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彼が大人になりたかった理由

「あれが、僕の大切な《神様》だよ」

 無邪気な笑顔で、あの人が告げる。

 神聖な教会の地下室で、僕は《神様》を見た。

 かみさまって、優しくて、温かくて、僕たちを守ってくれる存在なんだと思っていた。

 けれど。

 僕をまっすぐに射抜いた、赤い瞳。

 大好きな王様の髪と瞳の色に良く似た、赤。

 あの赤が、瞼の裏に焼き付いて離れない。


※※※


 体中が軋んで悲鳴をあげていた。足はバラバラに引きちぎれそうだし、手はもう少しも動かせないし、口の中は血の味がする。そこらじゅうに転がる瓦礫やゴミに何度も体を打ち付けて、切り傷や打ち身だらけだった。

 どれくらい走り続けているのだろう。もう限界だということは分かっていたけれど、どうしても足を止めるわけにはいかなかった。

 僕を追いかけて来るその赤に、追いつかれたら終わりだから。振り向いている暇はないから、どれくらい近くに迫っているのかは分からないけれど。もう、すぐそこまで来ていることは直感的に理解していた。
 
 今日は、僕の誕生日だったのに。どうして、こんなことになってしまったんだろう。


※※※


 緋色の王様は、いつだって優しかった。保護したたくさんの子供達を平等に愛し、慈しんで育ててくれた、僕の大切な人。王様のためなら、なんでもしてあげるつもりだった。

「ねえ王様。僕、もうすぐ大人になるけれど、そしたら王様のために外に出て働くよ」

 そう言ったのは、王様のためだったのだ。王様もニックも、時々教会の外に出て何かをしていることは知っていた。新しい子供を連れてきたり、食べ物や服を持ってきたり。考えてみれば、こんなにたくさんの子供達を二人だけで育てているなんて、とんでもなく大変なんじゃないだろうか。だから、僕は大人になりたいと思った。大人になって、二人を助けてあげたい。そうしたら、王様はきっと喜んでくれるはず。

 でも、その言葉を口にした瞬間、王様は赤い瞳を見開いて凍りついた。

「大人になる?」

 無感情な声で、王様が呟く。その目は僕に向けられていたけれど、明らかに僕を見てはいなかった。

「君は、もうすぐ大人になるの?」

 いつもと同じ優しい声なのに、なぜかその声が冷たく感じる。王様がどうしてそんな顔をするのか、僕には分からなかった。だから、もう一度言ってしまったのだ。

「そうだよ。僕、今度の誕生日に大人になるんだよ」

 実際、僕が何歳なのかはよく分からないけれど、なんとなくそんな気がした。周りの子供達とはもう同じ遊びで同じように楽しむことはできなくなっていたし、この教会に閉じこもって毎日同じ光景を見続ける日々にも飽きてしまっていたから。

「そっか」

 王様は僕の言葉に頷いて、そしてにっこりと笑った。いつもと同じ、慈愛に満ちた笑顔で。

「じゃあ、盛大にお祝いしないとね」

 このときに、気づけばよかったのだ。思えば、おかしいことなんてたくさんあった。信じられないほどにたくさん。それなのに気づけなかったのはどうしてだったのか。王様とニックが巧妙に隠していたからか、僕があまりに世間知らずだったからか。

 なんにせよ、僕が気づいたときにはもう、全てが手遅れで。僕は大人になれるという未来を疑うこともなく、ただ無邪気に誕生日の日を迎えたのだった。


※※※


 誕生日、とはいっても、僕は自分が生まれた日がいつかは知らない。この教会に住む子供達にとって、誕生日とは教会に連れてきてもらった日のことだ。その日付を覚えておいて、王様かニックに「明日は自分の誕生日」と伝えると、盛大なお祝いをしてもらえる。誕生日のお祝いには、いつもより豪華な食事が出て、新しいおもちゃを1つもらえるのだ。僕の誕生日だって、いつもどおりなら素敵な日になるはずだった。

「大人になる君には、特別に教えてあげるね」

 深夜、誕生日になった瞬間に王様に起こされて、僕は眠たい目をこすりながら彼の後をついていく。まだ他の子供達はみんな眠っていて、教会は真っ暗だった。ときおりぽつんと置いてある、廊下のろうそくがゆらめくばかり。こんな時間に教会を歩いたことは今までなかったから、ずっと暮らしてきた場所なのに、なぜかとても怖かった。

 そんな僕の様子など気にもとめず、王様はどこか上機嫌でさっさと歩いて行ってしまう。なんだか、今までに見たことがないくらい王様は楽しそうだった。

「この教会には、《神様》がいるんだよ」
「かみさま?」

 駆け足で追いかけながら、思わず僕は聞き返す。僕は無知で、あまり多くのことを知ってはいないけれど、かみさま、というものの存在は聞いたことがある。優しくて、温かくて、僕たちを守ってくれる存在。でも、確かかみさまは空の上に住んでいるはず。

「かみさまは、空の上にいるんじゃないの?」

 そう問いかければ、たちまち王様は不機嫌な顔をした。

「それは僕の神様じゃないよ。僕の《神様》は、ここにいるんだ」

 そして、王様は廊下の行き止まりまでくると、いきなり僕の手を掴んだ。尋常じゃない強さで掴まれて、僕は思わず悲鳴をあげる。

「痛い、痛いよ、王様! ここ、行き止まりだよ?」
「知っているよ。でも、この先に《神様》がいるから、行かなくちゃ。僕の手を離さないでね。離したら、壁に埋まって出てこられなくなるから」

 どういうこと、と聞く間も無く、王様はいきなり僕の手を引っ張って行き止まりの壁に向かって突進した。壁にぶつかる、と思って僕が目を閉じると、スッと不思議な感覚がして、気がつくと見たことのない廊下に立っていた。

「え?」
「この先の階段を降りて、地下に行くよ。早くしないと、みんな起きてしまう。ほら、急いで」

 王様に急かされるまま、僕は廊下を進み、突き当りの階段を降りていく。これから会いに行くのはかみさまのはずなのに、僕の降りている階段はまるで地獄に続いているかのように重苦しい雰囲気を感じさせた。

「《神様》に君を会わせるの、とっても楽しみ! きっと《神様》は君を気に入るよ」

 別にかみさまになんて会いたくはなかったけれど、そんなことはとても言い出せない雰囲気だった。王様は一度機嫌を損ねるとなかなか面倒なことになる。この教会の全ては、王様の思うがままに動いていた。だから、取り返しがつかないと分かっていても、王様の言いなりには慣れっこだった僕は、彼の命じるままに《神様》のいる地下室までたどり着いてしまったのだ。

「さあ、扉を開けてごらん。きっと、驚くよ」

 ろうそくの明かりしかない薄暗い廊下にいても、王様の赤い髪と瞳はよく見える。いつも見慣れているはずのその赤が、妙に印象に残ったのはどうしてだったのか。

「さあ、早く」

 王様の楽しげに急かす声に背中を押されて、僕は震える手で扉を開いた。

 それが、最悪の選択だとも知らずに。

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