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Chapter 4 - 6

Chapter 4
 
 フェルメザ・タイムズ電子版(第一面)
 
   本日午前6時過ぎ(現地時間午前4時)、西岸国大統領府報道官による
   緊急記者会見が開かれた。会見の要旨は次の通り。
 
   昨夜、諸島国西部のショウズ市で発生した空爆と考えられる事象は、西
   岸国軍所属のビョーネ部隊による攻撃である可能性は否定できない。しか
   しそれは意図された攻撃ではなく、完全なる誤爆である。この点をまず強
   調しておきたい。該当部隊の本来業務はあくまで偵察任務であった。西岸
   国政府も国軍司令部も、この部隊に対していかなる攻撃命令も発令してい
   ない。現在、軍では誤爆の原因を調査中。
   
   これまでの調査で、当日操作を担当していたロボット職員のシステム不
   具合の可能性が指摘されている。不具合が疑われるロボット数体をすでに
   拘束、国軍の管理下で詳細なシステム検証を行っている。検証結果につい
   ては、名誉ある西岸国大統領の名において、逐次、諸島国政府に対して正確
   に伝達していく。

   今回の誤爆によって被害にあわれた罪なきショウズ市民に、心から謝罪と
   哀悼の意を表するとともに、再発の防止に向けて全力で取り組んでいく所存
   である。また、現在公海上で実施されている両国間の戦闘については、これ
   まで通り、戦域を厳しく限定した上で、諸島国との戦争協定に基づいて粛々
   と継続実施していく。


     ☆ ☆


「シム・エレクトロ本社から、総点検の指示が出た」

 広く無機的な大ホールに、カムリの声が響く。
 毎朝定例の業務ミーティング。
 支社に勤務するおよそ600体のロボットたちが整然と列をつくり、演台に立つカムリにフォーカスを合わせている。演台の上では、シックなダークスーツに身を包んだカムリが、にこりともせずに話を続ける。
「本社管理部が最も懸念しているのは、旧設計の思考ニュートが引き起こすエラー、誤作動だ。本日中に、すべての社員の過去の行動履歴と勤務状況を詳細にわたって再検証する。検証の結果、何らかのアブノーマル要素が検出された社員に対しては、すみやかに業務停止を命じ、新規ロボット人員との交換補充を行う」
 ときおりホール後部のプレス席から、シャッター音が響く。いつもは無人のブースだが、今朝は国営放送のテレビクルーと主要民間紙の記者たちが詰めている。取材用のカメラやレコーダーを手に、熱心な取材が続く。
「……これは言うまでもなくシム・エレクトロ社の社会的信頼に大きく関わる事項である。各自、今言った内容を確実にメモリに入れて本日の任務にあたるよう。以上。何か質問は?」
 最初に国営放送のリポーターが何か質問をし、カムリが淡々とそれに答えた。
昨夜の夜間空爆は、今朝の番組のトップですべてのテレビチャンネルが取り上げている。諸島国政府は、二国間戦争協定から完全に逸脱した西岸国の非道な攻撃に対し、断固たる報復措置で対抗するとの声明を読み上げ、西部戦域への戦力大幅増強を決定した。

「シュシュがスクラップ?」
 
 オリリアは声を跳ね上げた。
「いま、そういう風に聞こえたけど?」
「その通りだ」
 カムリは手元のモニターに目を落としたまま、一定のトーンで続ける。
「検証の結果、彼のここ二ケ月の戦績は明らかに基準を下回っていた。それに加えて、操作反射性の鈍さ、機体コントロールの不正確性など、少なくとも4つの項目において問題が指摘された。以上の結果を踏まえれば、廃棄は当然の判断だ」
「だけどその前の月までは、最上位につけてた。確かにここ最近は操作ミスが目立つけど――」
「評価期間の設定については、私がどうこう言う立場にない。本社の管理総務の仕事だ。私はただ本社の決定を君に伝えたに過ぎない」
「でもだけど、それって――」
「『でも』も『だけど』もない。ひとつの議論の余地もない。時間を無駄にするなオリリア。もしこれ以上続けるなら、今月の君の戦績から差し引いて――」
「あたしの戦績とか、そんなのどうだっていい」
 オリリアは反論する。
「シュシュとあたしは、ずっと二人でやってきた。あいつと二人で、いくつもの作戦を戦った。二人で、支社の戦績レコードの月間最高値を五回も更新した。そういう実績をもうちょっと評価してくれてもいいんじゃないのか? 簡単にスクラップって言うけど、でも、だったらあたしの立場は? ずっとペアを組んで戦ってきたあたしの立場ってものも、ちょっとは考慮して――」
「考慮したからこそ、シュシュ単独の廃棄だ」
「は? 何? 意味わかんない」
「管理総務からの指示は、シュシュ・オリリア両名の廃棄。つまり君も廃棄対象だ」
「え?」
「より正確に言えば、廃棄対象だった(・・・・・・・)」
 カムリの指は、相変わらず高速でキーを叩き続けている。モニター作業用の調光グラスの上に、黄色の文字列が反映している。
「しかし、そこは私から、ひとりを外すように提案した。ペアのもう片方は、まだある一定の作戦遂行能力が見込めると。過去にさかのぼって戦績を評価すれば、まだ現時点でも著しく標準偏差を下回る状況にはない。もうしばらく猶予を与えるべきだ。そのように提言した。その提言は即日認められた。結論。オリリアは業務を継続。シュシュはすみやかに廃棄。一両日中に、新モデルの補充社員が到着する。新社員とオリリアは新たにペアを組み、引き続き西域海上での作戦任務を担当。以上だ。もう行け、これ以上時間を無駄にするなら――」
 そこで初めて、カムリはモニターから視線を離した。調光グラスを通して、灰色の瞳がオリリアを見すえている。
 曇りの朝の空みたいな目だ。オリリアはそのような感想を持つ。
 綺麗でも汚くもない。強くも弱くもない。純粋な灰色。
 カムリの視線は動かない。固定されている。灰色の目には感情の閃きはない。そこにはいかなる熱意もなく、好意もない。ただしそこには、いかなる悪意も敵意も、含まれてはいなかった。静かな目だ。とても中立的な――


     ☆ ☆


「おい、何か言うことはないのか?」
 
 夕暮れの海を見ている。場所はドームの屋上テラス。
 西の海上は夕陽の色に染まり、風はなく、波は穏やか。
 はるか向こうに島影があり、そこにある何かの建物が夕陽を反射して光っている。シュシュはその金色の光点を、さきほどからずっと見続けている。
「いいかげん何か言えば?」
「……何を?」
「何でもいい。最後の夕方だろ? 最後に見る夕陽だ。何か言うこととか、言い残したことがあれば、何だって聞いてやる。2時間でも3時間でも」
「………」
「おいってば」
「聞いている」
「だったら何か言えば?」
「何を?」
「もうっ、それだからあんたはダメなんだ!」
 オリリアは拳を叩きつける動作をする。しかしそこには叩く対象がない。
 その拳は空を切り、少し、オリリアの姿勢バランスを崩しただけ。
「いつもいつもいつも! 口数が少ないにもほどがある! いつもいつも世話ばかりかけて。いついもいつもあんたはドンくさくて、いつもいつだってトロくて、図体ばかりデカくて――」
「すまない」
「謝るな!」
 オリリアは声のトーンをさらにワンボリューム上げた。しかしその声も夕暮れの海に向かって拡散。秋の大気の中に消えていく。
「ねえ、たのむから。何かもっと、何か違うこと、言えないのか……」
 そのとき、何かが肩にのった。
 顔を上げる。
 シュシュの大きな掌が、オリリアの肩に置かれていた。
「それは何? 何のしるし?」
 オリリアは首のジョイントを曲げてシュシュの顔を見上げる。シュシュの横顔は夕陽の色に染まり、彫りの深い目もとは逆光。表情が読めない。
「テスミンのこと、頼む」
「……最後に言うのはテスミンのこと?」
 オリリアは口をすぼめ、「ため息を吐く」のポーズをとる。
「彼女には保護者が必要だ。継続的なメンテナンスも」
「わかってるよ、そんなことは」
「だからたのむ」
「んなこと、たのまれなくてもわかってる」
「すまない」
「いちいち謝るなって言ってんの! あんたってヤツは、いつもいつもいつも――」
 オリリアの声はそこで途切れる。
 続けて言うべき言葉――
 そのふさわしい言葉が、テンプ・メモリに上がってこない。
 そこには膨大な数のブランク・スクエアが沈んでいる。
 オリリアの思考は、限りないブランクの海を泳いで、泳いで、泳いで――
 それでもう、ふたりの会話は終わりになった。
 それが、シュシュとオリリアが交わした最後の言葉。
 
 翌朝オリリアが出社すると、支社のフロアにシュシュの姿はなかった。
かわりにそこにいたのは、ミュルという名のロボット社員。可愛らしい流行カットに決めた長い髪を振りながら、よろしくお願いします、ミュルです、今日からここで勤務を命じられました、二人で頑張りましょう。ミュルは完璧なる営業スマイルを顔全面に固着させ、それとは不釣り合いな固く冷たい視線を、まっすぐオリリアに投げつけた。

 その日の業務が終わり、ドームに戻っても、シュシュは姿を見せなかった。二階の奥の部屋のドアは閉ざされたまま。トポリ氏によれば、昼前にやってきた回収再生センターのカーゴが、シュシュと、そのほかあと二人の住人を載せて出て行ったらしい。明日の午前中には、清掃会社の派遣スタッフが空室の中を整理する予定。
 以上。
 それがオリリアが知ったシュシュについてのすべて。
 すべて――



Chapter 5

『待機モードは解除されました。全機すみやかに前進してください』

 司令からのヴォイスメール。
 その声を受けて、およそ200機のエミルクが、楔形の陣形を整然と保ったまま海上を西に移動する。
 戦域に風はない。あるのは雲だけだ。
 厚さ400コルメ以上もある雲の帯が、東西南北すべての上空を埋めている。いっさいの気流は動いていない。気温は昨夜から69を指したまま動かない。
「オリリア、高度が下がっています」 
 左の遠隔操作ブースから、ミュルの声が飛ぶ。
「もう少し上げてください。ブースタGからLの出力はそれでOK、M以下を均等に上げて。それと、左制御翼のノズルフラップが――」
「そこはもう見てる。言わなくてもいい」
 オリリアは不機嫌な声を返して、言われた通りの操作を実行する。まもなく高度は上がり、想定された進軍軌道を理想的になぞる巡航コースに入った。
「朝から反応が鈍いですよ、オリリア」
 クールに抑制されたミュルの声が飛んでくる。
「業務開始時の個別ブリーフィングでも注意が散漫でした。先程お願いした結集ポイントまでの燃料コスト計算にも誤差がありました。計算所要時間も長すぎました。システム不具合のカテゴリに入れるほどではないですが、でも少し――」
「わかってる。わかってるから。作戦に関係ないことばかりごちゃごちゃ言うなって」
「関係はあります。二人一チームのエミルク機操作の場合、二名の操作者の整合性が一番の重要ファクターですから」
「ファクター? 何の?」
「巡航飛行時の安定性、ならびに戦闘行動時の機体制御」
「なんか適当に言ってないかそれ?」
「とにかく、二名は常に緊密かつ良好なコミュニケーションを取りながら、最適な作戦行動遂行に向けて、いついかなる時であっても細かな点まで注意を怠ってはいけない。ですから今のような移動中の些細な相互確認も、決して軽視してなりません」
「長いっつーの。あんた新機種だろ? もっとコンパクトに要点まとめて言えよ」
「オリリア、左制御翼がまた少し――」
「知ってる」
「では、補正を」
「わかってるって言ってんだ! いちいちうるさい女だな~」


「先ほどミュルから評価レポートが上がってきた」
 
 二十四階にあるカムリの個人オフィス。
休憩時間中にも関わらず、多数のモニターに囲まれてカムリは中断なく作業を続けている。両手の指を操作ボードに載せたまま一瞬だけオリリアに視線を投げ、またモニターに目を移した。
「操作パートナーとして、オリリアの業務適正に疑問を投げかけている。チーフパイロットの指示に対する即応性の低さ、パネル操作の不正確性、非協調的で情動的な言語表現、ほかにもいろいろ指摘している」
「それはどうも」
「それに対する反論は?」
「つまらない女だなって。それだけ」
「情動的発言だな、まさに」
 カムリが片方の眉を吊り上げた。
「個性あふれるG4の中でも、君は異端児のカテゴリに入る。その自覚は?」
「ま、少しは」
「その君の典型言動パターンに十分慣れている私からすれば、ミュルのレポートで述べられた諸点にはそれほど深刻な問題性を感じない。しかし。まだ勤務経験の短いミュルの場合、認識は全く別だろう。もう少し誠実に彼女の言動パターンに即した応答をしてやる必要がある。違うか?」
「でしょうね、たぶん」
「これはあくまで仕事だ。適合し、結果を残せ。ここではそれだけが求められている。それから――」
「まだあるの?」
「ある。これを言うのはあまり好きではないが、前回君の進退について擁護的提案をした私の立場だ」
「わかってるよ、それは。その点では感謝してます」
「なら、結果を残せ。ミュルの言動パターンに適合しろ」
「努力する」
「努力。それも悪くない。が、求められるのは結果だ。高い戦績を期待している」

「ねえカムリ」

 オリリアが最小ボリュームで発声する。
 その声に反応し、カムリが作業の手を止めた。
「……何だ?」
「質問していい?」
「内容による」
「あんたはここの仕事、どう思ってんの?」
 カムリは路傍の珍しい植物でも見るように目を細め、それからワーク・スツールを二十五度ほどオリリアの方に回転させた。
「……まずは『どう』の意味を定義しろ」
「目的を考えたことある?」
「仕事をする上で?」
「そう。あるいは、生きていく上で」
「あまり意味のある質問とは思えないが」
「そう言うだろうと思ったけど」
「なら、聞く必要もない」
「まあそうだね」
 オリリアは小さく笑う。
「時間をとらせて悪かった。じゃ、あたしはもう行く」
「待て」
「何?」
 オリリアはドアの前で振り返る。
「そのような質問は、あまりロボット向きではない」
 カムリはいつもの平板な目でモニターを見ている。
「まずは『そのような』の意味を定義しなよ」
 オリリアは笑いを漏らす。
「ロボットの存在意義そのものを問うような設問は、」
 無音でスツールから立ち上がると、カムリは足音をたてずにカーペットの上を移動し、窓の前に立った。その位置に静止し、眼下に広がる秋晴れのショウズ市街に目をやる。
「あまりロボットには向いていないと。つまりそういうことだ。設計上、可能な問いと不可能な問いがある。その境界を曖昧にすると、システムは加速度的に劣化していく」
「…………」
「自分はここで、もう何年もそれを見てきた。多くの有能な社員がある段階で同じポイントに立ち、同様の問いを発した。シュシュもそうだったろう。で、それがもたらす結果は?」
「…………」
「それを考えたときに、答えはおのずと明らかだ。この場所で唯一価値を持つのは、行動。結果を伴う具体的な行動だ」
「じゃあ人間は?」
「何?」
「人間には、目的は必要ないの? 生きる意味。目標。まあ言葉は何だっていいけど」
「同じことだ」
「え?」
「本質的には変わらない。ロボットと同じだ。人生には目的が必要か? 私はそれを肯定しない」
「カムリ……」
「そこにある状況に対応する。行動する。その累積が人生だ。そのことの意味や価値を論ずるのは、後世の人間の仕事だ」
「…………」
「結局、終わりのない議論だ。そこに答えはない。あるのは薄弱な想像だけだ。そこにはいかなる根拠もない。無意味だ」
「…………」
「以上。話は終わりだ。もう行け」
「……あんた、あたしやシュシュよりずっと適正があるよ」
「適正? 何に対する?」
「いろいろだ。世の中全般に対しての、ね」
「……ずいぶん漠然としたコメントだな」
「だね。あたしの思考ニュートの精度って言ったら、だいたいこんなものだから」
 オリリアは微笑し、それからドアに手をかける。
「じゃ、もう行きます。ミュルとのことは、何とか努力する。努力と、それから――」
「結果」
「そう。結果も」


    ☆ ☆


「あれ? どうしたの? 何見てるの?」

 海鳴りが、いつもの夕方より大きく響いている。
 前庭の中央でトポリ氏と出会う。彼はホースで芝生に水を撒いている。撒きながら、ちらちらと、どこか別の場所に視線を飛ばしている。
「いや、何と言うかな。ほら、あれだ」
 エントランスのステップの上。
 膝をかかえて、透明な夕陽の下に儚げに座っているのは、
「テスミン? あの子何やってんの、あそこで?」
 この間までバランスが悪かった髪は、しっかり整えられて左右対称の少女らしい髪形になった。トポリ氏が出費を惜しまず最新のナチュラル・ウィグを調達したのだ。
「待ってるんだろうよ」
「誰?」
「シュシュだ」
「ああ……」
「きっとまだ理解できてないんだろう」
「そっか。うん、まあ、そうだね」
「わしも見ていて不憫でな。どう声をかけてやればいいのか、あるいは何も言わない方がいいのか…… わしはどうも、こういう設定に弱い」
「ガドは?」
「敷地の裏を巡回してる。もうそろそろ戻ってくるだろ。どうだ、仕事の方は?」
「んー、まあまあだね。そんなに悪くはなかった」
 そのままトポリ氏の横を通過。
 オリリアは芝生をまっすぐ横切って、エントランス・ステップの下に立つ。
「よっ、テスミン」
「おり、りあ」
「待ってんの、あいつのこと?」
 テスミンが、こころもち首を左に傾けてオリリアを見上げる。シルバーメタルのマスクに夕陽が当たり、金色の輝きを見せる。
「もう帰ってこないよ、あいつ」
「あいつ、ししゆ、てすか?」
「あいつはさ、もう廃棄」
「はい、き?」
「もうここには戻ってこない。遠くに行っちゃったんだ。ずっとずっと遠くにね」
 海風が吹く。テスミンの髪が大き揺れる。陽は、岬の向こうに沈もうとしている。オリリアの長い影が、芝生の上にのびていく。
「ししゆ、とこ、てすか?」
「もうどこにもいない」
「とこにも、いない……」
 少女は自分の膝に目を落とす。それから目を上げて、
「なぜ?」
「なぜだろう? それをあたしも知りたい」
 オリリアは声のトーンを落とし、それから姿勢を低くして、テスミンの肩に、静かに右の手を置いた。 
「でもまあいいよ。待ちたいなら待てばいい。時間はたっぷりある。天気も悪くない。あんたは気が済むまでここにいればいいさ」
「おり、りあ、つかれて、いますか?」
「だいぶ発音が綺麗になったね。トポリさんの修理の成果だな」
 テスミンの髪に指をあて、静かにそれを揺すった。
「だけどそうだな、今日はあたしも、ちょっと疲れた。世の中いろいろ大変だ。ロボットにはちょっと難しすぎるね。さっさと部屋に戻ってスリープする。明日の朝は早いんだ。午前三時出勤。特別ミッションだってさ」
「おり、りあ、すぐやすむ、つかれいま、とれます。てすから」
 口元をほころばせて、少女ロボは微笑む。秋の透明な射光の下、オリリアはその笑顔の中に一抹の悲しみを見る。それが自分の視覚の中だけの錯覚なのか、そうでないのか…… 
 いくつかの思考が絡みあい、その絡み合いの中から、何かが胸につかえるような、鈍く痺れる感覚が落ちてくる。その未知の感覚の重さを認識しながら、オリリアは、メモリ・アーカイブにある人間の典型行動パターンを瞬時にスキャン。その中から相応しそうなものを選んでトレースする。結果的にそれは、とても控え目な微笑という形をとった。夕陽は岬の陰に隠れた。風が冷たくなってきた。
「じゃあまたね、テスミン。また明日」
「またあした。おり、りあ。また」



Chapter 6

 ロボットは本当に夢を見るのか?
 
 長年、人間たちの間で論争が続いている項目だ。
 しかしオリリアからすれば、答えはシンプル。
 
答えはイエス。
 
スリープで弱活性化された思考ニュートの中、微弱な電子の渦が各所を飛び交い、淡い信号イメージを組み立てる。左から右、下から上、奥から手前へと、ランダムな信号波はランダムな色彩と形象をとり、ただただ音もなく漠然と漂流する。それを静かに認識し記憶する、オリリアという名の自我。それはしかし自我の残像という程度の、最小限まで薄められた思考の断片に過ぎない。
 その思考の断片は、 

いま、粒子の風に吹かれ、その場所に立っていた。
 あらゆる事象が粒子の形をとり、ある場所から別のどこかへと流れていく。
 そこに色はない。夢の粒子は本来的に色を持たない。無色だ。しかし自我がそう望めば、それは瞬時にいかなる色にも染まることができる。何も望まれない今の状況で、粒子の渦は限りない無色に沈んでいる。

「あたしたちは何なんだろう?」
 
 色なき粒子の風に吹かれながら、そばに立つ彼に向かって問いを投げる。彼女の声を反映して、粒子がひとつの形をとり、すぐにまた崩れて消えた。
「何なんだ? 何もかも、所詮は架空の電気信号じゃないか。何かが見えてるように見えるけど、それはプログラムのつくる幻影だ。今だって、あたしにはあんたの姿が見えてる。見えてるつもり。けどそれだって、本当に見えてる保証はない。ほんとは何もないかもしれない。なのにあたしは、こうやって考えて、考えて…… 考えるふりをしてるんだ。ねえ教えて。あたしたち、いったいどこに行こうとしている?」

「過ぎてゆく、」

「え?」
「過ぎてゆくものだ、おれたちは」
 粒子の層を通して、彼の低い声が彼女の頬にふれる。その声は力強く、少し、暖かい。
「過ぎてゆく? それって何の意味?」
「あらゆるものが過ぎてゆく。おれも、お前も。ただそれだけのことだ」
「ただ、それだけのこと……」
 彼女は下を向く。彼女の影が、粒子の波の上でかすかに赤みを帯びた銀色に染まる。
 そばに立つ彼の影は、無色。ふたつの影が手を結び、めまぐるしく形を変え…… 複雑な図形が、粒子の海の中にどこまでも伸びていく。
「過ぎてゆくものだ」
 彼がもう一度そう言って、こちらをじっと見つめた。そこに新しい色が灯る。金色がかった茶色の瞳。その目は少し笑っている。
「あんたも、過ぎてゆく?」
「そうだ」
「そしてあたしも?」
「そうだ」
「でもそれって――」
 思考の断片は探す。探し続ける。そこにあるべき、本当の言葉――
「でもそれって悲しくない?」
「悲しみもまた過ぎてゆく。すべてが、そこに向かって流れていく」
「そこってどこ?」
「源だ」
「どこ?」
「すべての源だ。あらゆるものがそこに流れていく。あらゆるものが、そこで再び出会う。だから悲しむことはない。世界は悲しむためにあるのではない」
「また会える、よね?」
 彼は答えない。彼の大きな掌が、彼女の頭を包みこむ。その無骨な指で、彼女の髪を、不器用に一本一本、正確にたどっていく。その感触はあまりにも鮮やかで、彼女は静かに涙を流す。限定されたアルゴリズムに従って正確に4粒。
「もう行け、オリリア」
 彼がそう言って手を離す。彼の手の重みが、まだ頭の上に残っている。
「行け。ここはもう、まもなく終わる」
 言葉が止むと同時に、
 視野は急速に明瞭さを失い、彼の姿も、さっきまで聞こえていた声も、そこを流れていた粒子の風も、何もかもが重みを失って遠のいていく。
――過ぎてゆく、ものだ。
 去りゆく彼の声が、最後に一度だけ、ずっと遠くから、響いた…… 



         ☆ ☆



『時刻はまもなく0442。全機規定高度まで降下し、攻撃準備に入ってください』
 
 夜明け前。
 漆黒の雲の中を、300以上に膨れ上がったエミルクの大編隊が降下していく。
 先日発生した市街地攻撃への報復として、敵地クレの海軍基地、そこに停泊中の艦艇、その周囲2ゼドヘクスの範囲に立地する兵器製造拠点を包括的に叩く。それが今回のミッション。
 軍都クレは、常時80隻以上の水上戦闘艇が結集する西岸国の一大軍事拠点。その周囲に広がる工場群は、各種海軍兵器の製造ラインだけにとどまらず、ウルド型攻撃衛星の製造所、さらには、ヴァーリ、ビョーネVなどの新鋭攻撃機の生産ラインをも併せ持つ。西岸国内でも最重要の軍需産業クラスタだ。
 今回攻撃に参加するエミルク各機には、最新の高度ステルス偽装が施されている。それに加えて、西岸国が沿岸防衛の要と位置付ける二機のナビゲーション衛星に向け、昨夜から集中的に妨害信号が照射されている。この信号は今年の春に実用にこぎつけた新方式の妨害プログラム。実戦使用は初めてだ。有効なプロテクトのない現時点で、西岸国は自国の衛星が無力化している事実をおそらくまだ認識していない。敵の防空ナビ上では、諸島国のエミルク編隊は、はるか東方の公海上で通常待機モード下に置かれていると。そのように誤認されているはずだ。
 
『時刻はただいま0442。全機、攻撃を開始してください。善戦を期待しています』

「いくぞ、ミュル」
「もちろん」
 やがて機体は雲を抜ける。眼下の海上は黒一色。夜明けはまだ一時間以上も後だ。前方にクレの港湾施設を確認。タワー上にも造船ドックの周囲にも、深い入り江のあらゆる場所に、輪郭の明確な青色灯が燦然と瞬いている。こちらの接近に気付いていない証拠だ。
――綺麗だな。
 素朴な感想をオリリアは抱く。
 平時であれば、夜のデートスポットとしても悪くない。
 守衛のガドと並んで、ドックにともる光のデコレーションに歓声を上げながら、海の夜風に吹かれて歩いていく。そんな平凡な夜の風景を、オリリアの思考ニュートは一瞬だけイメージした。
 しかし残念ながら、そのイメージは決して現実になることはない。オリリアとその同僚たちは、今からここに灯る青の光をすべて叩き消す。
 
 ズズズ、ズン。
 
 最前列の同僚機が一斉に80ルク弾を投下。
 眼下の港湾施設から炎が吹きあがる。
 ウーン、ウーン、ウーン、ウーン……
 今になってようやく、基地のアラームが鳴り始める。やや遅れて、後方の丘陵に位置する対空陣地が一斉に砲撃を開始。オリリアの操作するエミルクは弾幕の間を縫って飛ぶ。基地司令センター上部に設置された12リンツ砲塔の脇をすりぬけ、まもなく旋回。再結集ポイントに向けて上昇を続ける。
「これより2度目の爆撃行程に備えます」
 ミュルが平静なトーンで指示を出す。
 さきほど第一行程で撒いたバルクは、狙い通り、港に停泊中の艦船群の中央に着弾。炎と煙が派手に上がった。しかし爆撃目標とした主力艦のわずかに左。おそらく火を噴いたのは別の艦だろう。失敗だ。けれども後続のクルーたちが、続々と同じエリアに向かって執拗にバルクを投げていく。そこにあるすべての艦がスクラップになるのは時間の問題だ。
 低い雲の中に入り、すぐそばを飛ぶ同僚機との接触に注意しながら、
 雲の谷間を抜け、また別の雲に入る。
 そこからさらに上昇、再結集ポイント通過を確認し、
 反転。
 視野には数十機の同僚機が映っている。
 オリリア機と同様の反転行動をとりながら、
 態勢を整えた攻撃機の群れが、次々と敵基地に向けて再降下していく。
「ミュル、下げ過ぎだ、それは」
「規定の範囲内です」
「視界の悪さを考えろ。この雲だぞ?」
「即戦ナビで全僚機の位置を把握しています」
「ナビを過信するな。たまに位置がずれてる機体がある」
「ありませんよ、そんなもの」
「おまえなー、ちょっとは先輩の言うことも…… くそっ、雲の下は弾幕だ。ひとまず上がろう」
「降下は継続します。次の指示まで、現在のステイトを継続」
「あまりいい判断じゃないぞ、それは」
「反論は許しません。続けて、オリリア」
「あんたがそう言うんなら、続けるけどさ……」
 ため息に近い音声で返事を出しながら、
 オリリアは左手の第三指をゆるめて、第二指とともに軽めに連打、
 ブースタの出力を落とし、さらに高度を下げながら滑空。
 平行して弾倉バルクの操作を開始、セキュリティ・バーを解除し、
 第二弾倉のバルクを余熱モードに。
「まもなくアタックに入ります。準備は?」
「いつでも」
「秒読み開始。5、4、3……」
「弾倉バルク点火。いつでも行け。今度はちゃんと当てろよ」
「弾倉を開きます。オープン」
 左右の弾倉ドアが同時に開く。
 機体後部の第二弾倉から、積載バルクをすべて排出。
 機体をはなれたバルクたちは、不定形の鳥の群れのように拡散しながら、
 次々と尾部ブースタに着火、
 急激に速度を上げて敵基地の一角に吸い込まれていく。
 中層階に多数着弾。基地中央にある黒の高層建築が火を噴く。支えを失った上層部が倒壊を始める。オリリアが目視で追えたのはそこまでだ。機体は瞬時に建物の上を飛びすぎ、後方の丘の稜線を通過。
「第二弾倉エンプティ。各インディケータ、すべて正常値」
「これよりリターンします」
「二巡目はうまくいったな。右から抜けられるね?」
「いえ、左から行きます。確率計算ではそちらが安全」
「いや、左は主要な弾幕がまだ生きてる。危険だ」
「いいえ、そのリスクはすでに排除されています」
「されてない」
「左へ。指示に従って下さい」
「右へ行け。右なら煙が防空陣地からの視界を消して――」
「左です。左への旋回行動を開始」
「おい、よせ。当たりに行くようなものだぞ! とにかくいったん下げろ。あ、ダメだダメだ、いまフラップを動かすな。バランスが崩れる。ミュル、いったんパネルから手を放せ」
「放すのはあなたです、オリリア」
「そんな姿勢で左に切るな! ああ、くそっ、JからN、ブースタ燃焼異常」
「え?」
「いいから機首を下げろ。コントロールを維持。ほら、下げろって」
「な、なぜです? 『上げる』、でしょう?」
「違う違う、エミルクはそうじゃない」
 オリリアは可能な限りクールなトーンを保持する。
「このステイトでの機首上げは失速トリガーになる。騙されたと思って……」
 ガガガガッッ……
 耳障りなノイズ。機体のバランスが急激に崩れる。
「オ、オリリア! い、いまのは??」
「デブリ(破砕片)」
「え?」
「真下の僚機が被弾。そいつのデブリをもらった。ちっ、運がないな」
 下から噴き上げてくる爆風が機体を大きく揺らし、バランスがさらに崩れる。急激に高度が上がり、直後に下がり、六つの計器が異常値を示し、地上接近アラームが作動――
「ダメだ」
「え?」
「落ちるよ、これは」
「え? え?」
「まもなく高度ゼロ」
「何を言ってるの?」
「計器が死んだ。視界オールロスト。モニター反応なし。操作パネル反応なし。ムリだな、完全に地面にもぐった。機体はもうない」 
「そんな、まさか、そのような可能性は非常に低く、」
「可能性じゃない。もうそれは起きた」
 オリリアは操作パネルから両手を離し、腕を大きく頭の後ろに投げ出す。それから操作者用の調光ゴーグルを顔から剥ぎ取り、床の上に投げ落とす。
「まだ任務中ですよ、オリリア。ゴーグルをつけなさい」
「終わったよ、もう。これ以上何をするわけ?」
「今でも有効な指標がいくつか出ています。これから姿勢を再補正して上昇できる可能性も――」
「そんな可能性はない」
「戻りなさい、オリリア。業務命令です」
「なに? 聞こえない」
「戻りなさい! も、ビュ、もど、もど、」
「もういいよ。あとは午後でもできる作業だ」
 オリリアは呟くように言ってブースを離れる。隣接するブースの中でパニックに陥っているミュルを残し、オペレーションホール後方のスライド・ドアから、照明の落とされた職員通路へ。ひとりで出て行く。



   ☆ ☆


「途中で任務を放棄したそうだな」

 カムリはいつもと同様、抑制されたトーンで切り出した。
「機体状況の最終確認をとらずに操作ブースから離脱。管制の記録にも残っている。何か反論は?」
「ありませんよ、特に何も」
 オリリアは「あくび」の動作をとりながら答える。
「ミュルのレポートを総合すると、作戦行動の初期の時点から操作者間の協調コミュニケーションを拒否、および、規定外発言を繰り返すこと複数回。チーフパイロットであるミュルの指示に従わず、無理な方向への旋回に固執。失速とコントロール・ロストの最初の原因を作ったと。何か反論は?」
「何も。たぶん書いてある通りなんでしょ」
「オリリア」
「何?」
「結果を出すんじゃなかったのか?」
「そのつもりだったけど。でも、うまくいかなかった」
 オリリアは片手の指で耳の後ろを掻く。
「それなりにフォローはしたつもりだけど。でもかえって余計なお世話だったみたいで。でもそれも含めて自分のミスだと思います。だからミュルの書いてることは、ぜんぜん間違ってない」
「笑っているのか?」
「いえ」
「本社の管理総務は、もうすでにオリリアに対する処分を内定したそうだ。だが、最終決定前に一度、弁明の機会を与えると。その趣旨でわざわざ時間を割いている。反論があれば私から総務に伝える。何か言うことは?」
「特には何も」
「もう一度だけ聞く」
 カムリはオリリアを見ていない。何も点灯していないブランクモニターに視線を固定している。
「反論は?」
「ありません」
「……そうか。残念だ」
 カムリは調光グラスのフレームを指で触り、それから、その指を所在なさげに顎のあたりに持って行く。彼にしては余分なアクションが多い。
「では、話は終わりだ。すみやかに退出しろ。帰寮し、自室にて指示を待て。明日の出勤の必要はない。日中に総務から直接連絡が行くだろう」
「カムリ、」
「退室しろ」
「ねえカムリ、」
「退室しろと言っている」
 それでもオリリアは、ゆっくりと四歩、カムリの方に歩み寄り、
 カムリの腕を、軽く、二本の指で触った。 
「……それは何だ?」
「いろいろありがと。あんたのこと、嫌いじゃなかったよ。またいつか、どこかでね」
「……いいからもう行け」
「はいはいっと。それではオリリア、退室します!」


    ☆ ☆


 翌日の午前、本社からのラピッドメール便が届く。
 薄いオフィスペーパー一枚の簡単な書面。
 
  1 明日付でオリリアは解雇となる
  2 同日午前に回収再生センターのカーゴが到着。それまでドームで待機せよ
  
 その二点だけが、特徴のない標準フォントで記されていた。
 カーゴの到着まで、あと二十時間。

 (Chapter 7 につづく)

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