第八話 不審者を拘束せよ
ライジニア王子が潜伏しているのは、住宅街からちょっと外れた、小さな民家であった。
この辺りは人が住んでいないらしく、ポツポツと建っている家も全てが空き家。
つまり、ちょっとくらい何かあっても、誰も何も分からないそうだ。
(もっと人が多い所に潜伏すればいいのに)
そう思いながら、ロジィは懐中電灯を片手に隠れ家周辺の警備に当たっていた。
いくら周りに人がいないとはいえ、あまりに大きな騒ぎとなってしまえば無関係の人間を巻き込んでしまう恐れがある。そうなれば話は大事になり、王子の存在もみんなにバレてしまうかもしれない。そうならないためにも、ロジィ達はその警備を少人数で静かに行っているのである。
(デニスが言うには、敵は相当な手練れなんだよね。その上、それと同レベルの仲間が何人もいるみたいだし。気を付けて行こう)
人気のない、暗い夜道。どこでその不審者に会うかも分からないその危険な場所を、ロジィは油断せずに進んで行く。
ライジニア王子は今、デニスとあの少年とともに隠れ家にいる。そしてその入り口をラッセルやシフォンが守り、他のメンバーが手分けをして、その隠れ家周辺の警備に当たっている。
そうする事で不審者から王子を守っているのだが、そのメンバーの中には、ウィードという、ライジニア王子のもう一人の付き人がいるらしい。彼は自分達が隠れ家に到着する前に、一足早く警備に向かったそうだ。青い髪と青い目の男の子だから会ったら挨拶しなさいと、デニスが言っていた。
(あれ? でもそうなると、シンガ君は何しているんだろう? 彼もまたウィード君と一緒に先に警備に向かったのかな?)
合わない人数に、ロジィはふと首を傾げる。
王子の傍で彼を守っているあの少年と、先に警備に向かったらしいウィードという付き人。
ならばシンガはどこに行ったのだろう? ウィードとともに先に警備に出たのか、それとも先にマシュール王国に帰り、既にこの国にはいないのか。
(名前も出なかったって事は、やっぱり帰ったのかな?)
出来ればそっちの方がいいな。だってもう会いたくないし。
しかしロジィが先日の苦い出来事を思い出し、溜め息を吐いた時であった。
背後から、ロジィを狙う鋭い殺気を感じたのは。
「っ!」
慌ててその場から飛び退けた瞬間、風を斬り裂く音が背後に響いた。
危なかった。もう少し反応が遅れていたら、斬られていたのは風ではなくて自分の方だった。
(くそっ、不審者か!)
他の仲間の前に現れなかった事に安堵しながらも、自分の前に現れた運の悪さを呪う。
しかし応戦するべく素早く剣を引き抜いたロジィであったが、振り返った瞬間、彼女は驚いたようにして目を丸くした。
「あれ?」
黒髪黒目の女がいるかと思いきや。
そこにいたのは、青の髪と群青の目を持った、背の高い男。
昨日、剣を振り回してまで自分を追い払った、顔だけイケメン男、シンガであった。
「え、何でいるの?」
「ふん、誰もいないとでも思っていたのか?」
先に祖国に帰ったと思っていたのに。
しかし、それはどうやら勘違いだったらしい。それにしても、何故彼は自分に剣を向けているのだろうか。
「先日は仕留め損ねたが、今日はそうはいかない。覚悟しろ」
「え………うわっ!」
そう言うや否や、シンガはロジィに向かって剣を振り下ろして来る。
それを慌てて避けると、ロジィはムッとした目をシンガへと向けた。
「何するのよ! まさかまだ怒っているの?」
だとしたら随分器の小さい男だ。というか、今はそんな事言っている場合じゃないだろうに。主君の身が不審人物に狙われているのだぞ。自分のストーカー問題なんて後でいいじゃないか。
「怒る? 当たり前だ。まさか許されるとでも思っていたのか」
「な……っ!」
嘲るようにフンと鼻を鳴らされ、ロジィの頭の中で何かが切れる音がした。
確かに自分はシンガに不快な思いをさせてしまったかもしれない。けれども謝っても許してもらえない程、悪い事をした覚えもない。
「な……っ、何よそれ! 私は人を好きになっちゃいけないって事っ?」
「うわっ?」
頭に来たロジィはそう言うや否や、シンガに斬り掛かった。今は内輪で揉めている場合ではない事は分かっている。しかしそれでも許せなかったのだ。
いくら何でもそこまで否定される筋合いはない。人を好きになって何が悪いんだ!
「好きになられてキモイとか、マジでウザいとか! あんた何様のつもりよ! お高く留まってんじゃないわよ! あんただって私と大差ないくせに!」
「くっ、な、何なんだ、突然! 何を言っているんだ!」
バシバシと剣を振り回して来るロジィの攻撃を、シンガは必死に受け流す。
ロジィが攻撃体勢に入った途端、防戦一方となってしまったシンガだが、ロジィは構わずに、堪りに堪りまくった怒りをぶつけるようにして剣を振りまくった。
「この顔だけ男! 中身カス!」
「なっ、何なんだ、それは! オレへの悪口か?」
「煩いッ! あんたなんか大っ嫌いだっ!」
ジワリと目に涙を浮かべながら、ロジィは剣でシンガを弾き飛ばす。
そうして彼と一旦距離を取ると、右手を彼に向かって翻した。
「燃え尽きろ! 私の恋心っ!」
「うわっ!」
ふざけた呪文から飛び出した炎の魔法。自分目掛けて飛んで来たその炎の塊を、シンガは慌てて飛び避ける。
しかしその炎の塊に気を取られていたせいだろう。いつの間にか背後に回っていたロジィに、シンガはその頬を思いっ切り殴り飛ばされた。
「ぐあっ!」
その衝撃で、ドサリとその場に倒れ込む。
頬を押さえながらも顔を上げれば、自分を睨み付けて来る彼女と目が合った。
「バカ! 最低! クソ男! さっさと国に帰れ!」
「……」
「……お前達、一体何をしているんだ?」
しかし耐え切れなくなったロジィが、ボロボロと涙を零し始めた時だった。
騒ぎを聞き付けてやって来たらしいサーシスが、二人に白い目を向けていたのは。
「サーシス! うわーん、シンガが虐めるーっ!」
「シンガ?」
どちらかといえば虐めていたのはお前なんじゃないのか、という言葉を飲み込んで。
サーシスは、泣き付いて来たロジィの頭をとりあえず撫でてやりながら、不思議そうに首を傾げた。
「シンガならライジニア王子のところにいるだろう? お前が虐めていたのはウィードなんじゃないのか?」
「ウィード?」
サーシスからのその指摘に、ロジィはコテンと首を傾げる。
すると全てを覚ったらしいシンガ(ウィード?)が、頭を抱えながら体を起こした。
「お前、名前は?」
「あ、あんたに名乗る名前なんかないっ!」
「コイツはロジィ、オレ達の仲間だ。おい、ウィード、一体何があったんだ?」
「そうか、やっぱりそういう事か……」
そう呟き、溜め息を吐いてから。彼は泣きながら敵意を剥き出しにしているロジィへと、申し訳なさそうな目を向けた。
「オレの名はウィード。ライジニア王子の片腕として働いている側近の一人だ」
「?」
「お前の言うシンガとは、もう一人の背の低い男の事だ」
「??」
え、こっちがウィードで、もう一人がシンガ? 何、どういう事?
「悪い。つまり全てオレの勘違いだったって事だ」
「???」
全く意味が分からない。
「ウィード。謝罪なら後で聞こう」
しかしサーシスはその意味を理解出来たらしい。肩を落とすウィードに冷たい目を向けながら、彼はロジィの肩をポンと叩いた。
「大変申し訳ございませんでしたっ!」
困ったように苦笑を浮かべるライジニアの前で、ウィードはこれでもかというくらいに深々と頭を下げる。
「はあああ? 私が不審者あっ?」
そしてその向こうでは、今回の不審者騒動の真相を聞いたロジィが悲鳴を上げていた。
どうやらウィードは、スポーツ広場で想い人を捜すロジィを見付け、彼女の事を王子の命を狙う不届き者だと勘違いし、今回の騒動に発展させてしまったらしい。何とも失礼な話である。
「いやあ、ごめん、ごめん。黒髪黒目の女って聞いて、どっかで見た事があるような女だなあとは思っていたんだけど。でもまさかキミの事だったなんてねぇ」
「気付いてよ、デニス! ってか違うじゃない! シンガじゃなくって、ウィードじゃない!」
「いやあ、何て言うか、ほら……どっちも似たようなモノじゃん?」
「違うわ!」
全く悪びれないデニスと、ありとあらゆるモノに対して怒りが抑えきれないロジィの言い争い。
そして困ったように眉を寄せているライジニアと、とんでもない失態に深々と頭を下げているウィード。
そんな彼らの姿を、シンガは遠い目でじっと見つめていた。
「……」
本当に申し訳ない事をしたと思った。
自分は二重人格なのではないかと、本気で疑った。
そして女の子に一目惚れされたのだと、心のどこかで喜んでいる自分がいた。
それなのに何だ、この仕打ちは。
(とりあえずみんな、オレに一回謝れよ)
今回一番の被害者である彼が、そう思ったのは言うまでもない。