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マスクマン再就職するの巻

 メキシコから帰って1週間。就職情報誌をめくりながら。僕は、あの夜の奇跡を思い出していた。ミシェル・マリアーノのことを話しても、みんな酔い過ぎていたのか信じてくれなかった。あれは音楽の神様が、最後に見せてくれた夢だったのかとだんだん僕も思うようになった。履歴書を書きながら、安アパートでテキーラの瓶を開ける。二十九歳、元ミュージシャン。そんな経歴の男を正社員で雇ってくれそうな会社はなかった。電話だけで十社から断られていた。壁に飾ったマスクが、そんな僕を笑っているように見えた。息抜きにベースに触ろうとしても、旅行の前に売り払ったから、部屋には無かった。畳に寝転がり天井を見上げ、溜息をこぼす。
 「音楽続けてーよ」と叫びあったけれど、メキシコから帰ってきたら、待っていたのは無職という現実だった。メンバー全員、仕事探しに明け暮れていた。夢ばかり追ってきた人生の報いなのか、世間の風は思った以上に冷たかった。

 そんな時に一本の電話が入った。それは僕らがよく練習で使ってる、音楽スタジオの女社長からだった。
「ねぇ聞いたわよ、事務所クビになったんでしょ。うちさ、CM音楽とか作る会社もやってるからリョータくん働いてみない? 給料はそんなに出せないけど」
 昔だったら、そんな話なんて断っていたけど、今は音楽に関われる仕事だったら何でも良かった。
「マリエさん、是非お願いします。俺、なんでもやりますんで」
そして次の日からスタジオの三階にある会社に通い、発注通りの曲を書き上げていった。
 音楽素人のクライアントのおじさんに「なんか、ここでギターが欲しいんだよね」なんて言われても、何も言わず書き直した。理不尽な理由でボツを食らっても、徹夜で納期に間に合わせた。一度は諦めた後だっただけに、少しでも音楽にたずさわれるのが嬉しかった。
 そして一週間が過ぎた頃、マリエさんが歓迎会代わりに飲みに誘ってくれた。それは荻窪の小さな居酒屋だった。
「ありがとうね、頑張ってくれてるみたいね」
 焼酎の水割りを渡しながら言ってくれた。
「いや、こちらこそ。拾ってもらって感謝してます」
 僕は立ち上がった頭を下げた。
「なんか言われた通りの音源とか作るの面白くないでしょ。自分の音楽性にこだわってたもんね。だけどバンド時代からスタジオでの練習を聞きながら、君のセンスっていいなって思ってたの」
 そう言いながら髪をかき上げた。
 元モデルだけあって、その仕草が様になる。それに透き通った肌と、引き締まった体型。とても四十二歳には見えなかった。
「結局さ、バンドは売れなかったけど、これからはCM音楽で頑張ればいいじゃない。ラジオのジングルだって奥深いわよ。そう言えば他のメンバーはどうしてるの」
 僕は、みんなが再就職に苦戦していることを話した。やはり三十路前の元ミュージシャンには世間の風は冷たく、だからこそ、雇ってくれたことに感謝してることなど。
「そうよねぇ、やっぱ一回メジャーでやってると、それなりのプライドだってあるしね。まぁ、そんなプライドが邪魔して、君たちのバンドは売れなかったわけだけどね」
 酒癖が悪いとは聞いていたが、酔いが回るほどに、マリエさんの毒舌はさえていった。

「プロのミュージシャンはお金稼いでなんぼでしょ。だからプロって言うんだから。あんたら売れる曲なんて、いつだって書けるとか言いながら、結局クビになってんだから。格好つけてたもんねライブでも、MCなんてしないで、淡々と演奏してさ」
 言われたくないことをズケズケと指摘する。僕はうつむいたまま焼酎をあおった。マリエさんの毒舌は、さらに加速度を増した。歓迎会じゃねーのかよって思いながら、仕事を失いたくない一心で、その言葉に耐えた。
「何より楽しそうに演奏してなかったもんね。CDを再生するように、自分の世界に篭ってさ。確か全員後ろ向いてライブやった時のあったわよね。自分たちの世界観に浸りたいとか言ってさ。あんなんじゃ、お客さんだって楽しめないわけよ」
 いつの間にかテキーラのボトルが目の前にあった。
「あんたら早く気づくべきだったのよ。なのに誰の意見にも耳を貸さなかったもんね。そうそう見てよ、このバンド。今話題になってんだけど、めっちゃ楽しそうじゃん。あんたらも少しは見習って欲しかったわ。もう今さら手遅れだけど」
 そう言うと、スマホを取り出し動画を見せた。再生前の画面にはマスクを被った四人組とスカーフで顔を隠した女性の姿があった。
 「画質は悪いけど、これ凄いんだから。先週ネットにアップされて、もう1億アクセス。世界中の音楽ファンの間で今一番の話題何だから。それっていうのもね、顔は分かりにくいんだけど歌ってるの、あのミシェル・マリアーノって噂よ」
僕は思わずテキーラを噴き出しそうになった。
「それに、このマスクマンのバンド。なんか最初、日本語で歌ってるのよ。ほら聞いてみて」
 そう言うと再生ボタンを押した。そこには泥酔しながら後ろ向きで叫ぶ鉄平の姿があった。客の歓声に掻き消されながらも、日本語の歌詞が少し聞こえる。
「最初はグダグダなんだけど、この女性がボーカルの中心になってから凄いの。ベースはグルーヴしてるし、ギターは歌ってる。演奏もそうだけど、めっちゃ楽しそうでしょ」
 そこには飛びながらリズムを刻む僕の姿があった。
「そうよ、客の頭に隠れて見えないけどこの声は確かにミシェルよ。海外の音楽サイトでは、あの伝説の歌姫の再始動だって大騒ぎになってるんだから。このマスクバンドも世界中のレコード会社が探してるって話よ。見たことなかった、この動画?」
 メキシコから帰って来て2週間、就職探しや新しい仕事の勉強、何よりバンドへの未練を断ち切るために音楽からは距離を置いていた。
『やっぱ音楽続けてーよ。食っていけなくたって、続けてーよ。わし、音楽が好きなんじゃ』
 メキシコの夜に叫びあった声が心の中でリフレインした。

 僕は背筋を正して、マリエさんの目を見つめた。
「もし、このバンドと契約出来るなら、音楽レーベルとか立ち上げたりしますか?」
 その言葉にマリエさんは爆笑した。
「あったり前じゃない。あのミシェルと渡り合ったバンドよ。それに世界中の音楽ファンが注目してるんだから。絶対に売れるの間違いなしよ、なんだったら会社だって立ち上げるわよ」
 マリエさんはテキーラを飲み干しながら言った。
「その言葉に二言はないっすよね。契約してくれるんすよね」
  テーブルを叩くと立ち上がった。
「するに決まってんじゃない。なに急に興奮してんのよ。知り合いだったら今すぐ連れて来なさいよ」
 僕はスマホを取り出すと、あのライブの帰り夜明けを告げるメキシコの朝日をバックにマスク姿で撮り合った写真を取り出した。
「ってことは、つまり…」
 マリエさんは、言い終わると同時にテキーラを吹き出した。


その日の深夜、スタジオにメンバーが集められた。みんなは何故呼ばれたのか分かっていないようだった。ただ言われた通り、マスクだけは持って来ていた。
「どうやら全員そろったようね」
 マリエさんがパソコンを開き、動画を再生する。アクセス数は、さっきより二百万も増えていた。鉄平が画面を指差し声を上げた。
「なんなん、これ。うちらの映像じゃん。あれって誰かが撮ってたの」
 ノボルたちも騒いでいる。
 するとスタジオの隅で腕組みしていたプロレスラーのような体をした男が口を開いた。メンバーが手にしたマスクと映像を見比べている。
 「どうやら、このバンドの正体はブレイブ・カンパニーで間違いなさそうだな。確かに言われてみると、演奏スタイルが似ているな」
 マリエさんが男を指差しなが言った。
「これ、うちの元の旦那。今はスポーツジムのインストラクターやってるけど、昔はレコード会社で働いてたの」
 男は「若松だ、どうぞ宜しく」と頭を下げた。
 ドラムの健吾が口を開く。
「どういうことなんすか、急にスタジオに呼び出されて。うちら何か悪いことでもしたっすか」
スキンヘッドでサングラス姿の若松さんに少しビビっているようだった。

 マリエさんは白い紙を取り出すと強い口調で言った。
「あんたら、もう一回デビューしてみない? もう一回、夢を追いかけてみない?」
 それは急ごしらえの契約書だった。
「ブレイブ・ファクトリーの再結成ってことですか」
 バイト帰りらしく、汗くさいノボルが言う。
「違うわよ、そんなのあるわけないじゃない。このマスクバンドで再デビューしろってこと。絶対に売れるわよ、このバンドなら」
 そう言うと、パソコンの画面を叩いた。
「ってことは、プロレスラーのマスク被って演奏するってことすか。そんなの恥ずかしいっすよ」
 鉄平の言葉に、マリエさんが声を荒げた。
「恥ずかしいもの何もないじゃない。マスクで顔は隠れてるんだから。それに、さっきリョータには説教してやったけど、あんたらのバンドが売れなかったのって、その変なプライドが原因なのよ。格好だけつけて、自分の殻に閉じこもって。だけど、この演奏が出来るんなら絶対に大丈夫。これやってる時って楽しかったでしょ。どう見られるとか忘れて、純粋に音楽に向き合ったでしょ」
 メンバー全員が頷いた。
「だったらプライドなんて捨てなさいよ。マスク被ったって、やってるのは自分たちの音楽なんだから。もう一度、音楽やりたいんでしょ。ブレイブ・ファクトリーに足りなかったもの本当は気づいてるんでしょ?」
 僕はメキシコの出来事を思い出した。ミュージシャン生活、最後の演奏だと思ったステージで大事なことに気づいたんだった。
 音楽は聴いてくれる人のためのものでもあること・・・
 そして誰かの心に届いてこそ、意味を持つってこと・・・
 ブレイブ・ファクトリーでの7年間、僕らはそんなことさえ忘れていたんだった。自分たちの世界観を表現したいって客席に背を向けて演奏したこともあった。分かる人だけ分かればいいとセールスが落ちていく現実からも目をそらした。
「どうなの、もう一度やって見る気はあるの? 売れるために変わる覚悟はある? その無駄なプライドだって捨てれる?」
 マリエさんはマスクを指差した。
「デビューの条件は、それを被ること。あと、こっちの助言には絶対に従ってもらう。あんたら言ってたわよね、売れる曲なんていつでも書けるって。だったら、今度は書いてみなさいよ。ずっと言わなかったけどね、売れたことないくせに、売れたバンドのこと馬鹿にしてたでしょ。あんたら、めっちゃ格好悪かったわよ」
何も言い返せず、ノボルは拳を握り締めた。僕も下を向くしかなかった。スタジオ内を重い沈黙が支配する。

 その時だった。
 健吾がテーブルに歩み寄ると、マスクを手に取った。そして目をつぶりながら、震える手でそれを被った。鉄平も「やっぱ俺、音楽やりてーよ」と叫びながらマスクを顔にはめる。ノボルも涙を拭きながら、それに続く。
「リョータ、あんたはどうするの。別にうちの会社に残っても構わないけど」
 マリエさんの視線が突き刺さる。デビューさせてくれって頼んだけどマスク姿のままなんて思わなかった。それにブレイブ・ファクトリ
ーの中心として、音楽性を突き詰め過ぎたのは僕の責任だった。マスクを被ったって、僕自身が生まれ変わらなきゃ、また失敗を繰り返すのは目に見えている。そして、このバンドまで駄目だったら、たぶん三十過ぎて、みんなを路頭に迷わすことになる。マスクを被ったメンバーの顔を見た。目に涙を浮かべながら、必死の覚悟が伝わってくる。
「やっぱ音楽続けてーよ。食っていけなくたって、続けてーよ」
「もう一回やり直そうぜ。俺は音楽辞めたくねーよ」
 あの日の叫び声が心にリフレインする。
「お願いします。やっぱり音楽、もう一回やりたいです。夢、諦めたくないっす」
 僕もマスクに手を伸ばした

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