33.三位一体の神雷
数々の珍品が飾られ、部屋全体が黄金で彩られた豪華絢爛な"奥座敷"にて、布団の上に寝かせた桃姫の顔をぬらりひょんは白濁した眼で眺め見ていた。
「──んんむ……」
静かに寝息を立てる桃姫の、桃色の長い髪の毛から匂い立つこの世のものとは思えぬ甘い芳香を嗅いだぬらりひょんは、唸り声を上げながら、白濁した眼を細めた。
「……んんん……なんじゃあ、愛おしすぎて……もはや手を出したくない気持ちすら湧いてくるのう」
桃姫の安心しきった穏やかな寝顔を見ていると、今日に至る五年の歳月、桃姫と過ごした思い出の日々が走馬灯のようにぬらりひょんの脳裏を駆け巡った。
「……館に匿い、成長を見護り続けて早五年……わしのことを慕う、あの純粋無垢な笑顔がもう見られなくなるならば──ここらで、手を引いておくべきなのか……?」
ぬらりひょんは自身に問うように言いながら、桃姫に対して背を向けた。しかし、ブンブンと首を大きく横に振ると、再び桃姫の寝顔を見やった。
「──いや、だめじゃだめじゃ……! 何を日和っとるか、わしは……! 夜狐禅があの厄介な"獣女"を地下牢に閉じ込めることに成功したのじゃ……! このような千載一遇の好機は、もはや二度と訪れぬ──腹を決めよ、ぬらりひょん──!」
ぬらりひょんは自身に活を入れると決意を固め、白く濁った眼に熱を込めて布団の上に横たわる桃姫の全身を"心眼"にて見つめた。
そして、桃姫の前にしゃがみ込むと、その節くれ立った両手の指を桃姫の着物に向けてゆっくりと差し伸ばす。
「──すまぬな、桃姫よ……おぬしの初めての相手が、このような老いぼれで……本当に、すまぬな──」
ぬらりひょんが今まさに桃姫の着物に手を触れようとしたその寸前、背後の扉が壮絶な爆音と共に盛大に吹き飛んだ。
「──ナんッ──!?」
ぬらりひょんが驚愕の声を発しながら素早く振り返ると、黄金の稲妻と化した長い髪をバリバリと大気にゆらめかせ、極光する双眸を怒りに燃やした雉猿狗がぬらりひょんのことをギン──と睨みつけて直立していた。
その雉猿狗はもはや、"憤怒の化身"であり、雉猿狗と言われなければ誰なのかもわからないような状態であった。
「──三つ数える内に、桃姫様から離れなさい、外道──」
「……だ、誰じゃ……」
憤怒を込めて声を発した雉猿狗に対して、ぬらりひょんが白濁した眼を見開きながら震える声を漏らした。
「──……三……──」
「……おぬし……」
冷たい声を発しながら"奥座敷"に足を踏み入れた雉猿狗、桃姫の元から立ち上がったぬらりひょんが雉猿狗と対峙すると、眉をひそめた。
「──……二……──」
「……雉猿狗、か──?」
更に歩みを進めた雉猿狗に対して、ぬらりひょんはようやく目の前の神雷に包まれた黄金に光り輝く存在が何者かを把握した。
「──零ッッ──!!」
「──なにいッッ──!!」
発声と共に右手を持ち上げ、人差し指を伸ばした雉猿狗に対してぬらりひょんは声を張り上げると、天井に向かって跳躍した。
次の瞬間、雉猿狗の人差し指から放たれた電撃が、ぬらりひょんが居た場所目掛けて飛んでいくと、寝ている桃姫の体を飛び越えて立てかけられていた黄金の屏風にぶち当たり、四方八方に弾け飛んだ。
「……雉猿狗、おぬし、正気か……!?」
「──それはこちらの台詞でございます。正気ですか、ぬらりひょん──」
天井に逆さまに張り付いたぬらりひょんが声を発すると、雉猿狗は天井にいるぬらりひょんに向かって人差し指を振り上げ、即座に次の電撃を撃ち放った。
「……くッ──!」
歯噛みしてから霞のように消えたぬらりひょん。放たれた電撃が天井にぶち当たって弾け飛ぶと、雉猿狗は黄金色に極光する瞳を細めて姿を消したぬらりひょんの気配を探った。
「──雉猿狗よ。これが長年に渡って居場所を与え続けた、わしに対するおぬしの恩返しか──」
「……ぬらりひょん、私は告げたはずです……桃姫様に手を出せば、あなたの首が奥州の空を飛ぶことになると──」
姿を消したぬらりひょんの言葉を耳にした雉猿狗は、そう告げながらゆっくりと慎重に豪華な"奥座敷"の中央に足を運んだ。そして寝ている桃姫の様子をちらりと窺い見て、まだ何もされていないことを確認して安堵した。
「──抜かすなよ、獣風情が──わしは奥州妖怪頭目……欲するものは皆尽く手に入れてきた──桃太郎の血統もまた然り──」
「──その腐った考え……断固、拒否いたします──ッ──!!」
雉猿狗がぬらりひょんの強い気配を察知してフッ──と右を向いた瞬間、左からぬらりひょんの声が発せられた。
「──おぬしが決めることではないわッッ──雉猿狗ッッ──!!」
「……そこッ──!!」
雉猿狗は、左の天井目掛けて指差すと即座に電撃を撃ち放った──しかし、電撃は空を貫き、誰もいない天井にぶち当たって弾け飛んで消える。
その瞬間、ぬらりひょんは突如として雉猿狗の背後に姿を現し、宙空にて大上段に構えた抜き身の長ドスを絶叫しながら振り下ろした。
「──キェェェェエエッッ──!!」
油断した雉猿狗の背後を取り、瞬速の一撃をその無防備な背中に確実に加えたはずだったぬらりひょん。
しかし、両手で握りしめた長ドスを振り下ろしたぬらりひょんの前に雉猿狗の姿はなく、ぬらりひょんは空を斬ったあとに一回転しながら畳の上に着地して即座に後ろを振り返った。
「──な……にィッ──!?」
そして、雉猿狗の"替わり"に現れた存在を見て、ぬらりひょんは瞠目しながら驚愕の声を上げた。
それは、バチバチ──と激しく明滅する黄金色の神雷を身にまとった極光する犬、猿、雉の姿であった。
「──三獣……じゃ、と」
唖然としたぬらりひょんが声に出した通り、それは桃太郎が引き連れていたお供の三獣、それらが天界で暮らしていた時の"神霊体"としての姿であった。
いずれも全身から極光を放ちながら、白犬は牙を剥き出しにして、茶猿は両手を懸命にこすりあわせ、緑雉は鋭い眼光をぬらりひょんに差し向けた。
「──アォォォオオオンッッ──!!」
「──キィィィイイイッッ──!!」
「──ケェェェエエエンッッ──!!」
次の瞬間、黄金に光り輝く三獣がそれぞれの鳴き声を天界に届く大きさまで一斉に張り上げると、身にまとっていた眩い神雷をぬらりひょん目掛けてバリバリバリ──と撃ち放った。
「──ッ、三位一体ッッ──ということかアぁッッ──!!」
ぬらりひょんはわめくように叫びながら後方に向けて跳躍するが、三方向から追尾するように飛来してきた強烈な神雷に対して逃げ場などはなく、三方向から同時に浴びるように神雷を受けると、宙空で全身を激しく感電させた。
「──ギャアアアアアアッッ──!!」
神雷の直撃を受けて甲高い悲鳴の絶叫を発したぬらりひょん。三獣が放った神雷をその体に浴びきり、ようやく畳の上に激しく落下して倒れ込むと、体の節々からプスプスと白い煙を立ち上げた。
「──が……があ……ぐ……うう……」
顔を畳に伏せたまま、ぬらりひょんは苦悶の声を漏らした。
「──まだ、私と戦いますか──?」
ひどく冷たい声。ぬらりひょんは顔を上げると、自身を見下ろす雉猿狗と目を合わせた。
三獣の姿から雉猿狗の姿へと戻ったその身体は、まとっていた黄金色の神雷が解かれて、髪は銀髪、目は翡翠色に戻っていた。