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日常

織前寺元道(しきぜんじもとみち)の居宅は萱葺き屋根の一軒家だ。
旧家であり方位こそ正常だが、祈祷に護摩に呪術具作りと忙しく、修繕は放置されている。
主に陰陽師の仕事の受付を担当している千鳥昇華《ちどりしょうか》が元道に祈祷道具を持ってくる。

「祈祷道具の準備ありがとうございます。」

平安時代の病気は祈祷治療と漢方・ツボ治療によって治されていたが、現在では祈祷の効果は否定されている。
当時としては漢方の効かない病気の場合、祈祷による激励効果に頼るしかなく、祈祷は欠かせないものだった。

「さて行ってくるよ。」

向こうから人の気配がするが、居宅の入り口の引き戸を引く。
向こうの人物は予想してた場所に引き戸がなかったせいで、こちら側に倒れこんだ。

「元道さん意地が悪いや。」
「すまんな。」

彼の名は地竜。軒下に身を潜めて隠密活動をするのが得意だ。
さきほどの朱雀といい地竜といい、この時代の子は名前を与えてもらってないことが多い。
姓名が付いたのは江戸時代以降のことである。


道中は朱雀と2人歩き。
身の軽い朱雀はスキップなのか空中浮遊なのか分からない式神のような歩きかたをしている。

「元道さんはどうして陰陽師になったの?」

親父が陰陽師だから、という理由では納得してくれない。

「想い人が死んでしまったからかな。」
「ふぅん。じゃ元道さんは今は彼氏いないのね。」

大分経っているのに、今彼氏いないのはどうして想像できるんだろう。実際いないけれど。

「おいらでよかったら代わりになってあげるよ。」

成人年齢が15という当時、下手をすると親子になりかねない歳の差が心配だ。
陰陽師という仕事柄、醜聞になるかもしれない。

「ちぇ、脈あるのか分からないや。」

こちらが考え込んでしまっているので、朱雀は近くの石を蹴っ飛ばす。
石は放物線を描いて水溜りに飛び込んだ。潜んでいた蛙が飛び出していく。
目的地に着く。

「ずいぶん大きな屋敷だな。」

お屋敷の庭には縛られた赤鬼と青鬼がいた。祈祷前にこの家で 衛士(えじ)を呼んで安全を確保してくれたらしい。
朱雀は出番が減ったと言わないばかりだが、余計な危険がない方が私は助かる。

「この鬼共、どうするんです?」

安全を確保してくれたのはいいが、放置されている鬼たち。

「すみませんが、鬼界に帰還させる呪言をお願いします。」
「了解しました。」

織前寺元道《しきぜんじもとみち》は、袖からマントラの描かれた布を取りだすと、鬼に被せて呪言を発する。
鬼共は焔に包まれて鬼界に還って行く。人と鬼は交わらない方が両者の為だ。
祈祷の儀式も終わり、お茶が出されて会話する。

「鬼がいなくなったせいか、祈祷が効いたのか分かりませんが、病人の顔色がよくなりました。」
「元道様は、有力な陰陽師様なのですか?」

安部晴明《あべのせいめい》や蘆屋道満《あしやどうまん》のような代々の連中と比べてほしくない。
でも代々の連中は庶民の祈祷なんかはしないので、庶民的なのは良いことと思っている。

「うちの陰陽師様は下っ端だから、普通の家にも気軽に来れるんだよ。」

朱雀が余計なことを言うものだから、肘で小突く。横で小悪魔的な笑顔が見えた。


検非違使庁《けびいしちょう》。
丹精な顔付の青年が、国司に呼び出されている。

「聞いておるぞ。其方は殺人現場にいながら被害者を見殺しにした不届き物であると。」

青年は俯いて何も答えない。知人を庇っているのか、罰を臨むのか、その真意は表情から窺い知ることはできない。
牢番に引っ立てられていく。彼は元道《もとみち》の友人であるため、牢には地竜が遣わされて話をしている。

「ふうん、真相はそうなんだ。それなら、しばらく入ってるのね。」

元道は義に厚い一面を持っている。しかし相手が望まないなら一切援助をしない。
その放任主義が、陰陽師の仕事で向かってくる危機を何度も回避してきた。

「地竜さん。」

検非違使庁を出てくると町娘の小雛が小走りで寄ってくる。
知り合いだが別々の仕事を抱えているため、気の置けない友人といったところか。

「お仕事なのですね。」

陰陽師の手伝いは、悪行ではないのに、あまり信用されていない。
理論的に説明できないことに、人は心を開かないのかもしれない。

「小雛だって検非違使の手伝いじゃないか。」
「地竜のような危ないことはしません。」
「悪の手先みたいに言わないでおくれよ。」

元道《もとみち》、朱雀、地竜が帰ってくる頃には日が傾きかけている。逢魔が刻。
昼と夜の分岐点であるこの時刻は、犯罪や災害が多く起きるとされている。

「地震か、最近多いな。おわっ。」

朱雀が身を寄せてきたのでバランスを崩す。怖がりではなく、彼の防衛法。
だが、こんな状態を地竜に見られた日には、説明のしようがない。
着く直前に地竜と予想通り合流してしまった。否定した朱雀だが地竜は祝言を投げる。

「元道《もとみち》さんに朱雀はべったべたじゃないか。」
「はぁ~、なんでそうなるんだ。」
「否定はしてもまんざらじゃない様子だな。末永くお幸せに。」

夕食は全員で料理。根菜類の味噌煮に野草の浅漬。
主食は米ではなく雑穀なのがこの頃の特徴で、味噌煮をおかずに何回か御代わりをする。
食事や入浴で体が温まると、疲れも重なって健やかな寝息が聞こえ始めた。

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