第65話 話をややこしくする『駄目人間』
「行こうか。今日は貴様が寝坊したから時間が無いんだ。急ごう」
カウラは更衣室から飛び出してきた誠にそう言うと廊下を進んでいった。後ろからついてきたかなめは頭の後ろに手を当てて面倒くさそうにそれに続く。誠はただ愛想笑いを浮かべて二人から少し距離を置いて続いた。
「よう、なんだか忙しそうだな」
声をかけてきたのは部隊長の嵯峨だった。全く無関心を装っているその顔の下で何を考えているのかは誠の理解の範疇を超えていた。
「叔父貴か?かえでの奴に変な期待持たせたのは?アタシがセレブと一緒に夜会を過ごすような柄じゃねえことは叔父貴が一番知ってるだろ?何をかえでに吹き込んだ?言ってみろ、怒らねえから」
かなめはその第六感で、かえでの主催の夜会の提案者がほかならぬ嵯峨であることを見抜いていた。
「え?何を。ただ、俺はクリスマスと言ったら甲武では舞踏会が盛んだねってかえでと世間話をした程度だよ。東和のクリスマスって本当にイベントの一つも無くて味気ないじゃん。ああ、俺の良くソープはクリスマスになるとそれはそれは見事な仮装で迎えてくれるんだ。東和でも風俗業界だけはクリスマスと言うものをちゃんとわかってる。その点、俺は幸せ者だな」
かなめの言葉に嵯峨は話をすり替えて誤魔化そうとした。だが誠もカウラも彼がかえで主催の夜会に関して多くの情報を持っているのだろうと想像していた。かなめもただニヤニヤとした笑みをすぐに回復する叔父の顔を見て諦めて再び歩き出した。
「それが余計なお世話だって言うんだよ!それでかえでが妙な期待を持つようになったんだ。アタシは昔から貴族が集まる舞踏会は大嫌いで数回しか出てねえ。そのことを何でアイツに知らせない!」
かなめはかえでに変な期待を持たせる原因を作った嵯峨を責め立てるようにそう言った。
「それはまあ、俺もその舞踏会でかみさんをひっかけた部類の人間だもの。俺は意外とそう言うイベントごと好きな質なんだ。だから、血縁上は従妹にあたるかなめ坊にもそう言う遺伝子が有るんじゃないかと気を回したの。俺って気が利くでしょ。まあ、かえでの夜会を断るにしても、ちゃんと真正面から断ってやんな。人間関係は大事だよー。がんばってねー」
嵯峨は無責任に手を振って隊長室に戻った。その語調がさらに気分を押し下げた。
「叔父貴の野郎。遊んでやがる。何が舞踏会でかみさんをひっかけた部類の人間だ!引っかかったのはテメエの方じゃねえか!叔父貴のかみさんは『社交界の華』とか呼ばれて舞踏会に行っては男をお持ち帰りしていたとんでもねえ女だ。そのお持ち帰りされた一人がでかい面するんじゃねえ」
かなめは『社交界の華』と呼ばれる一方、舞踏会に出ては男を漁る誰とでも寝る女だった嵯峨の死んだ妻、エリーゼの事を恨んだ。
「まあ、あの人はああいう人だからな。それに西園寺のパーティー嫌いは日野少佐も知っていたはずだ。さらに何か余計なことを隊長は日野少佐に吹き込んだに違いない。去年はクリスマスなんてなんのイベントも無かったから西園寺が寂しがっていたとか、そう言うデマを吹き込むくらい隊長には息をするようなものだ」
かなめとカウラはそう囁きあった。そして二人の前に実働部隊の詰め所の扉が立ちはだかった。
中には憂鬱に囚われたかえでが待っている。その事実を前に二人は振り向くと誠に手招きした。
「え?」
不思議そうに二人に近づく誠だが嵯峨のニヤけた顔を思い出して少し下がった。
「男だろ?先頭はお前だ。『許婚』としての責任だ。行け」
「西園寺さん。それは関係ないでしょ。どうせ入らなきゃならない詰め所なんですから一緒に入りましょうよ」
誠の言葉にかなめははたと気づいた。カウラはドアから離れて誠の後ろにつけた。そして二人はハンドサインで誠に部屋への突入を命じた。
「じゃあ、貴様が入って3分後に私達が順番に入る。それなら問題ないだろ」
そうカウラに言われてしまうと逆らうことは出来ない。頭を掻きながら誠は実働部隊の詰め所に入った。
「おはようございます!」
さわやかに。そう自分に言い聞かせて部屋を眺めてみた。実働部隊の部隊長の席にはちょこんとランが座って端末の画面をのぞきこんでいた。
「はえ―じぇねーか」
ランは引きつった笑みを浮かべながらそう言った。
沈黙が機動部隊詰め所に舞い降りた。
「遅くなりました!」
今度はカウラが入ってきた。ランはすぐに早く席に着けというハンドサインを送った。せかせかと急ぎ足で自分の席に着いたカウラも端末を起動させた。その隣の第二小隊小隊長席のかえでは明らかに敵意の目でカウラをにらみつけていた。誠はそれをあえて無視して自分の席の端末を起動させるスイッチを押した。
誠はセキュリティーを確認した後、ランに限定してコメントを打ち込んだ。そしてランを見てみると元々にらみつけるような目をしている彼女の目がさらに厳しくなった。
「おあよーんす」
いつものだれた調子を装ってかなめが扉を開いた。彼女の声に反応してかえでが顔を上げた。その瞳に見つめられたかなめの表情が凍りつくのが誠にも見えた。そのまますり足で誠の席の隣の自分のデスクにつくとすぐに端末からコードを伸ばして首の後ろのジャックに差し込んだ。
「おはようございます……」
力なくかなめのあいさつに応えるかえでは明らかに落ち込んでいた。
『大丈夫か?日野少佐は気にしてると思うぞ』
今度はカウラのコメントが誠の作業中の画面に浮かんだ。
『何度も言いますけどあの人は西園寺さんの担当でしょ?僕は関係ないですよ』
誠も今回のかえでの暴走に関する責任はなんとかかなめに押し付けたかった。
『いつアタシがあの僕っ娘の担当になったんだ?さっきも言った通り『許婚』のオメエがなんとかしろ。それが男ってもんだ』
コメントをしながらかなめの視線が自分に突き立ってくるのを見て誠は頭を掻いた。かなめも誠と同じ心境だと言うことはありありと分かった。
「ベルガー大尉すまないが……」
明らかに冴えない表情のかなめを見つけたかえでは矛先をカウラに向けていた。