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どらやき修行

「今日は、お天気がいいからドライブもいいわね。観光列車でなくても」
「本当にねぇ。楽しいです。森林浴もできて、景色も最高!」
 フォルクスワーゲンのビートルを運転するわたしの助手席には、日本からやってきた若い写真家の沢田るりという女性が乗っている。彼女は、わたしの古い友人の紹介で、かれこれ十年前から付き合いがある。 
 わたし――本山美樹は、もうすぐ還暦で、べんさんと三つほどしか年が違わない。べんさんの方が年上だ。こんな兄貴がいたらきっと、わたしの家も笑いの絶えない楽しい家族だったかもしれないと思う。
 なにしろ、べんさんは、日本の沖縄からヨットでちょっと……のつもりで太平洋に出て、そんな気軽さで、ここまでたどり着いた。いや、実際はそんなわけはなくて大変だったのだが……そんな話をおもしろくわたしに聞かせてくれる。そして、運命に翻弄されて、いつの間にかここに流れ着いてしまったのである。
 その航海のお話はあとにすることにする。
 今は、芸術家も多い観光地――少し前からヒッピーの村と言われているケランダの山頂に、わたし達は向かっている。この短い距離でのヘアピンカーブ連続は、わたしの田舎、群馬県の伊香保温泉から榛名山に行くルートに似ているように感じる。厳しいカーブは、なかなか手ごわい道だ。
 わたしが免許取り立ての頃、覚悟をせずに入ってしまった県道三十三号は、今でも恐怖の思い出に残る体験だった。
 そういう我々の人生も思いがけずに、いつの間にかカーブに入り、こんな方向に向かってしまった! ということが時折あるのだろう。少なくとも、わたしの人生は、ひょんなことから方向転換ばかりの曲がりくねった道だったような気がする。
 流れる川は、一度曲がると次も曲がり、どんどんと曲がりくねってしまう。それは、ひどい大雨でも降れば、覚悟を決めてまたまっすぐになる。小さな池を残し、川はなにごともなかったように、またまっすぐ海へと流れていく。
 そして今は、わたしはどうしてここで生活しているのか……なんてわからなくなってしまった。最初は望みはしたが、なにかを選んだだけ……。それは、仕事をここでしてみたかったということ。
 それから、仕事のパートナーとがんばってみた。そうしたら自分で店をやることになり、次に子供ができた。人並みに一生懸命に子育てをしていたら、かれこれもう三十年もこの国に住んでいた。それでも、ここで骨をうずめるという覚悟までは、わたしにはまだない。
 べんさんはどうなのだろう? べんさんには家族がいない。日本の下町で和菓子屋さんを営んでいた彼の父母も他界してしまっている。店はもうない。この国のこの山のてっぺんに、べんさんの和菓子屋はある。父親の作っていた大福やどらやきの味は生きている。
「今日は、こちらの茶道同好会の方達の公開お稽古というイベントがはやぶさであるんですよね?」
 わたしは、この町の茶道部の一員だ。
「そう。べんさんの和菓子とお茶のジョイントで、宣伝の相乗効果をねらってる! なんてね」
「茶道部は、リタイアされている方や、まぁそこそこ余裕のある方で楽しんでやられているのじゃないのですか?」
「いやいや、ここでお道具やらを買うのも大変だからねぇ。趣味ったって、そんなお金持ちの道楽ごとというわけじゃない。皆が好きでやっている学生レベルの茶道部だけど、なにかと物入りで、欲も出てくるというもの」
「それで、色々なイベントでは、お抹茶を一杯いくらで取るんですね」
「そうね。大体最近は、外国の人の方が茶道文化を知っていたりして驚くね」
「そうですね。わたしの写真でこの間雑誌に出していただいたのは、盆栽とか苔玉を上手に作っている外国人の方でした」
「もしも、日本の文化のことでこちらの人に接してみて、それが気になるような違和感があったとしても、最近はわたし達日本人の方がそうでなければならないという決めつけ、つまり固定観念などなくなっていると……そう思わない? こちら側よりも、あちら側から見た方が、なんだかはっとすることが意外にあるじゃない。茶道でも質問されて、こっちの人の方が日本のことを勉強しているのに驚くことあるわね」
「はい。そして愛情、趣味に熱の入れ方が半端じゃない」
「ほーんとね。負けちゃう……日本人が恥ずかしくなると思うこともある。仕事よりもそのために働いているという人、なによりも夢中になる人っている」
 助手席のるりは、飲もうとしていた水のペットボトルを、車が大きなカーブで揺れたので、慌ててまたキャップを閉めた。
 るりは、中堅どころフリーの写真家なので、今回は観光を兼ねて、はやぶさとその周辺の自然を撮影にきた。しかし、商品撮影ではないので、キャノンのコンパクトデジタルカメラしか持ってこなかった。小さいので持ち歩きによく、一眼レフカメラで高性能だ。観光地では、ひとりで歩き回る場合、盗難などにも気をつけなければならない。三十代半ばのるりも、海外には旅慣れている。
 今日るりが友人のわたしについてきたのは、べんさんとその観光地に興味を持ったからだ。べんさんと店のはやぶさは、昨年に、こんなところで日本人が和菓子屋をやっています――ということで、テレビに出たのだ。一時間番組で、どんな風に映るのかと興味津々のわたしは、友人がビデオに撮ったものを見た。
 昨年の秋だったと思う。それは日本でゴールデンタイムに放映された。まず、その観光地がどんなに僻地であるかのように映され、べんさんの作る和菓子、アンコのどらやきが現地の人になかなか理解されず、「どらやき苦労物語――亡き和菓子職人である父親の思いを、外国で貫く」みたいなドラマチックなドキュメンタリー番組になっていた。それはうそではないが、はやぶさは、ここに住んでいる日本人や、地元の方にどれだけ重宝されているかは省かれる。それはそうだろう! それじゃ番組上、趣旨が違いつまらない。
 そして、実はもっと違う意味で重要だろう……と思われるべんさんがここにいるべき隠されたお役目のようなものがある。そう、わたしは思っている。
「それにしても、べんさんの格好って、山伏みたいですね」
「あはは。そうよね。袈裟は着ていないし、杖も持っていないけどね。頭巾の代わりは、バンダナみたいに巻いた手ぬぐいだし、結袈裟のようなものを首からアクセサリーで下げているものね。なんか、木の実みたいなものがマクラメで編んであるような……。絣のもんぺに長ぐつって、作業着だけど、いつもこーんな格好よ」
「なんか、そうすると人柄も山伏みたいに思えてしまいます」
「ふーん。そうかもしれないよ。怒ったり、いらいらしたりしたところを見たことがない。たまに、愚痴っぽいことはこぼすことあるけどね。ひとり身だから、ひとりで仕事もしてるし、生活も大変なんでしょうねぇ」
「お山の上で修行しているんですね」
「そうね。どらやきの!」
「どらやきは確かにおいしい! でも、ふふふっ! どらやきだけじゃないのに、あのテレビではそんな感じに受け取られますよね」
「わたしは、みたらし団子が好きだし、枝豆ごはんにお赤飯やあんみつもよく食べに行くよ」
「そうかー。楽しみです。ここで和菓子が食べられるなんて!」
「息子は、マンゴーのかき氷と、ユーカリを入れたお団子は、草もちみたいで好きみたいだよ」
「ここでの特産物もチャレンジしているんだ。それにしよう!」
 と、わたし達は車内で、おばさんと若い子とのガールズトークになっていた。年齢関係なく、女性は甘いものには目がない。

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