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第145話 新たな『支援者』

「興味深い言葉ですね。今の東和のこの窓から見下ろす街に生きる人達にはそれはある意味当てはまっていることなのかも知れませんね。彼等にとっても『命は遼州より重い』と言う言葉がしっくり来そうですから」 

 男は微笑を浮かべながらようやく菱川達の座るソファーに近づいてきた。

「陛下。あなたが直接お見えになるとは正直思いませんでしたよ。あなたはもう少し慎重なお方だと思っていました。しかし、会ってみると大胆さも兼ね備えているようだ。さすがに人の上に立つ生まれを持った方は違うものだ」 

 菱川の言葉に聞き飽きたと言うように北川が顔を背けた。だが、その隣に陛下と呼ばれた男が座ろうとしているのを見ると、北川は跳ね上がるようにして桐野の隣に寄っていった。

「あらゆる可能性を排除しないのが経営の極意と言うのはあなたの本の中だけのお話ですか?別に生まれなど関係ない。組織を運営するのはすべて経営だと考えますがいかがでしょうか?そうなれば私も経営者です。経営者は常に現場の最前線に目を向けないといけない。時にはリスクを冒すことも恐れてはならない。違いますか?」 

 陛下と呼ばれた長髪の男は静かに座り、長い足を組んだ。二人は黙ってお互いを観察していた。その沈黙に区切りをつけたのは大きな菱川のため息だった。

「下手に腹を探り合うのも時間の無駄ですね。単刀直入に言いましょう。いくつかこちらからご紹介させていただいた商品はお気に召さなかったと聞きましたが……いったい何をお望みなんですか?あなたにはカーン氏から振り込まれた相当額の資金がある。こちらの提示した金額は安すぎるくらいだと言われると私は思っていたのですが」 

 そう言うと二人の間にあったテーブルの上に立体映像が映る。戦闘ロボットでありグループ会社の菱川重工業が誇るシュツルム・パンツァーのデモンストレーション映像、人工臓器などの埋め込み手術の画像、グループ証券会社の社章。数十の画面が選択可能状態であることを表すように点滅を始めた。

 だが、陛下と呼ばれた男は静かに首を横に振るだけだった。北川はそれを見て下品な笑みを浮かべながら口を開いた。

「そちらの提示する値段では陛下はお買い上げになるつもりは無い。そう言うことですねえ」 

「ほう?こちらがあなた方の足元を見ているとおっしゃりたいのですか?それは大変な誤解ですよ。私達も東和建国以降。地道に商売をして研究資金を稼ぎ、適切な投資と技術の研鑽によって今の地位を築いたわけですから。その結果手にした技術を実績の無い新たな顧客に捨て値でものを売ると言うのは……」 

 そこまで菱川が言うと桐野が陛下の方に顔を向けた。その殺気に一瞬顔をしかめる菱川だが、すぐに平静を取り戻した。それを見て微笑みを浮かべながら陛下が目の前に下りてきた前髪を掻きあげた。

「今日は買い物に来たわけでは無いんですよ。なにしろ私は商売には疎いですから。いわゆる相場、値段。そう言うものを見極めに来たというところですね。そして場合によっては私達もあなたがたが裏で行っている取引に加えていただきたいと言うご挨拶に来たわけですよ」 

 そう言って陛下は笑った。その表情に今度は確実に驚いた表情を浮かべた後、菱川は静かにテーブルの上の画像を消した。

「ご謙遜を……あなたの長い人生でこういう場面に出会ったことは少なくないんじゃないですか?それに裏で取引とは……うちの社訓には順法精神をもって仕事に臨むべしという一文もあるくらいですからね」 

 菱川の言葉に陛下は静かに笑顔を浮かべるだけだった。

「なるほど、嵯峨惟基があなたを味方に引き入れたいと思っている理由が良くわかりますよ。あなたは決して無駄なことは話さない。ただ利益だけを見つめている」 

「それも褒め言葉と取らせてもらいますよ。企業にとって利益はすべてに優先する命そのものです」 

 見詰め合う陛下と菱川。桐野と北川は黙って二人を眺めていた。

「正直に申し上げましょう。私には手札が少ない。手持ちのカードだけでは嵯峨惟基がはじめたカジノにベットするには足りないようでしてね。来場者が一杯だと言うことで参加する資格が無いとはねられてしまう」 

 自嘲的な笑みが陛下の長い前髪の間から覗く様に、菱川はひやりとしながら笑みを絶やさないことだけを心がけていた。

「一番いい手札は嵯峨惟基の手元に揃っていますね。誰もが彼の次の動きが気になって、何とか使える手札を集めるのに必死の形相を浮かべている。そう言う私もその一人ですが」 

 そう言って長髪の男は足を組みなおした。

「確かに自分自身が十分切り札だと言うのに茜という娘、クバルカ・ラン中佐、そしてやり手のハッカーまで抱え込んでいる嵯峨惟基の優位はしばらく揺るぎそうには有りませんね」 

 静かに菱川は頷いた。その表情は現状に満足しきっていると言うような笑顔に満たされていた。

「わかってるじゃないですか。そしてその背後には最新鋭のシュツルム・パンツァーを供給している菱川ホールディングスの姿がある。つまりあんただ」 

 北川の遠慮の無い言葉に菱川は頭を掻いて笑った。

「私は商売人ですよ。勝ち馬に乗るのは当然のことでしょう」 

 そんな菱川の一言に北川はムッとした顔をした。しかし彼も陛下と呼ばれた男の一にらみで黙り込み、北川はむくれたようにそのままソファーにふんぞり返った。

「その勝ち馬を育てたのはあなたじゃないですか?ただ、あなたとしては勝ち馬が次第に増長してきたのが気になる。だから私と会うつもりになった……」 

 そこまで陛下と呼ばれた男は言うとそのまま窓に目をやった。夕日がビルの中に沈もうとしている。その朱色の世界を表情一つ変えず見つめた。

「まあいいでしょう。とりあえず私とあなたが顔を会わせたことに意味がある。それだけでも実に有意義なものでしたよ」 

 話を切り上げようと陛下は立ち上がった。飼い主の様子を見て北川と桐野も立ち上がった。

「できれば裏口からお帰りいただけますか?この出会いを不幸なものにしないために」 

 座ったまま三人を見上げる菱川の言葉にたまりかねたように飛び出そうとする北川の肩を陛下が叩いた。

「お気遣いありがとうございます。何しろ私達は後ろ暗いところがありますからね」 

 そう微笑むと陛下と呼ばれた男、『廃帝ハド』は呼び鈴に対応してドアを開いて現れた女性秘書の招きに応じるように歩き始めた。

「『廃帝ハド』……まだあなた方が表に出る転回点には遠いんですよ。とりあえずネオナチと『特殊な部隊』の戦いが終わってからいらっしゃい。そうしたらお安くご入用の品をお届けに伺いますよ」 

 一人になった菱川は三人の客が座っていたソファーを見つめながら、一言そう言って笑って見せた。

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