23
俺は窓の縁《へり》に飛び乗り、外を見る。
炎に照らされた外壁の上から、断続的な爆発と燃えた木片が落ちていく様子が見て取れた。外壁付近で何かあったのだろう。俺たちも避難するべきだろうか。
エレナを見ると、頭を隠して唸《うな》っている。エレナの枕元に移動して起こすことにする。
「エレナ、何かあったみたいだぞ。起きろ。」
「うーん……。」
起きようとしないエレナに、俺は無情にも黒球に告げる。エレナがくすぐりに弱い事を、カミラさんとの絡みで把握している。
「く、す、ぐ、れ。」
「え、何、ちょっ。」
くすぐられ、ちょっと外では見せられない状況になっているエレナを見ていると、廊下を走る音が聞こえてきた。他の部屋からも音が聞こえ始めた。
入口の扉を見ていると、勢いよく開けられ、カミラさんが鬼気迫る表情で入ってきた。扉が開いたと同時に、エレナのくすぐりは止まる。
「エレナ!……何をしているの?」
「起きないから、くすぐってたんだ。」
「……はぁ、無事なら良いわ。」
「ぜぇ、はぁ、キ、キツネさん……ひどい。」
「そんな褒めても食べ物は出ないぞ。それより着替えておけ。」
「ぶーぶー。」
ぶーぶー言っているエレナに歯を見せながら前足をワキワキさせると、逃げるように着替えに行った。普段から、その行動力を発揮するべきだな。
カミラさんは耳に手を当てながら、誰かと話しているようだ。何かあったのだろうか。
「エレナ、着替え終わったら食堂で待機よ。」
「ふぁーぃ。」
制服から首を出せず、もがいているエレナを生暖かい目で見守る。
カミラさんがエレナの側に歩いて行き、チョップした。状況がアレなので仕方ないか……。カミラさんが大人しくなったエレナを手伝い、髪も整える。
他の職員たちも、あちこちで慌てているようだ。廊下を走る音や金属のこすれる音が聞こえてくる。
俺は机の上に乗り、窓の外を伺《うかが》う。兵士が何人も外壁へ走って行く様子が見て取れる。住民も顔を出し、様子を伺っている。
その時、黒球が俺の頭上から窓の側にスーっと移動し始めた。どうしたのだろう、こいつが自発的に動く時は……。
「キツネさん、行くよ?」
エレナに呼ばれ黒球から目を離した時、黒球から高音が鳴る。
直後、連続した爆発音にビクっとしてしまい反応が遅れた。カミラさんとエレナが窓の方向を向き、目を見開いている。室内が爆発による振動と火球の着弾による明滅を繰り返す。
カミラさんは、すぐに立ち直りエレナの前で構えた。
エレナ達の視線の先を追った俺が見たものは、次々に半透明な膜に衝突する火球だった。黒球の膜で防ぎきれない火球が宿舎に着弾し、天井から木くずが降ってくる。燃え移ったら……。いや、そんなことより。
「ぐぅ……何発撃ってきてるんだ。」
「え、何で……。」
1発毎に倦怠《けんたい》感が増していく。足が震え、意識が朦朧《もうろう》としてくる。エレナが疑問を口にしているが、構っている余裕がない。
俺は立っていられなくなり、床に倒れこむ。かろうじて意識があるが《《やばい》》。黒球にどんどん吸い取られていく。1分も持ちそうにない。
外の苛烈《かれつ》な攻撃は続いている。守ってばかりでは……どこから……。
「キツネさん、大丈……。」
「エレナ、窓に近づい……。」
エレナ……窓から離れろ、と言いたかったのだが言葉が紡げない。エレナとカミラさんが何か言っているが上手く聞き取れない。今、意識を失っては……。
「……止《や》んだ?」
「……みたいね、移動しましょう。ここは危険よ。」
「キツネさん、キツネさん!」
どうやらギリギリ耐えきったらしい。誰かが体を揺り動かしているらしく、視界が揺れる。くそぉ……体に力が入らないし、視界がぼやけて全然分からない。黒球の吸い上げは止まったようだ。徐々にではあるが倦怠感が薄れていく気がする。しばらく休む必要があるな……。
「カミラさん!」
「エレナ、急いで!」
エレナは俺を抱き上げ、カミラの後に続き走り出す。腹部を圧迫されながらの移動により、俺は激しい上下運動に晒される。
船酔いの時に激しく揺り動かされると、吐き気を催《もよお》すことがある。つまり……
「うぇ~。」
「ガマンして!」
「無理ぃ。」
俺の口からは黒い光がポツポツと漏れ、空気中に溶けていく。吐《と》しゃ物について考えるのは後にする。宿舎2階から1階の食堂へ駆け込み、キッチンを抜け裏口へ。
戸口前で外を伺ったカミラさんが外に出ようとした時、宿舎全体が大きく揺れた。エレナの抱きしめる力が増す。つ、つぶれ……。
「きゃっ。」
「お、ぉぉ……。」
「ぐっ、二……三人ね、エレナ。」
「は、はい。」
「止まらないで、ついてくるのよ?」
エレナ……腕をゆるめ……
戸口を開けカミラさんが先に、エレナが続いて駆け出す。
屋根から1人、緑色のモヤを纏《まと》いながら飛び降り、エレナに斬りかかる。
エレナは気づいていないが、黒球はしっかり反応している。タイルのような大きさの半透明な膜を、エレナの頭上に形成した。うげぇ……気持ちわる……。
頭上からの攻撃は膜との衝突により勢いを殺したが、エレナの背中に浅い切り傷ができてしまう。先ほどの消耗から俺は回復しきれていない。エレナは俺を放り出し、転んでしまった。
進行方向から2人が姿を現し、刃物を投擲《とうてき》しつつカミラさんに斬りかかる。
「ぁ、痛い……。」
「エレナ!」
カミラさんがエレナを気にしつつも敵を弾き飛ばし、牽制している。カミラさんの加勢は見込めないか。
俺は地面をバウンドしたが立ち上がり、エレナを斬りつけた輩を視認する。
カミラさんと同じ商業ギルドの制服を着た女性と、街の住民のような服装の男性だ。
……あれ? 1人じゃなかったか……疑問は後だ。精一杯踏ん張り、威嚇《いかく》するように唸《うな》る。
敵2人は俺を一瞥したが、視線をエレナに戻した。短剣を確認している男性がエレナを斬りつけたのだろう。持っている短剣に血が付着している。
男性は起き上がろうとしたエレナを見ると、再度斬りかかろうと姿勢を低くした。
エレナを仕留めそこなった男性とエレナの距離は、1メートルも離れていない。
男性の短剣に焦点が合う。
「奪え!」
焦った俺の叫びに呼応し、黒球は敵二人の上半身とエレナの右腕そして俺の意識までをも捥《も》ぎ取った。脱力し倒れる敵の下半身と痛みに顔をゆがめるエレナを見ながら、俺は倒れこむ。
薄れゆく意識の中で、カミラさんが対峙していた二人を倒し、エレナに駆け寄る姿が見えた。
あぁ、エレナ……
1章 END