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 がちゃり、とドアを開けると、やっぱり中は静か。
 中間テスト前もそうだったけど、テストが近づいて勉強するのは俺だけじゃない。自習室に入る勇気のない一年生が、溜まり始める時期なのだ。
 だから勉強できる席が満席のこともある。純粋に本を読みに来ている人は少人数だった。
 持ち物が上履き手ぶらならそのまま侵入できるのだが、革靴バッグのため、ロッカーに靴とバッグを入れなければならない。
 入口のすぐ左には、ロッカーが並んでいるスペースがあり、そこで靴を脱ぎ、必要な勉強道具だけバッグから取り出し、残りをロッカーに残して百円を入れ、鍵をかける。もちろんこの百円は返ってくる。あとは貸し出し用スリッパを足に引っ掛けて、空いてる机を探すだけだ。
 と、そこまでやって大量の本棚が鎮座する部屋に足を踏み入れると、違和感が俺を襲った。
 なんだ? 何かがおかしい。
「……誰もいないね」
 ロクさんの呟きで、俺もやっと理解できた。試験期間が近づいていなくても、図書室には誰かしらいるのに、本当に誰もいないんだ。
 そんな日があったって、確かにおかしくはない。ないが。
 百円玉を持ち合わせていない生徒に貸し出すというなかなか重要な役目を担う図書委員がいないのはおかしい。
 サボり……?
 いや、それでも、担当の先生ぐらいはいるはずだ。
 だけど、受付にもソファにも机にも、人っ子一人いないとは、どういう事態なのか。
「こんにちは」
 突然、かわいらしい声がした。
 目の前に、さっきまでいなかった女の子が、姿を現した。
 ここの女子制服を着ている。が、また違和感、と思ったら、冬服なんだ。しかもカーディガンにタイツ。両方とも校則を守った黒色が、暑さを際立たせていた。
 この暑い七月。そんなものに身を包む女子は見たことがない。
 それでもって、青い。透けてる。影がない。
 幽霊……ですか。
「こんな天気のいい午後から図書室? 不健康ね」
「……期末が近いもので」
 ひきつり笑いをしながら答える。すると、その女の子はあら、と大きな目を丸くした。肩まで伸びた髪と大きな白い花のピン止めがふわっと揺れた。
「あなた、私が見えるのね?」
 しまった!
「何返事してんのお前……」
「てっきりもう見えてるってバレてるかと思って……」
 横でため息をつくソラに言い訳しかできない。
「私ね、自分が死んだんだって分かってから、退屈で仕方なかったの」
「だったら早く成仏しろ」
 ソラの小言を華麗にスルーして、その子は続ける。
「だから、ここに来る子に、トランプ挑んでたんだけど。みんな私が見えなくて、無視するの。その態度にカチンときたから……」
「きたから?」
 ロクさんが促すと、にこりと笑って、どこから取り出したのか小さな人形を顔の横に持った。
「お人形にしちゃった」
 可愛らしい趣味だ。
「現実逃避してんじゃねーよ」
 ソラにどつかれ、俺は我に返る。じゃあ、あの子の持っているあの人形は、俺の同級生だったり先輩だったりするってことなのか……?
「丁度四人いるし、みんなで大富豪しない?」
 どこに持っていたのか、彼女はトランプを小さな顔の横で左右に振った。
「そんな義理はねぇ」
 ソラはその余裕にいらついたようだった。
「あなた達が勝ったら、この生徒達は元に戻すし、私も成仏する。それでいいでしょ?」
 しかし、女の子はソラを無視して条件を提示してくる。
「なにがいいでしょだ。お前に付き合うつもりはない」
 ソラは冷たく言い放つと、黒いハンドガンを片手で構えた。
 銃口は女の子に真っ直ぐ向けられている。
 俺はぎょっとして、ロクさんの服をつまんで、ゆすった。
「ちょっと、いいんですかロクさん!」
「ソラの言い分も最もだ。まあ、撃ちたければ撃てばいいだろう」
「で、でも……!」
 目の前で無防備の人が撃たれるのを何もせずに見ているのはさすがに抵抗が……!
「大丈夫だよ、続くん」
「え?」
 慌てる俺を落ち着かせるように、ロクさんの手が肩に置かれたと同時に、ソラが銃のトリガーを引いた。
「僕が言っているのは、当たればの話だ」
 ドン!と確かに、銃がぶっ放された音がしたが、女の子は先程と何も変わらずに立っている。銃弾がどこにいったのかは分からないが、どうやら外れたらしい。
「…………あなたって、ノーコンなのね」
「ちっ、よくわかったな」
 ソラは舌打ちをしながら大人しくハンドガンを下ろす。
 三メートルほど先の女の子は、それを見てにこりとほほ笑んだ。
 この距離ではずすのか……。
「ふふ、じゃあ、大富豪やりましょう」
 女の子は近くの六人掛けのテーブルに移動する。俺たちも一緒に動いて、女の子に三人が向かい合う形になった。
 頭の白い花の髪留めが黒髪に映えているその女の子は、プラスチック製のトランプでしかできない難しいシャッフルをしながら、話し始めた。
「自己紹介を忘れていたわ。私はハナ。葉っぱの葉に、奈良の奈で、葉奈」
 ぱらららっ、と軽快なリズムをとって、葉奈さんの両手の中でトランプは踊る。
「それで、さっきも言ったけど、私が負けたら、生徒は元に戻すし、私は大人しく成仏する」
「……僕達が負けたら?」
 ロクさんが真剣な面持ちで問いかける。葉奈さんは面白そうに僅かにくすりと笑った。
「ちゃんと訊くのね。いいと思うわ、そのぬかりない感じ。私が勝った直後に不意打ちしようと思ってたから、ちょっと残念」
「いいから言えよ」
 ケッ、とソラが吐き捨てる。
 さっきからなんか態度悪くないか?
「あなた」
 俺がソラを気にかけていると、葉奈さんの両目は俺をしっかりと捉えていた。
「へ?」
 俺?
 右手の人差指を自分の鼻先に突きつけ確認すると、葉奈さんはこくりと頷いた。
「そう、あなた。あなたには、私の友達になってもらうわ」
「友達?」
「死ねって言っているのだ」
「絶対勝って下さいよ!」
 ロクさんの訳に俺は背筋がぞっとした。
 このゲーム、俺の命が賭けられているってことになるのか……。
 葉奈さんは、愛らしい笑みを顔に張り付けたまま、トランプを平等に配り始める。
「イカサマとかしてないだろうな?」
「そんなことしたら面白くなくなるじゃないの」
 ソラの問いに、葉奈さんは見下したように答える。
 俺は、素早く動くトランプと葉奈さんの手を見ながら、またしてもこんな目に遭っている自分に落ち込む。
 今度こそ、死んじゃうのかな……。
 何も始まっていないのに、弱気になっている俺の髪がぐしゃぐしゃとかき回された。右側にロクさん、左側にソラがいるが、こんなことするのは確認しなくてもどっちの手なのか分かり切ってる。
「大丈夫だから」
 左から、力強い言葉が投げかけられ、俺は背筋を伸ばした。
 正面にある何枚かのカードを手札として持つ。
「私が大貧民になったら、私の負け。それ以外だったらあなた達の負け」
「おいおい、随分こっちにハンデがあるんじゃねーの?」
「人数的に私がもう不利なんだから、これくらいが丁度いいでしょ」
 ソラの異議に聞く耳は持たないようだ。
 俺は本日三度目となるソラの舌打ちを流しながら、自分のカードを弱い順に左から並べて行く。
 えーと、俺の手札は……。
 三、四、五五五、七、八、九九、十、J、A、ジョーカー。
 ジョーカーがある。ラッキー。最弱の三も一枚しかないし、八切りの八はあるし。これはもしかしたら一番に上がれるかもしれない!
「ローカルルールはなし。八切りはあり。縛りはなし。革命、革命返しはあり。ジョーカーはあり」
 葉奈さんがざっくり共通のルールを作る。俺が普段やるのとほとんど同じだった。
「じゃあ、順番を決めましょう」
 と言った葉奈さんの音頭に合わせてじゃんけんをすると、なんとソラが勝ち、それからロクさんが勝って、それから葉奈さん、ビリが俺。
 最初に勝った人から時計周りとかにすればいいのに、葉奈さんは何故かそこはこだわって、じゃんけんで勝った順に座り直した。
 座り直したとはいっても、ロクさんが葉奈さんの隣、ソラの正面に移動しただけだ。
 だが、ロクさんが葉奈さんの隣に座った時、一瞬葉奈さんの頬に赤みがさしたのを、俺は見逃さなかった。まさか、ロクさんがイケメンだったから、じゃんけんの勝敗こだわったのだろうか、この人。
 みんなの手札の枚数は、ソラが十四枚、ロクさんが十三枚、葉奈さんが十四枚、俺が十三枚。
「オレからだな」
 ソラが三を一枚出した。最初に弱いカードから捨てて行くのはセオリー通りだ。とんちんかんなことしてきたらどうしようか、と心配していたが徒労だったようだ。
「じゃあ」
 と、ロクさんが出したのは四。葉奈さんが五か六を出してくれれば七が捨てられる……!
「はい」
 葉奈さんが七を場に出して、俺の番。
 まあ、そんな簡単に事が進むわけないか。
 俺は観念して、八を手札からはじき出した。八切り。今までのカードが流れる。
 俺はあまり役に立つことのなさそうな三が出せて、少し安心した。
 次のソラが四、ロクさんが五と順調に進み、葉奈さんが九。俺は何事もなく十を取りだす。
 ソラがJをドヤ顔で置き、続くロクさんが二を出して、誰も手が出せずにお流れ。俺はジョーカーを持っていたけれど、今が使い時かが分からない。まだ取っておきたかった。
「ふざけんなよ、ロク。ここはオレからだろー」
「大真面目にやってるよ。人の命が懸かっているんだから」
 お前はこんな序盤にJごときで全員パスすると思っていたのか。
 ロクさんは冷静に三を一枚。これが普通だろうな。次の葉奈さんはJと一気に数がとぶ。
 えーと、一、かな。
「あ、お前、そういうの出すなよなー」
 そういうソラはパス。次のロクさんもパス。これは俺の番になるか?
と期待していたら葉奈さんが二を出した。すると、さっきはパスしたロクさんがジョーカーを披露した。
「ジョーカーお前持っていたのかよ」
「まあね」
 言いながらロクさんは一人で八切り。そしてKを二枚出した。強い。少なくとも自分が最初のターンになった時に捨てるカードじゃない。
 それにソラが二枚の一で反抗。二を二枚保持している人はいなかったのか、そのままソラの番となった。
 現在の俺の手札、四、五五五、七、九九、J、ジョーカー。
 みんなの手札の枚数は、ソラが九枚、ロクさんが五枚、葉奈さんが九枚、俺が九枚。ロクさんがやけに少ない。
 ソラは六を二枚、ロクさんは十を二枚、葉奈さんはパス。俺はというと、ジョーカーとの組み合わせじゃないと対抗できないので、パス。ここがジョーカーを使う場面とも思えない。
 再び順番が回ってきたソラがKを二枚投げ捨てた。それをみんな無言で見つめていた。
「よし、オレから」
 それをパスと受け取ったソラは七をぺちんと捨てる。ロクさんがJ。花さんが一をそっとその上に置いた。俺はジョーカー以外に出せるものがなくてパス。
 もったいないか? ここがジョーカーを使う場面なのか?
 強いカードはいつも使いどころに困ってしまう。
 ロクさんが二を出して、慎重に全員の顔を見まわす。誰も出さないのを確認すると、一枚になった自分の手札を悠々と表にした。
「あがり」
 随分とあっさりだ。
「あ、ちょ、おい」
 大富豪となったロクさんに何か言いたそうなソラだったが、結局何も言葉にはならなかった。
 あがったロクさんが席を立つと、葉奈さんは少し残念そうだ。
ロクさんはそのことに気づいているのかいないのか、俺の右隣に戻ってきて、俺の手札を後ろから覗きこんできた。
 残る俺の手札。
 四、五五五、七、九九、J、ジョーカー。
 出しにくいなぁと躊躇していたジョーカー。それ以外のカードは単に出す機会がなかっただけである。
 しかし揃いも揃って弱いカードばかり残ってしまったもんだ。
 葉奈さんがパスして、俺はJを捨てる。すると、誰も手が出なかった。さっきのソラを思い出す。
「えっと……」
 俺は邪魔だと思っていた四をはじく。そこにソラがすかさず八切りした。
「怒涛のラストスパートだぜ」
 そして一人でもう一度八切り。やっと九を出した。気づけばソラの手札は残り一枚。なるほどラストだ。
 俺も葉奈さんもパスしてしまい、ソラはにまにました顔で堂々と七を机に叩きつけた。
「あっがり!」
 叫ぶとすぐに俺の手札を覗き込んでくるソラ。
 いや、これはまずいぞ。もう完全に自分の命は自分で守るしかなくなった。事態を把握した俺の頬を小さな冷や汗が流れた。
「悪いけど、勝たせてもらうわよ」
「え?」
 葉奈さんが何を言ったのかはよく聞き取れなかったが、机に並ぶカードを見て、わかった。
 四枚のQ。
 革命。
 現在、最も強いのは三となる。
 しかし、それよりも、これで出せないと、葉奈さんに順番が回ってしまう。
 葉奈さんの残り手札は三枚。対する俺の手札は七枚。
 ここはなんとしても出さないと、だ。
 でも、どうやって?
 俺の手札には四つも同じ数字は並んでいない。
 元々配られた手持ち。細工なんてできないし、やっぱり勝負なんて時の運なのか?
 諦めた俺が、パスの二文字を言いかけた時。
「落ち着いて」
 右からどっしりとした声がした。
 ロクさんの方を見ると、にっこりと、子供を安心させる母親のような表情をしていた。
「ばか、よく見ろ手札。その前に深呼吸しろ。頭冷やせ」
 ソラに言われて、空気を吸ってみる。なんだか落ち着いた気がした。
 そうか、テンパっていたのか、俺。
 もう一度手札を見ると、簡単に発見できた。
 名前のまんま、逆転のカード。
 勝利を確信して、余裕の色の葉奈さんに、俺も言い返す。
「俺もまだ死にたくないです」
 そして、四つのQの上には三つの五、と。
 ジョーカーが並んだ。
 革命返しだ。
「え、うそ……」
「自分で言ったんじゃないですか。革命返しはありだって」
 手持ちが残り三枚の葉奈さんに革命返しのさらに革命返しは不可能だ。ソラが場の八枚のカードを流した。
 俺は二枚の九を出して葉奈さんの様子を窺ったが、動く気配はなかった。
 最後に、七を出して、
「あっがり……!」
「っ………!」
 ぱたり、と裏返された葉奈さんの最後のカードは二枚の六と三。革命成功の後に念を入れて取っておいたようだけど、念を入れるところを間違えたみたいだな。
「オレ達の勝ちだな」
 早く生徒を戻せ、とソラは葉奈さんを急かす。葉奈さんは椅子に座ったまま、俯いて動かない。
 と思ったら、ふるふると震え始めた。
「………めない」
「え?」
「私が負けたなんて、認めない……!」
 立ち上がると共に上がった瞳は涙の膜が薄く張っていた。が、注意を払うべくはそこではなく、右手に握られている、拳銃。ソラのとはまた違う、銃には詳しくないので種類とかは分からないが、西部劇に出てくるカウボーイとかが持っていそうな、銀色の銃。
 そして、その矛先はどう見ても、俺。
「なんでだよ!?」
 約束が違うじゃないですか!? さっきまだ死にたくないって言ったの聞いてました!?
「私は……! 成績はいつも学年十位以内で……! 大学だって推薦で決まってたのに……!」
 焦る俺が目に入っていないかのように、葉奈さんは自分の高校時代を涙声で語る。俺は成績を聞いて、素直にすごいと思った。撃たれないように両手を上げながら。
「それがよ! たった一度の交通事故で全て無くなるなんて、あんまりじゃない! だから……許せないのよ! 毎日退屈そうにのうのうと過ごしているアンタ達が! 憎たらしくてしょうがないわ!」
 聞いているうちに、瞼が下がってきた。
 この人は人生の若いうちに、大学生になる前に死んでしまったようだ。推薦で大学が決まってたってことは、三年生。
 だから?
「なんだよ、それ。完璧にただの逆恨みじゃん」
 俺は上げ疲れた両腕をぱたりと下ろした。
「なによ!? アンタに私の何がわかるのよ!?」
 葉奈……先輩のふるふると銃を持つ手が震えていた。
「おい、挑発すんな。撃たれるぞ」
「お前がいるから大丈夫なんだろ?」
 小声で警告してくるソラに歯を見せつけてやると、ソラも同じようにしてきた。
 俺が喧嘩を売っているのはそれだけじゃない。中二病の一件もあって、さっきの話を黙ってきいていれば頭にきたからだ。
 女子だから、一発殴るわけにはいかないが、言いたいこと怒鳴るくらいはいいだろう。
「わかるわけないだろ、アンタのことなんか。わかりたくもない。関係ないやつ巻き込んで、それで自己満してるんだ。付き合わされる方の身にもなってみろよ」
「っこの……!」
 俺の言葉に何か言いたそうではあったが、拳銃のハンマーをひいただけだった。
 言い返せないってことは、図星なんじゃないのか?
「俺のことだって、見えるって理由だけで殺そうとしてるんだろ?」
 何もしていないのに、無条件に理不尽に向けられた銀色のナイフが頭をよぎる。今回も、銀色の銃口が俺の心臓辺りを静かに見つめていた。
「それで何か気が晴れるのか?」
 先輩の事情も生い立ちも性格も、毛穴ほども知らない、裾を触れ合うほどの縁もない俺を殺して、そこに掴めるものはあるのか?
「アンタが死んだって事実しか残らないって、それがわかんないのかよ!?」
 高ぶった感情を抑えられず、大声になってしまうと、葉奈先輩はぎりりと歯軋りをして、吠えた。
「黙れええええぇぇぇ!!!」
 溢れ出る涙と、確実に引かれるトリガー。
 撃たれる……!!
 俺は覚悟して目をつむると、なんの音も衝撃もなく、恐る恐る瞼を上げると、ロクさんがソラを押しのけて、葉奈先輩の横でひざまずき、鉄砲を持っていない方の手を取っていた。
「君には、そんなもの、似合いませんよ」
 優しいフェイスとボイスに導かれて、年上の少女はゆっくりと銃を下ろしていった。
 長いまつ毛を濡らし続ける雫は止まらず、小さな両手を銀の拳銃ごと、大きなロクさんの手に乗っけた。
「だって……! だって……! こうでもしないとやりきれないのよ……!」
「はい、気持ちは痛い程、御察しします……」
 本当に心が痛そうに綺麗な顔をゆがませつつ、さりげなく銃を自分の後ろにいるソラに手渡した。
 そして、零れる涙を袖でこする少女の前に大きな左手をグーで見せる。
 少女が不思議そうに首をかしげると、ぽん! とその手から一輪の真っ赤なバラが現れた。
「わ、ぁ。すごいわね……!」
 少女は泣くのを止めて、キザなロクさんの些細なマジックに小さな拍手を送った。
「気持ちが落ち着かない時は、花の香りを楽しむのもいいと思いますよ」
 ロクさんは、ふわりとほほ笑んで、そっとバラを差し出す。
「どうぞ」
 あ……。
 俺はそれを見て、脳裏をちくりと何かがよぎったのを感じた。
 少女は受け取って、満面の笑顔。
「ありがとう……!」
 それだけ残して、霧散していった。
 一仕事終えたロクさんがこちらに戻ってくる。
「何気にひどいことしましたね……」
「殺されそうになった君が言うのかい?」
 ロクさんの微笑みが、初めて怖いと思った。

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