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SS20

「ハルー?」
「ん。」

 お母さんが呼んでる。

 私は庭で弓の練習をしていた。あの子がくれた黒弓は矢が必要ない。だから指が痛くない。腕は上げ続けているから痛いけど。
 朝からずっと練習してたからちょっと疲れた……。今日はお母さんに料理を習う予定。……あ、手を洗わなきゃ。

「あら、手を洗ったら始めるわよ?」
「ん。」

 案の定、指摘された。いつもの場所に黒弓を立てかけ、井戸で洗ってくる。台所の水がめで洗ったら怒られた事がある。お母さんは怒ったら怖い。
 ちゃんと手を拭いて……拭いて……拭く布を忘れちゃった。服で拭いておこう。
 台所へ急いで戻ると、お母さんが汚れていない布を持って一言。

「横着しないの。ちゃんと洗ってきなさい。はい、これ。」
「……うん。」

 お母さんは厳しい。ちょっと弓の的の盛り土がついた服で拭いたからって……。でも土がついた手で料理したら土を食べることに……。うん、ちゃんと洗おう。
 今度はキレイになった手で台所に戻ると、お母さんが前掛けをかけてくれた。料理をするときには、かけるらしい。私のための踏み台もあり、料理の準備は万端。

「じゃあ、ハル。」
「ん。」
「アレにしましょうか。」
「あれ?」

 お母さんの料理は不思議。名前を聞いたことが無いけれど、おいしい物ばかり出てくる。お父さんの知り合いに教えてもらったらしい。あれってどんなものだろう。……あれ? 前も「あれ」って言ってたような……あれ?
 台所には肉切れと数種類の野菜、底の浅い皿が置いてある。肉切れと野菜を細かく切って、お皿に入れていく。切って入れるだけなら私にもできる。
 お母さんがチーズを持ってきた。……臭い。味は良いのに、思わずしかめっ面になってしまう。鼻をつまんでいる私を見て、お母さんは苦笑して言う。

「ふふ、ハルはチーズの臭《にお》い嫌いだもんね。」
「……くしゃい。」(くさい)
「チーズを薄く切って、野菜の上にパラパラっと撒《ま》いて?」
「……。」

 返事をしたら臭いを嗅《か》いでしまう。息を止めて手早く切る。ささっと片付けて、残ったチーズをお母さんに差し出す。

「ん。」
「はいはい。」

 お母さんにチーズを渡して、井戸に走る。走っていれば臭いは……くちゃい。洗い流そう。
 2回ほど洗ってマシになった手を拭いて、台所に戻る。台所からは焼けたチーズの臭いと、果物をすり潰す音が聞こえる。

「ハル、こんな感じですり潰してね?」
「ん。」
「終わったら、そっちの野菜も千切って盛り付けてみて。」
「うにゅ。」

 野菜を千切《ちぎ》って皿に盛り、味をつけた汁をかけるとサラダになるらしい。結構疲れる。お母さんはいつもこんな作業をしてるのかな。鍋をかき混ぜているお母さんを呼ぶと、だいたいで良いのよ、と言われた。……だいたいって何?
 ペリペリと野菜を千切ってサラダを作った。昨日作ったパンとチーズの焼けた臭いがするもの、そしてスープを食卓に並べる。
 お母さんがお父さんの形見の前で黙祷して、席に着く。お父さんも狩人だったらしい。お父さんが狩った獣の牙で作ったネックレスしか残ってないけど。黒弓と氷の球が視界に入る。手入れをしていないにも関わらず、弦《つる》が切れたりズレたりしない不思議な弓。
 氷の方も不思議。ポカポカしてる日向に置いても、融《と》けない。お母さんも頭を捻《ひね》ってた。
 一緒にもらった土の球は次の日には崩れちゃった。なんで氷だけ融けないんだろ。

「ハル? 食べちゃいましょ。」
「ん、食べる。」
「……どう? 自分で作った料理は。」
「おいし。野菜ちぎっただけなのに不思議。」
「ふふ、そうね。実は少しチーズが入ってるのよ? 臭いしないでしょ。」
「臭いしない、これなら食べれる。」

 お母さんの料理はいつもおいしい。サラダもパンもスープも全部おいしい。さすがにチーズの臭いのする皿は鼻をつまんで食べたけど、おいしい。
 全部食べて、片付けも手伝おうと席を立った。自分の食器は自分で片付ける。なぜかは分からないけれど、お母さんはいつもそう言う。
 食器を洗いながら聞いてみる。

「お母さん、昼からは森に行く?」
「そうね、少し採ってこないとね。一緒に行く?」
「ん。」

 森に一人で行っても良いけれど、お母さんと一緒だと色々教えてもらえる。たまに大きな獣が出るけど、お母さんがいると|なぜか《・・・》寄ってこない。
 そう言えば……門のおじちゃんが、熊より怖いって言ってた。それをお母さんに言ったら、

「お母さん、門のおじちゃんがお母さん怖いって。」
「ほぉ……ガジかしら……フフ。」

 なぜか笑い始めたお母さんが台所で素振りを始めて凄く怖かった。あの時は、おなか減ってたけど我慢した。

 お母さんを怒らせたらダメ。ごはん食べられなくなる。

 そんな決意を固めていると、着替えたお母さんが戻ってきた。
 あれ……すっごく笑顔?

「さぁ、行きましょ♪」
「お母さん、何か言いことあった?」
「ちょっとね~♪」

 お母さんが楽しそうだから、今日は楽しい一日になりそう。
 門の所まで行くと、おじさんが寝そべっていた。なんかピクピクしてる……。お母さんが他の門番さんに話しかけると、すっごく驚いていたけど何でだろ。お母さん優しいのに。

「ハル? 行くわよ。」
「うん。」

 難しいことは分からないけど、たくさん採って、早く色々教えてもらおう。

 お母さんと昼の森に入っていく。森の奥までの道は無く、起伏が緩やかなところを進んでいく……。お母さん速い……。フワっと浮いたかと思ったら、少し遠くに進んでる。一度、教えてもらったけど……上手く着地できなかった。
 大きな木を避けて回り込んだら、結構離れちゃった。

「ハルー?」
「……速い。」
「ごめんごめん。ほら、あれ。」
「ん。」

 待ってくれたお母さんに追いついたら、森の奥を指差している。良く分からないけれど、何かあるのだろう。お母さんは凄く遠くまで見えるみたい。私と違って目が良いって言ってた。目が良かったら採取も狩りもしやすいから、目を大切にしなさいって教えられた。私も見えるようになるのかな。

「見えない。」
「日が差している所よ、あの白い花。」
「ん、ん~?」

 お母さんは少し開けたところを指差している。頑張って目を細めても見えない。近寄ったら見えるだろうと踏み出したところで、お母さんに止められた。採取しないの?っと、お母さんを見上げる。
 
「少し待って。」
「ん……いっ」

 キョロキョロしたお母さんが私を引き寄せ、木の枝まで飛んだ。自力で降りれない高さに、いきなり上がるのは嫌。高い所から降りると足がジーンとするし。落ちないよう、お母さんにしがみつく。
 お母さんが木に触れるとググッと音が鳴り、幹に穴が開いた。どうやっているんだろう。ハルには難しいって教えてくれなかった。でも、この中なら怖くない。下が見えないし。木の幹に開けた空洞から先ほどの白い花を遠目に見ることができた。

「ちょっと休みましょうか。」
「ん。」

 空洞の中央に座る私の前に、お母さんが座る。いつ採ったのか分からないけれど、お母さんが幾《いく》つか木の実をくれた。木の実の生《な》ってる木なんて見つけられなかったのに。お母さんすごい。ペロリと平らげた私の口元を拭いてくれた。あれ、布どこから……あれ、お母さん何も持ってない?

「ふふ、おいしかった?」
「ん、おいし。」
「帰りに少し採っても良いわね。」

 お母さんの提案に頷《うなづ》いておく。お母さんの手を触りながら考える。魔法なのかな、道具かな。

「何か気になる?」
「お母さん、弓と布は?」
「見たいの?」

 頷いた私の目の前で、お母さんの手の付近の空間が歪み、弓と布が落ちてきた。

 魔法、それも詠唱なしの。私も、と思った事が顔に出たみたい。

「ふふ、練習してみましょうか。」
「ん、やる。」

 それから練習して少し気だるくなったところで、お母さんから止めるように言われてしまった。白い花に小さな動物が寄ってきたらしい。お母さんの指差す先に動いている動物が見える。
 ここからじゃ矢が届かないと思った私の横で、お母さんが矢を放った。緑色のモヤに覆われた矢が木々の間を抜け、動物に刺さる。

「……すごい、当たった。」
「ハル、行くわよ?」

 空洞から出ようとするお母さんを追いかけるため、急いで立ち上がった。置いて行かれたら、自力で降りる羽目になる。
 その時、私の背中の弓が小刻みに震えだした。

「何、なに?」
「……ハル?」

 慌てだした私に気づいたお母さんが近寄ってくる。私は震え続ける弓を目の前に回して握り部分を持つ。すると、弓が軽くなった気がする。
 お母さんが外を見て目を細めている。あれ、体が……。
 ゆっくりとお母さんの視線の先に向けて弓を引く自分の体に困惑する。なんで?

「……何かいるわね。狼かしら。」
「わっ、わっ。」
「ハル……ここから狙うの?」
「勝手に!」

 弓から、手が、離れない……。私の声を聞いて振り返ったお母さんは、怪訝《けげん》な顔をしている。そもそも目標すら視認していない。白い花までの距離は、いつも練習している距離の倍以上。こんな距離で命中したことなど無い。手を放そうとしているため、弓を持つ手が震える。四苦八苦しているうちに、弓には黒い矢が番《つが》えられている。

「ハル、落ち着いて。」

 いつの間にか、お母さんは私の後ろにいる。お母さんに顔を向けると怒られた。少しだけ泣きたくなった。泣くのをこらえ、前を見ると同時に矢が放たれた。

 バチンッ!……ドゴォ!

 弦が耳をうつ。耳を抑えながら、声にならない唸り声をあげ私はしゃがむ。すっごく痛い……。いつもは気を付けているのに……。弓を手放してしまっていたが、それどころではない。耳、取れちゃったかな、無くなってないかな、とオロオロする私。
 お母さんが耳を擦《さす》ってくれたけれど、まだまだ痛い……。

 しばらくして、耳の痛みもひいてきた。放り出してしまった弓が近くに転がっている。なんだったんだろう。つま先でチョンチョンっと、つついてみる。……なんともない。

「何してるの、ハル?」
「ん、変。」

 お母さんに理解してもらえなかったけど、この黒い弓の扱いには気をつけよう。痛いし。

 その後、白い花の採集にと視線を向けた親子が、クレーターを見て絶句する。|少し《・・》見晴らしの良くなった森の奥に、キツネさんと会った木が見えた。

「……ハル、帰ろっか。」
「ん。」
「ハル、何か見た?」
「見てない。」
「木の実でも採って帰ろーね。」
「ん。」

 村に戻ったら門のおじちゃんが心配してそうだけど、お母さんが何とかしてくれるよね。暑くも無いのに汗をかいているお母さんと頷きあい、村に帰った。

「お、おい! 大丈」
「あー、疲れたわー。」
「さっきの音は」
「ハルー、何食べたいー?」
「おいしいもの。」
「待てって、少しは」
「うるさいわね! 疲れてんのよ!」
「えぇ……。」

 門のおじちゃん、ごめんね。さっさと門を抜け、家に戻る。

 うん、お母さんに任せておけば何とかなった。

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