6 治療開始②
案内された琢磨のマンション。綺麗な部屋を、感心しきりに胡桃が見回す。
「へぇ~、部長って綺麗好きなんですね」
「別に、散らかる理由がないだけだ」
「男の人の1人暮らしって、もっと荒れていると思ってました」
「そもそも1人暮らしの男の部屋に転がり込んでくるなよ……」
「1人暮らしの女の人にも、当てがないですし、隠れてホストやってる部長に遭遇して、今日はラッキー的な、ははっ」
「ラッキーじゃないだろう、ったく。洗面所はそっち、白浜はこの部屋を好きに使っていいから」
広いリビングを通り抜け、空いている部屋の扉を開けるとそう告げた。
「わぁ~、おっきいベッドがある~」
一目散に駆け寄り、ばふっとベッドにダイビングする胡桃を見て、呆れながらに琢磨が忠告する。
「隣にある俺の部屋には、勝手に入ってくるなよ」
「はは~ん、寝込みを襲われると思ってるんですか? ははっ、行きませんよ」
「あっそう。それは助かるな」
(マジで酒癖悪いな。早く出て行ってくれないか)
◇◇◇
翌朝──。
琢磨が自分の寝室から出ようとして扉を開けると、その真ん前で胡桃が土下座しているではないか。
それを見て、驚きを隠せない琢磨が怪訝な口調で尋ねた。
「白浜はそこで何をしてるんだ?」
「数々の非礼のお詫びを申し上げようと、こうして部長を待っておりました」
「くくっ、昨日の記憶は残っているのか」
「はい。忘れ去りたいほどのとんでもない言動の数々を、残念ながら全て覚えておりまして……。もう、死んでしまいたいくらい情けないです」
「ずいぶんと大袈裟だな。白浜にはちょうどいい中間というものがないのか?」
「タガの外れた私のことを、殺してやろうと思ったのですが、ちり一つ落ちていない綺麗な家を汚すわけにもいかず、死に切れませんでした……」
「おい……。別に怒ってないからそこまで気にするな」
部屋が汚れていたら、死んでいたのだろうかと突っ込みを入れたい琢磨ではあるが、真っ青な胡桃には、そんな冗談が通じるように見えない。
ここは無難に気持ちを静める方が先決だろうと思う琢磨が穏やかに宥めると、胡桃が不思議そうな顔をした。
「え? あんな失態を許してくださるんですか?」
「仕事じゃあるまいし、昨日の夜のことなんて失敗のうちに入らないだろう」
「いいえ、影山部長に偉そうなことばかり申し上げて、人生最大級の失敗です」
「別にプライベートなことで、いちいち目くじら立てないって」
「ですが、何も知らず、20万もするお酒を頼んでしまい、影山部長に借金までしてしまって」
「いいって、あのドンペリは、はじめから受け取るつもりのなかった俺のギャラで帳消しにしてもらったから」
「で、でも……」
「白浜が頼んだ酒代なんて、俺は痛くもかゆくもないし忘れろ」
「いいんですか?」
瞳を潤ます胡桃を見ていた琢磨だが、部屋を出たときから気になっていたため、キッチンの方を見やり、くんくんと部屋の匂いを嗅ぐ。
「何か作ったのか?」
「あ、すみません。勝手にキッチンをお借りしました」
「自分が暮らす家なんだし、いちいち俺の承諾はいらないだろう」
「もしかして、本当に私を置いてくれるんですか?」
「死にそうな顔の白浜を追い出して、何かあったらあと味が悪いからな。それに、部屋が見つかるまで置いてやる約束だろう」
「か、影山部長〜」
涙を流す胡桃を見て、琢磨が苦笑いする。
「だけど、キッチンに何もなかっただろう」
「はい。だから普段あまりちゃんとしたものを部長は食べてないのかと心配になって、早朝から開いてるスーパーへ行って来ました」
「わざわざ俺のために?」
「はい。いつもの癖で2人分作ってしまったので、たくさん召し上がってください」
「ははっ、なんで俺が1人で2人前も食べるんだよ。違うだろう」
「では、お昼の作り置きとして」
「なんでそうなるんだよ、こういうときは素直に言えって」
「あ、あ、あ……」
どもる胡桃。
「一緒に食べよう、だろう」
ぴたりと涙の止まった胡桃が、にっこりと笑う琢磨のことを見つめる──。