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茶道と着物と山伏

そんなわたしでも、最近は年を感じることが多い。今日は、それをよい方向で感じた。
 茶道部でかれこれ数年お稽古するにつれて、着物を着る機会が増えたこと……それが苦にならなくなった。わたしは今日は、普段着とはいえ、母から譲り受けた単衣の村山大島紬を着ていた。一年中が暖かく、夏は暑すぎて湿度が高いこの土地では、これはなかなか着れないものだ。大体が、浴衣か洗える化繊の着物で通してしまう。 今日は簡単な付け帯で紬を着てきたのだが、年老いてすんなりと和装が装えるようになりたいとずっと思っていて、それが上手に着れて、窮屈でなくなったわたしはちょいと嬉しくなった。そして、ここでの季節ではもうすぐ冬とする今日は、涼しい日だ。着物を着ていくのも楽しく感じる。
 数年前に、百貨店の茶道道具の売り場に買い物に行って、隣接している呉服売り場を見たときに、目が釘付けになった。洗練された店員の着物姿に、「これ、理想……粋に素敵に着こなしてる」と驚いて、それから密かにそこに通った。美術展示会場で飾ってある渋い黄八丈には、ため息がでた。
 もちろん、わたしの経済状態上、なにも買わない。懐紙や黒文字など小物を買い求めるだけなのだが、目の保養はしっかりとする。羨望……母の着物でもこんな風にして着る! とか想像だけはして、「なーんちゃって着物!」という邪道な着方でも許されるだろうという外国の環境に、ありがたやーと思っている。わたしの実家の箪笥の肥やしは、こうして海を渡ってきた。
 運転の都合上、わたしは足袋にサンダルを履いてきた。
「忘れるところだったー。ちょっと待っててね」
 わたしは、後部座席の下から、鎌倉彫の右近の下駄を出し履き替えた。
 深い紺地に幾何学的な模様が、ちょっと目にはわからないように綿密に入っているが、光沢のある、でも鮮やか過ぎではないパイソンのような……すべすべした感じがする紬の着物を、わたしは着ている。帯は、とにかく楽なつけ帯で、ひとつ椿の花がある深いえんじ色にした。白の衿が効くので、帯揚げ帯締めは、きなり色にした。椿の帯に合っている。組み合わせにどんな意味合いがあるのかとか、本当の着物の着方などわかりもしないが、そんなことは気にしない。
 ここでは、好きなものを好きにチョイスしてもだれもなにも言わないし、構わない。お気楽な土地である。そんなところがよくて、わたしもずっとここで残って暮らしている日本人なのだろう。なんとも住みやすい環境だと思う。べんさんも、この土地は居心地がよいのだろう。
「お持ちしますよ」
 るりは、軽いリュックサックと、首からつり下げたデジカメで両手が自由なので、わたしのコットンの手作り手提げバッグを持った。
 るりは、ジーンズに花柄プリントのデザインTシャツで、ふわふわとするシルクレーヨンのスカーフを、首に巻いて垂らしている。 
 スカーフの鮮やかな草色は、Tシャツの淡い色合いの花柄にある茎や花弁の色とマッチしていて品がよい。もっと若い子ならば、ここはピンクやオレンジ系を選ぶかもしれない。スニーカーも草色にしている。リュックサックは落ち着いた深みのある赤だ。るりが草色に、赤のビビッドさをプラスするところが、まだおばさんと言われたくないという、彼女の意思表示のようだ。頭の上に乗せているレイバンのサングラスのフレームも、お揃いのおしゃれな赤だ。
「帽子忘れましたー」
「今日は、雲もあるし、超晴れ……というわけでもないからだいじ
ょうぶよ」
「そうですね。ケランダの今はアーケードのようになっていて、日陰も多いんですよね。町のマーケットよりも気にならないか……。日焼け止めも塗ってきたし」
「それよりも、虫除けスプレーはいるわよ」
「刺されます?」
「一年中、蚊はいるみたい。虫もね。町からやってきたおいしい餌だもの、わたし達!」
「昨夜のシーフードパスタとワイン、それにデザートで最高の血! ですよね」
「おばさんのわたしでもおいしいでしょうよ」と、わたしは苦笑した。
「なに言ってるんですか? 大体美樹さんは、二十くらい若く見えたりするじゃないですか? 昨日もウエイターが驚いていた」
「そんなには……お世辞か冗談でしょう。こっちじゃ、小柄な東洋の女性は若く見えるのよ。でも虫は正直だから、おいしくないってわかる」
 それでも、わたしはまんざらでもない顔で笑いながら答えた。地味な紬を着ていても、その童顔からなのか、むしろもっと若く見えてしまうかもしれない。自己過信だが……。しかし、わたしは茶道部でも年齢不詳なのだ。そして、若い子の友人も多い。
 山伏の格好をしているべんさんも、若い子との付き合いが多いようだ。べんさんも若く見える。
 日本的な恰好というのは、大和撫子や大和男子を想像させる。いくらか歳をとってくると、どこかに忘れていたそんな古風な懐かしい感じを、なんとなく追い求めるのかもしれない。
 その山伏姿のままで、町のカジノにあるバーだろうがカフェなど、べんさんはどこでも出没する。酒は好きな方で、なんでもいけるようだ。わたしはさすがに年のせいなのか、あまり飲まなくなったので、ご一緒することは未だない。甘い和菓子の方でのお付き合いだけである。
 そもそもはやぶさのメニューに、抹茶と和菓子というのは、以前からもあった。それは、べんさんの生まれ故郷で親友の母親が茶道教室をやっていて、茶室にあったお道具を形見としてもらったことに始まる。べんさんの母親とも仲が良くて、和菓子をよく持って行
った。思い出のつのるお茶碗や菓子皿は、少しかけていても捨てられない。直せば、それも味のあるお茶碗だとべんさんは言った。
 置いてある抹茶茶碗には、茶道部も欲しいと思う、なかなかどうしていいものがある。飾ってある店の棚から、客が好きなものを選び、それで飲む。但し、べんさんがたてる。時折、こちらの人が無理やり茶せんを使うと力任せで壊したりするらしい。
 山伏姿のべんさんが、ごつい手なのに繊細に気を使いながら、形見のお茶碗で茶せんを回していると想像すると、少し笑う。
「茶道部! きてみてくれよー。わかんないからさぁ。なんか説明とか置いてくれないかなー」
 と、町で顔を合わせると、茶道部の皆に言うので、こんなイベントをすることになった。
 こちらでは、ボランティアは日本よりも自然な形で色々とある。世界で地震や災害が起これば、なにがしかのイベントが学校や集会所、マーケットなどで行われ、募金箱も各所に設置されて、それらは、災害地がどこであれ寄付される。
 そんなイベントにはべんさんの和菓子も、また茶道部も参加することが多い。全額を寄付というわけではないから、差し引いてもそれらは結構な売り上げになる。山からおりてきて参加しても、べんさんにとって効率がよい。そして、寄付に貢献しているということで、なによりもモチベーションがアップし、気持ちがいい。
 べんさんも毎日が生活で精一杯だが、こうして少し余裕ができた日には、お手伝いしてくれるバイトの子達に夕食をご馳走して、飲んでしまう。若い女の子に、こういうときはモテモテだろうが、子供もいない山伏姿のべんさんには、説法を終えたあとに、若い子と楽しく食事をしているお坊さんみたいにしか見えない。山伏は、獰猛な一角獣にはなれない。

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