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ゆらと玉響に

『あの……きのどくな。』(あの……またね。)
「あぁ。」

 一人になって、月を見上げ感慨に耽る。空気を読んだ蝉たちの合唱が、私の不甲斐無さを——




 堂の裏は月明かりにのみ照らされ、互いの息遣いが良く聞こえた。
 息を整えながら私を見上げた姿に、生唾を飲み込む。つないだ手から緊張が伝わってしまったようだ。幼馴染の喉が動く様子を視界に捉える。

 蝉の声は、次第に聞こえなくなっていった。

「ずっと、気になっとったん《《じぇ》》!」(ずっと気になってたんだよ!)
「ありがと、私の事、思ってくれとるん……。」

 見開いた後、俯く幼馴染を待つ。言葉は伝わったはずだ。
 つないだ手を小さく揺らし、たっぷり溜めて口を開くと、

「でもね。」

 笑顔の目元から流れた涙が、頬を濡らした。

「こんなやち。」

 月の光に照らされた足の甲には、消えない傷が残されていた。私が、つけた傷だ。
 言葉での返答は無く、繋いでいた手も自然に離れてしまう。
 俯く私に寄り添う幼馴染は、花火が終わると数歩離れた所で振り返った。

「ごめんちゃ。」

 傷つけた私に、以前と変わらぬ優しさをくれた幼馴染は、離れていく。
 明日から、どう顔を合わせられると言うのか。はぁ。
 祭の終わりまで、立つに立てないだろう――


 ――そう、思っていた。


 サンダルを擦る音が、蝉の声に交じり始めた。誰だよ、《《今》》、来るなよな……。
 少し荒くなった息遣いから、傍に来た者を知る。
 ぶっきら棒な言い方は、待たされた腹いせだ。

「なして、戻ってきたんね。」

「ゆすいどったが。これからも、よろしゅうね?」(口をゆすぎに行ってたよ。よろしくね。)

 頬に近づいてきた事を察し、顔を向けた私は何が起こったのか分からなかった。
 目の前に、目を瞑った幼馴染がいる。私の焦点が合った時には、勢いよく離れてしまった。
 柔らか——感想めいた思いが過る。
 
 言葉にならず、口を開閉させる私は差し出されたジュースを飲み干し、叫んだ。

「何たらぁ――!」

「ひゃぁ!」 

 自分の分を飲もうとした幼馴染は、素っ頓狂な声を上げた。少しこぼしてしまったようだが、私はそれどころではなかった。
 一頻り叫ぶと落ち着いた。慌てていた幼馴染は、まるで幽霊のように手首から先を垂らしていた。ハンカチを持ってこなかったらしい。


「あの……きのどくな。」

「あぁ。」

 別れの挨拶を交わし——
















「まいどはやー?」(こんにちはー)

 ——ガバっと音を立て、飛び起きた。

 庭の物干し竿、麦わら帽子そして入道雲。

 蝉声《せみごえ》も流れ落ちる汗も、ただ陽炎《かげろう》のようだった。

「まいどはやー? ……まめけ?」(ごめんください……大丈夫?)

 幼馴染のしっとりした手が私の額に当てられる。まさか、夢だったのだろうか。

「……かちゃかちゃで、ばやくになっとるけど?」(すごく散らかっているけど?)

 額から離れた手には、銀色の指輪が光っていた。

「ねっちゅーしょーなるよ?」

 あぁ、《《思い出した》》。

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