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西の森4

 報告を受けた後、増援を送る必要があるのは判るのだが、無い袖は振れない。
 周辺の警戒に就かせている部隊をそれに当てるにも、伝令を走らせ呼び集めるまで時間が掛かる。
 直ぐにというのであれば、集落を警固させているエルフ達のみだが、ただでさえ数が少ないのだ、それは出来れば避けたい。
 休ませている戦士達はそこまで多くはないので、少数だけ派遣しても焼け石に水だろう。

「・・・・・・」

 それでも居ないよりマシであるので、リャナンシーは少し考え提案する。

「・・・休ませている者達を援軍として防壁へ送ります。その際、私も前線に出ます!」
「お待ちください! 族長!!」

 リャナンシーの提案に、すぐさま待ったがかかる。
 しかしそれも当然であろう。リャナンシーは族長。つまりは集落の長なので、急事である今、本陣である集落から皆に指示を出さなければならない立場なのだから。
 いくらエルフ最強であっても、大将である長が危険な前線に出向くなど、エルフの価値観では考えられない事。

「ここからの指揮は貴方が行えばいいでしょう。私は前線で直接指揮を執ります! 戦闘は一ヵ所だけなのです。その方が判断も迅速でしょう」

 リャナンシーは声を上げた近くのエルフに煩わしそうにそう告げると、強行するように部屋の出口に向かっていく。

「お待ちください! それでは、せめてもう少し人数を連れて行ってください!」

 止めても無駄だとすぐさま悟ったそエルフは、妥協案として連れていくエルフの数を増やすように要請する。

「何処からそんな人員を捻出するのですか? 集落の警備は最低限しか置いていませんし、周辺を警戒させている戦士達を呼び戻すにしても時間が掛かりますよ?」
「では、一線を退いた者からでは如何でしょうか?」

 その提案に、リャナンシーは不審そうな表情を見せる。

「一線を退いたと言いましても、中には現役と変わらぬ者も居ります。それに傷が元で引退した者でも、後方支援程度でしたら問題なく行えます」
「・・・なるほど。そういう者達はどれぐらい居ますか? そしてどれぐらいで召集可能ですか?」
「準備も必要ですから、急いで数時間ほど。しかし、数は一部隊は集まるでしょう」
「・・・分かりました。それでお願いします。出来ますか?」
「お任せ下さい」

 そう言って恭しく一礼すると、エルフは急ぎ出ていく。
 それを見届けたリャンシーは、休ませている戦士の一部へと召集を掛けるべく伝令を走らせる。
 他にも援軍に赴く際に持っていく物資の準備を行わせたりと指示しながら、席に戻り椅子に腰掛けた。

「はぁ。ままなりませんね」
「焦ってもいい事はありません」

 息を吐いたリャナンシーへと、世話役が声を掛ける。
 それに世話役の方へと顔を向けたリャナンシーは、少し見つめて口を開く。

「・・・そうですね。料理の味も判らなくなりますからね」
「ええ。そうです」

 どこか皮肉げなリャナンシーの物言いに、世話役はにこやかに言葉を返す。

「はぁ」

 そんな世話役に、リャナンシーは拍子抜けといった感じで息を吐くと、椅子に深く腰掛けた。

「どうしてこうも戦いが続くのか・・・」

 エルフが森を支配してから後、大規模な戦いは一度も起きていなかった。人間や点在していた集落間などで小競り合い程度は在ったものの、大勢の死者を出すような戦いは、森を支配して以後は起きていない。おかげでエルフの数は増えてきていたのだが、魔族が侵攻してきた事でその平穏は破られた。
 魔族との戦いで増えていた人口が一気に減り、その後行われた謎の勢力による侵攻が追い打ちとなり、エルフは危機的状況に立たされている。
 そこに今回の侵攻である。リャナンシーが嘆きたい気持ちも当然と言えた。

「今回の侵攻も前回と同じ勢力からだろうが、肝心の目的が判らないな」

 深刻そうな顔をするリャナンシー。

「今回も前回と同じ、ですか?」

 そんなリャナンシーの呟きに、世話役が反応する。

「ええ、おそらくですが。根拠が敵の姿が似通っているというだけですが」
「そうなのですか・・・?」
「そういえば、あの時貴女は居ませんでしたね」
「はい。私が居た集落は戦火を逃れましたから」
「そうでしたね。そういえば、今回参戦している戦士の多くも似たようなものでしたね・・・」

 前回謎の勢力の侵攻を受けた際、実際に戦って数を減らした集落は限られている。それは相手が少数だったからか、侵攻した範囲があまり広くなかった影響だ。当時のエルフの集落は森の中に広く点在していた。
 今回防衛に参加している戦士は、その生き残り。といっても、戦って生き延びた戦士よりも、攻められなかった為に生き残った戦士の方が数は多い。

「となると、脅威の認識からして違ったという事、ですか・・・ッ!」

 その事に気がついたリャナンシーは、己の無能さに奥歯を噛む。しかし、口惜しさを表に出したのはそれだけ。たとえ無能であろうと、族長である以上、あまり感情を表に出すのは憚られた。

(・・・こんな無能でも族長なのだからな)

 内心で自分の事を皮肉げに笑ったリャナンシーは、一つ息を吐いて気持ちを切り替える。

「・・・そこはプロフェッソさんに期待するとしましょう」

 現場の指揮官であるエルフの名を口にしたリャナンシーは、そう言いながら心の中で密かに相手に謝罪したのだった。
 それからも次々と舞い込んでくる報告を処理しながら、リャナンシーは一緒に行く部隊の準備が整うのを待つ。
 指示を出しながらも逸る気持ちで数時間過ごすと、待ち望んだ報告がやって来る。
 リャナンシーが部屋を出て外に出ると、そこには整然と並ぶエルフの部隊がいた。
 そのエルフ達はリャナンシーの姿を確認すると、背筋を伸ばして顔を引き締める。

「いきなりだが、現状とこれから我らが行う事は聞いていると思う。それでも一応説明するが、敵が来た、前線に応援に向かう。以上だ。時間が無い。さぁ行くぞ!」

 端的に事態の説明を終えると、リャナンシーはさっさと行動を始める。
 それに慌てながらも隊列を乱すことなく進んでいく一行。
 大集落から防壁までは急いで半日近く。比較的近い位置に在るのは、攻めてくる敵があまりいないのと、人手が多くはないので、護れる範囲が狭いため。
 周辺の警戒にも人員が割かれる為に、防壁に常駐させられる戦士の数は十名前後。防壁の長さを思えば、その倍が居ても少ないぐらい。
 その防壁も、人間界を覆っている様な立派なモノではない。木々の合間に木と蔦で組んだ柵を張り巡らせただけのもの。それでも意外と頑丈なのだが、目的は盾というよりは障害物。その防壁で足止めされている間に四方から攻撃して殲滅していくのが目的。
 つまりは対少数向けなのだが、森の中なのでそれで問題はない。実際森の中で戦う敵は、単体から数える程度の群れぐらいしかいない。大群であったとしても、少数の群れが幾つかといったところ。
 それに、エルフは今では数を減らして森の支配者ではなくなったが、それでも森の強者である事には変わりない。その為、防壁は判りやすい縄張りの境界線として機能している。
 森の中で覇を競っている知性ある者達は、その防壁に攻撃はしないし、攻撃されないように近づきもしない。今はまだ、エルフの威は森の中で通用していた。
 そんな防壁だ。報告が防壁から発った時から計算しても、到着した時には既に一日近くが経過している事だろう。
 未だに敵を倒せていないと仮定した場合、防壁がまだ機能しているとは考えにくい。
 リャナンシーは部隊を率いて防壁へと急ぎながらも、奥歯を噛む。
 急いで半日ほどとはいえ、それは単体もしくは少数での移動に限った話。部隊での移動ともなれば、更に時間は掛かる。
(私一人ならこんな距離・・・せめて大人数で転移が使えたならば・・・)
 防壁と大集落には転移の為の装置が置かれている。
 しかしそれは単独用で、装置が魔力を内部に蓄積させなければ起動出来ないので、一定時間に決まった回数しか使えない。その為、その装置は急使など緊急の際にしか使えない決まりになっていた。
 もしもリャナンシーが転移を使わずに単独で大集落から防壁までを急行した場合は、半日どころか、その半分程度で到着出来る。それだけ今のリャナンシーの実力は他のエルフよりも突出しているのだが、それも全てリャナンシーの努力とナイアードの指導の賜物・・・ばかりでもなかった。
 リャナンシー自身も含め、エルフは誰も気がついてはいないが、リャナンシーには種が植え付けられていた。それは成長の種子とでも呼べる、かつて死の支配者が世界にばらまいた種のひとつ。
 その種子にナイアードは適応し、発芽させた。しかし、それはまだ発芽したばかり。そして、リャナンシーの近くでそれに気がついているのはナイアードのみ。
 そもそもナイアードはエルフに力を貸すが、助言や助力はしても指導などしはしない。それを行ったという事は、そこには理由がある。という事。
 ナイアードの目論見通りにリャナンシーは成長した。だが、それでもまだ雛にもなれない弱さでしかないが。
 因みに、この事はプラタは把握出来ていないが、シトリーは把握していたりする。
 シトリーとプラタでは世界を把握する方法が異なるが、シトリーの知覚範囲は実はもの凄く広く深い。特にジュライと出会ってからの成長は目を見張るものがあるのだが、それはまた別の話。
 プラタが把握していないのは、元々種子が判りにくいというのもあるが、本来報告するはずのナイアードが報告していないというのもあった。そしてナイアードが報告しない理由は、どこぞのスライムに他言無用と脅されているから。
 その理由を話せば前述の話に戻るのだが、それはともかく、リャナンシーは晴れて死の支配者の実験体に選ばれた訳だ。だからといって、死の支配者はリャナンシーをどうこうしようとしたりはしない。
 なにせ、死の支配者が種子を世界中にばらまいた理由は、単に劇を面白くする為の演出でしかないのだから。
 なので、むしろ成長してもらわなければ死の支配者としても拍子抜けなのである。
 実は、死の支配者が攻撃の狼煙を上げながらも行動が鈍いのにはそういった部分も影響していたりする。
 そういう訳で強くなっているリャナンシーだけに、現状の速度に内心では不満を抱くが、それを表に出すような事はしない。
 現在率いている部隊は現役でないものが大半で、残りも主に疲労を理由に休ませていた者達なのだから、防壁まで一日は掛からないだろうという速度は、十分に速い方だろう。
 しかし、早歩き程度の速度にしか感じないリャナンシーには、もどかしい速度ではあったようだが。
 そんな思いは隠しつつ、リャナンシーは急かすことなく気を配りながら、先頭で部隊を率いて森の中を移動していく。途中で敵と鉢合わせしても対処できるように警戒も怠らないようにしながら。





 リャナンシーは部隊を率いて森の中を駆けていく。
 大集落を出た時は夕方だったが、現在は明け方。空も大分白んできている。
 部隊の者達も流石に疲労の色が濃くなってきたので、リャナンシーは一瞬苦悩を見せてから、休憩を取らせる為に一旦足を止めさせた。
 朝がやって来る森の中で、部隊は固まって腰を下ろすと、息を吐く。
 それぞれが持ってきた水筒から水を飲み、事前に配られていた携行食を口にする者もいる。
 半ば強行軍であった為か、誰も彼もが疲れた顔をしているも、ただ一人リャナンシーだけは全く疲労の無い顔で、焦る様に目線を周囲に彷徨わせている。

(まだ半分過ぎただけか・・・遅い、遅すぎる。何を言われようとも、足手まといは要らなかったか? 私だけ先行すれば良かったか?)

 防壁の様子を思い、リャナンシーはそんな考えが浮かんだものの、直ぐに頭を振ってその考えを追い出す。
 現在のリャナンシーは戦士ではなく族長だ。そう軽々しく行動も出来ない。
 それを理解しつつも、焦れる心は完全には消えない。むしろエルフの未来に責任がある今代の族長だからこそ、その想いがあった。
 そうしてリャナンシーが焦れながらも、周辺を警戒して休憩時間を過ごすと、やっと部隊は移動を開始する。
 森の中は静寂に包まれていた。
 動物達も争いの気配を察知したのだろう。それは部隊員達も同様の様で、防壁に近づく度に張り詰めた空気が強くなっていく。

「・・・・・・ん?」

 その途中、防壁までまだ少し距離があるというところで、リャナンシーは号令を掛けて手を上げると、部隊の移動を止める。

「どうかされましたか?」

 部隊の副官を務めているエルフの男性が、突然のリャナンシーの号令に疑問を投げかけた。

「何か来ます・・・おそらく敵でしょう」
「え!? ですが、防壁までまだありますが――」

 副官のエルフは戸惑うようにしながらも口を噤む。リャナンシーが言わんとしている事を理解して。

「各員戦闘態勢! 敵が来る! 迎撃用意!」

 リャナンシーの号令に、部隊員達は緊張した面持ちながらも即座に行動を開始する。
 そんな部隊員達を横目に、リャナンシーも射線を確保するのに丁度いい木の上に移動すると、枝葉に隠れるようにしながら、存在を感知している敵の進路上に目を向けた。

「・・・・・・」

 それぞれが配置に就いた事で、森に痛いほどの静寂が流れる。捉えている敵との距離はややある為に、敵を目視出来るようになるにはもう少し掛かるだろう。
 その間にリャナンシーは精霊に呼びかけ力を借りると同時に、気取られないように密かに魔力を練っていく。

(味方の魔力も感知出来るから、全滅ではなかったという事か。もしくは強行突破されたか)

 可能性を考えつつも、捉えている敵と味方の動きに注視する。
 そして、もうすぐ敵が現れるというところで、精霊を介して部隊員達にその事を伝達していく。
 味方の事も忘れずに伝え終えると、程なくして現れた敵へと一斉に攻撃が開始された。
 各員が待ち伏せ中に練りに練った魔力で構築した魔法を間断なく放っていく。精霊の力を借りられる者は精霊と共に、無理な者も己に出せる全力で、互いに干渉しあわないように連携して交互に攻撃を仕掛けていく。
 リャナンシーも精霊と共に敵へと攻撃を開始する。
 眩い閃光と共に放たれた魔法が敵に直撃すると、敵は一瞬足を止める。しかしそんな事など気にせずに、エルフ達の猛攻は続いていく。
 赤に青や白と様々な色の閃光が瞬き、何かが焼けるようなにおいと共に顔を歪めたくなる様な音が周囲に鳴り響く。
 しかし、エルフ達の攻撃はそれでも止まる事はない。
 敵の前後左右上下と、全方位から魔法が飛び、合間合間に鋭い軌道で弓矢も飛んでいく。
 そんな猛攻に晒されながらも、敵は歩き続ける。
 歩きながら周囲へと鋭い棘の様なモノを射出させたり、触手の様な手を鞭の様に扱ったりと反撃をしていく。魔法も使用するので、単体でありながら、その攻撃は苛烈。
 何処にそんなに魔力や体力が在るのかと疑問に思うほどの反撃をしながらも、やはりその防御力は目を見張るものがある。それに加えて自己治癒もしているようで、少し時間は掛かるようだが、攻撃を止めてしまうと直に傷が塞がってしまうだろう。
 その治癒能力は、伝え聞く癒し手と呼ばれるエルフにとっての神聖な存在ほどではないものの、治癒が得意なエルフの中でも同程度の治癒能力を持っている者は、現在のエルフの中には居ない。現在のリャナンシーでも、治癒能力に関してはその敵には及んでいなかった。
 そんな厄介な敵をにらみながら、リャナンシーは攻撃を続けていく。
 敵の様子を見るに、やはりリャナンシーの攻撃が最も痛打を与えているようだ。というよりも、他のエルフの攻撃では浅い傷が精々。
 ただ、表面が柔らかいのか傷が目立ちやすいようで、見た目だけは深そうな傷が付いている様に見える。加えて治癒能力とは別に、手足のに関しては再生能力もあるようで、切り落としても時間を掛けて再生していく。
 そんな相手だけに、見た目はともかく、実際はリャナンシーの攻撃以外は大した傷は付けられていないようだ。
 それに気がついたリャナンシーは、これではいくら数を揃えても勝てはしないだろうと悟り、同時にここで自分が倒さなければエルフに勝ち目がない事も理解する。

「はぁ。ここが正念場か」

 リャナンシーは一つ息を吐き出すと、精霊と共に全力で攻撃を開始した。

「ぎぃやあああぁぁ!!!!!」

 耳に刺さりそうな甲高い雄たけびを上げる敵を睥睨しながら、リャナンシーは感情を感じさせない顔で木々の間を跳び回りながら攻撃を行っていく。
 周囲の他のエルフ達も攻撃を継続しているが、完全にリャナンシーの補助程度にしかなっていない。
 謎の敵もリャナンシー以外には脅威を感じないようで、遂に足を止めたそれは、顔を振ってリャナンシーの動きを追いながら攻撃を行っていく。
 鞭のような腕を振り、リャナンシーが着地した瞬間の枝に狙いに定める。
 しかし、謎の敵の攻撃よりもリャナンシーの移動速度の方が僅かに速いようで、鞭のような腕が太い枝を打って砕いた時には、リャナンシーは次の枝に飛び移っている。それどころか、飛び移る寸前にしっかりと攻撃を放ち、謎の敵が放とうとしていたもう片方の腕を氷の矢で貫いて動きを阻害していた。
 しかしそれは、雄たけびを上げながら風の魔法を操り、刺さった矢を引き抜く。
 氷の矢が引き抜かれるも、刺さった部分が凍っていて直ぐには回復が行われない。といっても、数秒後には回復が始まっていたが。
 謎の敵は片手だけでリャナンシーを追いかけながら、真っ赤な塊を幾つも発現させると、それをリャナンシー目掛けて放っていく。
 それを見たリャナンシーは森の被害を考え、その塊を一つ一つ丁寧に迎え撃つ。

(あれは他の者には防ぐのも難しいか)

 敵の放つ魔法を見たリャナンシーは、苦々しそうに内心でそう判断する。森への被害も深刻だが、他のエルフ達への被害も考えなければならない。

(くっ! 今の私にとっては他の者達は足手まといだな。護るにはまだ力が足りていない)

 魔法を防ぎながら、リャナンシーは次をどうするか思案する。魔法攻撃を防ぐ手間が増えた事で優勢だった流れが変わり、どんどん後手に回り始めていた。
 リャナンシーが敵に放つ攻撃の数も減っており、そんな様子から敵の攻撃を避ける事と防ぐ事に集中し始めているのが窺える。
 それに気づいているのか、はたまたただの本能なのかは分からないが、謎の敵は奇声のような雄たけびを上げながら、リャナンシーを追い詰めていく。

(しかし、やはり実際に見ると、頭部の方は確かにジャックだな。面影はほとんどないが、同じ里の出身の者を見間違えたりはしない。身体の方は色々なモノが混ざっているようだが・・・)

 何か突破口はないかと相手を観察しながら、リャナンシーは舌打ちしたい気持ちになる。
 近くで敵の姿を実際に見てみると、同じ集落出身のエルフで、粗野ではあったが頼りになったエルフの姿が頭に思い浮かぶ。しかしそのエルフは、前回の謎の勢力の侵攻の際に、リャナンシーの目の前で殺されたはずの相手。
 目の前の限界まで腫れたような姿をした相手が生きているとは到底思えないが、それでも死者を蘇らせる方法にリャナンシーは一つだけ心当たりがあった。それでも、様々なモノを混ぜ合わせるような常軌を逸したような方法など知りはしない。
 生理的な嫌悪を強く感じながらも、リャナンシーは冷静になる事を心掛けながら相手の魔法に対処していき、鞭のように風を切り裂きながら飛んでくる手を回避していく。
 その合間に精霊魔法を行使していくも、それでは相手に多少の損傷を与えるだけ。今のところ、与える損傷の方が相手の自己治癒能力を少し上回っているが、それもいつまで続くか分からない。

(・・・ここは撤退させるべきか? この際森への被害は目を瞑るとして、周辺から部隊を退かせればまだ勝ち目はあると思うが)

 リャナンシーは事態を打開するためにそう考えるが、それで部隊が素直に撤退するとは思えない。それどころか、リャナンシーを逃がすために部隊員達が殿を務めると言い出しかねない。

(いや、確実にそう言ってくるな。だがそれは出来ないし、私はあれを倒すために残るのだ。それを理解してもらうのは・・・難しいか。説得する余裕も今は無いしな)

 敵からの攻撃を回避し防ぎながら、リャナンシーはそれならば強硬手段に出るべきかと考える。

(少しぐらいなら各々で対処は可能だろう。森への被害は免れないが、それも今更だ。ここでこれを止められなければ被害は拡大する。それに、後ろには大集落があるのだ、ここで確実に止めねばなるまい!)

 一瞬奥歯を噛むと、リャナンシーは周囲に居る同胞全員に防御に専念するように伝えてから覚悟を決めて枝を蹴ると、敵へと向かって跳躍する。同時に全力で魔法も行使していく。

「ぎぃやあああぁぁぁぁ!!!!」

 跳躍して向かってきたリャナンシーへと謎の敵は威嚇するように叫ぶと、両手の触手と魔法をありったけリャナンシーへ向けて放つ。
 リャナンシーは向かってくる触手や魔法へと、防御するのではなく、覚悟を示すかのように精霊と共に全力で攻撃魔法を放つ。
 そうして互いに放った攻撃が衝突する。
 眩い光と共に爆発音が森に轟き、互いの魔法が食い合うと同時に、周囲に様々な属性が荒れ狂う。

「ぐっ!」

 その暴威に吹き飛びそうになったところで、リャナンシーは何とか防御魔法の発現を成功させてその場に留まる。

「ぐぎゃあぁぁ!!」

 謎の敵は暴威に晒されて肩の辺りから吹き飛んだ両腕のまま叫びながら、何とか踏ん張ろうと足に力を籠めるも、収まらない暴威に後方の木へとその身を強かに打ちつけた。

「があああぁぁ!!!」

 失った腕が肩の辺りから再生し始めているその敵は、叫びながらも進む為に足を踏み込もうと前に出す。しかし、次の瞬間には暴威に晒されたその足も呆気なく消失する。

「ぐ、ぐが、ぐげげげげ!!!」

 謎の敵は押し付けられた木が折れて後方に飛ぶも、すぐに次の木に衝突する。
 次々襲い来る凶悪な暴風に晒されて、謎の敵は再生が追い付かずにどんどん身体が削れていく。
 しかしそれはリャナンシーも同様で、発現させた防御魔法が暴威に耐えきれずに壊れると、そのまま後方へと飛ばされてしまった。

「ぐはっ!」

 防御魔法が無くなったリャナンシーの身体は後方の木へと勢いよく飛んでいき、そこで伸びていた木の枝に腹を刺し貫かれる。
 周囲に荒れ狂う余波は最初の頃に比べれば大分勢いが衰えたものの、それでもリャナンシーが腹から飛び出た枝から抜け出す余裕はない。
 未だに消失しない押しつけられる圧力に、リャナンシーは端正な顔を大きく歪めながら枝を両手で掴み、それ以上刺さらないように抵抗していく。

「がはっ!! くそっ!!!」

 足が地面に着いてはおらず、自重と暴威にじわりじわりとめり込んでいく身体にリャナンシーは歯を食いしばりながら、暴威の発生元である衝突している魔法を睨む。その際に敵の様子を窺うのも忘れてはいないが、どうしても刺し貫かれている枝の方にかなり意識が向けられてしまっているので、仔細な状況までは気が回らない。

「こんな、ところで・・・!!」

 リャナンシーは乱れる思考を意志の力で無理やり抑え込んで集中すると、なんとか魔法を構築して吹き付けてくる暴風の影響から身を護る。
 それと同時に、刺さっている木の枝の根元を、土や木の破片など様々なモノを巻き込んだ風の刃で切断して、地に足を着けた。しかし、そのまま身体を支えることが出来ずに、斜め前に倒れてしまう。
 その際に何とか正面からではなく横倒しになるように倒れたリャナンシーは、腹に刺さったままの枝を押して抜く。

「回復が、間に合わない・・・か?」

 吹き付けてくる暴風から身を護った辺りから治癒も行い始めていたリャナンシーだが、枝を抜いた後も何とか止血まで出来ただけ。それも完全ではないので、腹に開いた穴から血が完全に止まる様子はない。
 それでも諦めずに腹の治療を行っていると、魔法の食い合いが終わり、勝者の魔法が敗者へと襲い掛かる。

「ぐをおおぉおん!!!!!!」

 かなり威力が落ちたとはいえ、魔力を使い果たして弱ったところへ飛んできた魔法の直撃に、謎の敵は絶叫を上げる。
 そこへ好機とばかりに他のエルフ達が追撃を行う。
 殺到する魔法に、謎の敵は防御も満足に行えずに直撃していき、ついには消滅してしまった。

「リャナンシー様!!」

 謎の敵が消滅したところで、エルフ達は未だに傷が癒えないリャナンシーへと駆け寄り、急いで治療を行っていく。
 その場に居るエルフ総出でリャナンシーへの治療が行われるも、それでも精々が止血止まりで、開いた穴までは塞がらない。
 魔力量が激減しているとはいえ、現在のエルフの中でも上位の癒し手であるリャナンシーでも傷を塞ぐので精一杯なのだ、いくら他のエルフが集まったとはいえ、リャナンシー以上の癒し手が不在ではそれ以上は望めない。
 そして、いくら止血が出来たとはいえ、腹に穴が開いたままでは長くはないだろう。
 周囲のエルフ達は必死になって治そうとしているが、リャナンシー自身は諦めて、まだ意識がある内に後任を誰に託すべきかと考えていた。
 だからだろう。リャナンシーがそれに気がついたのは、既に自分を諦めて周囲を見る余裕が生まれた結果なのだろう。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 横向きに倒れているリャナンシーの目の前に女性が居た。しゃがみ込み、リャナンシーを見下ろすような格好でじっとリャナンシーの様子を窺っている女性が。

(ああ・・・)

 その女性を一目見た瞬間、リャナンシーはこの女性がナイアードへの使者の報告にあった女性だと理解する。同時に、たとえ万全でも勝てないどころか勝負にもならないのだろうなと。

「ふふっ」

 リャナンシーが気づいた事に気づいたのだろう。女性は妖しげに小さく笑う。しかし、小さいとはいえ女性が声を出したというのに、周囲に居るエルフは誰も女性の存在に気がつかない。

「あ、あなた、は?」

 声を出すのもきつそうな、リャナンシーの絶え絶えの掠れた言葉が届いた周囲のエルフは、何事かとリャナンシーの顔へと目を向ける。しかし、リャナンシーにそんな事を気にかけている余裕はない。

「ふふ。私ですか? 私はノーブル。偉大なる死の王に仕える者の一人です」

 思わず目を惹く艶やかな肌を持つ美しい女性は、リャナンシーの問いに蠱惑的な微笑みを浮かべて自己紹介をするが、その目からは親しさが欠片も感じられない。その瞳に浮かぶ光は、死を待つリャナンシーに対して哀れみさえ浮かばない冷たい光。
 その女性の自己紹介で、周囲のエルフもやっと女性の存在に気がついたようで、驚愕すると同時に戦闘態勢に入る者も居る。
 だが、女性は気にしないし、そちらに意識さえ向けない。それは気づいていないのではなく、認識する必要がないほどに隔絶した力量差が在るが故の反応だろう。
 リャナンシーもそんなエルフ達の愚かな反応について気づいてはいるが、蛮勇かはたまた鈍いだけかと呆れるだけで、それ以上は特に何も思わない。というよりも、今はそんな余裕など皆無であった。

「死の、王、です、か?」
「ええ」
「それ、で、何用、でしょ、うか?」
「特には。ただ、面白そうな状況だなぁと思っただけですね」

 女性の言葉に、リャナンシーはおかしくなって思わず内心で小さく笑う。その言葉とは裏腹に、女性の瞳からは微塵も興味を抱いている様子が見受けられないのだから。
 しかし、だからと言って本当は何の用かはリャナンシーにも分からない。それに、そろそろ思考が上手く出来ないぐらいに意識が朦朧としてきていた。

しおり