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(22)想いの沼底2

 探偵事務所や興信所に調査を依頼したいとき、人はどうやって業者を選ぶのだろうか。
 何ら信頼に足る情報も伝手(つて)もない中、日坂探偵事務所を選んだのは賭けのようなものだった。

 ネットで検索すれば、興信所の類はいくらでも見つかる。その多くが、安心、信頼、格安などを謳い文句に派手な宣伝をしており、逆に胡散臭く感じてしまう。

 探偵業者を探す中で知ったところによれば、探偵業法なる法律の規定で、探偵業は公安委員会への届け出を必要とし、その上で、欠格事由に該当しないと認められれば探偵業届出証明書なるものが交付されるのだそうだ。

 欠格事由とは、一定の刑に処せられてから五年を経過していない者であるとか、暴力団員でなくなった日から五年を経過しない者などであり、証明書があるからといって確実に信頼がおけるというわけではなさそうなものの、少なくともその程度の基準はクリアした合法的な業者であることは確認できる。

 また、内閣総理大臣の認可を受けた業界団体があり、その会員であればホームページで業法上の届出番号も確認できるし、最低限の信頼はおけるように思われた。

 業界団体の会員で、かつ派手な宣伝をしていない探偵事務所。
 その条件に合致する先として偶々(たまたま)目に止まったのが、ここ日坂探偵事務所だった。

「若月さんには危ない目にも合わせてしまって、申し訳ありませんでした
 春香は、モデルでも女優でも通用しそうな美貌を持った、まだ二十代半ばであろう美人助手だ。
 彼女が何か言おうと口を開きかけたところを、探偵の日坂が笑い混じりに制した。

「あの程度のこと、危険だなんて思うタマなら俺は苦労しないよ」

「ね。失礼でしょ。わたし、ここじゃこんな扱いを受けているんですよ。普通なら絶対にセクハラもパワハラも認定されますよ」

「馬鹿野郎。嫌ならいつでも辞められただろうが。それに、パワハラは部下から上司に向けても成立するんだぞ。出るとこにでりゃ、俺の方が絶対にパワハラ被害者だ」

「ひどいっ。ねえ、神堂さん、何とか言ってくださいよ」

「楽しそうな職場で、何よりです」

(はた)から見ている分には楽しいかもしれないがな。てっきり大学を卒業したら辞めてくれるもんだと思っていたのに、バイトからそのまま居座りやがった。こいつの後任は性格重視。美人で、かつ気立てのいい女子大生をバイトに雇おうと思っていたのに、計算が狂ったよ」

 性格重視と言いつつ、美人が先にくるらしい。
 思わず笑ってしまう。

「とうとう本音を言いましたね。完全に女性蔑視。絶対に労働基準法か何か、何らかの法律に違反してますよ。ね、神堂さん」

 口を挟むと余計に二人の議論が白熱してしまう。苦笑いでやり過ごした方が平和になりそうだ。
 以前、雑談の中で、春香をバイトとして雇った際の教訓を、日坂はこう語っていた。

——写真に性格は写らない。

 バイトに応募してきた履歴書に貼られた写真があまりにも美人だったので、どうせ修正された写真だろうと高を括って面接をしたら、写真よりも実物の方が美人だったのでその場で採用を決めたのだとか。
 続けて、探偵は嘆いた。 

——こんな態度のでかい、神経の図太い女だとは思わなかったよ。

 彼女は勤務初日に座り心地が悪いと文句を言い、事務所内の椅子を全部高級なものに買い替えてしまったという。

——ほかの椅子まで替えるつもりはなかったのに、全部だぞ。勝手に発注しやがった。なんでそんなことをするんだって文句言ったら、バイトだけいい椅子に座るのは申し訳ないからって。しれっとそう言うんだ。

 日坂は陰で悪口を言っていたわけではなく、その場には春香本人もいた。
 彼女の言い分はこうだ。

——本当は応接用のソファも買い替えようと思ったんですけどね、あんまりお金使っちゃって、バイト代をもらう前に事務所が潰れちゃっても困るから、我慢したんです。

 意図的なのかどうか定かではないが、春香が来ただけで場の空気がすっかり入れ替わったようだった。自分のせいで沼底に積もったヘドロのように沈滞していた雰囲気が消えて、水中から顔を出したかのように呼吸が楽になった気さえする。
 彼女には換気の能力もあるらしい。
 それもきっと写真には写らない、貴重な才能だ。

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