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エピローグ

「みんなー! 今日は来てくれてありがとう!」

 あれから四日後の日曜日。
 ピレックルの郊外にある劇場で、アイリーのコンサートが開かれていた。
 ずっとコンサートをやる計画はあったものの、日程が決まったのはついこの間だ。本当はもっと準備期間が必要なのかもしれないけど、アイリーがとにかく早くやりたくて我慢できなくなってしまったらしい。スタッフのみんなには感謝しなきゃ。
 アイリーは僕とシェレラのために最前列の席を用意してくれた。でも僕はなんだか恥ずかしいのでそれは辞退した。シェレラは客席で聴いているけど、僕はステージの袖からアイリーの歌を聴いている。
 すでに何曲か歌っていて、客席もすっかり熱くなっている。
 そして、次の曲は――。

 ステージ上に、ピアノが置かれた。四日前までギズパスのバイオリン工房に置かれていた、あのピアノだ。大きなピアノといえどもアイテムのひとつにすぎない。その場でウィンドウを開いて取り出せばいいから、持ち運びに不便はない。
 ピアノの前に座ったのは――。
 アミカ、ではない。
 背が高く、スラリとした細い体。真っ直ぐな黒い長髪と対照的な白いドレスには、ところどころにレースがあしらわれている。
 この日のために玻瑠南が作ったサブアカウントのアバター「ハルナ」だ。何も修正をかけていない、玻瑠南そっくりのアバターだ。

 玻瑠南はアイリーのために三日でオリジナルの新曲を完成させた。つまり、昨日できたばっかりだ。だから、軽く打ち合わせをしただけで、ほとんどぶっつけ本番でのステージなんだけど……。
 そんなことは全然感じさせない。二人の息はぴったりだ。
 踊るような明るいアップテンポの曲だ。バイオリン工房で聴いたアミカのゆっくりとした優しい演奏とは違って、ハルナの両手は激しく左右を行き来し鍵盤を叩いている。アイリーの歌声も、かわいい振り付けとともにリズムに乗っている。観客もさらに熱くなっている。
「せーの!」
 掛け声とともにアイリーがジャンプすると、観客も一斉に飛び跳ねた。

 大歓声を浴びながら曲が終わり、ハルナがステージから下がった。今日のハルナは一曲限りのゲスト出演だ。あまり目立ちたくないというハルナの希望で、アイリーはハルナを観客に紹介しなかった。突然ステージに出てきてピアノを出現させ、一曲弾いただけでピアノを片付けてステージから下がっていったハルナのことを、観客は不思議に思ったに違いない。

「すごいなハルナ。こんなにピアノが上手だったんだ」
 ステージの袖で、ハルナを讃えずにはいられなかった。僕はそんなに音楽に興味があるわけではないけど、バイオリン工房で聴いたアミカの演奏よりも難しい曲だということははっきりとわかった。それをハルナは全くミスすることなく演奏しきった。本当に感動した。
「ありがとう。練習する時間がほとんどなくてちょっと不安だったけど、ちゃんと弾くことができて良かった。アイリーがコンサートでアミカにピアノを弾いてもらいたいって言っていたし、私もアイリーのために弾きたかったから、上手くいって本当に良かった」
 ハルナも興奮しているのだろう。息が弾んでいる。アバターが疲れるということはないから、精神的に昂っているに違いない。
「でも、やっぱりアミカの体じゃ思うようには弾けないのよ。腕も指も短いから。完璧に弾こうと思ったら、どうしてもリアルと同じ体じゃなきゃならなくって。だからアミカとして参加することはできなかったけど、そこはちょっと許してもらおうかな」
「大丈夫だって。アイリーはそんなこと気にしないって」
 アイリーはまだステージで歌い続けている。観客と一体になって、とんでもない盛り上がりだ。今日のコンサートは大成功間違いなしだ。もちろん、アイリー一人だけじゃなく、スタッフのみんなや、そして、ハルナのおかげだ。
「ねえリッキ」
 ステージのアイリーを見ていた僕に、ハルナが話しかけた。
「私、初めて自分の体が好きになった。アミカの体じゃできない、本来の自分の体じゃなきゃできないことがあるんだってこと。それが人を喜ばせることに繋がるんだって、今日初めて知ることができた。私自身も楽しかったし、このアバター、これからも大事に使おうと思う。――リッキは、ハルナとアミカ、どっちが好き?」
「はあっ!?」
 つい大きな声が出てしまったけど、ステージ上までは届かなかったようだ。アイリーは気づいた様子もなく、歌い続けている。
「私ね、もしリッキがこのハルナのアバターのほうが好きなら、もうアミカには戻らなくてもいいかなって思ってるの」
「えっ、な、なんでだよ! アミカはあんなに戦闘が強いのに! 育てるの大変だっただろ? それにアミカにだってファンがたくさんいるんだろ? 急にいなくなっちゃったらファンも心配しちゃうだろ」 
 ハルナの姿が現実世界の玻瑠南とそっくりなせいだろうか。それとも、ハルナが玻瑠南として発言しているせいだろうか。僕もすっかりリッキの姿をした立樹になってしまっている。「育てる」は完全にプレイヤーとしての発言だ。
「じゃあこのハルナのアバターはどうなの? 私、ハルナじゃないとピアノ弾くつもりないんだけど」
「そ、そうか、じゃあ、ハルナもいなくなっちゃ困るな……」
「リッキ、どっちなの?」
 ハルナに詰め寄られて、僕は少しずつ後ずさった。ハルナもじりじりと前に出る。僕の背中が壁にぶつかった。
「つまり、リッキは、ハルナもアミカも好きってこと?」
 詰め寄るハルナの顔が、だんだん僕に迫ってくる。
 僕には逃げ場がない。
「えーっと、好きっていうか、その」
「私は」
 ハルナの顔が、僕の目の前に来た。もう触れる寸前だ。
「ハルナとしても、アミカとしても、リッキが好き。二人ぶん、リッキが好き」
「な、なんだよ、それ」
 唇を少し動かしただけでも、うっかり触れてしまいそうだ。
「それだけ、リッキが好きってこと」
「あ、ありがとう」
 なんてマヌケな返事をしているんだ、僕は。

 ハルナの顔が、本当にすぐ目の前まで来ている。
 ハルナが吐く息を、僕の顔が感じた。
 ここまで来たら、このまま唇が触れてしまうのも、それはそれでありなのかもな。
 仮想世界でのキスも、ファーストキスに入るのかな――。

「そうだ!」
 何かを思いついたのか、ハルナは僕から顔を離した。白いドレス姿のハルナが、僕の目に映っている。
「夏休みの間、私に剣を教えてよ! この体なら剣士が向いていると思わない?」
 確かに、ハルナの体なら身長は高いしリーチもあるし、剣士には向いていそうだ。
「うん、いいよ」
「やったあ! 夏休みの間じゅう、リッキが手取り足取り剣を教えてくれるなんて」
「てっ、手取り足取り?」
「そ。手取り足取り。ずっと体を触れ合って。よろしくね、リッキ先生」
「い、いや、僕はそんなつもりじゃ……」
「リッキ先生?」
 ハルナの顔がまた僕の目の前に迫った。さっきとはちょっと雰囲気が違う。不気味さがある。なんだか怖い……。
「わ、わかりました……」
 僕は震える声で答えた。

「みんなー! 今日は私の歌を聴きに来てくれてありがとう! すっごく楽しかったよ! 次の曲が最後になります。みんな最後まで盛り上がっていこー!」

 ステージからアイリーの声と、観客の大歓声が聞こえてきた。
「リッキ、最後の曲だってさ。聴きにいこう!」
 ハルナが僕の手を引き、ステージの袖ギリギリのところまで出て行った。
 僕もハルナの横に立って、アイリーの歌を聴いた。

 でも、僕の頭の中は、それどころではなかった。

 ――夏休みの間、ハルナとどうしようか……。
 ハルナのことで、頭がいっぱいだった。

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