◇第三章:一人ぼっちでも勇者と名乗れば勇者
「はぁ~、これからどうしたもんかなぁ。俺、ぼっちじゃん」
魔王が紙ヒコーキに書かれた内容を読み終えた頃、カインは宿屋から離れ、往来へと出ていた。
特に目的があるわけでもなく、ただぶらぶらとそこらへんを歩く。
「うーん、とりあえず紙ヒコーキはまだ来ねーだろうし」
その時だった。
「おっと、言ってるそばから! 何度も刺さってたまるか!」
ヒューンと音を立てて、物凄い勢いでぐさりと石畳の地面に突き刺さる。
すんでのところで避けたものの、僅かにかすった膝から血が滲み、カインはその犯人を引っこ抜く。
「いってー、なんだよあいつ。忙しいんじゃなかったのかよぉ……」
ぶつぶつ文句を言いながらも、魔王からの紙ヒコーキを手に取り、広げた。
「あー何々? 今度は何をしでかしたんだ……なんだよそれ、まるで俺が悪いみたいじゃん。……〝無理してくるな。お前一人じゃ荷が重い〟だああ!?」
手紙の両端を今にも破らんかの如く震えながら持ち、「ふはははっ」と妙な笑い声をあげ、静かに呟いた。
「決めた……仲間なんかいるか!」
手に持つ紙を真っ二つに破る。
同時に往来のど真ん中で北の空へと向かって怒り任せに叫んだ。
「必ず俺一人でもやってやる!!」
かと思うと今度は上機嫌に紙とペンを取り出す。
すっかり忘れていたのだが、北の山は年中雪が降り積もる――それはそれは有名な雪山なのだ。
何を準備したらいいか全く分からないカインは、魔王に教えてもらうため、例の物を作り空へと振りかぶる。
「魔王まで飛んでけー!」
紙ヒコーキは吸い込まれるように綺麗な弧を描き、青空に向かって飛んでいった。
その姿を眺めて「よし」と満足したカインは、急に鳴った腹の音に、そう言えば朝ごはんもまだだったと露店を冷やかしに海へと向かう。
港町特有の潮の香りが鼻をくすぐる。
磯の匂いと魚の焼ける香ばしい匂いが混ざり合い、カインの空腹にさらに追い打ちをかけた。
潮風が吹き抜け、髪の先をさらりと撫でてゆく。遠くからはカモメの鳴き声が聞こえ、どこかで帆船の帆がきしむ音がする。
実はここ、小さいながらもそこそこ有名な港町なのだ。
石畳の港に開かれた露店では、獲れたばかりの新鮮な魚介類はもちろん、美味しそうなファーストフードが並ぶ。
「おーやってるやってる」
賑やかな港に入り、カインは早速露店を見て回った。
「腹減ってるし何にしよっかな~……まぁとりあえずサイダーと海鮮焼きとたこ焼きと氷菓と~……あ、そうだった。無駄遣いするなって言われたんだった。えーと、じゃあ喉乾いてるからサイダーはokだろ? でもお腹空いてるからー、あ! サイダーとか諦めてあっちにある食堂に入ろっと! そしたら水がただで飲めっしな!」
カインは見付けた食堂の中に入ると、空いていた席に座り、どれにしようかとメニューを眺める。
「よっし、この魚定食にしよっと」
カインはあっさりメニューを決めると通りかかった店員に「おばちゃんこれよろしくー!」と声をかけた。
ほどなくして――
「う、うま! なんだこの魚の旨さ!」
……そして、
「なんか水も、すっげー美味しいぞ!」
頬っぺたが落ちるんじゃないかと思うほど旨い料理が運ばれてきた。
それを全て平らげたカインは、「喰った喰った」と店を後にする。
すると、ちょうどよく北の空がきらりと光り、気付いたカインは構えた。
そして次の瞬間、紙ヒコーキをナイスキャッチ。
「へっへ~視界に入れば取れるんだよな~。えーと何々~?」
ぺらりと紙ヒコーキを広げる。
━━━━━
とりあえず防寒具をしっかり揃えろ。
間違っても腹を出した袖無しの服で
雪山を越えようなどと思うなよ。
━━━━━
読んだ瞬間、カインの顔がギクリと引きつる。何故なら――。
「ヤベー、俺、書いてるまんまの服装なんだけど。だって暑いしさー、丈短いほうがさ……。えーと、あとは店の者に聞いてみろ、か。そっか! 確かにお店の人に聞いた方が早いよな~。よし!」
そうと決まれば行動は早い。カインはすぐに店を見つけ出し、入った瞬間に大声を張り上げた。
「すいませーん! あーおじちゃーん! 俺、あそこの山越えようと思うんだけどー! うん、そう、年中雪降ってるあの山ー!」
そして、出てくるのも早かった。
「…………足りない……三万コイン、足りない……」
すっかり項垂れて何度も指を折って数える。
「登山デビューおめでとキャンペーンの防寒服が上下セットで八千コインでしょ? カイロと手袋とピッケル? とか細かいもんにやっぱり一万五千コインぐらいで、テントが一万五千、そんで食べもんに五千……全部で四万三千コイン。で、俺の所持金が一万三千コイン…………うん、やっぱり三万足りない」
何度計算しても、その現実はびくともしなかった。
「こ、こうなったら――!」
カインは物凄い気迫で走り出す。
「バイトだああああああ!!!!」
かくして、自称勇者のバイト大作戦が始まったのである。
――そして何度も言うが、そうと決まったらカインは本当に早かった。その日のうちに次々とバイト先を決めて歩き、驚くことに、もうその場から働き出した。
ある時は市場の売り子。
「いらっしゃいませー! あ、お兄さんこれいかがっすか! そこの奥さん! これ今朝獲れたばかりの新鮮な魚なんですよ! 今日の食卓にぴったりですよ!」
またある時は居酒屋の店員。
「お待たせしました! オムライス一つと生ビール二杯です! すみません! オムライスもう一つ追加で。あと二番と五番テーブルに海鮮サラダと肉の丸焼き、コーヒーと生ビール二人ぶんお願いしまーす!」
またある時は船の水揚げの手伝い。
「あ、おやっさん! その箱おれ運びます! あっちすよね、任してください! これはこっちですね、分かりました! あ、すいやせん先輩! それ倉庫にお願いしやっす!」
またある時は野獣の討伐。
「うおりゃああああ! 死に晒せええええ!」
「ギャシャー!」
ドスッ! バッ! ザン!
身の丈よりも何十倍もある大蛇は八つ裂きになり、四方へと肉片が散る。
「はぁはぁ……よっし、倒した! 依頼完了っと!」
全身から流れる汗を拭い、そのまま他の野獣の討伐へと、大剣を片手にひた走る。ちなみにさっきの大蛇は、焼いて食べると意外と旨い。
「まっだまだあー!」
その日、森のあちこちから少年と野獣の叫び声が木霊し、翌朝には怪奇現象として新聞の一面を飾ることになる。だが彼らは知るよしもない。
「はぁはぁ……なんか、ひっさびさに勇者っぽいことしてる気がする……」
そしてまた走り出す。
「うおりゃああ! 金じゃ金ー!!」
ズザンッ!
「金が必要なんじゃあああああ!!」
ドスッ! ドスッ!
……果たして勇者っぽいとは何なのか。これはもう、尋ねたらたぶん負けである。
――すっかり日が暮れて、すべての依頼を片付け終えたカインは、ボロボロ……あるいは、土や草や汗やらでどろどろになりながら、ようやく宿屋へと戻ってきた。
その姿にぎょっとした宿屋の主人は、慌てて風呂をすすめる。
カインは素直に言うことをきき、汗も疲れもぜんぶ洗い流すと、ようやく寝台に身を預けた。
もちろん、いつものように素っ裸で。
これを魔王が知ったなら、「きちんと服を着て寝ろ!」と間違いなく怒るところだ。
「はぁ~、疲れた……っイテテ」
野獣との死闘でできた傷がひりひりと痛む。
「う、うう……い、忙しすぎて、手紙書くのも一日一通が限界なんだけど……魔王までの道のりが遠いぜ……」
むしろそれで全く問題ないのだが。
というか、この状態で〝毎日かかさず一通は出している〟というのが驚きの執念である。
カインはものすごく残念そうにぼやきながらも、ほどなくして眠りについたのだった。
――その夜、魔王の元に一通の手紙が届いた。
「なんだ? 紙飛行機か」
ふらふらと頼りなく揺れながら、魔王の手のひらへと着地する。
それを開いてみれば――
━━━━━━
おやすみ
by勇者
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「…………最近こんなのばかりだが、何をしているんだ、あれは」
やれやれと肩をすくめる魔王の心中は、残念ながらカインに届くことはない。
◇◇◇
その日、カインは朝から稼いだお金を数えていた。
「ひーふーみー、よし。なんとか三万三千は貯まったな、残り一万コインか」
早朝のバイト先からの帰り道。広場を歩く人混みの中へ交じりながら、革袋の中を覗く。
あと一万。あと一万なのだ。なんとかして一気に稼ぐ方法はないものか。
そこでふと思い出す。バイト先の先輩に相談した時のことだ。
『そんなにお金に困っているなら、西通りの裏へ行くといい』
あそこなら色物好きが多いから、そこで身体を売れば一晩でまとまった金が手に入る――そういった話だった。
いくらアホのカインでも、それがどういう意味なのか想像がつかないわけじゃない。
「……正直、これだけは避けたかったけど」
ここに滞在して、すでに五日がたってしまった。なんだかんだで滞在費用などにも金がかかり、中々貯まりにくい。できることなら一日でも早くここを出発し、あの雪山を越えて魔王のもとへ行きたい。
(と言っても、今魔王は自身の城にいないのだが)
「よし! 腹ぁくくるか!」
焦りから、いらぬ腹をくくることにした。
――そしてその晩。
西通りの裏に、一人の少年が足を踏み入れた。伸ばした襟足を一纏めにした真っ青な髪に、真っ青な綺麗な瞳。日焼けで少し褐色がかった肌。そう、カインだ。
いつもの袖なし腹出しルックで、怪しげな通りを物怖じもせずに歩くアホうな少年。とはいえ、意外にもカインのように十代半ばくらいの子もちらほらいたので、カインは少しほっとした。
……いや、むしろ逆にほっとしてはいけない事実なのだが、アホなのでほっとした。
それに、思ったよりも人通りも多く、出店まで出ている。
「なんか気味の悪いところだなぁ」
当たり前だが、その雰囲気がいいとは言い難かった。
「やっぱり、出直して――」
来た道を戻ろうとすると、その道を阻むように、数人の男どもが嫌な笑みを浮かべてそこにいた。
一応、身なりは良いので、それなりに金のあるアホの坊ちゃんどもが、それなりの金を持ってちょっとした火遊びに出歩いているのだろう。カインの言う先輩とやらが言っていた「色物好き」とは、こういうアホどもか、あるいは――
「あれ? もう帰っちゃうの?」
「もう少し遊んでいきなよ」
「あーそう思ったんだけど、なんかここ変だからやめることにした」
それはともかく、問題はカインがこの状況をちっとも理解していないことだ。ただ、なんか嫌な笑い方をする兄ちゃん達だと思っただけで。それでも関わりたくはないと、避けてさっさと通り抜けようとしたが――
「待ちなよ。そのつもりで来たんだろ? ちょっとは楽しんでからにしようぜ」
うっかり腕を掴まれてしまった。
「でも、なんか兄ちゃん達お金なさそーじゃん?」
その言葉に、腕を掴んだ男の片眉がぴくりと動く。少なくともそれなりの金を持って偉そうにしている者が、貧乏人のような言われようをすれば面白くないのも無理はない。
けれどこの状況でもっとも恐ろしいのは、未だにカインが自身の身の危険に気づいていないことだ。
「大丈夫大丈夫、人数いるから。いくら欲しい?」
「そうだなー……とりあえず1万なんだけど」
と、言ったところで、「1万じゃ自分を安売りし過ぎなんじゃ」と気づいた。いや気づくところはそこじゃないと激しく言いたいが、とにもかくにもカインは気づいた。
そして、なぜか魔王に知られたら物凄く怒られるような気もする。そりゃあもちろん、カインが思っている以上にものすごーく怒るだろう。というか、誰が聞いても怒る。
「なんだ、そんなでいいのか? だったら――」
「やっぱり十万!」
「はぁ?」
「十万払ってくれるんだったら」
ガンッ、と激しい音と衝撃がカインを襲った。
いきなり胸ぐらを掴まれ、壁に叩き付けられたのだ。
「ナメたこと言ってんじゃあねーぞ、ガキ!」
「別にナメてねーよ。てか、よくもやってくれたな! ガキだからって甘くみたら――」
その時だった。
「ガハッ!」「グハッ!」「ゲハッ!」「アダッ!」「グワッ!」
妙な奇声を発し、男どもが綺麗にその場にぶっ倒れたのは。
「え?」
目を回す男どもの頭には――
「紙ヒコーキ?」
見覚えのある紙がぶっ刺さっている。
それを一枚一枚広げてみると――
〝お・ろ・か・も・の〟
「おろかもの……」
カインは慌てて辺りを見回す。だが、その姿はどこにもない。
「ま、まずい。バレた!」
顔を真っ青にさせて、慌ててその場から走り去る。
(ど、どうしよー! バレちまったよ!!)
宿屋に向かって走りながら、なんと言い訳したものかと思考を巡らす。だが、なぜかだんだんと苛立ちを覚えて――
「愚か者で悪かったな! あーそうさ、俺は愚か者さ! でも別に助けてくんなくたって! 俺一人だって別になんとかなったっつーの! そもそもお前のせいだ魔王のバッカヤロオオ!」
その声は、夜空の向こうの魔王にまでしっかりと届いた。
なぜなら――
「だそうですよ、魔王さま」
「あ、アイツは……」
カインの様子を見ていた部下の水晶から、ばっちり怒鳴り声が聞こえてきたからだ。
――遡ることほんの数分前、朝からどうにも様子が変だった魔王を不審に思った部下が声をかけたのだ。
「魔王さま、どうかしましたか?」
「あぁ、シュケルか」
司祭服を思わせる全身真っ白な出で立ち。見た目だけなら若い男。このシュケルと呼ばれた魔族は、魔王の腹心にあたる。
すっと鼻筋の通った顔立ちに、髪は雪のように真っ白で、毛先は外側にはねて肩までざんばらに伸びている。
彼は魔族の中でも白の魔族にあたり、その特性上、身体が弱い。とりわけ彼は、その傾向が強く現れていた。
肌は青白く、目尻には同じく青白い影が差し――それが隈のようにも見えて、顔色の悪さをさらに際立たせていた。
静かに閉じた瞼の裏には紫色の瞳を隠し、穏やかな微笑はどこか胡散臭い。
彼は水晶を片手に魔王へと歩み寄った。
「どうにも落ち着かないご様子。さては、あの赤子と関係が?」
「もう赤子ではないがな。って、いや別に、何か胸騒ぎがするとかそういうわけでは」
「そうですか。気になるのでしたら、一度覗いてみては?」
「いや、勝手に覗くなど出来ることならしたくはない」
「ふふふ、そうですか。では私が代わりに覗いてみましょう」
するとシュケルは持っていた水晶に手をかざす。
「おい」
「実際に会ったことはありませんが、魔王さまからあの赤子の話をもう何年も聞いておりますし。私も気になるのですよ」
「そうは言うがな……」
「ふふふ、さて、見えました。おや?」
「いや、待てシュケル」
「どうにも妙な場所にいますね。頭の悪そうな男達に絡まれている様子です」
「放っておけ、自分でなんとかするだろう」
「なるほど、魔王さまはこの子に春を売れと申すので?」
ガッシャーン!
「……魔王さま?」
鋭い刃のように五つの飛行物体がシュケルの顔すれすれを掠め、背後の窓をけたたましい音とともに突き破った。
なんてことはない、魔王が目にも留まらぬ速さで紙ヒコーキを飛ばしたのだ。
「何をしておられるので?」
「急に素振りをしたくなってな」
軽く腕を振ってとぼけてみせるが、まったく誤魔化せていない。
水晶から『ガハッ!』『グハッ!』『ゲハッ!』『アダッ!』『グワッ!』と響き、見れば地べたに伸びている男たちの姿が。
そして――
『愚か者で悪かったな! あーそうさ俺は愚か者さ! でも別に助けてくんなくたって! 俺一人だって別になんとかなったっつーの! そもそもお前のせいだ魔王のバッカヤロオオ!』
「だそうですよ、魔王さま」
「あ、アイツは……」
となったのだった。
「いったい、あれの貞操観念はどうなってるんだ。どう育てばこうなる」
水晶から目をそらした魔王が、呆れて言う。
「この場合、あのシスターが責められるべきなのでしょうが、魔王さまもまったく無関係ではありませんからね。ご自身に聞いてみては?」
「やめろよせ、余を見るな。こんなバカげた育て方など彼女(シスター)はしておらんし、余もそんな愚かなことは教えた覚えはない。さっきのは撤回する、誰も悪くない」
「それで、どうなさいますか?」
「どうもこうもない、何事もなく終わったのだ。それで良い。世話をかけたな」
魔王はすたこらさっとその場から逃げようとする。
「いえ、そうではなく――この窓ですよ」
シュケルは上品に、ぶっ壊れた窓の横に立つ。
いつものように穏やかな微笑を浮かべているのが、些か怖い。
「魔王さま。今ここがどこだか、お忘れで? この城は、世界の中心に建てられた国際会議専用の――」
「今なんとかする」魔王は即答した。