8 いびつな2人の買い出し
琢磨と朝食を摂っている最中に、胡桃のスマホの着信音が鳴った。
誰だろうと思って画面を見れば『秋野琴音』と表示されている。
胡桃とルームシェアをしていた友人からの電話で、連絡するタイミングを見計らっていた胡桃としても、望んでいた連絡である。
「ルームシェアをしていた友だちから電話なので、ちょっと失礼しますね」
そう言った胡桃が席を立った。
「ああ」と発する琢磨の声を聞いた胡桃は、スマホを握り食卓テーブルから少し離れた所で会話を始めた。
その胡桃の背中を琢磨が静かに見つめる。
(若い女子社員を家に住まわせるなんて、俺としたことが、同情しすぎだな。何をやっているんだよ。万一、会社のやつらに知られたら、まずいよな……)
胡桃が電話に夢中のため、一人でいる感覚に陥った琢磨が冷静になると、深いため息をついた。
◇◇◇
一方、胡桃の電話は、応答するなり秋野琴音の声が聞こえてきた。
「ごめんね胡桃! ちゃんと生きてた⁉」
「琴ちゃんってば大袈裟なんだから」
「急に部屋を探すのは大変だろうから、心配になってさ」
「それがね、会社の人の所でしばらく暮らすことになったんだ」
「本当に! 良かったぁ~」
「まあね」
あまり事情を伝えられない胡桃が、適当に笑って返した。
「胡桃のことだから、一人で路頭に迷ってんじゃないかって、心配してたんだよ」
「昨日の夜、偶然会って拾ってもらったの」
「胡桃みたいにぼんやりしていたら、そりゃぁ~ほっとけないかぁ~」
安堵の息を漏らす琴音が言った。
「部屋に置いてきた荷物なんだけど、いつ取りに行ったらいいかな?」
「今日だったら、彼氏は午後から会社に行くし、来てくれてもいいけど」
「わかった。昨日のうちに荷物はまとめてあるし、あとで行くね」
穏やかに話す胡桃が電話を終えると、再び食卓へと向かう。
「白浜とルームシェアをしていた友人からか?」
「はい。荷物を取りに行くことになりました」
「それなら俺も手伝うよ」
「いえいえ、影山部長にこれ以上のご迷惑はかけられませんし」
「買い物のついでだろう。いいって」
「で、ですが……」
「こういうのは素直に頼るものだぞ」
「で、では……お言葉に甘えて、よろしくお願いします」
おどおどしながら琢磨に返答した。
◇◇◇
琢磨の車の助手席に、ガチガチに緊張する胡桃が乗っている。
2人きりの狭い空間で何を話してよいのかわからないため、拍車をかけて落ち着かない。
そんな感情を誤魔化そうと、信号待ちで停車中に窓の外を見ると、隣の車線で同じく停まっている車の運転手と目が合った。
そのまま見ず知らずの人を見ているわけにもいかず、琢磨の方へ視線を向ける。
(うぅ~う。この車、乗っているだけで凄く目立っていて緊張するんだけど)
車高の低いスポーツカーに乗せられ、額に汗を流す胡桃とは裏腹に琢磨は涼しい顔をしている。
「買いたいものは決まったのか?」
「できれば食器類を見たくて」
「悪いな。うちには何もなかっただろう」
「今までどうしていたんですか?」
「元妻が気に入ったものを集めていていたんだが、離婚したときに彼女が持っていったからな。どうせあまり食器も使わないから、今日まで困っていなかったんだが」
平皿しかなければ困るよなと考える琢磨と胡桃は、食器や調理器具を扱う雑貨店へ向かうことになった。
◇◇◇
胡桃にとって男性と並んで歩く経験というものは、ほとんどない。
もしもあるとすれば小学生くらいの記憶に遡りそうなものだ。
ルックスの整った琢磨の横に地味な自分がいることに恥ずかしくなりながら、彼について歩く。
お洒落な雑貨店にいても、琢磨は一際目立ち、一緒にいる胡桃は、見ず知らずの女性たちからやけに睨まれる。
(影山部長って本当にモテるのね。私とは住む世界が違うというか、価値観が違うというか。この先大丈夫かな……)
不安げな表情の胡桃が、琢磨に弱々しく確認した。
「部長……このスープボウルかわいいですね。少し高いですけど、買ってもいいですか?」
(たかが千円だぞ。元妻はもっと高いものを平気で買っていたが、普通はこんな感覚なのか?)
そう思う琢磨は、胡桃が手に持つサラダボウルに視線を向けた。
「本当だ。使いやすそうだな」
「でもちょっとお値段が高いので、他のも見てから決めますね」
「お金のことは白浜が気にしなくていいから、欲しいなら買って行こう」
余計な遠慮をするのをやめた胡桃が、スープボウルを2つ手に取った。
すると、琢磨が言いにくそうに付け加えた。
「もし買っていくなら、食器は全て4つで揃えて欲しいんだが」
「どうしてですか?」
「悪い……。1組で揃えていると、2人暮らしという感じが強くなるから、ちょっとな……」
琢磨は言葉を濁す。
居候である自分と同棲という雰囲気が出るのが嫌なのだろう。そう察した胡桃が、にこっと笑う。
「そうですね! 4つくらいあった方が、後々誰かを招くときにも使いやすいですよ」
助かると納得する琢磨から「茶碗もいるんじゃないか」と提案され、楽しい買い物の時間は続く。
必要なキッチングッズを買い揃えたころには正午を過ぎていたため、胡桃がルームシェアをしていたマンションへと向かうことになった。
◇◇◇
胡桃が元々暮らしていたマンション。懐かしいというほど空けてもいない秋野琴音の部屋を訪ねると、待ち構えていたかのように出迎えてくれた。
「待ってたよ~。って、あれ? 胡桃だけじゃなかったのね」
瞳を瞬かせる秋野が、胡桃の横にいる琢磨に釘付けになっている。その姿に気づいた胡桃が琢磨の立つ側に手を向けた。
「えっと、こちらは一緒に暮らすことになった会社の人で」
「はじめまして。影山です」
「あ、あ、え~と、胡桃の友人の秋野琴音です」
「荷物を運ぶのに、俺も家の中に入っても大丈夫だろうか?」
「あ、はい、今見えている扉の右側に荷物は全部まとまってますし」
「うん、わかった」
にこっと笑う琢磨を見て真っ赤になる秋野琴音には目もくれず、おじゃましますと発した琢磨は、すでにまとめられている胡桃の荷物を運ぶために、その場を離れた。
すると、すぐさま興奮気味な秋野が事情を教えろと言わんばかりに食いついてきた。
「ちょ、ちょ、ちょっと、待ってよ! 今のイケメン何者? もしかして胡桃の彼氏とか?」
「まさかそんなわけないよ~」
「だって一緒に暮らすんでしょう」
「普通に会社の人って関係だよ」
「絶対に彼女の座を狙った方がいいって。あんなイケメン、その辺にいないよっ!」
「ははっ、琴ちゃんって面食いなんだね。そもそも彼は私のことなんか恋愛対象外だし、私もまったくタイプじゃないからね」
「え゛え゛~、意味わかんない。8万のGARAの新着ジャケットをさらっと着こなす男にときめかないっていうの⁉」
「ふふっ、あのジャケットそんなに高いんだ。そんなことを聞けば、なおさら自分には関係ない人だなって思うけど」
胡桃が見てもさっぱりジャケットのことは、微塵もわからなかったのだが、さすがアパレル関係で働くだけあるなと、目ざとい秋野に感心した胡桃がくすくすと笑って言うと、白い目を向けられた。
「胡桃のその感覚……私にはちっとも理解できないんだけど⁉ 目の前に良い男がいたら、狙うでしょう、普通」
「琴ちゃんってば誤解しないでよ。私は本当に部屋を借りているだけだから」
そんな会話をしていると、琢磨が段ボールを抱え、肩にはボストンバックをかけて戻ってきた。
「荷物はこれだけでいいのか?」
「あ、ボケッとしていてすみません。それだけなんです」
そう言って琢磨から荷物を受け取ろうとしたが、ひょいっと躱された。
「ははっ、気にするな。これくらい1人で運べそうだ」
用事の済んだ部屋を出る際、にこっと琢磨が琴音に笑いかけ、思わず失神しそうになるが、胡桃は全く気にせず横を歩いていた。
「思ったよりも少ないんだな」
「仕事の日はブラウスとスカートがあれば十分ですし、あとは普段着が何枚かあれば十分なので」
「うちは付き合いのパーティーが多いんだぞ。近々、専務の息子さんの結婚式に呼ばれていただろう」
「影山部長……。それってドレスを買った方が良いってことですか」
「まあ、そうした方が無難だろうな」
「結婚式に間に合うように、パーティー用のドレスを新調しておきます」
「そうしておいた方が、無難だろうな」
「貯金をしたいのに、痛い出費ですね」
ガクッと肩を落とす胡桃を見て、琢磨がくつくつと楽しそうに笑っていた。