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第九話:ドラゴンを飼う上で大切な事

「カヤお前さー」

「ん? なにー?」

 カヤの持ってきた巻き尺の端を朱里の尾に当て、大きくその口元まで伸ばす。
 朱里には事前に言い聞かせているので暴れたりはしない。くすぐったそうに僅かに身を捩り、しかし大人しく俺の方を理知的な瞳で見上げている。俺はそれに対して解くにコメントを残すことなく、メモリを読み上げた。

 百二十五センチ、と……。

 俺は朱里の成長記録を取っているところだった。
 体重に身長。体高から翼と翼の間の長さ。

 自分の身体測定すら最近やってないのに、ドラゴンの身体測定をしているのは一体何なんだろうか。
 別に俺だってやりたくてやっているわけではない。端的に言うと、俺がやりたくもない朱里のデータ測定をやっているのは金のためだった。

 クリムゾン・ドラゴンはドラゴン種の中でも希少なドラゴンであり、卵から孵さない限り人に懐くことがない。今この朱里が俺に懐いている状態は奇跡に近い幸運であり、そのデータも他のドラゴンと比べてかなり貴重なものだ。
 それでも、本来ならばいくらレアだとは言え、使い道のないクリムゾン・ドラゴンの成長記録なんて欲しがる連中はいないだろう。需要がなければ金にならない。

 俺がデータを取っているのは、ドラゴン研究所の所長がそのデータを買い取ってくれると打診してきたからだった。

 大金というわけではないが、それなりにまとまった金額である。収入源が全くなかった俺は、少しでもドラゴンを飼う負担を緩和するためにそれに飛びついた。
 聞いた話では、研究所が買い取っているわけではなく、その金は所長のポケットマネーから出ているらしい。趣味だとの事。こんなもの欲しがるなんて、頭良い奴って本当によくわからない。

 計り終えると、伸ばしていた巻き尺を収納し、立ち上がって大きな伸びをした。
 伏せていた朱里がまるで仕事が終わったと言わんばかりにごろごろと絨毯の上を転がる。

 朱里を飼い始めて二週間あまり。

 朱里の成長は順調だ。順調に身体が大きくなっていっているし、病気などにもかかる気配はない。
 赤っぽい色だった鱗は成長するに従いその名前の通り『深紅(クリムゾンレッド)』に変化し、その額の宝玉もますます透明度を増している。朝は陽光を吸い込み深く輝き、夜は照明の明かりにより透き通るような深紅の中に灯火の揺らめきを見せる。それは俺が今まで見たことのある如何なる宝石よりも神秘的だ。
 売ればとても高く売れそうである。今更朱里をぶっ殺して売ろうとなど思えないが……。

 朱里の方から視線をずらし、俺の測った数字を記録してくれていたカヤの方に向き直る。
 そして、言葉を続けた。ずっと気になっていた事だ。

「お前さ、最近うちに入り浸ってるけど実家、大丈夫なの?」

「え……?」

 何度も言うが、カヤの家はけっこうでかい商店であり、カヤはそこの看板娘だ。
 カヤも俺と同じように学校を卒業後にどこかに就職したりしなかったが、それはカヤが実家の商店の手伝いをやる予定だったからであって、俺のように考えなしだったわけではない。
 従業員はそれなりにいるとは言え、看板娘のカヤ目当てで店に来る連中がいるし、勝手気ままに動ける身ではないはずだ。

 それなのに朱里を飼い始めてからおよそ二週間、カヤが俺の家に来なかった日はない。
 朱里を買うための手続きはもちろん、部屋の掃除、洗濯から俺の食事の世話まで小間使いのように働いている様を見ていると、ちょっと心配になってくる。
 さすがに夜は帰っているが、朝一でやってくるのだ。一体いつ家の仕事してるんだろうか……。

 もう朱里の飼育もある程度軌道に乗ってきたし、自分の食事くらいは何とかできる。毎日来なくても大丈夫なんだが……。

 カヤの親父さんは俺の父親とは違って商人らしい柔軟な思考を持っているので、それもまた許してくれそうではあるが、あまり甘えるのも良くないだろう。

 当の本人は俺の気も知らず、なんともなさそうな表情で言う。

「大丈夫だよ。パパから許可は貰ってるから」

「いや……許可は貰ってるといっても、さすがのこの長さはな……」

 二週間だ。そして、最短でも朱里が成体になる一年は助けが必要になってくる。
 最初の方で飛ばしすぎたら後半、さすがの朱里の親父さんも許してくれなくなってしまうかもしれない。
 幼い頃から互いの家を行き来していたので、俺の事は良く知っているが、それでも大事な娘が長時間男の家に入り浸るのを良く思いはしないだろう。多分。

 カヤが唇を尖らせ、呆れたように言う。

「大体、クジョ―さ。君、一人だと全部外食になるだろ? 朱里を育てるためにもお金は節約しないと……」

「……」

 その通りではある。
 正論を言われると言い返せない。
 何よりも俺は自炊なんてしたことないし出来ないのだ。不器用なので多分練習しても無理だろう。

 ちょっと迷うが、しかし連続はまずい、と思う。
 ぱんと一度手を叩いて、カヤに提案する。

「よし、じゃー三日に一回は来なくていい。休みを作ろう」

「え……その一日はどうするのさ? クジョ―が料理するの?」

「するわけないだろ。パンでも齧って飢えを凌ぐわ。朱里の食事はドライフードだから問題ないしな」

 呼ばれたのに気づいたのか、朱里がこちらを見上げちろりと舌を出す。
 ドラゴンはいいよな……何も考えずに生きてこれて。

 足元に近寄ってきた朱里の頭を撫でる。すべすべした鱗に透明な宝石。犬とは違い毛並みは良くないがこれはこれで趣があると思ってしまうのは、俺が多少ドラゴンを飼う事に慣れたせいだろうか。
 ちなみに俺が撫でる時は大人しいが、未だ朱里はカヤに慣れていない。カヤが撫でようとすると凄い威嚇するので、カヤはまだ朱里に数えられるくらいしか触れた事がなかったりする。

 俺の提案に、しかしカヤは唇に人差し指を当て、唸る。
 そんなに俺の事が心配なのか……ちょっと自分が自分で情けなくなってくる。

「ん……んー……」

「カヤが来る前も何とか生きてこれたんだ。一人でもなんとかなる。大体カヤも四六時中俺と一緒にいたら息が詰まるだろ」

「……そんな事ないけど」

 俺の言葉に、カヤが呟くが、すぐに戸惑いがちな笑みを浮かべた。
 寄った眉目はちょっと悲しそうにも見える。

「まー……クジョ―がそう言うんなら、とりあえず一日だけ空けてみようかな」

「もっと自分の生活を大切にしろよ」

 俺の言葉に、何故か朱里がきゅいきゅいと鳴く。お前には言ってない。
 そしてまぁもちろん、カヤにおんぶにだっこな俺が言えた事でもなかったりするのだが……。



§ § §




 野良ドラゴンを飼うための道具は高い。
 餌も大量に必要だし、育成するためのスペースも必要だが、何よりも高かったのはドラゴンの強靭さに耐えうる器具である。
 例えば首輪。例えばリード。いざという時のための拘束具も必要だし、檻も必要で、ドラゴンの膂力を持ってすれば鋼鉄製の器具なんて簡単に壊されてしまうので、そのどれもが特別製でなくてはならない。

 カヤのコネで、それらの器具はほぼ原価で手に入れる事が出来たが、それでも俺の財産と比較するとそれらはかなりの負担だった。

 また、ドラゴンの飼育の上で必要な事として、ストレスを解消させるという事があげられる。ストレスがたまり過ぎると怒りっぽくなり、暴れる可能性が出るためだ。
 その為の一つの手段としてお手軽な手段が、散歩させる事だった。

 全てカヤの受け売りだが、ストレスを貯めるのが良くないという事くらいはわかる。朱里の散歩は俺の数少ない日課となっていた。

 朱里が俺の膝に前足を立て、首を伸ばしてくる。俺はその首筋を一度撫で、特製の靭やかな革製の首輪を装着させた。
 きゅいきゅいと朱里が鳴く。この声が喜びを示している事に気づき始めたのはつい最近の事だ。
 悲しい時に鳴き、怒った時に鳴き、威嚇する時に鳴き、嬉しい時にも鳴くが、声の高低差で理由が判別できる。このあたりも犬猫を飼った場合と異なるところだろうか。

 革の首輪を取り付けると、朱里が膝から降りて足元で伏せる。尻尾が緩やかに動くのを長めながら、棚の中から一枚のカードを取り出す。
 首からかけられるよう紐つきのカードであり、ドラゴンを飼う許可証だ。これを持ち歩かないと、パトロールしている治安維持の兵士に捕まった際に面倒な事になる。
 もう朱里を飼い始めて二週間もたっているので、最近は兵士もドラゴンを飼い始めた奇特な男に慣れ始めているが、備えはあってありすぎるという事はない。

 最後に、銀色の鎖を首輪に装着し、その先を右手に巻き付ける。
 朱里の筋力は既に成人男性のそれ匹敵する。体重も成人男性に匹敵する。無理やり引っ張られれば引きずられてしまいそうだが、ある程度朱里の事が解ってきた現在、あまり心配していなかった。
 このドラゴンは俺に対してだけは大人しいのだ。

 玄関の扉の前でぱたぱたと尻尾を振っている朱里を尻目に、キッチンの方で作業していたカヤを呼ぶ。

「カヤ、散歩に行くぞ」

「はーい」

 カヤがエプロンを外し、ぱたぱたとこちらに駆けてくる。朱里がそれを面白くなさそうな表情でじっと見ていた。

 残念ながらカヤが鎖を持つと朱里が暴れるので鎖を任せる事はできなかったが、カヤは朱里の散歩についてきたがった。元々ドラゴンが大好きなのがうちにいる理由なんだし、恐らく歩いている姿を見るだけである程度満足できるのだろう。
 確かに、大型犬と同じくらいの大きさのドラゴンが歩いている姿はなかなかどうして面白い。まだ飛べもしない翼をばさばささせている姿も犬の散歩では味わえないものだ。

 散歩コースは既にここ数日で大体決めていた。町中のあまり人通りのない道だ。
 朱里が前を歩き、薄めのコートを着込んだカヤと俺が並んでその後ろをついて行く。手から伸びる鎖が張る事は滅多にない。キョロキョロあちこちに視線を向けながらゆるやかに歩く朱里についていくのが俺の日課だった。

 大人しくてもさすがにドラゴンの一種らしく、犬も猫も鳥も朱里の側には近寄ってこない。始めは同じコースで犬の散歩をしていた人もいたのだが、犬が怯えて動けなくなるのですぐに散歩コースを変えていった。
 俺が最終的に人通りの少ない道を散歩コースに選んだ理由でもある。

 たまに朱里の姿に目を丸くして近寄り撫でようとしてくる人もいるが、すかさずストップをかける。一日中側にいるカヤに懐かないのに見ず知らずの他人に懐くわけがない。
 今のところ、朱里が誰かを傷つけた事はないが、何しろドラゴンの専門家から気性が荒いというお墨付きまで貰っているのだ。
 いつか誰かに怪我を負わせないかだけが俺の目下の心配事だった。
 理解しているのか否か不明だが、夜寝る前に他人を傷つけないように朱里に言い聞かせるのも俺の日課の一つだ。面倒事はこれ以上ごめんなのだ。

「天気いいねえ」

「そうだなぁ……」

 空には雲ひとつなく、燦々と降り注ぐ陽光が朱里の深紅の鱗をより際立たせている。季節は冬なので若干肌寒いが、絶好の散歩日和だと言えるだろう。
 カヤもまたそちらに視線を向けながら、感慨深げに言う。

「朱里、大人しいねえ……」

「そうだな……暴れたりして飼えそうになかったら、研究所に無理やりにでも引き取って貰おうと思ってたんだけどなぁ……」

「クジョ―……君そんな事考えてたの?」

 そりゃそうだ。いくらなんでも危険な生き物を周囲においておけるわけがない。俺だけならばまだしも、カヤがいるのだ。
 俺の言葉に、リードにつながれた朱里が一度びくりと身体を震わせ、こちらを見た。たまに朱里は俺の言葉を理解しているかのような動きを見せる事がある。

 もちろん、気のせいだろう。まだ朱里が生まれて二週間しか経っていないのだ。二週間では人間の子供だって言葉を理解しない。

 しかしそれにしても、ドラゴンとはこんなにも大人しいものなのだろうか。
 世界最強の幻獣の一種としてインプットされていたドラゴンのイメージが変わってしまいそうだ。
 尻尾と翼をご機嫌に振りながらゆっくり歩いて行く朱里を見ていると、果たしてちゃんとこいつを自然に帰せるのか、ちょっと不安になってくる。

 そして、これでストレス解消に本当になっているのか不思議だが、養殖ドラゴンはそうやって育てているらしいのできっと正しいんだろう……。

 ふと、カヤがちらちらとこちらの手元を見ているのに気づく。
 カヤのドラゴン好きはどれだけ朱里に無下にされても尽きることがない。ドラゴン好きになる理由なんて今までなかったような気がするんだが、一体何が彼女を駆り立てるのだろうか。

 ともあれ、朱里がこちらに意識を向けていないのを確認し、手に巻きつけている鎖をそっと解く。
 そのまま、何も言わずにカヤの方に差し出した。

 カヤが目を丸くする。その唇から短い声が漏れる。

「え……?」

「あ、こら。馬鹿!」

 カヤの声に反応し、朱里がこちらを振り向く。その目が俺の手元――差し出そうとしていた鎖を捕らえる。
 あーあ、バレちゃった……こっそり散歩させてやろうと思ったのに。

 その目がきらりと光り、まるで体当たりのような勢いで朱里が足元に来る。ぐいぐいと俺の足に頭を押し付けてくる幼ドラゴンに、カヤが目を丸くする。

「あー、わかった、わかった。悪かったって」

「か……可愛い……」

 可愛くない。これは抗議である。朱里にとっての遺憾を表しているのだ。

 こいつ本当に頭いいよな……。

 ぐいぐい頭を押し付けてくる朱里。その輝く深紅の鱗を二、三度軽く叩いてやり、鎖をこれ見よがしと自分の右手に巻きつけて見せると、ようやく頭を離した。

「クジョ―、随分ドラゴンの扱いに慣れてきたね……」

「まー一応毎日寝食をともにしているわけだからな……」

 好きでもなんでもなくても慣れるわ。
 別にもともとドラゴンの造形が嫌いなわけでもないのだ。好きじゃないってだけで……。

 ようやく再び朱里が歩き始める。だが、ぴくぴくと尻尾を動かし、こちらの様子を気にしているのは明らかだ。
 そんなにカヤに散歩されるのが嫌なのか……多分俺よりもマシだと思うが。

 その様子に、カヤが小さくため息をつく。
 
「……全然私に慣れないよね……朱里」

「見た感じ頭はかなりいいみたいなんだが、なんでだろうなあ」

 嫌われる要素がどこにあるのだろうか。俺がドラゴンだったら絶対にカヤの方に懐くぞ。
 しかし、ここまで懐かないとなると、所長の言う、親と見なした者にしか懐かないという情報は正しいのだろう。カヤが直接朱里の世話を出来るようになれば俺もより楽をできるので、何度も朱里に言い聞かせているのだが、今のところ効果は見られない。

 冷たい風がカヤの髪を撫で、カヤが寒そうにコートの裾を寄せる。
 無言で左手を差し出すと、カヤが頬を緩め、その手を握ってきた。ひんやりとたカヤの手の温度。
 沈黙を打ち破るように言葉を続ける。

「言葉が交わせればカヤに懐かない理由もわかるんだけどな」

「伝説では人語を操るドラゴンもいるんだけどね……」

「ただの伝説だろ?」

「……そうだねぇ」

 高位の幻獣には人の言葉を理解出来る者が数多く存在しているというのは周知の事実であり、朱里が人語を理解出来るようになっても何らおかしくないが、流石にドラゴンの声帯で人の言葉を話せるようにはならないだろう。
 しかしそれにしても、ドラゴン程の叡智を持つ存在が『刷り込み』なんて、俺から見ればくだらない習性に操られるのはどういう事なのだろうか……。

 冬の風が吹きすさぶ中、その疑問に答えてくれる者はいない。

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