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 昨夜はトルーデを店に任せて、俺とアルフは宿に戻った。

――――――――――

 料理店を出た時点で、夜が更《ふ》け、道行く人は酔っ払いくらいだった。
 街路灯の緑光《あかり》を眺《なが》めながら、寝静まった中央広場を抜け、宿へ向かって歩いた。アルフが少し眠そうだったが、頑張って歩いてもらおう。さすがに街中《まちなか》で寝たら風邪をひくだろう。

 宿の受付の不寝番の従業員と、兵士が一人立っていた。
 従業員に輪《カギ》を掲《かか》げたところで、兵士が声をかけてきた。

「君たち、昨日はすまなかったな……。大変だったろ。」
「お店に任せちゃいましたけど、良かったですか?」
「構わんよ、いつもの事だ。」
「……いつも?」
「あー、悪い意味じゃないんだ。あの店は隊長の実家だから、って意味だ。」
「実家なんだ……。」

 それから少しの間、世間話をして俺たちは部屋に戻った。
 部屋までの通路を歩いている間に眠くなったのだろう、アルフは上着だけ脱ぎ捨て、ベッドに突っ伏す。その際、後ろにいる俺はアルフの背中を見てしまうわけで。
 怪我は治したんだがなぁ。

「……色々綺麗にしてやってくれ。」

 痩せた背中の瘡痕《きずあと》を、黒球が癒《いや》すまで見守る。黒球に覆《おお》われるアルフは幸せそうに寝ている。部屋の翠晶《すいしょう》からも魔力を拝借《はいしゃく》しよう。ついでだ、上着をマシなものに入れ替えておこう。

 ……思った以上に疲れた、古傷を治す時は多く消費するようだ。
 アルフの顏を尻尾でポンポンと叩いて、俺は枕元に丸まった。まったく……寝る前には磨けよ、虫歯になるぞ。黒球に綺麗にさせて目を閉じる。

 さて、今日の考え事は……。

 目をつぶって考え事を始めた俺は、黒球の色合いの変化に気付かない。 

――――――――――

 アルフが自然に起き、廃村から|失敬し《くすね》たTシャツを着ていると、部屋の外が騒がしくなった。言い争っているようだ。
 アルフの寝癖を直しつつ様子を伺う。

「……すってば! いくら兵士でも!」
「ここかー! はずれか……こっちかー!」

 ドアを力づくで持ち上げ、飛び込んできたのは《《胸元の開いた執事服》》を着たトルーデだった。男性用なのだろう、色々とサイズが合っていない。目元が赤いのは泣いたからか、それとも怒られたからか。
 上着からやっとの思いで顏を出したアルフは、目の前に現れた珍獣《トルーデ》に肩をビクリとさせて驚いたようだ。

「ハァ、ハァ……見つけたわ。」
「トルーデ……さん? おはようございます。」
「これはこれはご丁寧に……って違うでしょ! 私を置いて行ったでしょ!」
「従業員さんが《《良い》》って。」
「うっ、もしかして店の事も聞いた?」
「実家なんですよね? なので良いのかなって。」

 ガクっと項垂《うなだ》れたトルーデに不思議そうな顔をするアルフ。
 何を思ったか距離を詰《つ》め、手をトルーデの頭に乗せる。

 ポンポン

「……何?」
「えっと、僕は落ち込んだ時に《《こう》》されると落ち着くから。」
「確かに落ち着くけど……年下に励《はげ》まされるなんて。」
「迷惑、でしたか?」
「悪い気はしないから迷惑じゃないよ。」
「良かった、トルーデさんは笑顔の方がキレイだよ。」

 ぽふ……ぱたぱた

 アルフの微笑み交じりの一言に、顏を手で覆い後《うし》ろを向いてしまったトルーデの尻尾は、嬉しそうに振られていた。
 俺がアルフをジト目で見ていると、こちらの様子に気づいたアルフが親指を立ててニカっと笑う。……こいつ策士《たらし》だ。アルフ恐ろしい子。

 追いかけてきた従業員に問題ないことを伝え、トルーデにも謝らせた。従業員の目が泳いでいたのは気のせいではあるまい。こいつもムッツリか。

「……でね、ヘソクリまで出しても酒代に足りないから《《無賃労働》》することになっちゃって。兵長に言ったら『1か月位帰ってくるな。』だって、酷くない?」
「あはは……。」
「制服着たら着たで『エロいから出てくるな。』って言われるし。いつまで経っても働けないから……。」
「だから、抜け出してきた、と?」
「正解♪」

 俺たちは買い物に行くから、トルーデの相手なんぞしている暇は無い。それに、こちらの財布を頼りにしていそうなのがムカツク。昨日の今日で《《コレ》》かよ。貸さねーぞ。
 
 トルーデを適当にあえしらい、朝食のために外に出ると、なぜかトルーデがついてきた。……たかる気満々なのだろう。

 洞穴亭《ほらあなてい》の面した通りは、早朝にもかかわらず盛況だった。朝は忙しい……にしても多いな。地下鉄の通勤ラッシュみたいな混雑具合だ。人熱《ひといき》れのせいか、昨日より暑い気がする。
 中央広場に近い立地も関係しているのだろう。朝日は見えないが、日の出は過ぎているようだ。
 露天商も稼ぎ時なのだろう、昨日より露店が多い。

「トルーデさん、いつもこんなに混んでるの?」
「昨日から、かな。日が昇りきるまでに、開店しない店は営業できないからね。」
「え?」
「あれ? 聞いたことない? 『乾季の雨の後には、日差しもまた続く。』って。」
「初めて聞きました。」

 俺も初めて聞いた。乾季があるだけでも嫌な予感がする。アルフもなのだろう、顏が引きつっている。店の営業時間短縮も大事な情報だ。

「ニブルデンバはね、これから乾季だから。街の周りの森は、《《消えちゃう》》の。半年くらいで雨季になるから、それまでは《《砂漠》》なんだよ?」
「えぇ? 消えて、砂漠?」
「そう、砂漠。だから皆、急いで必要な物資を買い足して、《《下りるの》》。」
「どこに……?」

 トルーデの指差した中央広場には、塔の下に集まる荷車の行列があった。大移動だな……。

「塔の下に水脈があるから海まで移動するんだよ。アルフ君は、海見たことある?」
「無いです。聞いた事はあります。『しょっぱい』とかなんとか。」
「海の水はしょっぱいよー。フッドミースでしか食べられない物もあるからね。夕方には皆で出発するから、用意しておくと良いよ?」
「はーい。」

 フッドミースって街の名前だろうか。海の幸が食べられるのは良い。魚介類は久しく食べてないからな……。
 アルフの背負う袋に下半身を入れ、アルフの肩に手を乗せる。人が多すぎて歩行は困難だ。アルフに耳打ちするにしても、この位置が良いだろう。

「じゃあアルフ君、朝は露店で済ませる?」
「あ、はい。買い物もあるので。」

 露店でアルフは肉団子にあんかけをかけたものを買っていた。銅貨3枚が安いかは分からない。ちゃっかりトルーデまで頼み、アルフに払わせていた。ギルティ。
 しかも「あ、用事思い出した!」と言って逃げて行った。お金借りに来たんじゃなかったのか……。利子をつけて返してもらおう。

「不思議な奴だったな。」
「だね。」
「《《ああ》》はなるなよ。」
「……がんばるよ。」

―――――――――――

 その戦いは、日の出とともに始まり、昼の鐘が鳴るまで続く。ニブルデンバの商業ギルドは佳境を迎えていた。
 本日、夕刻には大移動が予定されている。ニブルデンバでの大量の買い付けを行う際は、商業ギルドを通さなければならない決まりがある。もちろん罰則もあるため、《《普段》》は皆黙って並ぶのだが。
 今日は――


「毎回そうだけど、多すぎるんだよー! 」
「無駄口叩くな! 手を動かせ!」
「うわーん。」
「……すげぇぞ、あの子。会話しながら書類仕事して、飯も食いつつ泣いてるぜ。」
「さすがは『ニブルの最悪』だな。」
「あぁ、間違いない。やべっ目が合った!」
「そこのバカどもぉ! 用が無いなら手伝えー!」

 ――受付嬢? たちの笑顔《殺気》あふれる戦場《うけつけ》となっていた。
―――――――――――

 道を聞きながら商業ギルドを目指す。あっちへ流され、こっちへ流され……。
 30分ほどで商業ギルドに着いたが、アルフは少し疲れたようだ。閑散とした村から来て、この混雑では仕様が無いだろう。

「とりあえず用件を済ませてしまおう。受付で手配してもらえるなら御の字だ。」
「おん《《な》》じ? そうだね。」


 受付ではピークを過ぎたようで、順番待ちの列は思ったより少なかった。それでも職員は忙しそうだ。何名かの職員が出してはいけないモノを出しながら、壁際で寝ている。
 ……気にしてはいけない。彼らの名誉のために。

「いらっしゃい、ニブルデンバへようこそ。」
「えっと、あの崖の向こうの村に食糧の輸送をお願いしたいです。」
「少々お待ちください。……現在、橋の強度等について調査中です。それが終わり次第、今まで通りの交易が行われます。夕刻には移動ですので、半年ほど、お待ちください。」
「半年!? 今、食べ物を届けて欲しい村があるんです!」
「食糧の在庫はありますが、人手が不足しています。無理ですね。」
「……どうにかなりませんか?」



 結果から言えば、食糧を荷台に積んだ《《四輪の荷車》》を借りた。
 商業ギルドへの登録や物資購入、大移動の手続き等すべき事を終えた。しかし、荷車を引くのはアルフだ。ついぞ引手《ひきて》は見つからなかったのだ。

 昼前。|夕刻の鐘《タイムリミット》までは6時間といったところか。
 ……アルフ一人では、到底往復できる距離ではない。

「時間が無いぞ? どうするんだ? 銀貨数枚と銅貨しかないぞ?」
「人手なし、使役動物なし、時間なし、お金なし……。」
「『八方|塞《ふさ》がり』だな。」
「僕が行っても、邪魔になる……。」
「そうだな。ガキが頑張っても往復は無理だ。片道でも疲れるぞ?」
「……。」
「ふむ、現状は認識したな。」

 「ふぇ?」という情けない顏のアルフに手を貸してやる。黒球に荷車を収納させ、アルフの背負い袋に入る。軽いめまいがし始めたか。

「え? そうか……木も入れてたもんね、って手伝ってくれるの?」
「とりあえず街の外に走れ。話はそれからだ。」
「……うん! わかった!」

 街の外を走り、坂を登っていく。アルフが。
 ニブルデンバを見下ろした崖の上で、背負い袋から降りた。アルフは《《ほんの》》1時間、坂道ダッシュをしただけで息が上がっている。
 黒球に荷車だけを吐き出させ、ため息交じりでアルフを見る。
 
「情けない奴だな、鍛え方が悪いんじゃないか?」
「はぁ、ふぅ、キツネさん、走ってない、ゲホゲホ。」
「よっと……さて、と。」

 荷車に飛び乗ると、本来は『使役動物が位置する場所』に黒球が収まる。ほんの少し大きくなった気がする。まぁ、気のせいだろう。
 アルフは荷車の上で仰向けになった。
 人の尻尾を枕にしているが、今は無視し、黒球に指示する。

 ガタゴトと荷車が進む。アルフが走るよりも速い。荷車を引く時は、俺から吸わないようだ。
 ……これからはこうしよう。馬車馬《ばしゃうま》のように働くのだ。

 軽快である。相当な揺れで転がりそうになり、黒球に掴まってからは。昼下がりに風を切りながら街道を行く。
 アルフも起き上がり、あたふたしている。じっとしていた方が良いぞ?

 俺が架けた橋と、その手前の街道脇に停まる馬車が見えてきた。橋の上では、数名が、しゃがみ作業中だった。おそらく荷車等の通行時の荷重分布などを調べているのだろう。安全確保は大事だ。
 しかし、俺たちは急いでいるのだ。止まってなどいられない。

「こ、このままじゃ、ぶつかっちゃうよ!」
「飛び越えろ、《《できるだろ》》?」

 黒球は俺の言ったことをするため、荷車を包んでいく。そして旅客機の離陸よろしく、荷車の前方を空へ向け飛び立った。

「と、飛んでるよー!」
「橋を超えたらおりろー!」

「な、なんだアレは!」
「ま、魔獣か! あんな大きさのいたか?」
「知らねーよ! 逃げろ!」

 橋の作業員たちの喧騒《けんそう》が聞こえてくる。誰が魔獣か! 俺だったわ。
 無事着地し、俺たちが去るまで聞こえていた。

「良いか、アルフ。村に着いたら村の外で取引しろ。あと《《自分から》》値段を言うな。買い叩かれるぞ。」
「……うん。」

 おそらく分かっていないだろうが、アルフは頷《うなづ》いた。初めての商談だ、緊張くらいはするだろう。
 村の手前で荷物を《《半分》》出し、《《村には入らず》》門番に商人を呼んでもらう。
 門番の頬は痩《こ》けたようには見えない。だが、腹が減っているのか鳴っている腹を擦《さす》って、苦笑いを浮かべていた。

 10分ほどで商業ギルド出張所の職員、雑貨屋で|寝ていた奴《ナネッテ》そして村長までが走って来た。ナネッテ以外は『取引の立会人』らしい。色々と大変なのだろう。
 ニブルデンバの商業ギルド員からの情報も交えつつ、交渉に移った。

「とりあえず身分証と許可証。」
「うん、確認した。」
「じゃあ、雑貨屋《うち》は銀貨40枚で買いたい、かな。量もあるし、悪くないと思うよ?」
「えっと、ここまで運んできたから少し上乗せして欲しいなぁ、なんて。」

 正直なところ、アルフとの面識もあるナネッテが交渉相手で良かった。他の相手ではアルフは買い叩かれていただろう。ナネッテ相手でさえ緊張を隠せていない。立会人の2人《《も》》余裕の表情だ。……これは損をする流れか。

「そうだね、銀貨42枚でどうかな?」
「うん、じゃあその値段で――」

 ガブッ

 俺はアルフの足に噛《か》みついた。アルフ以外の面々は驚いている。すまないなアルフ、お前のためだ。ナネッテたちの術中に嵌《は》まるわけにはいかない。
 アルフを引っ張り、荷車の後ろまで連れて行く。

「バカか、お前は。」
「痛いよ! なんでさ、利益あるでしょ!」
「『この村でいくらか』なんて無意味だ。本来なら輸送には護衛を雇う費用や宿代、飯代なんかもかかるんだぞ、足したか?」
「あ……。」
「しかも今は状況が状況だ。値を《《つり上がろ》》。」

しおり