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特別教室2

 翌日の最初の授業は魔物のおさらい、ではなく魔法についてのテストだった。
 しかしテストといっても進級にかかわるようなものではなく、単なる理解度を測るだけのものらしい。
 内容も引っ掛けや変な応用問題も無く、この半年弱ほどで学んだ事を覚えてさえいれば余裕で満点を取れるようなもの。出題数だけは少し多かったが、それも時間が足りないというほどではなかった。
 終業の鐘と共にテストを回収すると、バンガローズ教諭は教室を出ていった。
 休憩時間は、テストの答え合わせを五人でしているうちに直ぐに過ぎていく。
 そして始業の鐘が鳴り、バンガローズ教諭が教室に入ってくる。

「どうやら皆さんは優秀なようですね」

 最初から教師の顔でそういうと、バンガローズ教諭は採点済みのテストを返却する。

「全員満点。これなら進級テストも一発合格が期待できますね!」

 バンガローズ教諭は、純粋な喜びの笑顔を浮かべる。

「さて、ではテスト返却も終わったので、魔物についての授業を始めます」

 バンガローズ教諭は教卓の上に開いていた本を置くと、講義を開始した。

「まず始めに魔物とは何かですが、魔物は過去に起きた魔族と天使の大戦時に魔族が私兵として生み出したのが始まりとされています。その後は纏められて新たな魔族軍として編成されるも、大戦の混乱の最中に一部が魔族軍を離れ野生と化してしまいました。その野生と化した魔物は時代が下るにつれ独自で繁殖する術を身に着けたと考えられています。魔物自体は魔力で造られている為に寿命というものは無いのですが、最近は寿命の様なものが確認されたという報告もあります。魔物は外の世界で最も数が居る存在とされていますので、種類もまた豊富です。種類による強さの違いや、同種による個体差も勿論あります。種類による強さの目安として、我々人類は最上級・上級・中級・下級・最下級の五種に大別し、更に各等級を上・中・下の三種類に細分しています。個体差については目の色が目安になり、下から赤・青・緑・黒・銀・金の順に強くなります。ただし、これも目安です。何事にも例外が存在するという事を忘れないように。それと、目の色についても、同色でも明度が高い程に強いと言われています。 魔物は他の種族と違い、特定の場所に居を構えるような事はしていません。小さな共同体だと縄張りを持っている場合もあるものの、国のような大きな纏まりは存在していません。 生態はまだ詳しく判明していませんが、魔力の塊だけに魔力を摂取して生きていると考えられています。 皆さんはダンジョンで魔物と戦ったと思いますが、あれはこの学園の職員製です。元は魔族が魔法で生み出したものですので、同じ魔法を扱える人間が生み出せるのは道理というものですから。まぁ、魔法の扱いに長けた魔族製に比べると、性能は劣ってしまいますけれど。それは仕方のないことですが、皆さんは外の世界に出るときにはそれを留意して気を付けるように。 それと、魔物の中には名前を付けられた札付き、もしくは名有りと呼ばれる魔物が存在します。これは特に厄介な魔物で、遭遇したら出来るだけ逃げるように。姿や特徴などは生徒手帳の魔物の欄に載っているので、各自確認を怠らないようにしましょう」

 そこで終業の鐘が響く。

「では、休憩時間です。次の授業は進級テストとは直接関係ありませんが、内の世界、つまりは人間界と二学年からの話を少しだけしたいと思います」

 そこで本を閉じると、バンガローズ教諭は教室を出ていった。
 バンガローズ教諭の退室を確認すると、僕は生徒手帳を取り出し、魔物に関する項目を確認する。
 そこに札付きの項目を見つけ、開いてみる。多種多様な魔物の姿と簡潔にまとめられた詳細な情報が共に記載されたページが表示される。
 数が多い為にそれらを上から流し見ていると、中には討伐済みの表記と共に×印が上から書かれているモノもあった。討伐が確認できている存在には書かれているのだろうが、中にはもう存在しないのに×印が書かれていないのもいるだろう。
 道理で記載されている量が多い訳だ。そう思いながら読み進めていると、見覚えのある名前を見つけて手が止まる。

 名前:スノー 危険度:上級・上
 特徴:雪の様に白い全身。硬い表皮と強靭な肉体を持つ。
 目撃:東側国境付近
 行動:素早い動きと共に強力な突撃を行う。
 対処:見つかる前に逃げる事を推奨す。戦闘の際は接近に注意すること。
 備考:言葉を話すという報告在り。最後に確認されてから七年間目撃情報無し。

「・・・・・・」

 あの日の事を思い出し、暫しその名を見入る。どうやら公式に討伐は確認されていないらしい。まぁ報告もしていないのだからしょうがない。だけど、あの時確実に倒している。それだけは間違いない。
 画面に見入ったまま動かない僕に、横から不思議そうな声が掛けられる。

「何か気になる情報でもありまして?」

 その言葉と共に、ぺリド姫が開いたままだった僕の生徒手帳の画面に目を向ける。

「スノーですか。懐かしい名前ですわね」
「ご存知で?」
「ええ。当時は言葉を話すという事で話題になっていましたから。それに、その強さも厄介ですし」

 そんなに有名だったのかと、僕は内心で驚く。強いとしか知らなかったので、言葉を話すという情報は遭遇時には知らなかったし。

「それで、スノーがどうかされまして? もう長い間目撃されていないようですけど」

 小首を傾げるぺリド姫に、どう答えたものかと考える。昔を思い出して、と言うのも何か違うし、嘘を吐くのも気が引ける。かといって倒したんですよ、というのもな。

「いえ、何でもないです」

 結局、僕は何も答えられずに、曖昧に笑って誤魔化すことしか出来なかった。





 『いえ、何でもないです』 そう答えたオーガストが浮かべた、どことなく陰のある笑みに、ペリドット・エンペル・ユランは思わず閉口してしまう。そこはおそらく半端な覚悟で触れてはいけない領域なのだと悟ったから。
 そんなペリドットから生徒手帳の画面に顔を戻したオーガストは、画面を操作して札付きのリストを流していく。
 暫くして、リストを未討伐や目撃場所などで並び変えることが可能なことに気がついたオーガストは、微妙に恥ずかしそうにしながらそれを操作していく。
 そんなオーガストを眺めながら、先程の泣いてるような儚げな笑みがどうしても頭から離れないペリドットは、好奇心から思わずその理由を問い掛けたくなる。しかし、その程度の覚悟では駄目だと、強く強く自分に言い聞かせて自制する。
 そうこうしているうちに、始業の鐘が学園中に鳴り響いた。





 始業の鐘が鳴る。毎度外で待機しているのかと思うほど、鐘の音と同時に教室に入ってくるバンガローズ教諭。
 背を丸めて教卓の前に立つと、本を開いて背筋を伸ばす。

「それでは授業を始めます。前の授業でも話しましたが、今回は人間世界と二年生からについてです。進級テストには関係ない内容ですが、その先、進級後には必要になってくるので、ちゃんと話を聞くように。と言っても軽く通すだけなので、皆さんには既知の内容だとは思いますが。 まず始めに、人間界は楕円に近い形をしていて、境界には大結界が張られています。その大結界の内側には、大結界が張られる前に境界を守護していた長大な壁が存在しています。壁には東西南北の四か所に外界とを繋ぐ門が設置されていて、ここには二年生以降の授業でお世話になりますが、それは後で話します。その壁の内側には、大きく分けて五つの人間の国が存在しています。北のクロック王国、東のハンバーグ公国、南のナン大公国、中央のマンナーカ連合国、そして、このジーニアス魔法学園の建つ西のユラン帝国。ハンバーグ公国、ナン大公国、マンナーカ連合国は元は一つの国でしたが、時間もないので歴史ついては割愛します。もし勉強したい場合は各自で自習してください。 これから皆さんは二年生になると、学園から最も近い西の門の警固に就いてもらいます。勿論警固の兵は居ますので、約半年の職業体験みたいなものです。それと並行して、周辺の魔物討伐もしてもらいます。これは一定数の魔物を狩る目標があり、目の届く範囲とはいえ、外の世界に出てもらいます。この二つを無事に終えると、進級です。とはいえ、進級してても二年生。まだまだ経験が浅い為に、時折学園に帰ってきてもらいます。ですが、基本は門の警固兵の宿舎で寝泊まりです。 学園では、訓練と西側で目撃されている札付きなどの魔物についての授業などがあります。進級テストはありませんが、戦う際の注意点や逃げ方などを学ぶ為です。それと、二年生からは休日も導入されていますので、街を観光などして見聞を広める事をお勧めします。無論、休日の過ごし方は自由ですけれど。ああそれと、二年生からは学園の図書館が利用出来ますので、一度は利用してみるといいですよ」

 そのままバンガローズ教諭が二年生から出来る事や変わる事を幾つか説明すると、終業の鐘が鳴り響き、バンガローズ教諭は本を閉じる。

「そ、それでは休憩にしましょう。つ、次はもう一度テストをしますので、し、しっかりおさらいをす、するように」

 そう言い残すと、バンガローズ教諭は背を丸めて教室を出ていった。
 その背を見送りながら、授業でのバンガローズ教諭の変わりように、あの本が何かの暗示の鍵になってるんだろうか? と、僕は少しだけ興味を抱いた。


 次の授業のテストは、今までの授業内容のおさらいに、人間世界の問題も少し混ざっていた。
 相変わらず出題数は多かったが、難問の類は一つもなかった。
 おかげで終業の鐘が鳴る前には解き終わり、授業が終わる前に一通り見直す事まで出来た。

「それでは回収します」

 バンガローズ教諭がそう言うのと同時に、聞き慣れた終業の鐘が鳴る。

「申し訳ありませんが、所用の為に昼休憩の後の授業は自習の時間とします。テストはその後の授業でお返ししますので、皆さんなら心配ないと思いますが、怠ける事の無いようにお願いします」

 答案を回収し終えたバンガローズ教諭は申し訳なさそうにそう話し終えると、本を片手に退室する。

「自習ですか」

 珍しい事態に、何か問題でも起きたのだろうかと言いたげな表情をスクレさんが見せる。

「私は何も聞いてないですね」

 それにスクレさんの隣に座っているアンジュさんが応える。
 情報通のこの二人が知らないという事は、おそらく危急の事態という訳でも緊急の用という事でもないだろう。
 それだけ理解出来れば十分と席を立つと、僕は食堂へと移動する。食堂でパンを一つだけ貰って食べると、直ぐに教室に戻った。
 ぺリド姫と初めて遭遇した時も言われたが、そんな少量でよく身体が保つね、と言われる事がある。だが、これで十分なのだ。むしろこの程度は食べないといけないのが煩わしいぐらいだ。
 しかし、三つ目のダンジョンで体験した過去の記憶が正しいならば、昔は人並みに食べていたようだし、いつ頃から食べなくなったんだろうか?
 ふとそんな疑問が浮かぶも、今まで気にした事もなかったし、記憶もろくにないのだから知りようがない。知っている可能性が有るのは親ぐらいか。
 まぁどうでもいい話だ。そう切り捨てると、その疑問を意識の外に投げ捨てる。
 さて、次の授業まで何をしようか。座ったままだと眠くなってくるので、窓際に近寄って外を見ると、そこで見覚えのある丸めた背中を目撃する。それはバンガローズ教諭の背中だった。
 別段焦った様子もなく進むその背中を何とはなしに目で追いながら、そういえば次の授業は所用で自習にしてたなーと思い出す。
 比較的長い昼休みだけでなく、一時限潰さないといけない所用に興味はあったが、自分には関係ない話と自制する。
 そのまま歩くバンガローズ教諭の先で、二人の人物が待ち構えていた。
 一人は尾を引くほどにぶかぶかの白衣を身に纏った、見覚えのある女性教諭。もう一人はかっちりとした服で身を包んだ男性であった。距離があるから、望遠眼を使っていないので表情までは確認できないが、そのまま二人と合流したバンガローズ教諭は、三人揃って何処かへと移動を開始する。
 それにしても、何であの三人は姿を消して移動してるのだろうか? 見られないようにしているのだろうが、頭上に浮かぶ監視球体といい、この学園では中途半端な透明化が流行っているのだろうか?

『後をつけますか? ご主人様』

 そこにプラタからの声が届く。

『いえ、必要ないです。僕には関係ない事ですから』
『・・・左様ですか、畏まりました』

 意味ありげな間を空けてそう言うと、頭を下げた雰囲気と共に声が途切れる。こちらの声が届くなら、あちらの声が届くのも道理か。そう納得しつつも、突然の呼びかけに少しだけ驚いた。そんな昼休みのちょっと不思議な一幕だった。


 窓際に立ったままバンガローズ教諭達の背を見送って程なくすると、ぺリド姫達が教室に戻ってくる。
 僕が窓際に立っていた為にどうかしたのかと問い掛けられたが、座っていたら眠くなってきたためだと説明すると、それに納得したのか、四人は自分達の席に戻っていった。
 視線を再度外に向けると、雲一つない快晴の空が迎えてくれる。窓を開けると、からりとした空気と微かに近くの花の匂いを運ぶ涼やかな微風が顔を撫でて気持ちがいい。天上より照らす太陽の熱は入学した当初に比べて大分強くなったが、盛りが過ぎたから多少は過ごしやすい季節になった、とアルパルカル達が話していた。
 ああ本当に、実に、最悪の世界だ。
 確かに暑くもなく寒くもないし、乾燥した穏やかな気候だ。それはそれはいい季節なのだろう。だけど、明るすぎるし、乾燥している。何より世界は広すぎる。ああ、世界が滅びないかなー。
 などと考え出す時点で精神的に大分キテるのかもしれない。ああ、もう自分をどっかに封印でもしたい気分だ。そうすれば誰にも邪魔されずに引き籠れるかもしれない。
 そんなことを考えているうちに休み時間が終わり、始業の鐘が鳴る。
 席に戻った僕は、教科書に目を通す。目を通すと言ってもとうに読破済みで、内容もしっかり頭に入っている為に直ぐに読み終わり、また最初から読み直す。
 結局、それを三周したところで教科書を閉じて生徒手帳を取り出すと、学園や魔物についての項目を読み進めていく。それも大方読み終えた辺りで、やっと終業の鐘が鳴り響いた。
 次の時間にはバンガローズ教諭は帰ってくるらしいことを言っていたが、本当に帰ってくるのだろうか? あの様子じゃ今日はもう帰ってこない気もするけど・・・。
 そう思っていると次の授業の始まりの鐘が鳴り響き、バンガローズ教諭ではない、若い男性教諭が入ってくる。

「えー、バンガローズ先生の用事が長引いている為、今日はテスト用紙の返却と答え合わせだけして授業は終わりとなります。それでは、答案を返していきます」

 そう言うと、男性教諭は答案を僕達に返却する。結果は全員満点だった。
 一応最初に宣言した通りに答え合わせと簡単な解説をしたものの、全員満点だった為に大して時間も掛からずに、授業は時間を半分近く残して終了した。明日はちゃんとバンガローズ教諭が授業を担当するらしいが、厄介事にならないことを祈るばかりだ。
 それにしても眠いな、帰ったらさっさと寝る事にしよう。・・・そう思っていたのだが、どうやらぺリド姫達との訓練を失念していたようで、僕はぺリド姫達と訓練施設に移動する。
 それにしても、教える事が無いとはいえ、約束した訓練を失念するとは、僕は本格的に疲れているみたいだな。訓練が終わったら直ぐに寝るようにしよう。ああ、本当に眠たいな。





「オーガストさんは、昨日の授業でバンガローズ先生が仰っていたような魔力視や暗視を使っての訓練はされていますの?」

 ぺリド姫にそう質問されたのは放課後の訓練中のことだった。
 そういえば、昨日バンガローズ教諭が授業でそんな話を紹介していたか。

「はい。流石に明るいところで暗視は使いませんが、魔力視は常時起動していますよ。もう彼此(かれこれ)・・・七年? ぐらいは常用してますかね」
「七年もですか!?」

 僕の返答に、ぺリド姫だけではなくマリルさん達三人も驚愕に目を丸くする。そんなに驚く事だろうか? バンガローズ教諭が授業でわざわざ触れるぐらいには、魔力制御の訓練の常套手段だと思っていたのだが。

「はい。お恥ずかしながら魔力制御が苦手だったもので」

 そう言って、僕は恥ずかしげに頷く。魔力を適切に運用するための訓練でもあるが、これはあの日の戒めとして欠かすことができない。

「私は万全の状態でも数日保つのが精一杯ですわ。マリル達はどうかしら?」
「私達の場合も、保てても二三日が限度です」
「そうですわよね。七年も何てどれだけ緻密で効率的な魔力運用が必要なのかしら」

 物思いに耽るように頬に手を当てるぺリド姫。マリルさん達三人も似たような反応ではあるが、四人共にどことなく呆れも混じっているようにみえる。
 まぁ確かに、最初の頃は持ち前の魔力量に物を言わせた拙いモノではあったが、今ではほとんど魔力消費が無いに等しいまでに完成させた。だからまぁ、慣れていないうちはそんなものなのかもしれない。
 それからのこの日の訓練は、魔力運用の訓練となった。とはいえ、魔力視や暗視を用いた訓練は、魔力運用だけではなく持久力を鍛える修練も兼ねている性質上、どうしても時間が掛かってしまうので、その日は他の基礎的な魔法をどれだけ効率よく運用できるかの訓練にしたのだけれども。
 魔力運用の訓練を始めたのが放課後の訓練の終盤近くからだった為に、そこまで長くは出来なかったものの、どうやら現在のぺリド姫達の成長に必要な部分の訓練だったようで、彼女達は何かを掴めたような手応えを感じ取ったようであった。
 僕達は陽が沈む頃に訓練を終えると、それぞれの寮へと戻る。帰り際に明日も同じ魔力運用の訓練を続けることになった。
 僕は自室に着くと、着替えるのを煩わしく思いながらも、制服はまだ長い間着用する必要があるからと自分に言い聞かせながら、着替えだけは済ませることにする。それを終えると、倒れるように寝床に横になって泥のように眠るのだった。





 空が白み始めた頃に目を覚ました僕は、身体中が嫌な汗で濡れている事に気がつく。全く覚えていないが、何か嫌な夢を見ていたような気がする。

「おはようございます。オーガストさん」
「おはようございます。ティファレトさん」

 ティファレトさんと朝の挨拶を交わすと、顔を洗う為にまだ薄暗い室内を静かに移動する。身体でも洗いたい気分だが、今は身を清める魔法だけにしておく。実際に身体を洗い流すのと、魔法で清めるだけでは気分が違うんだけど、まだ寝ているセフィラ達を起こしてしまいかねないので、ここは洗顔だけで我慢しておこう。
 顔を洗い気分もスッキリすると、大部屋に戻り、本日の学業に必要な物の確認を行う。その途中。

「オーガストさんはもうすぐ進級ですね」

 その声に顔を向けると、どことなく寂しそうなティファレトさんがこちらを見ていた。

「まだテストに受からないといけませんがね。ティファレトさん達は今日が三番目のダンジョンに初挑戦の日でしたっけ?」
「はい。魔法学の授業も粗方進みましたので、これから攻略出来るまでは、ダンジョンに挑む回数が増えていく予定です」
「最初は大変でしょうが、頑張ってください」
「ありがとうございます」

 ジーン殿の言葉が正しければ、初見では手痛い歓迎を受けることだろう。同じ歓待方法ではないだろうからどうなるかまでは分からないが、本当に頑張ってほしいものだ。
 その後は皆が起きるまでの間、ティファレトさんと声を潜めながらの軽い雑談を交わして時を過ごした。そんな穏やかな朝の一時であった。





 その日、始業の鐘と共に入ってきたのはバンガローズ教諭ではなく、前日の若い男性教諭であった。
 男性教諭は教卓の前に立つと、少し困惑気味に口を開いた。

「えー、予定を繰り上げて、皆さんには明日、進級テストを受けていただきます。ですので、急遽本日は一日の全ての授業を自習としますので、皆さんは明日のテストに備えで復習をしっかり行ってください」

 それだけ伝えて教室を出ていこうとする男性教諭に、ぺリド姫が問い掛ける。

「バンガローズ先生はどうされたんですか?」
「バンガローズ先生は所用でどうしても手が離せないので、明日の進級テストは私が監督役を務めさせていただきます」
「その所用というのは?」
「申し訳ありません。詳しい話は聞かされておりませんので、その問いの答えを私は持っていません」

 そう言って男性教諭は頭を下げると、教室を出ていった。
 その日は一日中自習を行ったが、既に覚えている内容ばかりで大して意味がなかったような気もした。まぁ勉強は勉強だ、反復は大事なのだ。そういう事にしておこう。
 放課後の訓練は昨日に引き続き、時間いっぱい予定通りに魔力運用の効率化の修練を行った。
 その結果、ペリド姫達の魔力運用効率はとても改善されたのだった。





 翌日の進級テストは一日掛かりで行われた。
 出題内容は大半が授業で習った基礎ばかり。たまに応用や引っ掛け問題が混ざっていたものの、実技だけではなくしっかり勉学にも励んでいれば、決して難易度自体は高くはないものばかりであった。
 ただ、やはり出題数が途轍もなく多かった。まぁ三部に分けたテストを一日掛かりで取り組むのだから、当たり前と言えば当たり前だろうが。
 途中で短い休みと昼食の休憩が挿まれたが、ずっとテストを解き続けるというのは思っていた以上にしんどいものであった。
 そんな進級テストを終えた翌日には、早速採点を終えた答案が返ってくる。
 正答率九割以上で合格というなかで、皆、無事に進級が叶った。そして、僕は満点だった。というか、全員満点だった。
 一年生最後の授業は、テストの答え合わせと解説を一通りして終わる。
 監督役だった男性教諭が一年生での授業の終わりを宣言したのに続いて、三日後に早速二年生として西門に赴く事、集合場所の駅と集合時間などの連絡事項を伝えられて、一年生最後の授業は無事に終わりを迎えたのだった、が。

「ああ、そうだった」

 ぺリド姫達と互いの進級を言祝ぐ暇もなく、教室を出ていこうとしていた男性教諭が、思い出したかのように声を上げた。

「オーガスト君、学園長が学園長室にお呼びみたいだよ」
「学園長が、ですか?」
「うん。用件は知らないけど、授業が終わったら直ぐに学園長室に来るように、だそうだよ」
「呼ばれているのは僕だけですか?」
「うん。オーガスト君だけだと聞いてるよ」
「・・・分かりました。ありがとうございます」
「うん。確かに伝えたからね」

 そう言って教室を出ていく男性教諭の背中を見送ると、僕は何事かと思考を巡らす。何か不味い事でもしてしまったかな?

「学園長殿が、オーガストさんに何の御用でしょうか?」

 それはぺリド姫達も気になったようで、皆不思議そうな表情をみせる。
 それもそうだろう。僕自身にも何か学園長殿の逆鱗に触れる様な不味い事をしでかしてしまった、という記憶がないのだから。
 これがぺリド姫達ならば、身分的に分からなくもないが、一介の学生である僕なんかに、学園の長ともあろう御方が何の用があるというのか。
 よもや進級祝いなどという事でもあるまいに。呼ばれているのは僕だけのようだし。

「分かりませんが、とりあえず行ってきます」
「ええ。問題はないと思いますが、お気をつけて」

 ぺリド姫達に見送られて教室を出ると、僕は嫌な予感を胸に、学園長室を目指すのだった。





 先に結論から言ってしまえば、失敗したという事だった。
 眼前で重々しげな表情でこちらを見つめる男性、ここジーニアス魔法学園の学園長であらせられるウィ・ルール氏の話を要約すると、その一言に集約される。
 それは先日の三つ目のダンジョンでドラゴンを撃墜した時の出来事。あの時は余裕がなかったとはいえ、僕は監視球体を欺く事をすっかり忘れてしまっていたのだ。
 それが意味するところはつまり、重力球を使用したところを観られた、ということだった。重力球はその威力故に準禁忌に指定されるほどの魔法。ただし、禁忌ではなく準禁忌なのは、存在だけは知られていたが今まで使い手が存在していなかったために、実際の威力というものが分からなかったからでしかない。よりにもよってそれほどの魔法の使用を観られたというのは、はっきり言って色々と面倒な事態だった。

「はぁ」

 ルール学園長殿が重たい息をを吐く。それに僕はビクリと肩を震わせた。
 目の前で座ったまま机の上で指を組み、こちらに睨め付けるような鋭い視線を送るルール学園長殿は、名が二つあるところから分かるように、貴族であった。
 名の数は国や地域によって異なるが、ここユラン帝国においては二つは貴族、三つが皇族、四つが皇帝を意味している。唯一どこの国においても同じ意味を持つのは、名が一つの平民ぐらいだ。そして、僕は帝国ではなく公国の民ではあるが、それでも名を一つしか持たない平民でしかなかった。それも片田舎の平民だ。
 平民にとっては、貴族も皇族も皇帝も国王も公爵も何もかもが等しく雲の上の人物。ぺリド姫同様に、ルール学園長殿もマリルさんもスクレさんもアンジュさんも、本来僕なんかが言葉を交わすなど畏れ多い存在だった。しかも僕はこの学園の生徒で、ルール学園長殿はここジーニアス魔法学園の学園長なのだ。ぺリド姫達とはまだ同級生という同じ身分があったが、目の前のルール学園長殿はその関係さえ上の方で、年齢さえも遥かに上だ。
 ルール学園長殿は、四十から五十代のまだはつらつとした見た目の男性なれど、実際はとうに八十を超えていると聞く。魔法使いは魔力の循環が活発なほどに長命で見た目が若々しいらしい。つまりは強力な魔法使いほど長生きで見た目も若いということだ。
 ルール学園長殿は魔法使いの世界に在ってもその名が轟いている程の実力者。権力も実力も兼ね備えた名士だ。そんな相手に、準とはいえ禁忌の魔法を放った取るに足らない平民の僕。ホント、どうしてこうなった。僕はただ、世界の片隅で人知れず朽ちていければいいだけなのに・・・。

「まぁ、色々と聞きたい事はあるが、それらは全て不問としよう。ただ、今は少々面倒な事になりそうでね、君のその強力な力を是非とも借りたいのだよ」

 ルール学園長殿の口調は明らかに面倒事に巻き込む気満々のそれだけれど、僕にそれを断る権利があるとは到底思えなかった。

「現在バンガローズ先生が所用で出ているのは知っているね?」
「はい」

 ルール学園長殿の質問に僕は頷きを返す。バンガローズ教諭は特別教室の担任だったのだ、それぐらいは当然知っている。

「では、その所用が何かは知っているかな?」
「いいえ、存じ上げません」

 所用で出ているのは知っていても、流石に用向きまでは聞かされていないので、知りようがない。

「そうか。実はな、最近人間界と外の世界の国境から少し離れた場所で、度々オークやオーガなどの異形種の混成集団が目撃されてな、どうやら近くまで攻めてきているようなのだ。ただ、人間界は眼中にないようで、今は一定の距離からこちらまで来る気配はないのだが、いつ人間界に興味を抱くかは分からない以上、調査と警戒は怠れないのだよ。各地でそれは行われているが、特に目撃情報の多い西門は厳重に行わなければならない。君はこの学園の役割の一つに国境守護があるのは知っているか?」
「はい。生徒手帳に書いてありましたので」
「そうか、ならば話が早い」

 ジーニアス魔法学園の役割の一つの国境守護。それは生徒手帳の説明によると、国境に他種族が攻めてきた際に、国境警備兵と共にそれを追い返す役割らしい。特にジーニアス魔法学園に最も近い西門の守護がジーニアス魔法学園の役割で、次に近い北門へは予備兵力としての位置付けらしい。他の各門もその門近くの複数の学園が同じようにその役割を担い、ジーニアス魔法学園同様に次に近い門の予備兵力としても機能しているらしい。

「その役割の一環として、バンガローズ先生は現在西門の方に詰めてもらっている。他の先生方も数名同じように派遣しているが、警固はともかく調査隊の方が不足していてね。そこで、実力ある君に調査を依頼したいのだ。何、不足しているとはいえ他の調査員もいるので、君は学業のついでにでも調べてくれればいい。調査中は警固任務の一環として加算するので安心し給え。それに、その途中で倒した敵も進学条件の目標の一つの一環と見做すので、君にとっても悪い話ではないだろ」

 ルール学園長殿は、机の引き出しから二枚の紙を取り出すと、僕の方に差し出した。

「これが周辺地図と目撃情報だ。引き受けてくれるならば、君の生徒手帳に随時情報が送られるように手配しよう」

 ルール学園長殿はそういうも、この話をしている時点で拒否する権利はないのだろう。

「ああそれと、当たり前だがこれは他言無用で頼むよ。勿論君のパーティーメンバーにもだ。まだ脅威として確定した訳ではないのだ、無駄に心配させる必要もあるまい? 何ならパーティーは解散して君は単独で行動するといい。必要ならばパーティーメンバーはこちらで手配しよう。それぐらいならば人員の手配は可能だ」
「それは・・・」

 僕は言葉に詰まる。単独行動は別にいいのだが、本当にそれでいいのだろうか? 彼女達がパーティー離脱をすんなりと受け入れてくれるとも思えないし、それに彼女達の実力ならば、外の世界でも十分通用すると思うのだが。

「・・・お言葉ですが、ルール学園長。私のパーティーメンバーならば十分外の世界でも通用するかと」
「はぁ。まぁそれは分かっている。だが君のパーティーメンバーの彼女は、この帝国の姫殿下だぞ? 何かあった時の責任は君に取れるのかい?」

 呆れたような、それでいて試すような物言いのルール学園長殿に、僕はどう返したものかと閉口する。私が守ります、と言うのは簡単だが、ならば最初から連れていかなければいいと言われそうな気がする。結果は結果が出なければ分からない為に、確実な保証など到底出来ないが、彼女達ならば大丈夫だと思うんだけどな。根拠はないが、実力があるのは知っている。

「・・・観ていたならばご存知かと思いますが、彼女達は既に三次応用魔法まで使いこなせています。十分な実力者であり、自分の身は自分で守れるかと。それに、もしもの時はこの身を賭してでもお守りしますので、どうか彼女達の力も借りる事をお許し下さい」
「許して、か。まぁいい、何かあった場合は私も責任を取ろう。ただし、姫殿下達にしっかりと話を通して、承諾を貰う事を忘れないように。それと、重々承知しているとは思うが、口にした以上は君も責務を果たすように」
「勿論です。ありがとうございます」
「それにしても、最初に話をした時も思ったが、もしかして君にはそれが視えているのか?」

 ルール学園長殿は興味深げな声を出すと、僅かに視線を上に向ける。

「あの列車から付いてきている球体の事ですか?」

 僕もつられて頭上に目を向けた。

「そうかそうか、最初からか。はは、君は実に面白いな」

 ルール学園長殿は僕の言葉に機嫌よく笑う。

「ああそうだ。話は通しておくので、君は明日にでも先行して西門へと行って調査の手順や地形に慣れておき給え。パーティーメンバーとはあちらで合流するといいだろう。生徒手帳に情報を送る件も一緒に話をしておくので、あちらでやってくれる事だろう。以上だ。表立った活動ではないので大っぴらな評価は出来ないが、私はちゃんと評価するので、君の活躍を期待しているよ」

 それで話は終わり、ルール学園長殿に一礼して学園長室を退室すると、僕は訓練施設に居たぺリド姫達に合流して事情を説明した。それにペリド姫達の承諾を得ると、その翌日には先行して僕は独りで列車に乗ったのだった。

しおり