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 キィッ

 物音で目が覚めた。

 何かを求め《《黒い》》前足を伸ばした。

 《《何》》を求めたのだろう。とても大切なモノだった気がする。

「……痛っ。」

 
 軽い眩暈《めまい》を堪《こら》えつつ考えても分からない、何度目だろう。

 薄暗い部屋を丸机に置かれたランプの光が照らしている。部屋の入口は1つ。窓は無い。簡素な造りの机が入口の横に置いてある。
 寝かされていたベッドには枕が1つ。生活感は無いが、誰かの家なのだろう。ベッド横のテーブルには水差しが置かれていた。

「少し苔が生えた石壁に囲まれた部屋、か。」

 体を起こそうとしたところで自身の異変に気付いた。腹がベッドから離れない。

 後ろ足の付け根から足先の感覚が無いのだ。まるで炭化したかのような黒いカサブタが後ろ足の付け根を覆《おお》っている。

「足……踏みつぶされた時か。」

 実感がわかない。俺の足は《《どこへ行った》》? ここにあるはずの、動かそうと思えば、おもえ、ば。……痛覚も触覚も無いのか。
 歯を食いしばる。

「おい、黒球。」

 こんな状態の俺から、いつも通り吸いやがって。
 天井付近を漂っていたバレーボール大《だい》の黒球を見据《みす》え、
……こいつ、小さくなったか? まぁ、そんな事より俺の脚だ。

「俺の脚を治せ。」

 黒球は動かない。

「俺の脚を元に戻せ。」

 黒球は動かない。一抹《いちまつ》の不安が過《よぎ》る。

「俺を歩けるようにしろっ!」

 黒球は、動かなかった。

 魔力が足りないのかもしれない、指示が悪かったのかもしれない。そう思うことにした。
 黒球を呼び寄せる。覆いかぶさろうとするが、ずり落ちてしまう。悔しい。
 こちらを嘲笑《あざわら》うかのように漂う黒球を見て、木板の隙間を通り抜けたことを思い出した。

「俺の移動を補助しろ。」

 黒球が黒いドーナツへと変形していく。
 いそいそと浮き輪を装着したキツネというシュールな絵《おれ》が完成した。

 ときに、黒球よ。なぜ腰ではなく《《脇》》にくっつく? これでは浮き輪に詰まった奴みたいだろ。尻尾が地面に着かないように微調整しやがる黒球を、手首のスナップだけで叩きながら言う。

「放せ……はーなーせー。」

 俺の|紳士的な対応《必死のおねがい》の結果、黒球は締め付けを少し緩めた。
 このチャンスを逃す俺では無い。
 頭と前足を|浮き輪《黒球》から抜いたほうが早い、と目算を立て、前足を抜いた。

「よし、抜けぐぇっ!」

 次は頭を――そうは問屋が卸《おろ》さなかった。あろうことか首に巻きついたのだ。
 ヒトであれば酸欠で意識を失うだろう、|その行為《くびしめ》。呼吸の必要ない俺には、締められる痛みが続く拷問でしかない。

 |ホント、やめてほしい《やめてください、おねがいします》。

 今度こそ俺の願いが通じたようで、胴体と尻尾を黒球は覆っていった。

 漂う黒い芋虫《おれ》の完成である。尻尾《《は》》それなりに動くようだが。

「また動けなくなった……。」

 上手くいかないものだな、と思う。しっかりと前足を固定され動かせない。各部を動かしてみても尻尾を地面に強く押し付けると腰が持ち上がる程度。
 ……せめて後ろ足の代わりになってくれればなぁ。こんな尺取虫《しゃくとりむし》のような動きで何をしろと。

「仕様がないな、ゴロゴロしていよう。」

 はぁ、考える事を放棄する。時間を空けて再度考えてみよう。それまでは休憩だ。
 ベッドの上で寝そべり、少し開いた入口を見る……星空が覗いていた。
 ん? 開いていただろうか。閉まっていたはず? っと自問しているうちに外から遠退《とおの》いていく足音と、
 
「トルーデー起きたよー! 何か変な動きしてるー!」

 というお褒めの言葉が聞こえてきた。ありがとうよ、でも黒球《こいつ》に言ってくれ。

――――――――――

「……で、動けなくなったと。話せるほど頭良いのに、そういう所は抜けてるのね。」
「お前に言われると《《くる》》ものがあるな。」
「どういう意味?」
「|そういう意味《かんがえたとおり》だ。」
「うぐっ……。まぁ、言い聞かせるなら『後ろ足の形になって脚として移動を補助しろ』とか言い様があるでしょ。」

 私服姿のトルーデの言う通りに指示してみると、あっさりと黒い後ろ足に収まった。……なんか負けた気が―――倦怠感のせい、という事にしておこう。
 |後ろから聞こえる鼻歌《トルーデをよびにいったやつ》を無視して脚の調子を確かめていると、トルーデはベッド横のテーブルに置いた水差しに魔力を纏《まと》った手のひらを向けた。
 水差しがゆっくりと浮遊し、トルーデの手に近づいていく。無言のまま目で追っていると、水差しをこちらに向けて聞いてくる。

「ちょっと癖のある水だけど飲む?」
「いや、いらない。今のはトルーデの魔法なのか?」
「『魔法』ではないかな。こういう『工芸品』だからね。」
「へぇ……面白いな。初めて見た。」
「もふもふ、サラサラ。」
「……さっきから、よく飽きないな。」
「こんな毛並みは一生、お目に掛かれないもん。」
「まぁ良いけど。」
「ごめんね。その子、柔らかいモノ好きだから。」

 トルーデが金茶色の髪に垂れた犬耳の女性兵士――今は私服だが――なのに対し、ボサボサの白髪に赤目そしてピンと立った三角耳の変た……もとへ、少女《エラ》は俺の尻尾に顏を埋《うず》めフガフガ言っている。少女の尻尾がブンブン振られているので喜んでいるのだろう。

「で、話す魔獣がいるのは重要な事だろ? どうして助けてくれたんだ?」
「あなたとアルフ君が結界前で襲《おそ》われている所を見たから、かな。他にも理由はあるけれど、ちょっと言えないかな。」
「《《アルフって誰だ》》?」
「え? あなた……えっと、もしかして契約してないの?」
「ん?」

 どうも従魔でなければ街へ入れないらしく、《《いつの間にか》》尻尾の付け根に着けられていた指輪で証明するらしい。アルフという少年が俺の主人かと思っていた、とトルーデは言う。
 容姿などの特徴を聞いても良く分からないが、去り際の《《容姿が黒く変色していった》》というトルーデの言葉が……なぜか気になった。

――――――――――

「私の事は覚えてて、アルフ君の事を忘れるって……本当に忘れたの?」
「ウソを言う意味が無いぞ。」
「まぁ、そうなんだけど。そうなるとアルフ君は《《ちょっと》》気を付けないと、かな。」
「ん?」
「あ、私たちが守るからね。もし会ったら不用意に近づかないでね。」

 トルーデは俺の頭をなで、エラを残し外へ歩いていった。……こいつを連れて行ってくれ。エラを見ると、アブナイ顏で俺の尻尾に頬ずりしている。マジで何なんだコイツ。

「で、いつまでやってるんだ?」
「あー、モフモフー。」
「自分の尻尾があるだろう?」
「私のはこんなにしっとりヒンヤリじゃないもん。」
「知らん。お前は俺が怖くないのか? 魔獣だぞ。」
「トルーデが《《あんなに》》砕けて話すくらいだもん、怖くないよ? モフモフだし!」
「|さいですか《そうですか》。」
「さいです、さいですー♪」

 はぁ、万が一《いち》俺が暴れたら、どうするつもりなのだろう。疑ってもいなさそうだが。
 尻尾を左右に振って相手をしてやり、黙考《もっこう》する。

 まず、今いる所はトルーデの別荘らしい。
 ニブルデンバの兵士《《様》》は懐《ふところ》が温かいようだ。金を借りに来ていた気が……しないでもないが、気のせいだろう。

 尻尾に重さを感じ横目で見ると、尻尾に飛びついたエラが毛繕《けづくろ》いを始めたようだ。楽しそうで何よりだよ。

 二つ目、アルフという少年。
 俺の主人と《《間違われたほど》》俺と仲の良い奴がいたらしい。この世界へ来てから、いくつかの村へ寄り、会った人を思い出す。

 森で矢を射られた……ハル。
 開拓村には綺麗なお母さんがいた……ハルのお母さん。
 村に入れず迂回した後、爺さんに会った……覚えている。街の門前まで一緒だった。

 …………

 今まで気にならなかったが、所々記憶が曖昧だ。
 アルデールの街でカミラさんと一緒に《《誰が》》いた?
 《《誰もいない》》村でメイ以外に《《誰と》》話した?
 ニブルデンバ近くで崖から落ちる前に《《誰を》》見た?

 見聞きした物については思い出せる。数名、思い出せない。何か大切なことを――

 キーン、キリキリ

「――いってぇ!」
「わひゃぁ!」

 黒球から高音が発せられ、俺の頭を痛みが襲った。すぐに治まったが……あれ、何を考えようと―――まぁ、いっか。お座りの姿勢で床を見ると、エラが床に仰向けになっていた。

「床で寝てると風邪ひくぞ?」
「キツネが急に払い除《の》けたからだもん!」
「すまんな。頭が少し痛かったんだ。」

 ベッドに伏せると、エラは俺の横に座った。耳の後ろから背中を撫でる手が心地良い。慣れているのか、それともエラだからなのか。時折、耳を動かすと指で撫《な》でてくる。
 静かな夜だ。
 月見も良いが、波の音を聞きながら更《ふ》ける夜も良いものだ。こういう静かな夜は《《初めて》》かもしれないな……。

――――――――――

 キィッ……30分ほど経ち、なるべく音を立てないようにトルーデが帰ってきた。
 俺が起きていない事を見て、ゆっくりと歩いてくる。

「エラ、どう? 様子は。」
「寝たみたいだね、まだ疲れてるのかな。少し頭が痛いみたい。」
「少し聞いてみたけど、ニブルに戻らないと資料が無いって。しばらくは……ね。」
「そう、お勤《つと》め、ご苦労様。疲れたでしょ。私が見てるから。」
「うん。」

 寝ている俺を挟んで、そんな会話がなされた事を俺は知らない。
 俺を一撫《ひとな》でして、トルーデは俺の隣で横になった。

――――――――――

 翌朝。
 昨晩の頭痛がウソのように、俺は快調だ。気力十分、毛並み良好そして|後ろ足《くろいの》も良い感じだ。今日は気分が良い。
 横で舟を漕《こ》いでいるエラと、|寝相の悪い《へそがみえる》トルーデをそのままに入口の扉を開ける。


 砂浜の粒子の細かい砂が、そして《《海》》が日の光を反射し煌《きら》めいていた。
 入道雲が屹立《きつりつ》している。抜けるような青空を背景にとても映《は》えていた。しばし眺める。おぉー。
 漁師だろうか、数名がボートのような木造船の周りで作業している。槍《やり》や銛《もり》で獲《と》るのだろうか。

 ベッドで眠り姫《《ども》》の|起きる《さわぐ》音が聞こえた。振り返ってみると、俺がいないため慌《あわ》てたエラがトルーデを起こしたようだ。すぐに俺と目が合い、《《ばつ》》が悪そうな顔をしていた。
 頭を掻《か》く前に、とりあえず服装を整えろ。

「えへへ。えーっと、早いんだね……。」
「お前らは遅いな。もう日の出は過ぎてるぞ?」
「あ、トルーデ! 今日?」
「昼からだから大丈夫だって、それよりエラは良いの?」
「……。」

 その後、エラの絶叫が漁師たちの耳に届き、「|エラ《時間》か、そろそろ始めるぞー!」などと時報のような扱いをされたとか。 

 寝坊したエラとともに漁師たちの元へ行く。
 俺は逃げたが、ほんの数秒でエラに捕《つか》まった。
 もちろん抵抗した。しかし|トルーデの策《しっぽのゆびわ》にやられた。エラが身に着けている指輪に引き寄せられてしまったのだ。
 く、ろ、きゅう、助けろよ! ……トルーデに水を落としておく。

 俺は悪くない。


 鍛えられた肉体の漁師たちと対峙し、急に《《いじけた》》エラの代わりに話をする。俺に少しでも隠れようとするエラを責める気には、なれなかった。
 

―――――――――

「……で、何で他の漁師みたいに海に出ないんだ?」
「だって、一人だと怖いんだも……。」
「はぁ。」

 俺はエラと桟橋《さんばし》で釣りをしている。たまに小さな魚が釣れる以外に、目新しい事は起きなかった。沖の漁師たちに目を細めながら、エラに声をかける。
 詳しく聞いてみると、小さい時に転覆《てんぷく》して溺《おぼ》れ、足の届かない深さがダメなのだそうだ。
 克服しようと潜った時は、足が地面から離れ動けなくなり、心配をかけたそうだ。
 ……何やってるんだか。

「今も克服したいのか?」
「そりゃあ、ここで釣っても皆の獲《と》る量と比べたらね……っと、と!」

 俺はエラから離れ、砂浜に戻る。エラは追いかけてこようとしたが、魚が掛かったため奮闘《ふんとう》している。やっと来た魚だ。是非《ぜひ》、釣りあげて欲しい。
 砂に前足で絵を描く。マリンウォークやシーウォークのためのヘルメットを。
 海底でも呼吸するための管があり、半球上の透明なヘルメットで視界も確保できるように。
 まぁ、細部は口頭で説明するんだが。|素晴らしい絵《Ωと書いただけ》を足で差しながら言う。

「よし、砂を加工して作ってくれ。半球の部分は透明だぞ。管《くだ》は《《しなる》》ようにな。」

 高音が鳴り始める。相棒の承諾を得た。この高音が鳴り止めば完了だろ……う。

 …………

 ……

――――――――――

 釣り始めて1時間ほど経った。昼食の材料は無い。
 |この《かかった》魚は今日の主食である。絶対に逃がさない……。
 漁師のおじさんたちに作ってもらった釣竿を握りしめ、必死に踏《ふ》ん張る。
 ……多少、お見せできない顏になっていようとも。

「うりゃぁ! やった、1匹目♪ 見て見て釣れたよ……って寝てるし。良いなぁ、気楽で。」

 連れてきた魔獣《キツネさん》は砂浜で日向ぼっこをしている。いいもんねー、この魚は私が食べるんだから。焼いて食べるのが良いよね~♪
 逃がさないように目の細かい網《あみ》に入れ、腰に括《くく》り付ける。

 っと、その時、砂浜の方から、

 ザザザ、ギュリギュリ! という聞いたことの無い音がした。竦《すく》み上がるような音だった。

 振り返ると、キツネさんの横の砂浜に流砂と思しき漏斗《ろうと》状の穴が開いていた。あぁ、キツネさん落ちちゃう!
 私は今にも流砂に飲《の》まれそうなキツネさんの元へ駆《か》ける。
 トルーデほどではないにせよ、私にだって出来る事がある。助けなくちゃ。

 そして―――









「わ、私の非常食ー!」

―――私の心境がそのまま声になった。……泣きたい。

しおり