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第八話:ドラゴンを飼う上で必要なもの

 ひょんなことからドラゴンを飼う事になった俺だが、当初考えていたよりもそのハードルは遥かに少なかった。
 (ひとえ)に、それはカヤが優秀だったためである。

 それなりに大きな商家の娘である事もあり、カヤにはコネがあった。ドラゴン好きとしての情熱もあった。そして何よりも、カヤは俺がぶん投げる仕事を熟すのに慣れていた。

 ドラゴン管理組合への登録や事前に必要な物資の購入など、面倒な工程が何度もあったが俺がやる事はせいぜい荷物持ちなどの雑用や提出書類へのサイン程度で、複雑な工程は几帳面な幼馴染の手によりあっという間に処理された。
 俺は暇である。職がないから暇である。食っちゃ寝するだけだ。ドラゴンを飼う事は、手間にさえ眼を潰ればいい暇つぶしだった。そして手間のかかる事は全てカヤが受け持ってくれる。

「ほら、クジョ―! ちゃんと朱里に餌をやらないとダメでしょ! 毎日決まった時間に餌をあげるのが健康を保つ秘訣なんだから!」

「カヤがやれよ」

「私だってやりたいよっ! クジョ―が手ずからくれた餌しか食べないんだからしょうがないでしょ!?」

 カヤに叱られ、仕方なくベッドの上から起き上がる。俺が起き上がった気配がしたのか、直ぐ側で丸まっていたドラゴンが頭をもたげた。
 朱里というのは、クリムゾンドラゴンの名前だ。育てるにしても許可を得るにしても、ドラゴンへの名付けは必須だった。ちなみに名付け親はカヤである。

 生まれて一週間。朱里の大きさは生まれたての当初よりも二回り程大きく成長していた。どうやらオーシャンドラゴンが大きい種であるのは間違いないらしい。その大きさ、成長速度は藍よりも遥かに低く、未だ部屋で飼える大きさの範疇にいる。
 起き上がると、朱里がくんくんとその鼻をこちらに近づけ臭いを嗅ぎ、高い知性を窺わせるルビーのような瞳で俺を見上げる。

 前評判の通り、朱里は賢く、騒いだり暴れたりしないしトイレの場所もすぐに覚えた。家の壁で爪をといだりもしないし、エサ代や飼育に使用するものの値段を除けば犬猫よりも余程飼いやすい。

 清楚なエプロンに身を包んだカヤがキッチンから、一抱えもある箱を持ってくる。
 ドラゴン飼育用のドライフード。現在個人でドラゴンを飼うものは殆どいないらしく、業務用の品だ。包装にはコミカルなタッチで青いドラゴン模様が描かれている。

 中身は肉をベースにしたドライフードだ。何の肉かは知らないが、朱里はそのドライフードをたった一日で一袋開ける。ダース単位で買ってもあっという間になくなるし、当然成長に従って徐々に食べる量も増えてくるらしい。もちろん、俺の食費よりも余程高い。
 
「まったく、クジョ―は! 油断すると食事上げるのをサボるんだから!」

「ドラゴンって飲まず食わずで何日も生きられるんだろ?」

 ドラゴンという種族は人よりも遥かに頑強だ。
 かつてドラゴン族が世界の半分を制覇していたというのは大陸で広く伝わる伝説である。
 俺はドラゴンについて微塵も興味を持っていないが、そのくらいの事は知っている。

 カヤは見た目の大きさよりも軽いドラゴンフードの箱を床に置くと、「はぁ」と深い溜息をついた。

「そりゃそうだけど……でも、それは上げなくてもいいってことじゃないよ! 朱里が可哀想じゃないか!」

「へーい」

 当の可哀想な朱里は、餌の箱にちらりと視線を向けたが、続いてカヤの方を目を細めて眺め、すぐに興味なさげに俺の方に向き直った。カヤが悲しそうな視線を朱里に向ける。

 現在存在するもっとも大きな問題は、こいつが俺にしか懐いていない事である。
 藍はすぐにカヤに慣れたが、朱里は一週間ほぼつきっきりで世話を焼いてくれたにも拘らず、カヤに懐く様子がまったくない。誰が一番の功労者かわかっているのだろうか?

 なまじ賢いせいか、朱里は俺の手を介したドラゴンフードしか口にしない。
 どうやって判断しているのか、例え朱里の見ていないところで開けたものだったとしても、カヤが用意したフードを食べないのだ。

 ドライフードの包装をびりびりとやぶり、カヤが実家から持ってきた朱里専用の大きめの皿にざらざらと中身を出す。
 朱里はそれを見て、しかしすぐには口をつけない。俺の方を見上げてきたので頷いてやると、やっとそれに口をつけ始めた。

「よーくうな」

「ホントだねえ」

 大きくなるのも納得である。体重の半分までは行かないが、三分の一くらいは毎日食らっているだろう。
 クリムゾン・ドラゴンは雑食らしく、なんでも食べるが自然界では主に熊や猪などの動物やゴブリンやオークなどの魔物の肉を主に食らっているらしい。大食漢なのは食いだめ出来るからなのかもしれない。

 がりがりと生えそろった鋭い牙でドライフードを噛み砕くその姿を眺めながら、思ったことを口にする。

「あまり大きくならなければいいが……」

「そうだねぇ……」

 クリムゾン・ドラゴンは食用ではない。そのため、クリムゾン・ドラゴンの飼育方法はまだ明確に確立されていないらしく、レッドドラゴンなど、養殖ドラゴンの飼い方をベースに自分で試行錯誤しなくてはいけないという事だった。
 所長によると、成体になる早さは他のドラゴンと同じくらいだと言うが、その一年でどれくらい大きくなるのかまではわからないらしく、そんなものを素人に育てさせるなとはっきり言ってやりたいが、ここまできた以上文句を言っても仕方がない。もしもこの家に入らないくらいに大きくなった時は、カヤの家が保持している空き倉庫を借りてそこで飼う事になっている。

 資金繰りについてもかなり厳しいと言わざるをえない。カヤが頑張ってくれているが、さっさと職を見つけなくては、せっかく買った家を売り払わなくてはいけなくなるだろう。
 脳裏に浮かんだ暗雲立ち込める未来にため息をつき、じーっとこちらを見ていたカヤの方を見上げた。

 今考えても仕方のない事だ。今は滅多に体験出来ないだろうこの状況を楽しもう。
 ……体験したくもなかったんだが。

「カヤ、次は俺の餌を頼む」

「……クジョ―、君ってやつは……」

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