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西の森3

 急事の際に使用する部屋に場所を移したリャナンシーは、部屋に集っていた者達に新しい情報が無いか問い掛けた後に、到着までに考えていた指示を手早く各自に出していく。
 それが済むと、皆が行動を開始する。
 リャナンシーはそれを見届けた後、一つ息を吐いて少し離れる事を残っている者達に伝えてから、昼食の続きを食べる為に来た道を戻っていく。
 リャナンシーが食事をしていた部屋は、族長の部屋。そこはリャナンシーの部屋ではあるが、リャナンシー自身はそこに住んではいない。
 どちらかと言えば執務室に近いが、食堂や応接室なども併設されているので、部屋と言っても、豪邸と言える広さだ。
 その族長の部屋から急事の際の部屋まではそれ程離れてはいない。というよりも、その部屋も族長の部屋に併設されている部屋の一つ。
 だというのに、同じ屋根の下に在る場所ながら、移動するのに十分近く掛かってしまう。
 単純に族長の部屋という名の建物が広いというのもあるが、建物内が入り組んでいて移動に時間が掛かるというのが大きい。これはもしもの為らしいが、普段使いにはあまりにも不便だ。それはリャナンシーが族長の部屋で暮らさない最大の理由でもあった。
 そんな移動を往復で行い、急事の際の部屋では指示を出したりした結果、ただでさえ遅かった昼食が更に一時間以上ずれ込んでしまい、もう外は暗くなってきている。
 遅い昼食が、少し早い夕食になったところで、リャナンシーは食事を終える。

「当分ここも忙しなくなるでしょう。その間、私もここを離れられないと思いますので、その辺りの準備をお願いできますか?」

 食事を終えたリャナンシーは、世話役に向き直るとそう声を掛けた。
 それに対して、世話役は恭しく頭を下げて了承すると、早速準備を始める為にリャナンシーに断りを入れて部屋を出る。少しすれば代わりの者がやって来るだろう。

「ふぅ」

 束の間一人になったリャナンシーは、溜まっていた疲れを吐き出すように息を吐いた。

「族長というのは大変ですね」

 リャナンシーよりも規模は小さいながらも、族長をしていた自分の親の事を思い出し、語り掛けるように独り言つ。
 もっと相応しい者が居たのではないか。
 そう思う事もしばしば在るも、有力なエルフは先の二度の戦いで多くが命を落とした。
 残っているのは老人か子どもが多い。その次に女性だ。別にエルフの戦士に性別は関係ないものの、それでも男性の割合が多い。それは族長でも同じで、女族長というのは過去にもそこまで多くは居なかった。
 しかし、やや珍しいだけであって、居なかったという訳ではない。現にリャナンシーの母親は族長であった。それに女性だからと侮られるような事もないので、問題ないといえば問題はない。
 問題があるとすれば、それはリャナンシーの経験不足。
 リャナンシーは族長の娘として産まれ、族長の背中を見て育ったが、それだけで族長に相応しい訳ではない。
 族長として学ぶ前段階として、リャナンシーは警備隊の部隊長を務めていた。警備隊と言っても数名の小さな班のようなものだ。人の上に立つ事に少しずつ慣れていく為のモノなのだから、それで十分だった。
 元々リャナンシーに戦士の才でもあったのか、警備隊でも存分に活躍する。それにより警備隊は容易に纏まった。
 それから部下の人数が少しずつ増えていったところで、リャナンシーは人間に捕まってしまう。
 リャナンシーは族長候補の一人に過ぎなかったので、その辺りは問題なかったが、当時は魔族軍との戦争中。リャナンシーはそちらの方が気がかりであった。
 しかし、そんな捕囚の身の上も、変わった人間により助けられた事で終わりを迎える。
 その事を経験し、人間にも例外が存在する事をリャナンシーは学んだが、結局は例外でしかない事は理解していた。
 それから少しして、その例外の人間と共闘する事になる。
 リャナンシーはその時の事を思い出すと、身震いしてしまう。その例外の強さがあまりにも次元が違ったから。それに加えて、それを解さない同胞の愚かさに。
 今考えても、あの時エルフは魔族ではなくその人間に滅ぼされていてもおかしくはなかったと思えるほどだ。
 結局ごく一部のエルフが崇拝とでも言える念を抱いたものの、エルフの多くは頑なな姿勢を貫いた。
 エルフ達はその後、ナイアードにかなりきつく注意されたが、危険な事をしていたと理解していない者達がそれに驚き戸惑ったのは言うまでもない。
 それから少し経ち、新たな侵略者が現れる。それは少数で嘘みたいに強い者達だった。
 エルフ達は得意な森の中にあって、その数をかなり減らす事になるほどに。
 多数の犠牲を払いつつも、その侵略者はナイアードと共に撃退した。

「・・・・・・やはりいくら考えてみても、私が族長というのは疑問だな」

 リャナンシーは今までを簡単に振り返り、そう呟く。
 確かに魔族との戦いの終盤では指揮を執ったし、侵略者との戦いでも指揮を執った。その後はナイアードや各集落と交渉も担当したが、しかし、やった事はそれだけだ。
 指揮を執ったのは、その時近くにリャナンシー以上に適任の者が他に居なかったからだし、ナイアードの時もそう。各集落に対してだって同様で、結局自分が所属していた集落が矢面に立つ事が多かっただけの事。
 その戦闘の際に、リャナンシーの親でもある族長は前に出なかったが、長なのだから当然だろうとリャナンシーは思っているし、その後の各集落と行った交渉の際に、族長は各集落の長へと書状を認めている訳だし、役目は十分にこなしているとも考えている。
 だというのに、何故自分がこの大集落の族長に選ばれたのか。リャナンシーには、それが未だに謎であった。
 そんな物思いに耽っている内に、交代の世話役が部屋に入ってくる。
 リャナンシーに礼をすると、世話役はそのままだった食器類を下げてから、リャナンシーの後ろに静かに控えた。

「何か新しい情報はありましたか?」

 後ろに控えた世話役へと、リャナンシーは顔を向けて問い掛ける。
 それに世話役は頭を振った後に、続報はない事を告げた。

「そう。まぁ、送り出したばかりですものね。急変でもしない限りは続報が届いている訳ありませんか」

 食事を終えたまま座っていた席を立つと、リャナンシーは世話役に声を掛ける。

「報告を受けやすいように場所を移します」
「畏まりました」

 了承したとリャナンシーに頭を下げた世話役は、部屋を出たリャナンシーに続いて部屋を出ていく。
 部屋を出たリャナンシーは急事の際の部屋に場所を移し、そこに居る者達に声を掛けて、用意されていた席に腰掛けた。

「ナイアード様へのご報告に向かわせた者達は戻ってきましたか?」

 周囲を見回したリャナンシーは、少ししてから手近に居た者に問い掛ける。

「いえ。まだですが・・・そういえば遅いですね」

 首を振ったその者は、その事に思い至り、不審げに首を捻った。
 その反応に、リャナンシーは考えるように顎に手を当てて考える。
 現在のエルフの集落があるのは、ナイアードが住まう湖の西側。とはいえ湖の畔ではなく、やや離れた森の中。
 最も安全であろう湖の畔に集落が築けなかったのは、単純にナイアードがそれを許さなかったから。
 以前魔族軍が攻めてきた際にナイアードの言葉を軽んじたり、その後の侵攻でもナイアードを無視した勝手な行動があったりとした事にかなり腹を立てているようで、協力はするが湖の畔に集落を築く事を許可しなかった。それでも協力してくれるだけ慈悲がある。
 そういう訳で集落と湖はやや距離があるとはいえ、ゆっくり移動しても往復一時間も掛からない。道中も頻繁に警邏しているので安全のはずだ。
 だというのに、指示を出して数時間経ってもまだ戻ってこないという。ナイアードへの報告も長いものではないし、伝言を託されていたとしても、大して時間は掛からないだろう。

「・・・・・・何かあったのかしら? 流石に遅すぎるわね」

 リャナンシーが思わず漏らした呟きに、場の空気に緊張が走る。
 それに気づいたリャナンシーは、空気を変えようと一つ咳払いした。

「もう一度ナイアード様の元へと使者を出します。しかし、途中で前任者と合流出来た場合、まずは共に帰ってくるように」
「はっ!」
「人選は任せます」
「御任せ下さい!」

 部屋に居る一人に目を向けると、そのエルフは了承したと頭を下げて退出する。
 その背を見届けたリャナンシーは、椅子に深く腰掛けて思考していく。

(さて、何が起きているのやら)

 現状で考えるべき事は主に二つ。
 一つは西側から攻めてきている謎の存在について。もう一つはナイアードへの使者について。
 勿論考える事は他にもあるが、まずはその事についてだろう。
 西側から攻めてきている存在については続報待ちだが、ナイアードへ出した使者については先程調べに出したばかりだ。

(安全なはずの道中。ナイアード様から何か言伝を預かったにしても、あまりにも時間が掛かり過ぎている・・・やはり西側は囮という事だろうか? しかし、周辺を索敵させている者達からは何の報告もないが・・・殲滅させられたのか?)

 リャンシーは現状の戦力を頭に思い浮かべて、集落の防衛に必要な最低限の戦力をそこから引いて考えていく。

(・・・足りないな。現状出している戦力でギリギリか。増援は少ししか行えないからまずは情報が欲しいな。このままではただでさえ少ない数が・・・)

 思考しながら、リャナンシーは我知らずこぶしを強く握る。

(力が欲しい。皆を護れるだけの。しかし、現在居るエルフの戦士の中で最も強いのは・・・私だ)

 それは自惚れではなく、客観的に冷静に考えての答えであった。
 少し前にあった二度の戦いの度にリャナンシーは己の無力を痛感して、己の技量を高める為に修練を積み重ねていった。今ではナイアードに師事してかなり技量を上げている為に、他のエルフでは相手にならないほど。
 それでも尚、リャナンシーは納得しない。それはナイアードが先に居るというのもあるが、それ以上に鮮烈に脳裏に焼き付いている存在が居るから。

「オーガスト、か」

 我知らずリャナンシーはその存在の名を呟いた。かつて自分を救ってくれた相手にして、死者さえ蘇らせる神の如き存在。
 強くなったからこそより鮮明に理解出来る。その者が立っている場所があまりにも高みだった事が。

(また誰かに助けてもらえる。そんな都合のいい事は起こらない。それは前回の事で理解出来た。ならば自力でどうにかしなければならないが・・・情報が集まり次第、私が前に出るか。こういう時に族長という肩書が邪魔になるな)

 集団の長である以上、危ない場所に自由に赴くことは許されない。それをリャナンシーは親の姿を見て理解していた。それでも場合によっては最強の手駒である己を出す必要がある事も、また理解していた。
 そんな事をリャナンシーが考えていると、新たな情報を持った者が部屋に入って来る。

「報告します!」

 その言葉に、今し方行っていた思考を横に措いて意識を入ってきた者に向けると、その者は入り口近くで報告を始める。

「謎の存在との戦闘は激化するも、依然討伐も足止めも出来ておりません。こちら側に死者も出始め、防壁へと到着するのも時間の問題かと思われます!」
「その謎の存在とやらの様子は?」
「はっ! 足は止まっておりませんが、腕を一本失い、他の場所の傷も増してきております」
「ふむ。それでもなお止まらないというのは、痛みや恐怖を感じないのか?」
「それと、こちらが謎の存在の姿絵で御座います!」

 報告者が丸められた紙を差し出すと、リャナンシーの傍に控えていた世話役が移動してそれを報告者から受け取り、戻ってきてリャナンシーに差し出す。
 世話役の手からそれを受け取ったリャナンシーは、丸められた紙を広げて中身を確認する。
 謎の存在の姿絵が描かれているという紙を広げたリャナンシーは、その醜悪な姿に思わず顔を顰める。

「これが敵の姿・・・」

 気味悪そうに目を細めたリャナンシーは、暫しその姿を眺めて、ん? と眉根を寄せた。
 そのまま睨むような鋭い目でその姿を観察していく。

「・・・・・・これは――」

 何かに気がついたリャナンシーは、紙を凝視したまま口元に手を当てて思案する。

「どうかなさいましたか?」

 そんなリャナンシーの様子に、近くに居たエルフの男性が深刻そうに声を掛ける。
 それに目を向けたリャナンシーは、口元から手を離すと何でもないと答えて、紙を世話役を経由してその男性に渡す。
 紙を受け取った男性は紙の上に目線を落としてその姿を確認すると、不快げに顔を歪めてその紙を他の者に回した。
 その様子を視界の端に収めながら、リャナンシーは報告者に声を掛ける。

「他に報告はありますか?」
「いえ。現状、報告は以上です! しかし、新しく増援を送っていただかねば、交代要員の疲労が濃く、また負傷者の数も増してきています」
「分かりました。検討しましょう」
「ありがとうございます!」
「では、下がって休んでください」
「はっ! 失礼いたします!」

 報告者を下がらせて少しして、リャナンシーは小さく息を吐いた。
 増援を送れるのであれば送っているが、現状そんな余裕はない。せめてナイアード側の問題が解決さえしてくれれば、多少の余裕は生まれるのだが。
 そう思うも、まだ調査に向かわせた者は戻って来ていない。
 それでも何とかしておこうと、集落を護る部隊の一部を編成して、ナイアード側の調査が終わり次第直ぐに向かわせられるように用意だけしておく。
 リャナンシーがその指示を出し終えた頃にはすっかり夜になっていた。

「リャナンシー様。何かお食べになった方が宜しいのでは?」

 指示を出して一息ついたところで、世話役がリャンシーに声を掛ける。

「ん? ああ、もうそんな時間か。では、軽いやつを頼めますか? そろそろ食べる時間があまり取れないでしょうから」
「畏まりました」

 頭を下げた世話役は、食事の用意をする為に部屋を出ていく。

「そろそろナイアード様の方へと派遣した者達が戻ってくる頃合いでしょうか?」
「はい。もう戻って来てもいい時間ですが、もしかしたら先任者達の捜索をしているのかもしれません」
「二の舞になっていなければいいけれど・・・」
「そうですね・・・ナイアード様が何か依頼をなされているだけならいいのですが」
「ですね」

 近くで仕事をしている女性の言葉にリャナンシーは頷くも、互いにそんな事はないと思っている。もしもナイアードが急事にそんな依頼をするとなると、よほどの急ぎの依頼なのだろう。
 それから静かに食糧などの物資の配分や部隊編成、必要な資金の計算などを行っていると、世話役が食事を持って部屋に入ってきた。

「そこの机に置いてください」
「畏まりました」

 リャナンシーは少し離れた場所に在る小さな机を指差すと、世話役は運んできた料理をそこに置く。
 それを目にしながら、リャナンシーは切りのいいところで立ち上がると、食事の置かれた机の傍に置かれている椅子に腰掛けた。

(食糧や資金は問題ないが、人員不足が深刻だな)

 用意された食事を口に運びながら、リャナンシーは先程の続きを頭に思い浮かべる。
 手を動かして料理を口に運び、もぐもぐと口を動かしてはいるが、その動作は機械的で味を感じているのかすら疑わしい。
 目は料理へと向けられているが、その実どこか遠くを見詰めている。

「リャナンシー様」

 流石に見かねた世話役が声を掛けると、リャナンシーは声に反応したというよりも、音に反応したような動作で世話役の方に顔を向けた。

「はぁ。味はどうですか?」

 世話役の問いに、口の中の料理を飲み干すと、リャナンシーは直ぐに笑みを浮かべる。

「ええ、いつも通り美味しいです」
「そうですか? その割には心ここにあらずといった感じでしたが」
「そんな事はないと思うけれど」

 そう言うと、リャナンシーは料理に手を伸ばして一口食べると、大きく頷いて「ほら、美味しいです」 と、世話役へと笑みを浮かべて返す。
 それを見た世話役は、見せつけるように大きなため息を吐く。

「まあいいですが。それでも味を感じられるぐらいの余裕は持たれた方がいいと思いますよ」
「そうですね。ですが、ちゃんと味は分かっていましたよ?」
「そうでしたか。これは無用な進言でした。申し訳ありません」

 謝罪して深く頭を下げる世話役に、リャナンシーは慌てたように手を動かす。
 本当は味など感じていなかったのだが、今更それを認める訳にはいかない。リャナンシーは族長という地位に在るで、面倒だが体面というものを気にしなければならないのだ。今更ながらに、ついムキになってしまった自らの幼さを内心で恨む。

「あ、いえ、そんな事はないですよ」

 ゆっくりと頭を上げた世話役は、そんなわたわたとしているリャナンシーを無言のまま見詰める。

「余裕を持つのは大切なことだと思いますし!」
「リャナンシー様」
「は、はい! どうしました?」
「まずは食事をなされてはいかがですか?」
「え、あ、そうね」

 早口に言葉を紡いでいたリャナンシーだったが、世話役の冷静な指摘に恥ずかしそうに顔を赤らめて椅子に座り直すと、料理に向き直った。
 それから世話役の視線を頬の辺りに感じながら、リャナンシーは遅めの夕食を摂る。
 遅めの夕食を摂ったリャナンシーは、元の場所に戻り執務を再開する。
 目下の悩みは人員不足だが、どうやっても急に人員は増やせないので、何処からか持ってくる他にはない。

(周辺を警戒させている人員を少し減らすべきか? いや、奇襲を受けたらたまったものではない。かといって他の人員となると、集落を警備させている者達か、戦士ではない者達か・・・。援軍は望めないしな)

 リャナンシー達が暮らしている森に同族は居ない。周辺の部族を全て吸収して今の大集落を築いたのだから当然だろう。
 では暮らしている森周辺はというと、まずは森の北側。正確には北東だが、そこには蟲を主とした集団が勢力を拡げており、その一部は森での権勢を失ったリャナンシー達の周辺にも跋扈するようになった。
 その蟲の集団だが、残念ながら意思疎通が出来ない。いや、もしかしたら可能なのかもしれないが、そんな事を検証する余裕は今のリャナンシー達にはない。
 では東はというと、そこには人間が勢力圏を築いているのだが、エルフ達は人間を心底から憎んでいる為に、手を借りようなど考えもしない。むしろいつか滅ぼしてやりたいとさえ思っているほど。
 リャナンシーも例外ではなく、人間を嫌悪している。元々から嫌悪していたが、捕まって一時的とはいえ奴隷にまでされていたのだ、好意など抱けるはずがない。唯一例外が一人いるが、正直リャナンシーは彼を人間という枠では見ていなかった。
 そういう訳で、東側も援軍など望めないし望まない。かつての蛮行もだが、精霊にも見捨てられたような民など、エルフ達にとっては生きている価値さえない程なのだから。
 次は南だ。こちらも正確には南東だが、そこに拡がる森には、かつて袂を分かった同族であるエルフ達が根を張っていた。
 袂を分かった後は交流が全く無かったものの、喧嘩別れをした訳ではないとは伝え聞いている。かといって何が原因かと言えば、それは不明。
 現在は住み分けがなされており、互いに交流もなければ干渉もない。
 その為、リャナンシーは南東のエルフ達の情報をあまり持ってはいないが、それでも閉鎖的で排他的なのは知っているので、協力を望めるかと問われれば、それはないと答えるだろう。むしろ下手に交流を持とうとすれば、リャナンシー側が排除されかねない。
 最後に西側。つまりは森の外側だが、そこには異形種が勢力を誇っていた。
 異形種は普段人に似た見た目をしているが、しかし戦闘になれば獣の様な見た目に変わる。
 変化する範囲は個体差があるも、変化した時は身体能力が強化される。それでも単体ではそこまで脅威にはならない種族なのだが、異形種の最大の特徴はその異常なまでの繁殖力と成長速度。
 それはそれだけ敵が多い弱い存在だという証明でもあるのだが、それでも数は順調に増えている。ただ、未だに世界が異形種で溢れかえっていないのは、定期的に大量に虐殺されてしまっているからでもある。その相手は魔族であったり病魔であったりと様々ではあるが。
 エルフが絶滅しそうな現状なので、リャナンシーはその繁殖力を羨むが、無いものはしょうがない。
 そんな西の異形種は、現在魔族の傘下に入っていた。それは前回魔族軍の主力として攻めてきた事からも判るが、問題はエルフはその戦いから魔族と敵対してしまっているという事。異形種の所属が魔族である以上、敵であるエルフへ助けを寄越すのは考えにくいだろう。

(はぁ。ままならん)

 そうしてリャナンシーが人員について頭を悩ましていると、帰ってこないナイアードへの使者を探す為に派遣した者達が戻ってくる。
 一緒に最初に派遣した使者を伴ってリャナンシーの前までやってきた調査員達は、跪いて報告を始めた。
 ナイアードへ使者として送ったのは三人。何かあった時の為の人数だったが、全員が身なりは綺麗なのに疲労困憊といった感じで、報告するのも辛そうな感じだ。
 それは探しに行かせた者達も同様で、身なりは綺麗なのに妙に消耗している。そんな姿に疑問を抱きながらも、リャナンシーは報告に耳を傾けていく。

「・・・・・・ふむ」

 その話は警戒すべき話であった。
 使者達は大集落を出た後、そう掛からずにナイアードの許へと問題なく到着した。
 その後、無事にナイアードへの報告を終え、帰路に就く。しかしその途中、使者達は見つけてしまう。木の枝に腰掛け、退屈そうに頬杖をつきながら三人の姿を眺めている女性の姿を。
 最初三人はそれを人間の女だと思った。しかし、現在地は人間が住まう地から遠く離れた場所。それもナイアードの住まう湖の近くに人間の女が一人で居る訳が無いと思い直し、使者達は改めてその女性を観察する。
 木の枝に腰掛けている女性は、三人が気がつき警戒しても、変わらず退屈そうに眺めるのみ。
 その女性の露出している肌を改めて眺めてみると、鱗の様な模様の艶めかしい表皮に覆われているのが判った。それはどう見ても人間のものではない。
 三人が女性を警戒していると、不意に漫然と三人を含むその場を眺めていた女性と目が合った。その瞬間、やっと三人は彼我の戦力差を悟る。
 それは戦力差などという表現が滑稽に思えるほどに圧倒的な差で、三人は女性と目が合った瞬間に殺されたのだと錯覚したほど。
 それでもどうにかこの事だけでも報告しようとした三人だが、あまりの恐怖に身体が動かない。
 息をするのも困難な中、三人と女性が見詰め合ったまま時間だけが過ぎていく。
 女性は三人を眺めているも、興味なさげ。ただ視界に入ったので、なんとなく目で追っているだけといった感じ。
 それでも三人は動く事が出来ない。動けば相手も動きそうだ、という恐怖が心を苛んでいく。
 そうして大分時が過ぎたところで、使者達を探しに来た者達と合流する。その数は五人。これで合計で八人になるも、それでも女性は何の反応もせず、つまらなさそうに眺めているだけ。
 合流した五人は三人を見つけて声を掛けるも、三人は石像になったかのように視線を同じ方向に向けたまま動こうとしない。それを不審に思いつつ、五人は三人の視線を辿ってその先へと顔を向ける。そして、その女性の存在に気がついた。
 五人は驚愕しつつ、誰何の声を出そうとして、口を噤む。直ぐに嫌な予感を覚えたから。
 八人と女性は距離が離れている。大体百メートル以上は離れているだろうか。
 現在八人と女性が見詰め合っているのは森の中だ。そこまで深い訳ではないが、それでもそこら中に木が生えている。しかし、何故だか八人と女性の間には、視界を遮る木が一本も生えていなかった。
 つまりは視界が通っているという事で、八人は女性の視線に晒され続けているという事でもあった。
 八人は、まるで女性に間近で見られているような圧迫感を覚えながら、これからどうするべきかと必死に頭を回転させる。
 指を一本動かすだけで命取りになりそうだし、呼吸の音さえ煩い。それに呼吸をする度に僅かに上下する胸が恨めしい。そんな状況だからこそ、何か考えていなければ狂ってしまいそうなほどだった。
 目線を動かす事さえ躊躇われるも、女性の視線に晒されているだけでも消耗してしまう。
 そんな緊迫した時間が流れていると、不意に女性が一つ息を吐いた。
 聞こえるはずの無いその音を、しかし八人は確かに耳にして、鼓動が止まったような錯覚と共に身体を強張らせる。
 女性は頭を支えていた手から離すと、見下ろすように上体を前に傾け、八人の方に顔を近づけた。
 そんな女性の動作に八人は死を覚悟したものの、女性がそれ以上何かをするような事はなく、上体を戻して背筋を伸ばすと、数拍置いて立ち上がる。
 枝の上に立ち上がった女性は八人から視線を外すと、一度視線を西側に向けた後に東に向けた。そして、枝の上から跳ねたと思ったら、姿を消していた。
 八人は何があったのか、また女性が何者であったのか全く分からなかったものの、殺されずに済んだ事だけは解り、久方振りの解放感にその場にへたり込んで、魂まで抜けそうな勢いで息を吐き出す。
 それから八人は少し休憩した後に、大集落に戻ってきた。という話であった。

 報告を受けたリャナンシーは、難しい顔で八人の顔を見る。そこに虚偽の報告をしている様子は無い。
 とりあえず幾つか質問をしてみるも、ナイアードへの報告が終わった事以外は何も判らなかった。
 肝心の女性についても、鱗にも似た艶めかしい肌をした女性という事しか判らない。一瞬で消えたので、どの方角に移動したのかも判らないという。

(敵・・・か? 襲撃と同時に姿を現したのか、それとも偶然か)

 判断に困ったリャナンシーだが、引き続き周辺の警戒はしなければならないという事だけは判り、人員の問題に再度頭を痛める事になった。
 話を聞いた後、リャナンシーは八人を下がらせて休ませる。
 八人を下がらせた後、周辺警戒の部隊を再編していく。それに再度ナイアードに使者を送らねばならない。

「・・・はぁ」

 椅子に深く腰掛けたリャナンシーは、疲れたように息を吐き出す。

「中々思うようにはいきませんね」

 忙しなく動き回る者達を眺めながら、リャナンシーはその鋭敏な耳で再度慌ただしく駆けてくる足音を捉える。
 顔を入り口の方に向けると、駆けこむような勢いで一人のエルフが入ってきた。

「報告します!」

 余裕がない声で大きく叫ぶと、駆けこんできたエルフはその場で報告を始める。

「敵が防壁へ攻撃を開始しました!」

 ざわりとその場の空気が動く。
 しかし、元々予想されていた事なので、リャナンシーは表情を少し険しくしただけで、報告に耳を傾ける。

「昼過ぎ頃に敵が防壁に攻撃を開始。警備部隊と防衛部隊で包囲するようにして攻撃しておりますが、敵の防御力が急に硬くなり、また腕も再生して攻撃の威力が増した為に苦戦しております!」
「防壁の様子は?」
「長くは保ちそうにありません!」

 その報告に、リャナンシーは眉を歪める。たった一人の敵に随分と苦戦させられるが、リャナンシーは敵の姿絵を思い出し、それも致し方ないかと思い直す。あれはおそらく以前攻めてきた敵と同じ種類の敵だろう。

(しかし、あれはおそらくジャックを元にした何かだろう。だが、ジャックはあの女に殺されたはず・・・)

 リャナンシーはかつての敵と共に、その敵に殺された同胞を思い出す。
 今攻めてきている敵の姿絵を見た時、微かに残る面影にまさかという思いが在ったものの、リャナンシーはそんな訳はないとすぐさま否定する。だというのに、何故だかそれには確信を持っていた。
 だが、死んだはずの同胞が何故動いているのかまでは理解出来なかった。そのため、やはり気のせいだと否定する。いや、しようとしているのだが、それは上手くいっていない。
 そんな思いを抱きながらも、報告者にもう少し詳しく話を聞いたリャナンシーは、その報告者を下がらせた。

しおり