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リシール

 キノがシートベルトを締めると、涼醒(りょうせい)の運転する車は勢い良く駐車場を飛び出した。

「涼醒君、きみの家に行く前に、うちに寄ってくれる?」

「通り道だしな。何か取って来たいものでもあるのか?」

 キノは少しだけ迷い、口を開く。

「コウに…ラシャの使いに、言っておきたいの。湶樹ちゃんのところに行くから遅くなるけど、心配…」

 涼醒が急ブレーキを踏んだ。キノの身体が前につんのめる。

「何…? どうしたの?」

「…ラシャの奴がいるのか?」

「え?」

 質問の意味が飲み込めず、キノは涼醒を見つめた。そこには、驚きと嫌悪の表情が浮かんでいる。

「知ってるんでしょ? ラシャの使いが私のところに来てること…」

「来たのはな。今も、まだいるのか?」

「うちにいるよ。何で?」

 涼醒が無言で車を発進させる。キノはわけがわからず、目の前を過ぎる白いビルと運転席を交互に見やる。

「私が湶樹ちゃんと会うこと、ラシャに知られない方がいいのかなとも考えたけど、コウを(だま)すみたいで嫌なの。ちゃんと話せばわかってくれると思って」

「そういうことじゃない。そんなのは、黙ってたっていずれバレる。知ってるはずのないことを聞かされた時、あなたに知らないフリが出来るとは思えないからな」

「私にだって、必要な時に必要な顔くらい作れるよ」

「それが通用するのは、相手がただの人間の場合だろ」

 二人を乗せた車が、キノのアパートへと向かう脇道を通り過ぎる。

「このまま行くよ。先に湶樹と話した方がいい。ラシャの使いには、今言おうが後からだろうが大差ない」

「…じゃあ、何がまずいの?」

「来たのは2日の0時だったな」

「うん。わかったのは昼過ぎだけど」

「それからずっといるんだな? 今も、同じ奴が」

「うん。それがどうかしたの? コウは6日間いるって言ったよ」

 フロントガラスを(にら)む涼醒の顔が険しくなる。沈黙が訪れる前に、キノが続ける。

「いったい何なの? コウは…ラシャの使いなんでしょう?」

「ラシャから来たのは、間違いないさ。その先は、湶樹に聞いてみろよ。あいつの方が詳しいし…確かだ」

「さっきも思ったんだけど、どうして?」

「何が?」

「湶樹ちゃんと比べるような言い方してる。きみも、リシールなんでしょう?」

 涼醒は乾いた声で笑った。

「一応はな。同じリシールの母親から、同じ日に生まれた。父親は普通の人間だが、双子はどっちもリシールだ」

「リシールは、遺伝なの?」

「優性遺伝に近いが、リシールの因子は潜在せず、母親から子へ伝わるだけだ。リシールも普通の人間も、両方生まれる」

「じゃあ、きみも湶樹ちゃんも、同じ血を引く、同じリシールじゃない」

「その血の濃さは、全く違うさ」

「どういうこと?」

「…俺はただのリシールだ。ほとんどの者たちと同じ、大した力は持っちゃいない。(かす)かな予知能力と精神感応のほかには、普通の人間より直感力や精神力が優れる程度さ。だけど、湶樹は違う。あいつは…リシールの継承者(けいしょうしゃ)なんだ」

「継承者?」

「そうだ。ひとつの世界に数人しかいない。いつ、どこに現れるかは、全くわからない。突然変異みたいなものだな。湶樹は、その中の一人さ。力を持ち、一族を率いるべく生まれついた存在だ。物心ついた頃からずっと、湶樹と自分との違いを自覚させられて来た。まわりの者たちの態度が、俺にそう教え続けた。口には出さなくても、それくらいわかるさ。だから、自分を卑下(ひげ)したくなくても、自然にそういう言い方になっちまうんだ。故意にしてるわけじゃない」

 キノは何も言えなかった。涼醒はそれきり黙ったまま、ハンドルを握り続ける。


 キノの働くデパートから20分ほど走り、実家のある街に入った。湶樹たちの家は、小学校の向こうに見える丘の方にあるらしい。

「小学生の頃の湶樹ちゃんは覚えてるけど、きみのことはよく思い出せないな」

 子供の頃の通学路に(なつ)かしさを感じ、つぶやくようにキノが言った。

「俺はあなたを知ってたよ。あの頃から、キノって呼ばれてたな」

「みんな、希音(きのん)って言ってるんだろうけど、『ん』が聞こえなくて…『キノ』の方が呼び(やす)いしね。だから、キノでいいって言うようにしたの」

「俺はちゃんと希音って言える」

 キノが笑う。

「じゃあ、そう呼んで。ずっと、何かおかしいと思ってたの。言葉使いが綺麗(きれい)なわけじゃないのに、きみが私のことを『あなた』って言うから、変な感じだったんだ」

「知らない年上の女を、あんたとは言えないだろ。いつも他人には、わりと丁寧な言葉で(しゃべ)るんだけど、なんとなく…希音にそういう気づかいは無用な気がしたんだ。俺に『君』もいらないからさ」

「そうだね。1、2年長く生きてるからって、それなりの経験がなきゃ同じだもん。ちょっと早く生まれたのを理由に(えら)ぶれるのは、学校の門の中だけ」

「同感だな。希音は俺より子供なところがありそうだし」

「反論は出来ないかも」

 涼醒が笑う。楽しい時やおかしい時と同じ普通の笑い声に、キノは何故かほっとする。
 タイヤの下は国道から県道へ、そして、今はセンターラインのない細道へと変わっていた。木々を()ぐ車のヘッドライト以外に灯りはない。

「こっちの方に来たことってなかったけど、家とか店とか全然ないんだね」

「子供の頃は不便だと思ってたよ。だけど、静かなのは嫌いじゃない。まあ、リシールの(やかた)が住宅街にあったら何かと面倒だろうから、へんぴなところにあるのは当然だな。年に何回かは大人数が集まるし、外国人も出入りするしさ」

「リシールは、世界中にいるの?」

「住む地域は限られるから…世界各国にいるわけじゃない。それに、行方を(くら)ます者はほとんどいないから、一族の知らないところに存在するリシールもまずいない」

「全部でどれくらい?」

「リシールが生まれたら、必ずラシャに登録される。それによると、イエルでは6千人に欠けるくらいだな」

「結構大勢いるんだ」

「そうじゃない人間に比べたら、100万人に一人か二人さ。極端に増えも減りもしないらしい」

「そうなんだ…。私、世界やラシャ、それにリシールのことも、最近になって初めて知ったの。今、やっと少しずつわかって来たばっかり。私が知らなきゃいけないことも、きっとまだいっぱいあるはずなんだ。だから、涼醒もいろいろ教えてね」

 涼醒は前方から目を()らし、キノを見つめた。すぐに視線を戻したその顔には、優し気な微笑みを浮かべている。

「えらく素直だな」

「そう? だって、知らなくて困ることはあっても、知ってて困ることはないでしょ? 私は、自分にとって辛いことでも知りたいの。知らない方がいい、その方が楽なことは確かにあるだろうけど…私はそんなのごめんよ。いいか悪いかは、自分で決める。だから、教えてくれる人がいるのは幸せなことだって思ってる」

「俺は(ひね)くれて育ったから、そこまで素直じゃないけど…考え方は同じだな。与えられた嬉しい贋物(にせもの)に踊らされるより、真実をつかんでからどうするか、自分で決める方がいい。その手がどんなに痛かろうが、その方がましさ。俺も希音の言うように、本当のことを知らずに笑ってるなんてのは…死んでもごめんだな」

「そういうところは気が合うね」

「合わないのがどこか、知ってるのか?」

 笑いながら、キノが答える。

「社交性の違いかな。店で美紅が言ってたじゃない、涼醒が合コンで人気者だったって。私、苦手なんだ。ああいうところで愛想良くするの」

「わかる気がする。嫌な男にはしかめっ面してそうだよな」

「一応、顔に出さずにはいられるけどね。まがりなりにも接客業してるし。でも、合コンには馴染めない。何か自分が…品評会で番号付けられてるみたいで」

「実際、その通りだろ。男も女も」

「涼醒はうまく振る舞えるんでしょう? (さわ)やか好青年みたく」

 涼醒が声を上げて笑う。

「本当は違うような言い方だな」

「違うでしょ?」

「優しく気の利く男を、女は好むからな。そうしてた方が、何かと便利だ」

「相手を見つけるには都合がいいってこと? でも、本性はいつかバレるじゃない」

「そこまで長く、一緒にはいないさ」

 キノは眉を寄せる。

「すぐ別れちゃうの?」

「2、3度寝れば、それで終わる。喧嘩する暇もなく、飽きることもなく、丁度いいだろ。可愛い女はたくさんいるしな」

「女の子がかわいそうじゃない。それに、涼醒だってリシールでしょう? 知らないところで子供でも出来てたらどうするのよ。涼醒が何者か、ちゃんと教えてるの?」

「今まで、誰にも話したことはない。言っても信じるとは思えないしな。それに…俺が寝た女に子供が出来ることはありえないから、大丈夫さ」

 キノが涼醒を(にら)む。

「何を根拠に?」

「…俺に、子孫を残す能力はない」

 涼醒が自嘲(じちょう)気味(ぎみ)に笑う。

「さっき言ったろ。因子を持つ者は、必ずリシールとして生まれる。でも、それを残せるのは、女だけだ。リシールである父親は存在しない。リシールの男は生まれるが、子孫繁栄に貢献(こうけん)することもない、役立たずさ」

「ごめんなさい、私…」

「希音が謝る必要はない。知って困ることはない、だろ? だから話したけど、気にするなよ。確かに、妊娠させる心配がないからって遊んでるのは俺だしな」

 タイヤが段差を踏み越えるような揺れを感じ、キノが後ろを振り返る。辺りは暗く、大きく茂った枝に揺れる葉が、空を覆い尽くしているようだった。

「ただ…彼女たちも似たようなもんさ。本当の俺なんか知ろうともしないし、愛してもいない。適当に顔が好みで、自分を気持ち良くしてくれる男なら、誰だって同じなんだ。俺は…一時(いっとき)だけ、何もかも忘れさせてくれるならそれでいい。ほかには何も、望んじゃいない」

 キノは言葉が出なかった。涼醒は車の速度を落とし、森の中にある空き地のような場所で停めた。

「ここから少し歩く」

 涼醒がエンジンを切った途端、辺りは光を失った。車から降りた二人を闇が包む。

「こっちだ。足下に気をつけろよ」

 キノは涼醒の声が聞こえる方を見る。密集した木々の間から届く月明かりは、かろうじて人の輪郭が見えるくらいに弱い。キノはたどたどしく足を踏み出した。

「つかまれ」

 キノは一瞬ためらいながらも、差し出された涼醒の手を取った。浩司と似た繊細なその手が、キノを森の奥深くへと導いて行く。

「無口になったな。リシールの家に行くのは緊張するか。それとも、俺の女との付き合い方が気に食わないのか?」

 しばらく無言で歩き続けた後、涼醒が言った。

「ううん。涼醒も、愛する人に巡り会えるといいなって思ってただけ」

「希音は信じてるのか? そういう奴がどこかにいるって」

「うん。何度離れちゃっても、何度でも出会うような相手…だからって、運命の人だとかは思わない。愛するかどうかは、自分の心が選ぶと思うから」

「愛してるなんて、どうやってわかる? それがなくても、楽しめるだろ」

「でも、身体(からだ)が触れてても…心は寒いじゃない。涼醒も、寂しく思うでしょ?」

「そうだな…」

「だから…出会えるって信じたいの」

「…いつか、会えるといいな。おまえも、俺も」

 暗闇の中、キノは涼醒を見つめる。真直ぐ前を見ているその横顔が、ぼんやりとした灯りに照らし出されて来る。

「湶樹がお待ちかねだ」

 涼醒の言葉にキノが前を向く。
 そこには、鬱蒼(うっそう)とした森の中に突然現れたかのように大きな、そして、どことなく畏怖(いふ)を感じさせる館があった。真黒く見えるその壁に窓から漏れる明りはなく、玄関と思われる扉の前には、ランプを手にした湶樹が立っている。

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