34.真眼ぬらり
「──よかろう……雉猿狗──」
畳の上に倒れ伏したぬらりひょんが声を発すると、雉猿狗に向かってにんまりとした不気味な笑みを浮かべた。
「──なにゆえ……わしが奥州妖怪頭目であるのか──"神"を気取りし、獣の身に……思う存分、叩き込んでくれようぞ──」
ぬらりひょんは低い声でそう告げながら、雉猿狗に向けていた白濁した両眼をゆっくりと閉じる。
「──真眼妖術……真眼ぬらり──」
ぬらりひょんが唸るような声でそう唱えると、大きなハゲ頭の額に紫光する四つの"真眼"をカッ──と見開いた。
「……ッ──!」
"この眼を見てはいけない"──瞬時にそう察知した雉猿狗は、咄嗟にぬらりひょんから顔を逸らして翡翠色の瞳を閉じた。
その瞬間、焼け焦げる血肉の悪臭が雉猿狗の鼻を突き、不穏な熱風が全身に吹き付けた。
「──ッ、こ……ここは……ッ」
猛烈な不快感から思わず目を見開いた雉猿狗が驚愕しながら声を漏らした。目の前に広がっている光景、それは間違いなく、"あの夜"の花咲村であった。
辺りを見渡した雉猿狗は、燃え盛るやぐらの前の血溜まりに倒れる一人の男の姿を見るや否や、叫びながら駆け出した。
「……御館様ッッ──!!」
雉猿狗は右肩を失った桃太郎の前に駆け寄って座り込むとその上体を持ち上げた。すると、桃太郎が濃桃色の瞳から光を失った目をうっすらと開いた。
「……三獣、なのか……?」
「──はいっ、御館様……! ああ、御館様……!」
力ない声で尋ねる桃太郎に対して、雉猿狗は涙を流しながら頷いて返した。桃太郎は今にも死に絶えそうな青ざめた顔色で雉猿狗に向けて口を開いた。
「……なぜもっと……早く、来てくれなかった……」
「……っ──!」
「……私の祈りが……足りなかった、のか……」
苦悶の表情で告げる桃太郎に対して、雉猿狗は首を横に振りながら懸命に否定した。
「──違いますッ! ──御館様の祈りは、確かに天界まで届いて……!」
「……残念だ……」
雉猿狗の腕に抱かれた桃太郎はそう呟くように口にすると、絶望に顔を歪めながら事切れた。
「──い……いや……! 御館様っ……! ……御館様ァッ──!!」
雉猿狗は桃太郎の亡骸を腕の中で揺らしながら何度もその名を叫んだ。その時、か細い声が雉猿狗の耳元に届いた。
「……父上……」
「……ッ──!?」
雉猿狗がハッ──として声のした方を見やると、幼き日の桃姫が雉猿狗が抱きかかえる桃太郎の亡骸を目にしながらその小さな体を震わせ、父親譲りの濃桃色の瞳から急速に光を失っていく。
そして、手にしている〈桃月〉を強く握りしめると、雉猿狗が制止する間も与えずに、有無を言わさず自らの喉に向かって突き立てた。
「──桃姫様ッッ──!!」
叫んだ雉猿狗が立ち上がって桃姫に向かって駆け出すもしかし、桃姫の喉に〈桃月〉の刃は深々と突き刺さり、桃姫はその場に膝から倒れ込んだ。
「──嫌ッ! ああッ! 桃姫様ッ──! ──嗚呼ああッッ!!」
悲痛な金切り声の叫びを発しながら、地面に跪いて、息絶えた桃姫の小さな体を抱き上げた雉猿狗。
やぐらの前に倒れた桃太郎の瞳が、泣き叫ぶ雉猿狗を責めるように見つめ、冷たくなっていく桃姫の瞳が責めるように雉猿狗を見つめた。
「──嗚呼っっ!! いやァァァあッ!! アアアアアッッ──!!」
喉が張り裂けんばかりに赤く燃える夜空に向けて絶叫する雉猿狗。その背後の暗闇に、雉猿狗の後頭部を睨みつける四つの紫光する真眼がヌボォ──と浮かんだ。
「──いま、楽にしてやろう──雉猿狗──」
暗闇に身を潜めたぬらりひょんが低い声でそう告げると、雉猿狗の後頭部に向けて、右手で構えた長ドスの刃をシュッ──と風切り音を立てながら突き出した。
「──…………──」
しかし、雉猿狗はその一撃を難なく無言でかわすと、突き出された刃を右手で掴み取る──その瞬間、花咲村の幻影がかき消えていき、雉猿狗を包んでいた景色が燃える花咲村から奥座敷へと戻っていく。
「……な、にっ……わしの真眼妖術が、見破られた──!?」
大きな額に光る紫色の真眼が次々と閉じられていくぬらりひょん。変わりに白濁した両眼を見開いて驚愕しながら声を上げると、刃を握った雉猿狗がゆっくりとぬらりひょんに振り返って口を開いた。
「──さっきから、すえ臭いニオイがしてんだよ……ジジイの悪臭が、ぷんぷんと──」
「……なっ──!?」
雉猿狗が自分の手が切れることなどお構いなしに、ドスの刃を力強く握りしめると翡翠色の瞳に黄金の波紋を走らせながら憤怒の形相を浮かべた。
「──嫌なもの見せやがって……!! ──このうすら外道がッッ──!!」
「……がッ……!? ──ギャァァァアアアアアアアアアアッッ──!!」
激昂した雉猿狗の全身から放たれた黄金色の神雷が、握りしめた長ドスの刃を伝ってぬらりひょんに感電し、その体を芯から焼き焦がしていく。
「──ぬッ、ぐぐぐ……! ──離れ、んッ──!!」
右手で握りしめた長ドスの柄を手放そうとぬらりひょんはもがくが、感電した筋肉が強張ってしまい手放すことが出来ない。
むしろ、離そうとすればするほど更に強く握りしめてしまい、より強く雉猿狗が迸らせる怒りの神雷に感電する始末であった。
「ぐッ……やむを得んッ! ──ぬンッッ──!!」
ぬらりひょんは自身の左手の指先に力を込めて手刀を作り出すと、勢いよく手刀を振り降ろし、自身の右腕をザッ──と切断した。
「……ガハッ──! がはぁっ……!」
右腕を切断したことにより、感電する長ドスから解放されたぬらりひょんが畳の上に落下すると、左手で右腕の切断面を抑えながら激痛にうめいた。
「──おい、腐れ外道。まだやるか──?」
「ひ……ひぃ、雉猿狗……っ」
雉猿狗はぬらりひょんの切断された右腕を放り投げ、稲光をまとった長ドスを構えるとその切っ先をぬらりひょんに向けながら憤怒の形相で告げた。
「──"様"をつけろよ、デコ助ジジイ──」
「ッ、雉猿狗……様……! 参りました……参りましたぁ……!」
「──次は"殺す"からな──」
ぬらりひょんは激昂する雉猿狗に対して平身低頭の土下座をすると、雉猿狗は長ドスを黄金の屏風に向けて放り投げ、昇り龍の目に深々と突き刺した。
そして、深く息を吐いて全身にまとっていた黄金色の神雷を霧散させると、いまだ布団の上で眠る桃姫に駆け寄った。
「──桃姫様……! 桃姫様、ご無事ですか……!」
「……ん……んん? 雉猿狗……?」
桃姫の体を揺すって声をかけた雉猿狗。ようやく目を覚ました桃姫は寝ぼけ眼で雉猿狗の翡翠色の瞳を見た。
「……桃姫様。この館を離れる時が訪れたようです」
「……え……?」
状況がわかっていない桃姫は声を上げるが、雉猿狗は構わず桃姫の手を掴んで立たせて歩かせた。
そして、奥座敷の畳の上で土下座するぬらりひょんの姿を発見した桃姫が声を上げた。
「え、なんで……? なんでぬらりひょんさん、土下座してるの……?」
「──お気にならさらず」
「……え……え……?」
桃姫は雉猿狗に連れられるがまま自室に行くと、荷物をまとめて出ていく準備を整えさせられた。
──丁度その頃、奥州の森を行く騎馬隊の姿があった。
隊列は伊達家の家紋が描かれた旗を掲げており、先頭を行く白と黒の見事な毛並みの二頭の馬に乗った二人が会話をしていた。
「父上殿、ぬらりひょんというのはどのような妖怪でござるか?」
黒い馬に乗った黒髪を一つに縛った活発そうな見た目の年若い女武者が声を発した。
「ろくでもない妖怪だ。奥州妖怪の統制に役に立つと思って生かしておいたが、今回でその関係も終わりかもしれんな」
白い馬に乗った三日月の飾りを付けた黒兜をかぶった眼帯をつけた男の武者が馬上で腕を組みながら言った。
「父上殿は、ぬらりひょんに勝てるでござるか?」
女武者が言うと、男の武者はにやりと不敵な笑みを浮かべたあとに前方に見えたぬらりひょんの館を指さした。
「──勝てぬなら、燃やすまでだ」
指さされた館の玄関では荷物をまとめた雉猿狗と桃姫が、夜狐禅に別れの挨拶をしていた。
「お世話になりました。夜狐禅様」
「雉猿狗様……本当に出て行かれるのですか……」
「…………」
夜狐禅は言うと、雉猿狗の沈黙を受けて目を伏せた。
「すみません……僕はお二人を引き止められる立場ではありませんよね……」
「──夜狐禅……! 止めろ! 桃姫と雉猿狗を館から逃がすな……!」
「……頭目様」
長廊下の向こうから杖をついたぬらりひょんが声を荒げながらやってくると夜狐禅は呟くように言った。
「わしの許可なく館から出ていくことは許さん……! 断じて許さん……!」
「……ぬらりひょん様、まだ"御理解"頂けていないようですね──」
雉猿狗が冷めた目と声音で告げると、ぬらりひょんは繋げた右腕の接合部分を左手で撫でながら喚き散らした。
「理解もクソもあるか……! この館はわしの館じゃ……! 入館するも退館するも館主であるわしの許可が──」
「──確か、夜狐禅様も館の扉を開けられるのですよね?」
ぬらりひょんを無視して雉猿狗が夜狐禅に尋ねると夜狐禅は頷いてから口を開いた。
「はい、雉猿狗様」
「では、お願いします。開けてくださいませ」
「はい」
雉猿狗にうながされた夜狐禅は館の玄関に立つと大扉に手をかけた。
「これェッ!! 夜狐禅!! おぬし、なぁにをしとるか!! おぬしの奉公人は誰だと心得ておるのかッ! わしの言う事を聞かんかァッ──!!」
ハゲ頭に太い血管を浮かべたぬらりひょんが叫ぶと、夜狐禅は静かに口を開いた。
「頭目様……いまの頭目様の醜いお顔は、僕を悪事に用いた伊達の役人によく似ています──そのような頭目様を、僕は見たくはありません」
「……ぬッ……! ぬぅ……!」
夜狐禅の言葉を受けたぬらりひょんは二の句が継げなくなり、しかめっ面を浮かべた。
「……では、扉をお開けします」
そう言った夜狐禅が扉に手をかけたその時、扉の向こう側から男の大声が発せられた。
「──ぬらりひょん! ぬらりひょんはおるか──!!」
「……っ!?」
よく通る大きな声を聞いたぬらりひょんが白濁した眼を見開いてあんぐりと口を大きく開いた。
「──この館に、人間のおなごがおるという噂が近隣の村で立っておるッ! ぬらりひょん! きさま、人間の女には手を出さないと、俺に固く誓うたよなぁッ──!?」
「あ、ああ……! 政宗じゃあ……! "独眼竜"、伊達政宗じゃあ……! よりによって……こんな時に! こんな時に……やって来るとはぁっ……!」
ぬらりひょんはガタガタと震えながら"伊達政宗"の名を叫ぶと、すがるように杖を固く握りしめた。