくれんし、お父さんも心配しよるとよ。そいに、なんねあの覆面。プロレスラーごたんとば、あんなにたくさん」
トランクに目をやると、ファスナーが半分開いていた。
「勝手に荷物に触るなって前も言ったやん」
「起こしても起きんけんさ。Tシャツと一緒に洗っても良かねって聞いたら、お願いしますって言ったんやけん」
 椅子から飛び降り、ベランダのカーテンを開けた。そこにはオヤジのパンツと一緒に干された、マスク・ド・デルフィンの覆面が並んでいた。派手なスパンコールが、秋の光を反射している。
 「あんた、銀行強盗とかするつもりじゃなかろうね」
 呆然と立ち尽くす僕の背中に、オカンの声が響いた。


「マスク・ド・ファイヴ!」
「マスク・ド・ファイヴ!」
 立ち見を入れると四万七千五百人。その叫び声がマリンメッセ福岡の壁を揺らす。
「ミ・アモーレ!」
「ミ・アモーレ!」
 手に持ったペンライトが暗闇に虹色の残像を残す。ウルティモのギターは疾走し、ロメロのドラムは心を躍らせる。アステカはハイトーンボイスで観客を煽った。熱狂したファンがステージに上がろうとする。それを必死で警備員が取り押さえている。DJチャボが拳を振りかざすと、マスクを被った数千人がジャンプした。
 僕はベースのフレットを押さえながら、目の前に広がる光景に泣きそうなった。
 こんなことになるなんて想像も出来なかった…
 音楽を辞めようと思った3年前のことを思い出した。

 一度は手にしたメジャーデビューも、わずか数年で契約は打ち切られ、僕らは三十手前にして、人生の絶望を味わったんだ。分かる人だけ分かればいいと、人からどんなにアドバイスされても、自分達の音楽を曲げなかったことが原因だった。売れていった知り合いのバンドを見て、あんな曲なんて、いつでも書けると思っていた。安い呑み屋でクダを巻き、売れた奴らを馬鹿にしていた。
 だけどプロの世界はシビアだった。
 シングルを出すごとにリリース枚数は減っていき、ライブ会場も小さくなっていった。そして突然突きつけられた最後通告。事務所の社長に呼ばれ「次の曲で結果を出せなければ、ブレイブ・カンパニーは解散だ」と言われた。それでも僕らは意地になって、流行の音楽に背を向けた。複雑なコードを駆使し、難解な歌詞を書き上げた。その曲は結局、リリースさえもして貰えなかった。

「ボル・ファ・ボール!」
「ボル・ファ・ボール!」
 デルフィンのマスクを被った女の子が、また柵を乗り越えて、こっちに向かってくる。駆け寄ろうとする警備員を制し僕は二人をステージに上げた。そして横に並んで演奏を続けた。場内のボルテージはヒートアップ。二階席からはウェーブが上がった。
 そうなんだよ、こんなライブがやりたかったんだ。好きな女の子の気を引きたくて、最初に立ったのが文化祭のステージだった。その子に気持ちを届けたくて歌詞だって書き始めたんだ。それがメジャーデビューに舞い上がって、自分を表現するとか、音楽性を突き詰めたいとか色んなことを考えすぎて、大事なことを見失っていた。
 誰かの心に届いてこその音楽なんだ…
 誰かに聞いてもらってこその音楽なんだ…
 ロメロがシンバルを足で蹴った。ウルティモは歯でギターを弾き出した。チャボはレコードでジャグリングしてる。僕は汗でずれてきたマスクを直すと、この広い会場のどこかにいるだろう、初恋の人に向かって手を上げた。小さな体育館、ビール箱を積み上げた文化祭のステージで、最前列から見てくれていた人のために心を込めて弦を弾いた。Tシャツを脱ぎ捨てたアステカが手を回す。照明に照らされ、その上半身が光る。
 最後のワンフレーズまで・・・最後のワンフレーズまで・・・
 痺れていく手の感覚さえも愛おしかった。
 緩やかにテンポを落とすビート、そして目を合わせて最後のジャンプ。超満員の観客の絶叫がこだました。


 ヤエガシ興業ご一行様と書かれた座敷の襖を開けると、先に呑み始めていたメンバーの陽気な声が響いていた。
「お前のDJがあってこその演奏だったよ。あのスクラッチの指使いは、佐藤鷹を越えたな」
「いえいえ、そのボーカルあってこそっすよ。世界遺産にエントリーしちゃいたいくらいですよ」
 意味不明な褒め言葉の倍返し…
 赤むつの煮つけやヒラメの刺身に舌鼓を打ちながら、褒められたら褒め返すという暗黙のルールを守りながら、愉快な宴は進んで行く。ワインボトルが十本ほど空いた頃、事務所社長のリツコさんがテキーラの瓶を持つと、嬉しそうな顔で立ち上がった。元モデルで酒乱だけど、仕事は出来る。リツコさんは長い髪を掻きあげると、よろめきながら言った。
「さっき連絡が入りました。なんと、ミシェル・マリアーノのワールドツアーのオープニングアクトに抜擢されちゃいました」
 そう言うと、テキーラの瓶にキスをした。
「あのミシェルのオープニングっすよ。伝説のグラミー賞歌手と同じステージに立てるなんて、まじでやばいっすよ」
 横に座ったチャボが声を震わせた。
「全米デビューも見えてきたな。これで、あの人との約束、もう一つ果たせるかも知れないな」
 アステカが肩を叩く。
「この勢いで、絶対に成功させるわよ東京ドーム公演。もう十日しかないんだから、みんな気合い入れていくよ。やっと、ここまで来たんだよ。あの子をドームのステージに立たせてやるのよ」
 リツコさんの叫び声に、僕らは拳を振り上げた。
「ついに、夢が叶う時が来たっすね」
 チャボが目頭を押さえながら言った。
「あぁ、当日も会場のどこかで絶対に見守っていてくれるはずさ」
 そう答えた僕の声も震えていた。
 あの人がいなければ、今のマスク・ド・ファイヴは絶対にない。
 僕はテキーラのテキーラ割りに口をつけながら、3年前のメキシコでの出来事を思い出していた。そうだ、あの晩から全ては始まったんだ、音楽を諦めようとした、あの場所で起きた奇跡から…

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