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◇第二章:魔王は赤ん坊を拾った事を語る

 一方その頃の魔王はと言うと。

「――まったく、いったい何度余(よ)の頭にこれを突き刺せば気がすむんだ。あの小僧」

 黒を基調とした紺と紅の軽装。
 その衣服から剥き出しになっている逞しい身体は人とはまた違う浅黒さの肌を持ち、右の額(ひたい)から首、首から右胸と指の先まで焼け焦げたような黒い痣。瞳は赤く迫力があり、短髪の黒髪からは角が二本覗く。
 そう、この男こそカインが言う〝魔王〟であった。
 魔王はそこらに散らばる紙ヒコーキを見て、溜め息をこぼす。

「おやおや、随分大変そうですねぇ、北の魔王殿。会議中も次から次へと……まったく笑わせてくれる人間だ」
 そう言って現れたのは、長く白い髪をおさげに結った若い男だった。
 必要以上に肌を晒す白い衣服。雪のように白い髪とは裏腹に、肌は濃く褐色に染まり――術式を思わせる刺青が、褐色の肌の上に全身描かれている。
  彼は魔王を見ると、見下すような嫌な笑みを浮かべた。
「そうじゃ、あまりに目にあまるが故に会議中にも関わらず返事を書くのを許したがな、本来なら許されぬぞ」
 そして彼と一緒に現れたのは、その言葉遣いとは裏腹に血気盛んな少女であった。
 頭の両端をおだんごに結った、燃え盛る炎のような真っ赤な髪。
  お腹を大胆に露出した真っ赤な衣服に、彼女の性格を表すように、両の手からは時折炎が吹き上がる。
「これは西と南の国の、クローズ殿とサファメイ殿。先程は失礼した」
 魔王は軽く頭を下げた。
 この二人は、各国の魔王の中でもとりわけ厄介な相手である。
 魔王よりも年上というだけでなく、その態度や言動からも、それが一目でわかるほどだ。
 特にサファメイは、この少女のような容姿に反して、魔王より遥かに長く生きており、長いこと南の魔王の名を冠している。
「ふん、わかっているなら良いがの」
「それにしても変わった人間ですね。自分の事を〝勇者〟だと言ってるとか?」
「ほんに笑わせる。勇者など、どこぞのお伽噺じゃて。この世にそんな者、必要せんと言うに。ましてや魔力も持たぬ人間風情が、我ら魔族を、しかも〝魔王〟と呼ばれる位の者を倒そうなど、片腹痛いわ」
「まぁまぁサファメイ殿。なんでも話を聞けばまだほんの子供だとか。大方それっぽい本でも読んで憧れてしまったんでしょう。可愛いもんだ」
「そうは言うがの」
 好き勝手に言い散らす二人を横目に、魔王は――さて、どのタイミングでこの場を離れるかと、密かに機会をうかがっていた。
 と、その時。二人の背後から声がかかる。

「おぉ、こちらにいらしたか、北の魔王殿」
 薄暗い城内に、燭台の火が揺れながらその姿を浮かび上がらせる。
「貴方は、東の……」
「探しましたぞ。まさかお二方もご一緒だったとは。申し訳ないが、彼を少しお借りしたい。宜しいか?」
 現れたのは、身の丈ほどの紫光(しこう)を帯びた黒髪と、整った目鼻立ちをもつ黒衣の男。
 四大国の中で最も威厳を備え、最も話が通じる――今回の国際会議、主催国の魔王だ。

 彼は落ち着いた物腰で、真紅の瞳を二人の魔王へ向ける。するとサファメイが、不満げに鼻を鳴らす。
「良いも悪いも、もう用は済んだわ。わしも暇ではない。それではの」
「では僕もこの辺で。……また後ほど」
 二人の背を見送りながら、北の魔王はほっと肩の力を抜いた。
「……助かりました」
「いや何、私はただ声をかけたまで、礼には及ばんさ。それにしても色々と大変そうだな」
 東の魔王はそう言って床に散らばった白い紙を見る。
 すると、ひらりと、また新しい紙ヒコーキが床に舞い降りた。
「……随分と大人しい登場だ。先程まで貴殿の頭に刺さって来たと言うのに」
「想像するに飛ばした者が、つまりは勇者とやらが今精神的にまいっているのでしょう。全くあの小僧は、今度は何をやらかしたんだか」
 やれやれと言った様子でため息をつくその姿が東の魔王には引っかかった。
「まるで昔から知ったような口ぶりをなさる。それにこの紙飛行機はどうにも貴殿の魔力でここまで飛んでいるようだ。人間は魔力を持たぬし、何か訳でもあるなら伺っても宜しいか?」
「……話せば長くなるのだが」

 魔王は辺りをちらりと伺い、東の魔王の耳に顔を寄せる。


 ――その昔、
 と言ってもおよそ十数年前の事だが。
 余はその日、魔族の土地のニスリ森林を巡回がてら散歩していた。
 すると遠くから確かに赤ん坊の泣く声が聞こえ、慌ててその声の主(ぬし)を探す。
 駆け寄ると、やはりそこにいたのは赤ん坊だった。

 それも――人間の。

 ニスリ森林は人間には毒でしかない邪気が充満している土地、放っておけば、いずれ死んでしまう。
 だからこそ〝魔族の土地〟なのだ。
 余は直ぐに赤ん坊に結界をかけ、抱き上げた。
 すると、赤ん坊は泣き止み。くりっとした大きな青い瞳でこっちを不思議そうに見て、笑った。
 少なくともそう見えた。

 無性に悲しくなった。
 人間は弱い、特に赤ん坊は親がいなければ、育ててくれる者がいなければ死んでしまう。
 いったいこの子の親はどうしたのか、何故このような場所に置き去りに……あるいはこの子共々死のうとして、この森へ入ったのか。
 ならば近くに遺体があるのでは?
 いや、邪気が全身に回るまでは時間がかかる。赤ん坊が生きていると言う事は、さして時間はたってはいまい。

『あーう!』

 はっとして赤ん坊を見ると、何かを余に期待しているように瞳が輝いてみえた。
 とにもかくにも、どうにかせねば。
 しかし、我が城に連れ帰る訳には……。
 人間にとって魔族の土地で生きるのは死と隣り合わせ、前例もない。
 ならばと、余は人の姿に変わると、人間の土地へと赤ん坊を連れて足を踏み入れた。

 そうしてようやく、町外れに小さな教会を見付け、赤ん坊をそこに託したのだ。
 それからと言うもの、その赤ん坊の様子をこっそり見に行くようになった。
 預けてはしまったが、拾った手前放っておく事も出来なかった。
 直接会いはしなかったものの、元気にしているか確認しては帰り、そうやって成長を見守るだけのつもりでいたのだが……。

 ――その日、すっかり少年へと成長した赤ん坊は一人で森へと遊びに出た。
 大きくなったとは言え、まだ六つしか年を重ねていない子供だというのに――。

『ど、どうしよう、迷っちゃったよ』

 気付けば不気味な洞窟の中へと迷いこんでいた小僧は、おろおろと辺りを見回す。
 すると、奥の方から誘うような声が聞こえてきたのだ。
『坊や、あぁ可愛い坊や、こっちにおいで』
 まるで優しい人間の母親のような、そんな声。
『ど、何処?』
『こっち、こっちよ。さぁいらっしゃい』
『そっち、なの?』
『いかん! そこは!』

『え?』

 次の瞬間、小僧は足を踏み外した。
 薄暗い洞窟の中だ、足元がどうなっているかなど分かるはずもない。
 ばしゃん――水音が響く、底無しの暗く冷たい泉の奥底へと小さな身体がみえなくなる。
 それを追い掛け飛び込んだ。
 洞窟独特の暗い水の中へ潜りながら、沈んでいくその小さな身体に必死で手を伸ばした。
 小さな身体を腕に抱え、意識を集中させる。
 暗闇の底から、魔力で――空、その遥か高みを目指した。

 ――次の瞬間。
 小さな身体を腕に抱き、雲の上を静かに漂う。
 腕の中で幼い身体が身じろぎし、ほどなくして瞼を上げた。『え、あれ?』と呟きながら、真っ青な瞳を見開いて辺りを見回す。
 大地よりも広大な青空。見下ろせば、街に森に山に海――すべてが精密なジオラマのように小さく連なり、どこまでも美しく、どこまでも果てしなく広がっていた。
 その景色にきょろきょろと瞳を動かしていた小僧は、やがてこちらを見上げ、目が合った。

『この、バカもの!』

 思わず叱咤していた。何故一人で森に入ったのか。薄暗く、足元もおぼつかないような洞窟に入り、怪しげな声に騙されて死にかけるとは。何を考えているのか――そんな怒りとも安堵ともつかぬ感情が、こみ上げた。

 だが小僧は怯えるどころか、瞳を輝かせ、『あ〜!』と声を上げて余を指差す。

 本来の姿では人間を怖がらせてしまうため、人間の姿で来てはいたが――この痣だけは隠しきれず、黒いローブに身を包み、フードを深くかぶっていた。
 それでも小僧は、怯えるどころか――まるで、再会を喜ぶかのように、嬉しそうに笑ってこう言ったのだ。

『黒いおじさんだ!』

 予想外の言葉に、思わず動揺した。

『お、おじさ?』
 確かに細かくは覚えてないが、何千年は確実に生きているし、だがそれでも魔族としてはまだ若い。人間でいうところの三十路手前で、しかし子供からみればそりゃあもう〝おじさん〟にしか――

『だってそうじゃん!』

 ぐさりと胸に刺さるその言葉は、研ぎ澄まされた刃のような殺傷力。あぁ胸が痛い。

『あんたいっつもこっち見てるよな。一緒に遊びたいならこっちに来ればいいのにさ』
『ちょっと違うがバレてた』
『でも凄いなぁ、あんた空を飛べるんだね!』
 先程までの事を忘れてしまったのか、抱き上げた腕の中で青空が広がる景色をきょろきょろと見渡し、小僧は嬉しそうに笑う。
『おい、あまり動くな。落ちたらどうする』
『え? 落とすの?』
『落とさん』
『てか俺、声がする変な洞窟にいたような?』
 小僧は不思議そうに小首をかしげる。
『今更だな』
 とは言え、魔力で移動したなどとは言えない。
『まぁ良い。もうあの洞窟には近付くなよ。あそこはたちの悪い霊達のたまり場でな。お前はその霊に誘われ危うく死にかけたんだ。それと森へは不用意に入るもんじゃない。今回はたまたま余がいたからいいものの、何かあったらどうするつもりだ』
『大丈夫だって! だっておじさん、俺の近くにいっつもいるじゃん!』
『……そ、んなことはぁないぞ。うん、ない』

 いかん、これでは余はただのストーカーではないか。あ、いやそうなるのか。いや、バカな。余はただ見守っているだけで…………ダメだ、このままではただのヤバイおっさん。
 自問自答する余とはうってかわって、特に気にした風でもなく『ねぇあれ何? あれは?』とはしゃぎまくる小僧。
 だが今回のような事がまたあったらと思うとな、うーん……とりあえず帰ろう。

 気を取り直して小僧を抱え直し、教会を目指す。
 だが〝あっちに行きたい〟〝こっちに行きたい〟と言う我が儘に付き合っているうちに、いつしか日が暮れ、ようやく目的の場所へとたどり着いた。
『――ついたぞ。まったく、すっかり遅くなってしまった』
『えー』
『えーじゃない』
『おじさん』
『なんだ?』
『魔王なの?』
『!?』
 思わず心臓が跳ねた。

『だっておじさん、いっつも変な力使うんだもん。この前だって、風で木に引っ掛かった俺の帽子、俺が登って取ろうとしたら風が吹いてもないのにふわって浮いて、俺の頭にすぽっと被せてさ。色々挙げたらきりがないけど、今日なんて空飛ぶし。人間には無理だって、そんなの出来るの、魔王くらいだって――シスターが言ってた』
 こっそり力を使っていたつもりが、全部バレてたのか。
 というか、余がやったと何故バレているんだ?……いや待て。なぜそれだけで、魔族かどうかをすっ飛ばして、〝魔王〟断定になるのかわからん。
 内心狼狽え、追及してみようかと思ったが――目が合った瞬間に『へへっ』と、にこにこ、どこか照れたように微笑まれ、どうにもその気が失せた。
 ――仕方ない。
 だが、目が離せぬからといって、これ以上ずっと着いて回るわけにもいかぬし……。

『はぁ。いいか、お前にいいことを教えてやろう』
 余は小僧の目線にあわせてしゃがむと、その頭に掌(てのひら)をのせた。
 魔力をかける為だ。
 大したことはない、ほんのささいなことに。
『余には特別な力があってな。もし何かあれば、紙飛行機を作れ。それを空へと飛ばせば、必ず余の元へと届く。さすれば――』
『ほんと!?』
『……あぁ』
『じゃあ俺、いっつも紙とペン持って歩くよ!』
『言っとくが、他の者には内緒だぞ』
『うん!』
 ……不安だ。
『わかったならいいが、もう無茶はするなよ。それではな』
 そう言って、夜空へ飛び立った。
『またねー! 魔王のおじちゃーん!』

 ――それからと言うもの、余は小僧の様子を見に行くのをやめた。
 何もないのであれば、それでいい。
 だが小僧は、ことあるごとに紙飛行機を飛ばしてくるのだ。
 しかもそれには、必ず何かしら書き込まれていた。
 さっき誰々と喧嘩しただの、今日のお昼はうまかっただの、足が速くなっただの。
 たまに、下手な絵だけの時もあった。
 ――正直、そんなつもりで教えた訳ではないとは思ったが……。

 そして――

「今に至るという訳です」

 魔王が大体の経緯(いきさつ)を話し終えると、東の魔王は『なるほど、そういった経緯(けいい)があったのか』と深く頷く。
 東の魔王は北の魔王のそれなりに長い長い話を文句も言わずにその場に立ったまま、静かにうんうんと頷いてはずっと耳を傾けていた。
 それなりに長い……いや思っていたよりずっと長かったので、今度からは茶菓子を用意して落ち着ける場所で話を伺うとしよう。軽い気持ちで尋ねた私が至らなかったと反省までしていた。
 更には――

「って東の方、何故ハンカチを片手に号泣しておられるので?」
「いや何、実は私も我が国ネーベル森林で同様の事があってな」
「え!?」
「私の場合は女の子だったんだが、城に連れ帰って娘として育てたのだ」
「ぜ、前例があった!?」
「だが、どう育てたらいいか誰にも分からず」
「あぁ魔族は子育てなんてしませんしね」
「そうなんだ。だから仕方無く人間を一人連れてきてな」
 一人ならず二人も!?と衝撃を受けながらある事をはっと思い出した。
 東の魔王は人間の娘がいるどころか人間の王と仲が良く、人間と結婚したうえ、国内(東の国)の魔族と人間の交流を盛んにした事で有名なお方だったと。
 魔王は密かに尊敬の眼差しで瞳を揺らした。

「ただそれが、人間の少年で、あ、いや人間で言うと青年ぐらいの歳だったのか? そこのとこは色々揉めたのだが、どうだったか、うーん思い出せないままはまずいな、ばれたら小言を言われそうだ」
「何故女性を選ばなかったんです」
「腹心のうっかりだ」
「うっかり」
「恥ずかしながら私を含め皆(みな)が子育てと言うものをよく分かっていなかった。赤ん坊が何を主食とするのかも分からぬまま、ただ人間さえ連れてくればなんとかなるだろうと思っていてな」
 東の魔王は多少居心地が悪そうに明後日の方へ視線を泳がせながら、語る。
「まぁそんな感じで色々あったがどうにかこうにか今日まで来た事を思い出して、思わず――すっかり立派に育って本当に、私は……腹心のうっかりがむしろ良かったと言うか」
 東の魔王が気を取り直して穏やかに微笑んだ時、透き通った美声、しかし何処か淡々とした冷たい声が彼の直ぐ後ろからした。

「魔王さま。こんな所にいらしたんですね」
「あぁハクイか、どうかしたか?」
 噂をすればである。
 東の魔王の腹心であるハクイが現れ、魔王は思わずそう思う。
  その男は中性的な顔立ちの美形――いや、美人と言った方が正しいかもしれない。もし彼が女性であれば、〝才色兼備〟という言葉がしっくりくる。
 彼のその容貌は男女共に好意を寄せるものは多い。だが、その美しさからは想像もつかない程の魔力を持つのだ。何しろ東の魔王の右腕で、宰相を勤める男。
 正直魔王はこの男が苦手だった。
 そしてこの者でもうっかりする事があるのかと、そう思った。

 真っ白なローブを身に纏い、城のアーチ上の窓から射し込む僅かな日の光が、その癖のない長く美しい白髪(はくはつ)を照らして日溜まりのように輝く。
 ハクイは二人の元へと近付いた。その紫瞳はどこか怒っている。
「まったく、〝どうかしたか?〟 じゃありませんよ。わたくしの言った事をお忘れですか? 次の会議までにする事が山程あると。なのに貴方ときたらこんな所で油を売って」
「いや、その、なんだ。すまない今行こうとだな」
 おろおろと言い訳を始める東の魔王にハクイは柳眉(りゅうび)を吊り上げる。
「御託はいいです。さぁ行(ゆ)きますよ」
「わ、わかった。だから服を引っ張らないでくれ! く、首がしまっ」
「それでは北の方、失礼いたします」
「す、すまぬ! また機会があれば」
「そんな時間、貴方にはありませんので」
 そんなこんなで二人は瞬く間に去って行った。

 魔王は溜め息をつくと、先程床に舞い落ちた真新しい紙ヒコーキを手に取り、紙を開く。
 そこには――

「……仲間が、帰っちゃった?」

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