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策謀の夜―⑤―

午後6:45 バンクーバー市内  

 硝子管の立ち並ぶ職場で、ブランドンは、防寒服越しに寒さと戦っていた。

彼の積み重ねた知性を活かせる職業の適正の関係上、一日と言う程長くは無いが、職場の入室確認札と電子演算機で、終了時刻を刻む時までの伴侶として、割り切っている。
 
そんな彼の目の前に聳え立つ、人一人が入る程の大きな硝子管。

それは、現在、読んでいるダンテの地獄編を思い出さずにはいられなかった。

“明けの明星”と謡われた天使が、傲慢の余り落ちた凍結地獄。

神々しさと凛々しさに溢れた天使の体は、地表から地底まで突き出て、ダンテは、導き手のアエギリウスの歩む、天国への道になり果てた。

 淡い輝きを放ち続ける硝子管の背後で、蜘蛛の巣の様な配電盤が照らされている。

その背後には、蛇の様に曲がりくねった配線が、天井と地表を貪っている禍々しささえ覚えた。

 禍々しさと儚さを覚える造形の中で眠るのは、一人の男。悪魔大王ほど、大きくない。されど、自分の体より小さくもなく、頑強ではあるが、整った輪郭の短髪をしている。

 もう一つの硝子管には、一糸まとわない女性。鍛えられているが、その右乳房には、黒くすすけた穴が開いている。

――悪魔大王の隣に、天の乙女……煉獄要らずかな?

 同僚の女性を振り向かせる為に読んでいる本にちなんだ表現は、我ながら、余りにもお粗末だった。

考えながら硝子の足元で広がる、鍵盤と画面に目を向ける。

「ブランドン。検体の状態は?」

 頭に、遠隔操作の送受声機で、変換された声が響いた。

ブランドンは音声の発生元に目を向ける。

自分と同じ、黄色い極低温用の防寒服を纏った者が立っていた。

防寒服を着た者の背後に広がる、規則正しく並んだ、硝子管から繋がった計器への配線は、さながら血管で、無数の柱は骨となり、無機質な巨人の体内を思わせる。

「色々あるけど……どっちの方?」

「私の観点から言うと、あなたは()()()検体に何かご執心のようだけど?」

 電子変換された女性の声が指しているのは、()()()()()()()方だろうか。

女性の声は何処か楽しく試す口調で、

「図星だった?」

 ブランドンの息の根を止めに、掛かってきた。

「ルチア……男の前で、それを言うのは少し……酷すぎないかな?」

「あら……ダンテは、セイレーンの誘惑に関して、ヴェルギリウスの警告を拝聴したわよ?」

 ルチアの言葉に、ブランドンは再度溜息を吐かされる。

「それに、あなた……()()()()()()()()()()()()()は、()()()()なるわよ?」

 そう言われて、彼は極低温用の防寒服の頭部、その口元を見た。

 その様子は、当然彼女の眼は、猫背となったブランドンを映すので、

()()()()()?」

 ルチアに言われて、彼は気付いた。

「まだまだ、“至高天”への道のりは長いようね……」

 彼女の呆れたような、何処か楽しんでいる言動に、ブランドンは素直に負けを認め、

「分かりました……愛しのベアトリーチェ様。私の考えていることは――」

「職務上の範囲に限るわ」

 釘を刺されたが、「()()()()()()()は後で、じっくり聞くわ」と思い人の抑えた呟きに、それだけでも地獄から十天を、10回は回れそうな気分だった。

「デュラハンの中にいた男の体温は、安定している。彼を覆うリア・ファイルを直ぐ、低温状態に置いたのが功を奏しているのかもしれない」

 ブランドンが話し始めると、ルチアと、その場にいる研究員、7人が傾聴する為に作業を止める。

 硝子水槽に眠る男にあるのは、ブランドンの知る限り、神の加護でも無ければ、悪魔の呪詛でもない。

 リア・ファイルという微小機械(ナノマシン)だ。

変わった性質として、宿主の“熱”、物理現象に変換して攻撃、防御、回復を行う。しかし、使用した熱を宿主から、強制的に奪う。使い続ければ、体の一部、または全部が燃えつくされる。

ブランドンは、英国の大学で極低温を扱う工学を専攻していた。

彼の隣にいる女性のルチアの在学時代の専門は、ナノ工学である。

演算器を扱う上で、熱問題は切っても切り離せない。

二人の出会いは、運命だったと言っても良い。

 しかし、二人が距離を急接近させたのは、進路を決める時だ。
 
端的に言えば、将来の進路と学問を一致させる、理想的な職場が見つからなかった。

ブランドンとルチアも同じだった。

だが、ある人の紹介からブライトン・ロック社の門を叩くことになった。

面接をして、二人の仕事は、ナノマシンの研究、観察と保管を担当することになったのだ。
 
初め、“過熱状態”の情報管理計器の冷却と、量子演算機の発展と言われたが、何故か現在、裸の男女を見ることに、疑問を持たずに揶揄(からか)える仕事をしている。

天職という言葉は、個人の持つ()()()()ではなく、それぞれの()()()にあったのではと、ブランドンは愚か、ルチアも今なら断言出来るだろう。
 
自分の知識を動員し、まるで詩の朗読の様に話すブランドンは、自分の口調が重くなっていくことに気付いて、続ける。

「ただ、こっちの検体は良くない」

 そうして、ルチアに指したのは、硝子柱の女性だ。

 名前は、アデライン=アレサンドラ。

キャニスという名前で、通っていた命導巧(ウェイル・ベオ)使いである。

運ばれた時、彼女が十代最後の歳と言われ、ブランドンが大学へ入学した当時を思い出した。

色々な出会いを得て、青春の蹉跌を味わい、その中で掛け替えのない存在を見つける希望に満ちた年齢だったことを思い出した

ブランドンと同じことを、ルチアも考えていたのか、キャニスの情報を見る度に言葉数を少なくしていった。

 キャニスが得られると思ったであろう、19歳の未来が()()()()()()()()()に。

 ルチアは息を整え、

「やはり、ウィッカー・マンの致命傷?」

「そうとは言えない、妙な傷だ」

 ブランドンは、キャニスの背面をルチアに示す。

 指された部位は、角に突かれたように抉れ、傷口は褐色の肌よりも黒ずんでいた。

 7人の研究員は、防寒服のまま、キャニスの体へ首を向ける。

「これ、ウィッカー・マンの傷じゃないわ……」

 ルチアの電子変換された声が、騒めく研究員の声と共にブランドンに伝わる。

「クァトロは愚か、フル・フロンタルとも一致しない。サロメからの攻撃みたいだけど、奇妙なことに再生が進んでいない」

 リア・ファイルで分かっていることは、宿主を選ぶことである。

宿主そのものを、たとえ()()()()()()()、防衛する。

硝子管に送られる液体窒素による、極低温処置は、リア・ファイルの再生過程による活性化――つまり、自然発火――を抑える為のものだ。

 しかし、このキャニスで通っている少女のリア・ファイルは、奇妙なことに活動していなかった。

「待って……それって、ブルースと同じじゃないの?」

 ルチアは、硝子管から離れた演算機の鍵盤を叩き、画面を呼び起こす。

 画面には、“Bruce Balt”と描かれた人体図が大きく浮かぶ。正面と背面、二つの図で後者の大部分を赤が染めている。

ブランドンは、ルチアに示された内容を見て頷いた。

 グランヴィル・アイランドの騒動で、負傷したブルースを、ブランドンと仲間たちは無線通信を通して診断。

その際に受けた損傷の映像を記録している。

 記録を基に、リア・ファイルの活動を把握するための立体投影図を作成。

彼の生体標本――血液――も併せて調査した結果、彼の体内のリア・ファイルが活性化していないことが判明した。

「ブルースの場合は、何故か知らないが……その後、再生速度が戻ったんだ」

 赤く染められたブルースの二面図の背中の絵が、緑に変わっていく。リア・ファイルが活動を開始しているサインだった。

 ブルースの記録映像の方も、修復を開始していく様を映していた。

「問題は――」

 ブランドンは、ルチアの横で、別の画面を出した。

「……ロックのデータ。これは――」

 ロックも、ブルースと同じ診断を受けた。

二面図と遠隔撮影によるものだが、傷は塞がっている。しかし、二面図の活動は赤いまま――否、赤から緑や青と、()()()()()()表れていた。

 ルチアが隣で言葉を途切れさせた雑音が、ブランドンの耳に伝わる。

「リア・ファイルが機能しているけど……これは」

 ルチアと他の研究員の息遣いを背景音楽に見立てながら、

()()()と言っても良い。それに、ロックは妙なフラッシュバックに悩まされているとも言っていた。気になることに、ブルースの傷も、ロックのナノマシンの活動に合わせて回復に向かっていった」

 様々な色が明滅する、ロックの背面を見入るルチアに、ブランドンは続けた。

「標本が少ない分、分からないことだらけね。ロックの場合、フラッシュバックについても本社に問い合わせないとね」

 ルチアは、ブランドンと7人の研究員に観察を続けるように促す。

 ブランドンの思考は、既にこの職場を後にしたことを考えていた。

 職のある者の恋愛は、若い時と比べて「()()」や「()()」で事足りる問題ではない。

 ブランドンとルチアの関係は、殆ど職場の黙認だった。

 春になるから、次の段階へ進めという、10人の同僚からの無言の圧力を、ブランドンと目の前のルチアは受けている。

だが、気が知れているからこそ、力技で押し通すのは難しい。

それで、ルチアの考えを知る為に本を借りた。ダンテの神曲だ。

ルチアも、ブランドンの好きなロシア文学――トルストイの“アンナ・カレーニナ”を借りて、お互いの人生の指標を読み合っている。

 読んだ内容を話し合い、議論し合うのだが、これが意外と面白い。

 自分と違う視点を話し合うことで、今までの考えをいい意味で破壊し、常に思考を更新してくれるのだ。

――男を見せろ、ブランドン。

 そう考えていると、ルチアが振り返った。

 心が通じていたかと期待したが、

「チャドから連絡が無いの。少し、様子を見て来てくれない?」

 その名前で、現実へ一気に引き戻される。

 チャドは、ブランドンだけでなくルチアの恩人でもある男だ。

 量子演算器の研究を専攻していた友人で、今の職場を、ブランドンとルチアに紹介してくれたのだ。

 就職が成功したのは、自分の考えを訴える技術を面接や大学の研究で培ったのが大きい。

しかし、どれだけSNSや電子演算器の技術に面接の技能を得ても、それらを活かせる機会を与えてくれるのはいつだって身近な人――ブランドンとルシアの場合は、友人――なのは、変わらなかった。

()()()()()()()()()()()に関して、友人には、頭が上がらない。
 
だが、()()()()は、別問題だった。

「“ヴェルギリウス”の案内は、まだ必要よ?」

 ルチアが、ブランドンの背後で笑いながら電子変換音声で見送る。

――チャド、スピーチで、飛び切りの面白い冗句を言ってもらうからな。

 いつ来るか分からない遠未来に行う、恩人への辱めの刑罰を考えながら、硝子柱と配線に溢れる広場を後にした。

 今いる研究施設は、多くの液体窒素を使う。

 液体窒素は適度に空調を管理していないと、外部の酸素と結合し、爆発事故を起こす。当然、生身であれば凍傷を負い、最悪、結合した空気を口にすれば、窒息死である。

その為に、液体窒素の含まれた貯蔵管内の調節弁を緩めて、膨張する前に解放しないといけない。加えて、酸素との結合も防ぐ為に、貯蔵管も閉じないといけない。

 その管理は当番制で、今日の担当は三人。

その一人が、友人で恩人にして、朴念仁のチャドだった。

 ブランドンの前で、その本人と思しき、仁王立ちの人影が立っている。

「おい、チャド。そんなところで突っ立ってどうした? 『凍結地獄を案内する』って言ったら、笑えねぇぞ?」

 拳闘の牽制と言わんばかりに、皮肉を言う。

チャドもダンテの新曲を読んでいたので、ルチアの考えを知る為に、ブランドンの相談に乗ってくれていた。

しかし、どこからそれを知ったのか、ルチアは、自分をダンテ=アエギリウスで、親友をヴェルギリウスと、称し始めた。

知己故の、おふざけだった。

 本来なら、そのよしみで、チャドから一言返って来るなのだが、

「笑えね――!?」

「笑えねぇよ」と言おうと、ブランドンは口を緩める。

だが、彼の紡ごうとした言葉が喪失。
 
ブランドンが、タンクの計量装置の針が、右側の赤い領域に差し掛かっているのが見えたのだ。

圧力が上がっていることを示している。
 
一つだけでなく、二つでもなく、貯蔵管()()だ。

こんな、危険な状態となっているというのに、面倒見の良い友人が、()()()()()()()

今、ブランドンが()()()()()()()()()()()()()()だった。
 
彼は、外気と体内から来る寒さを振り絞りながら、チャドの両肩を揺する。

 振り向かせると、言葉と息……いや、口から出る全てが、消えた風に思った。
 
まるで、何かに()()()()()()()()()()()()が喉元から広がっている。
 
なにより、()()()()()()()から、辛うじて見える黒くすすけた、眼窩と鼻孔が液体窒素と外気で生まれた風に、崩れ去っていった。

「そいつ、酷いと思わないか?」

 白い冷気に包まれた先に、男がいた。

 防護服がなく、フード付きトレーナーしか着ていない。頭を覆うフードの中から見える、銀光の左眼がブランドンを射抜いている。

「心優しい俺が、寒いから“()()()”やったら、『止めろ!』や『出ていけ』と言われたんだぜ?」

 ブランドンは、銀面の男の言葉で事態を理解し、取り抑えようとした。

 怒り故の行動である。

 だが、それは、叶わなかった。

 トレーナーから伸びる銀色の左腕が、ブランドンの腹と防寒服を貫く。

まるで、熱されたバターナイフに切られたバターの様に、音もなかった。

「取り敢えず……落ち着け。顔を()()()()()()?」

 顔が半分銀灰色となった、男の目の前の視界が途絶。

 人を温めるものではなく、中から人を食い尽くさんとする青い灼熱が、眼に入るもの全てを奪いつくすように思えた。

 銀色の固まった面が、ブランドンの今際の際の映像だった・

 だが、それでも、彼の心で思い続けたのは、ルチアだった。

 そう構わず、防寒服を着ていない侵入者は、

「さて、もう()()()()は入れたかな~?」

 喜びに何処か満ちた、場違いな歌声の様に独り言を宣う。

 ブランドンの耳に、耳障りな死を呼ぶ声、炎に焼かれる音と共に、防護服の無線越しに響いたルチアの言葉が入る。

「ブランドン、逃げて!!」

 彼女の言葉が、薄れゆくブランドンの耳を抜けた。

 彼女の祈りを叶えられぬブランドンの身は天国に。

 そして、彼の心は“憂いの国”に誘われた。




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