神の巻
この数日、一人で悩み苦しんできただけに、胸の支えが取れたような気がした。
このような非現実的な悩みを、普通の友人に打ち明ける訳にはいかない。
まず信じてもらえないだろうし、姉を好奇の目で見られる事にも抵抗がある。
それだけに、同じように神器を持ち、異能の力を有する仲間がいるというのは心強かった。
私も仲間か……
今、この場にいる面々が神器を手にした経緯は、まだ聞いていない。
だが、いずれもそれを受け入れ、自分のものとしている。
何より、皆共通の目的を持っていた。
何のために、神器は存在しているのか。
何故、自分たちが選ばれたのか。
これから、何が起ころうとしているのか。
皆、それらを解明しようとしているのだ。
それは、幽巳自身も同じ気持ちであった。
姉から貰ったリストバンドが、神器だったのは何故か。
事前に、姉が知っていた筈はない。
時空の話では、神器を持つ者は選ばれた【継承者】であると言う。
つまり、自分も選ばれたという事か。
あのスーツ男は、姉も何らかの神器を有していると言っていた。
姉の症状は、【神器の霊障】によるものだと……
もしそれが本当なら、一体どんな神器を持っているというのか。
何が原因で、あんな状態になってしまったのか。
そして何より……
自分に、助ける事はできるのだろうか。
ふと気配を感じ顔を上げると、時空の視線とぶつかった。
「大丈夫か?」
気遣うような声が耳に響く。
幽巳は、小さく笑みを浮かべた。
「一番の謎は、そのスーツ男ね」
尊が、顎に手を当て呟く。
「あまりにもタイミング良く現れ過ぎる。まるで、そうなる事を知ってたみたい」
「そうっすよ。絶対そいつが怪しいっす」
晶も賛同の声を上げる。
「その人、神器の事を研究していると言ったんですか?」
膝に古書──
「ええ。姉さんの状態を見て、すぐに神器の霊障だと見抜いたの。神器に対する拒絶反応を起こしていると……」
幽巳は、回想するかのように天を仰いだ。
「どう思う?鈴」
時空は、険しい目を鈴に向けた。
「分かりません。確かに古代の
容赦の無い鈴の説明に、反論できる者はいなかった。
こと歴史に関する彼女の見解の正しさは、誰もが認めるところだ。
「あくまで、謎の人物か……で、そいつがお姉さんの治癒に八握剣が必要だと言ったんだな。そしてそのために、お前は俺から奪おうとしたと」
時空の問いに、幽巳は小さく頷いた。
その目に、後悔の色が浮かぶ。
「状況から見ても、その男が八握剣を狙って幽巳さんをけしかけたのは間違い無さそうね。ただの親切心にしては、話が出来過ぎてる」
感情を抑えた声で、尊が後に続く。
「まさか……また、仄の仕業でしょうか?」
不安そうな柚羽の一言に、全員の表情が一斉に
伊邪那美邸での死闘以降、全く姿を見せていない。
勿論、奴が今回の件に関与している可能性も否定できない。
だが……
何か釈然としないものが、時空の中にはあった。
仄は今、進化した時空と同等の力を持ち、さらに未知の神器を二つも所有している。
どう考えても、力では奴の方が優位だ。
そんな奴が、こんなまわりくどい事をするだろうか。
一気に攻め込んだ方が、手っ取り早く俺を倒せるのではないか。
それとも……
それが、出来ない理由でもあるのか?
「いや……何とも言えんな」
「仄?……お前が話していた伊邪那美仄か?」
幽巳が
時空は黙って頷いた。
仄との確執についても、幽巳にはあらましを説明してある。
幽巳も、それ以上の追求はしなかった。
「とにかく最大の問題は、幽巳のお姉さんをどうやって助けるかだ。仮にそのスーツ男の話が本当だとすると、お姉さんの神器を何とかしなきゃならんようだが……どうだ、尊。何か手は無いか?」
時空の問いに、眉をしかめる尊。
「そうね……これは、あくまで私の個人的見解なんだけど……」
そう前置きし、尊は皆を見回した。
「幽巳さんのお姉さんは、何らかの理由で神器の覚醒に失敗したんじゃないかしら。その影響で、身体に異変が生じた」
「覚醒に失敗!?そんな事があるのか?」
尊の言葉に、思わず声を上げる時空。
尊は、静かにその顔を見返した。
「私たちはこれまで、必要に迫られた条件下で覚醒する事が出来た。自分や自分の大切な人を助けたいという思いが、隠れた神器の能力を引き出したの。でももしかしたら、それが上手くいかない場合もあるんじゃないかしら。そして失敗すると、その代償が自分に跳ね返ってくる」
「それって、賭け事で勝てば儲かるけど、負ければ大損するみたいなもんすか!?」
尊の言葉尻を取り、晶が勢い込んで尋ねる。
尊は振り返ると、大きく頷いた。
「でも、上手くいかない理由って……一体、どんな?」
たまりかねて、幽巳が叫ぶ。
不安と焦燥で、顔色が蒼白に変わる。
「そこまでは分からない……でもその理由さえ分かれば、元に戻す方法が見つかるんじゃないかしら」
尊が、あえて感情を抑えた声で答える。
「いっそのこと、そのスーツ男を捕まえて問い詰めたらどうっすか!絶対その理由とやらも知ってるっすよ」
痺れを切らしたように晶が提案する。
皆の顔に、同意の色が浮かんだ。
「そいつは今どうしてるんだ?」
何か考え込んでいた時空が、徐に幽巳に問いかける。
「居場所は知らない……私が八握剣を手に入れたら、また来ると言っていた。連絡方法も聞いていない」
「お姉様は、今どこに?」
神妙な顔の幽巳に、柚羽が心配そうに尋ねる。
「家にいるわ。相変わらず放心状態のまま、じっと椅子に座ってる……何も喋らず、何も口にせずに……」
語尾が微かに震えていた。
その深い心痛を
暫しの沈黙が流れる。
「こうなったら、手は一つしか無いな」
やがて、何かを決心したように時空が口を開く。
「一つって……あなた、何をする気?」
途端に、尊の顔色が変わる。
こんな時の時空は、絶対とんでもない事を言い出すに決まっている。
他のメンバーも、一斉に時空の方に目を向けた。
「幽巳、この神鏡をお前に預ける。そして俺を捕縛して、そいつの前に突き出せ。お前が、俺を倒して捕まえたと言ってな」
その一言に、全員が一斉に唖然とする。
「時空……お前……」
幽巳が大きく見開いた目で、時空を凝視する。
「そいつの狙いが八握剣なら、奴は必ず現れる。そして、コイツを変容させるために俺を必要とする筈だ。本来の姿に戻った八握剣を使って、奴が本当にお姉さんを助けるのかどうか、それで見極めるしかない」
「そんなの、あまりにも危険よ!」
珍しく、尊が興奮した声を上げる。
「相手の正体も分からないのよ。もし、嘘だったらどうするの!?まんまと、敵に八握剣を渡してしまう事になるわ。あなた、もう闘えなくなるのよ!」
荒々しく喚き立てる尊を、誰も止めようとはしなかった。
皆同じ思いだからだ。
「時空さん、おやめください!危険過ぎます」
「先輩、そりゃダメっすよ!絶対ダメっすよ」
「やめてください……お願い」
柚羽、晶、凛が次々と制止の言葉を口にする。
「心配すんなって。俺だってタダやられるつもりはない。一応考えもあるし……」
頭を掻きながら苦笑する時空。
「考えって……?」
言葉を詰まらす尊に微笑みかけ、時空は鈴の方に向き直った。
「鈴、お前に頼みがある」
そう言って、時空は何やら話し始めた。
*********
聞き終えた鈴を始め、全員の顔が驚愕の色に染まる。
「……どうだ、できるか?」
時空の問いに、鈴は目を丸くしたまま首を傾げた。
「分かりません。やってみないと……でも、何とかやってみます!」
「上等だっ!」
力強く頷く鈴に、時空は笑いながら言い放った。
「もし奴の言う事が嘘だったなら、晶の言うように捕まえて真相を聞き出すしか無い。その時は皆のサポートが必要になる」
一人一人の顔を見ながら時空は言った。
軽やかな口調とは裏腹に、その目には闘志の炎が宿っている。
「全く……もう止めても無駄なんでしょ」
「仕方ありません。どうかご無理はせずに……」
「アタイはどこまでも付いて行くっすよ!」
「私が……守ります」
口々に同意する乙女たちの目にも、闘志の火が
時空は満足げに頷くと、幽巳の手に神鏡を乗せた。
「頼むぞ!幽巳」
その言葉に、幽巳は言葉を詰まらせながら
「すまない……ありがとう」
*********
夕闇迫る公園に三つの影があった。
ロープで縛られ
その肩を押さえ込んで立つ幽巳──
そして後方のベンチで、宙を見つめ続ける霊那──
ここは幽巳が姉の霊那を見つけ、例のスーツ男と出会った場所だった。
家にいたのでは万が一戦闘になった場合、近隣に被害が出ないとも限らない。
用心のため、ここで待つ事にしたのだ。
そして待つ事、約一時間……
夕闇から浮き出るように、そいつは現れた。
痩身に黒いスーツ姿。
黒いボーラーハットから覗く鋭い狐目。
話に聞いた通りの風貌だった。
「クク……どうやら手に入れたようですな」
男は、鳥類の鳴き声にも似た声で言った。
「ええ、言われた通り、八握剣を持って来たわよ。それと、念のためコイツも連れて来た。私に負けて、もう闘う力も残って無いけど……さあ、早く姉さんを治して!」
ガックリとうなだれる時空を見て、男の目が妖しく光る。
「クク、さすがに神器が無ければ何もできぬか……哀れなもんだな」
男は嘲るように言葉を投げかけると、幽巳の手から神鏡を受け取った。
「おおっ、やっと……やっと手に入れたぞ!」
神鏡を持つ手を震わせながら男が喚く。
「さあっ、早く!」
幽巳が、痺れを切らしたように叫んだ。
男はそれには答えず、神鏡を時空の眼前にぶら下げた。
「では、コイツを《本来の姿》に戻してもらおうか。おっと、手に持つのは無しだ。お前なら触れずとも変容できるだろ」
男の言葉に、時空はゆっくりと顔を上げる。
生気の無い目が神鏡を睨む。
「……断る……」
「ほほう……お前が拒否すれば、そこにいるコイツの姉が死ぬ事になるんだぞ。見殺しにしてもいいのか?」
その言葉に、時空は後ろを振り返る。
ベンチに座った霊那が、呆然とした中にも時折苦悶の表情を浮かべていた。
「……分かった」
時空は再び男に向き直ると、力無く答えた。
そして男の持つ神鏡の方へ片手を伸ばし、目を
我は
今再び一つにならん──
神鏡から
横に伸びた光の帯は、次第に剣の形へと変貌を遂げた。
八握剣がその姿を現す。
「ククク……」
八握剣を手にした男の口から、呻くような笑いが漏れた。
「クヒっ……ヒヒヒ……ヒャヒャヒャッ!!」
笑い声は次第に大きく、甲高いものとなっていく。
この笑い……
どこかで聴いたような?
ふいに、時空の脳裏に記憶が蘇る。
「その声……まさか、お前は!?」
身をよじり
「ヒヒ……どうやら気付いたようだな」
ニヤリと口角を釣り上げる男の周りに、突然黒い靄が立ち込める。
それは瞬く間に男を包み込むと、生き物のように蠢動し始めた。
靄は収縮を繰り返しながら小さくなり、やがて吸い込まれるように消えていった。
そこに、何者かが立っていた。
見覚えのある黒装束に赤い角──
「お前だったか!」
時空が叫ぶ。
それは紛れもなく、宿敵の異形──赤角だった。