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 洞窟《どうくつ》。崖などに生じた空洞。
 穴蔵《あなぐら》。地下に穴を掘って地下室にした所。

「なぁ、アルフ。俺らって街に来たんだよな?」
「そう、だね。」
「宿屋だと思うか? 坑道《こうどう》に見えるんだが。」
「コードー? どう見ても洞穴《ほらあな》でしょ……。」

 ニブルデンバの中央広場付近の路地から《《地下》》へ降りた。
 途中の岩肌には仄かな緑光を放つ水晶『翠晶《すいしょう》』が等間隔で配置されていた。
 虫がたかっているのかと思ったが、違う。羽根だけでなく全身が少し透《す》けているのだ。品質の良い翠晶には蝶々《ちょうちょう》のような『翠《すい》』が居付《いつ》くらしい。
 街並みもそうだが、こういう設備は《《あっち》》には無かったと思う。食い入るように見ていたらアルフに窘《たしな》められてしまった。

 トルーデが宿のおばちゃんと話をつけてくれている。銀貨10枚らしい。
 宿の受付前は漏斗《ろうと》状の緩やかな傾斜があり、《《床は濡れず》》雨水はここへ落ちていくらしい。小さな穴を覗《のぞ》き込もうとすると、またもやアルフに。これでは俺がガキみたいじゃないか。

「アルフは気にならないのか?」
「なるけどトルーデさんが《《ここにいて》》って言ってたでしょ?」
「見える範囲なら大丈夫だろ。」
「……アルフ君、受付終わったよー? ん? 何か気になる?」
「あ、えっと。この穴がどこに繋《つな》がってるのかなって。」
「地下の湖だよ。飲み水とかになるんだって。あ、お湯は別料金だから銅貨だね。食事は受付の人に言えば案内してくれるって。先に部屋に行こうか?」

 トルーデが部屋のカギらしき《《金属の輪》》を人差し指で回している。
 受付からさらに《《地下へ》》移動する。まるで炭鉱夫のような体格と装備の人たちとすれ違う。いや、まじで宿屋じゃねーだろ。動物革の頭装備と金属の杭《くい》を持ってたぞ。

「ここって本当に宿屋ですか?」
「あはは……初めて来た人は皆、同じ感想を言うよ。炭鉱夫でもないと、ここの宿代なんて払えないって言うのが本当の所なんだよ。最近は《《ちょっと》》治安が、ね。」
「泊まれるなら、この宿の方が良いって事ですか?」
「そうだよ、理由の一つがコレ。」

 先ほどの金属の輪をこちらに見せてトルーデが言う。一本道の緩い坂を歩いていると、等間隔で扉が並んでいる区画に着いた。

「えーっと、この部屋だね。アルフ君、コレに魔力を通《とお》して?」
「あ……僕、ほとんど、その。」
「あーそうなんだ。登録するだけだから大丈夫だよ、やってみて?」

 おずおずとアルフが輪を両手に持ち、目を閉じた。アルフの鳩尾《みぞおち》辺りから《《か細い》》魔力が腕を伝い、輪へ至った。
 金属輪の表面に変な模様……『202』と文字が浮き出たらしい。《《俺も》》アルフも文字が読めないのでトルーデが読んでくれた。

「うん、出来てるよ。これが部屋のカギになるから無くさないように。まぁ、失くしても分かるように登録したんだけどね。」
「はい!」
「荷物を置いたらどうする? 私は食べに行くけど。」
「あ、行きたいです!」

 アルフの返答を聞くと、トルーデはアルフに木箱を渡しニヤニヤしながら受付へと歩いていった。
 アルフと部屋の扉を見る。金属製の扉はノブは無く、引き戸のようだ。カギはかかっていないのだろうか。
 アルフがドアにカギを近づけると『ギギ……ガチャ』と音を立て、静かに開いていった。
 部屋は洞穴の宿屋とは思えない質だ。10畳ほどの広さで、翠晶が壁に等間隔で配置され十分な明るさを保っている。ダブルベッドの周りには簀《す》の子が敷かれており、大きめのテーブルと4人分の椅子もある。
 そして床。というか《《水面》》だ。底は見えない。部屋の全ての家具や調度品が水面に《《浮いている》》ように見える。アルフも床を凝視しているので、俺だけが驚いているわけでもないようだ。

「すげー、アルフ、入ってみろ。」
「えぇ……これ、大丈夫なのかな。」

 アルフが恐る恐る足で確かめながら歩く様子を見るに、ちゃんと足場はあるようだ。靴底が濡れている……俺が歩けば染《し》みるだろう。
 アルフはベッドに荷物を置いた所でこちらを向いた。
 入口から動かず床をつついている俺を見て、いたずらを思いついた顏をしているが、俺は気づかなかった。

「ねぇ、こっち来たら?」
「大丈夫だ。」
「もしかして怖いの?」
「そんな事より、いくらかは持っておけよ? 街の相場と店の場所は調べないとな。」
「ふーん。」
「準備できたか? 早くし」

 ガシッ

「ねぇ、キツネさん?」
「ろ……アルフ、話せば分かる」
「見れば分かる、よっ!」
「ぞぉ――――おべっ!」

 アルフめ……部屋の中央まで投げやがって。何とか着地を、と思ったが床である《《水面》》との距離感が分からず墜落した。水しぶきは無く、波紋がいくつか広がっていった。尻尾が無ければ痛かったはずだ。
 いたずらに成功したアルフは《《したり顔》》をしている。アルフ許すまじ。

 だが、今はそれどころではない。水面に立てるという事は『肉球が濡れる』という事である。俺の肉球はフサフサの毛が生えているから、あまり濡れたくない。

 あ……しみてきた、ってそうじゃない。

 《《非常に》》ゆっくりと近寄ってきた黒球を捕まえ飛び乗る。ぺし。
 こいつめ、被害が出ない時は何もしないのか。ぺしぺし。

「あれー、いつでも浮いちゃうのかぁ……怒ってる?」
「怒ってない、肉球をあまり濡らしたくないだけだ。」

 トルーデを待たせているのだ。|子ども《アルフ》一人で街を歩くよりも色々と有意義だろう。
 ニブルデンバまでの道中に黒球が回収した素材は《《相当量》》ある。さすがに全てを売るわけにはいかないが。
 黒球に頭陀袋《ずだぶくろ》のような布袋と数種の草を出してもらう。アルフに持つように言い、トルーデの元へ。
 《《まともな》》食事をしたい。焼いただけの動物肉は勘弁《かんべん》だ。


 受付前に戻ると、トルーデが神妙な面持《おもも》ちで他の兵士と話していた。
 こちらに気付くと、兵士はトルーデに《《頭を下げ》》、外へ駆けて行った。何かあったのだろうか。

「お待たせしました!」
「お、来たね。受付に昼食って伝えて行こうか。」
「はーい。」

 アルフが受付に歩いていくのを見守っていると、隣から視線を感じた。
 見上げると、トルーデがこちらをチラ見していた。害意は無さそうなので放っておこう。
 目を逸らすと、床の穴が目についた。確か雨水の通り道で下には湖があると。
 穴の近くへ寄り、黒球を捕まえ後ろを見ると、トルーデはこちらを見ているが動いていない。アルフも未だ受付で話している。さっさと済ませてしまおう。

「水を数日分入れておいてくれ。」

 と小声で言うと、黒球は細い管を地下深くへ伸ばしていった。

「お待たせ、行くよ? キツネさん?」

 おっと、アルフを待たせてしまったか。若干膨らんだ黒球とともに地上へ上がる。



 夕焼けの街並みは、昼とは違った様相を呈していた。街灯にも翠晶《すいしょう》が使われているのだろう、緑白色の光は《《見慣れた》》街路灯とは違うもので……幻想的ではあるものの、少しだけ、寂しい感じがした。

 トルーデのお財布事情を考慮して、洞穴亭《ほらあなてい》の食堂はやめた。皿に《《ちょっとしか》》載ってないのに、安くても銀貨5枚《《も》》するらしい。トルーデが熱くグチっていた。……何か嫌な事でもあったのだろうか。
 
 街の中央を横切り、北側へ歩いていく。中央の塔の1階部分は誰でも通り抜けられるらしく、人通りは相当なものだった。所狭しと並んだ露店には軽食から鉱物、革製品に至るまでありとあらゆる品が売られていた。値段を覚えておこう。

 活気あふれる中央広場をトルーデはアルフの手を引き、スイスイと進んでいく。
 人波に飲まれるのなんて何日ぶりだろう、とアルフに移動を任せながら考えていると、狭い路地にいるローブを被った男を視界に捉えた。
 アルフの手を離したトルーデが振り返り言う。
 
「あ、ちょっと待ってて?」
「あ、はい……どうしたんだろね、知り合いなのかな?」
「さあな、音を拾うか?」
「さすがにそこまでは、ね。」

 じっと見ているのも暇なので近くの青果店を冷かしていると、トルーデが戻ってきた。

「ごめんごめん、いこっか。」
「……何かあったんですか?」
「ん? 何も無いよ。それよりもうすぐ着くよ、あの赤い屋根のお店!」

 夕日に照らされて分かりにくかったが、強い黄味がかった朱色のドームが遠くからでも目を引く建物らしい。両隣が2階建てなので、せめてもの抵抗なのだろう。10人ほどの行列が出来ているので、それなりに繁盛しているようだ。
 ガラス窓が無いため中を見られないが、幅20メートル程の建物を眺めながらトルーデとアルフの話に耳を傾ける。

「ちょっと並ぶけど、ココは回転早いからすぐだよ。」
「結構並んでますよ?」
「ここはね、夕方から開店なの。1階のカウンター席か、中二階《ちゅうにかい》のテーブル席で食べられるんだよ。アルフ君はまだだと思うけど、地下には酒場もあるよ。」

 アルフに酒は早いだろう……頭や臓器が悪くなるから、だったか。
 そんな事を考えていると順に客が誘導されていき、俺たちも入店した。

 あー、この雰囲気……某牛丼チェーン店のアレだ。入ってすぐ横に会計があり、会計前に階段がある。カウンター席がフロアの中央に横並びに10席程見えている。テーブル席が見当たらない所と、中央の天井部分にある大きな吹き抜けが違いだろう。

 会計をしていた青年がこちらに声をかけてくる。

「いらっしゃ……あんだよ! 嬢ちゃんかよ、損したぜー。」
「何よ、来てやったんだから良いでしょ! 上、借りるわよ?」

 応対した従業員とは知り合いなのだろうか、気さくを通り越して面倒臭がられてないか? シッシッと動物を追い払うみたいに……。
 アルフは面食らっているようで、トルーデに手を引かれていた。

 1階が大衆食堂ならば、2階は高級料理店と言える内装になっていた。
 階段前にレジカウンターがあり、2階の中央はドーナツ型の空間だ。
 1階の調理場を俯瞰《ふかん》できるようにテーブルと椅子が配置され、料理を待つ客を楽しませる造りになっているようだ。ワックスでも塗ってあるのかピカピカだ。
 壁には緞帳《どんちょう》のような幕《まく》で木目を隠してある。金色の刺繍までしてある。
 備品の値段を計り知れず、アルフと揃《そろ》って口を半開きにしていると、トルーデに笑われてしまった。

「フフ、アルフ君? 奥に座ろうか。」
「え? あ、はい!」

 こちらに気付いた客が意味ありげな視線を送ってくる。アルフの頭に乗っているだけだぞ。
 テーブルに座り一息つくと、水が入った木のコップが2つ、テーブルの上に音も無く現れた。魔力が使われたのか、テーブルの上と1階の調理場の方から魔力の流れを感じる。
 黒球が反応し、俺の前に移動する。
 俺とアルフが驚いているのを無視して、トルーデが話しかけてくる。テーブルに肘をのせ、組んだ手をアゴの下に添えるポーズだ。

「さて、と……アルフ君、その魔獣を渡してくれない?」
「おぉ、どこから……え?」
「従魔なんでしょう? 橋の件は眉唾《まゆつば》だけど、私たちには少しでも戦力が必要なの。ここの食事代で手を打ってくれないかな?」

 トルーデの目は笑っていない。アルフの目をじっと見つめている。
 アルフは数秒黙り、徐《おもむろ》に俺を膝の上に乗せた。
 俺が見上げると、アルフは俺を撫《な》でつつ話し始める。

「キツネさんは、僕の友達です。渡したりはできません。」
「……従魔とは言わないのね。どうやって仲良くなったの?」
「助けられてから一緒にいるだけなので。」

 トルーデの質問にアルフは返事をしているが、顏は伏せ、ひざに置いた手は震えている。緊張とも不安ともとれる表情をしているが大丈夫だろうか。

 周りの客がテーブルに近づいてこない。暗黙の了解があるのだろう。運ばれてくる料理に舌鼓《したづつみ》を打ち、会話を楽しんでいるようだ。
 俺たちの前にも、高そうな料理が並べられていく。トルーデは赤ワイン似の果実酒を一口飲み、ほぅ、と妙に艶《つや》のある吐息を漏らした。

「橋の事は、本当です。」
「とりあえず食べましょう? 好きに食べて良いからね。これ、いつものより飲みやすいわね……んひっく。」

 独り言を言ったトルーデの頬は赤く、目はトロンとし、口元はだらしなく緩んでいる。ほろ酔い、といったところか。
 アルフの表情は硬いが、少しずつ食べていく。やはり食欲が勝つようだ。一皿で銀貨が10枚は飛びそうな料理を平らげていく。俺にも少し位は分けて欲しい。

 アルフのお腹が膨れた頃、椅子で船を漕いでいたトルーデが突然跳ね起きた。

「ひっく……あーるふくーん、きーてるぅ?」
「はいはい、聞いてますよ。」
「あー! 絶対、ぜーったい、聞いてないやつだー!」

 絡み酒かよ、と視線を逸らすと、受付にいた赤毛の従業員と目が合った。

 《《すっごく》》良い笑顔だった……知ってて出したな。

 さて、どうしたものか。トルーデはまだ飲むつもりなのか、お代わりを要求している。歩けるうちに帰したいところだが……。
 そんな事を考えていると、他の従業員とは違う、燕尾服の老紳士が階段の方から歩いてきて言った。

「お客様? 《《こいつ》》は置いて行って良いですよ。叩き出しておきますので。」

 この時点でトルーデを無理にでも止めなかった事を後悔するのだが、それはまた別の話。

しおり