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 物心がついた時、家族との距離は縮めようがないほど離れていた。

 1日に一度のカビの生えたパン、体を洗うときは冷たい水をかけられるなど今では考えられない毎日だった。もちろん、悪い意味で。

 アルゴータ家の妾の子として生まれた《《私》》は必要とされていなかった。正妻の男子が同時期に生まれたこと、そして髪の色が両親のどちらにも似ていないことも要因だったらしい。
 髪を切る刃物も無く伸びた頃にバッサリと切られるため、髪は常にボサボサだった。
 母親もまた、住んでいた家を追い出され、どこか遠いところに連れていかれたらしい。保護された後、カミラさんが教えてくれた。
 物心のついた頃には、馬小屋の脇に打ち込まれた杭から10メートルほどが私の生活圏だった。首輪があり動けないからだ。
 日がな一日、空や木が風で揺れる様子を見るだけだった。
 動いてはおなかが減ると思い、杭にもたれかかったまま過ごすことが多かった。
 暑い時期はまだ良かった、小屋の影にいれば良いから。
 でも肌寒くなってくると《《水を浴びる》》のが苦痛だった。
 そんなある日、馬の世話係のおじいさんが、ずぶ濡れの私に藁《わら》をかけてくれることもあり、少しは寒さを凌《しの》げた。

「しばらくそこで動くなよ。」
「……。」
「……言葉も分かるわけないか。」

 おじいさんが何かを言い、馬小屋の方へ歩いて行った。
 いつもは水をかけた後、パンを投げてくれる。今日に限ってパンが貰えず、大量の藁をかぶせられた。
 空腹な上に藁が重くて埋もれたままでいると、家の方から言い争う声や物音が聞こえてきた。地面の冷たさと藁の温かさが丁度良く眠気を誘っていた。

「どこに隠している!」
「小屋の……裏だ。」
「探せ!」

 うるさいなぁ、今日は騒がしいなぁ、などと微睡《まどろ》んでいると、私の埋もれている藁の近くにおじいさん達が近づいてきた。

「酷い匂いだな、どこにもいないじゃないか。……なぜ藁の下に水たまりができている?」
「……あの下だ。」
「……何だと。」

 誰かが藁を退けてしまい冷気が忍び込んできた。
 思わず身じろぎすると、周りの人達が騒ぎ出した。
 いい加減うるさいので目を開けると、近づいてきたカミラさんが私に布をかけてくれた。

「よく頑張ったわね。エレナ。」
「……?」
「分からなくてもいいの。首輪まで……。」
「ぅー、ぁぅ?」
「……。」

 カミラさんの話している言葉が分からなかったけれど、優しそうな雰囲気だけは伝わってきた。
 周りを見ると、おじいさんは私から目を逸らしていた。おじいさんの顔にはアザや血の跡があったが、その時の私は少し雰囲気が変わった程度にしか感じていなかった。
 いつものパンを貰えずにいたためか、お腹が鳴ってしまった。
 私が両手でお腹を抱えているとカミラさんがどこからかパンを出して渡してくれた。
 初めて見るカビの生えていないパン。カミラさんとパンを交互に見ていると、カミラさんがパンを千切って食べやすくしてくれた。でも私はそれをすぐには食べようとしなかった。カビの匂いがしないものが食べ物だと思えなかったから。
 カミラさんが目の前で食べたのを見て、私は恐る恐る食べ始めた。

「食べ終わったら連れて行きましょうか。」
「……そうだな。向こうも終わったようだ。カミラはその子を頼む。」
「はい。」
「……要り様ならワシから出そう。」
「ありがとうございます。」

 先程までおじいさんを拘束していた人物が先代ギルドマスターであり、私の新しい家族となる人だった。
 私はパンに夢中で見てなかったけど、食べ終えた時にはカミラさん以外の人は誰もいなくなっていた。
 首輪を外し、全身を水洗いされて安物の服も着せてもらった。
 いつもは冷たい水を打ち付けるようにかけられるから、優しく洗われるのがくすぐったくて遊んじゃって。カミラさんごめんなさい。

 面と向かっては今でも言えないけど、ありがとう、《《お姉ちゃん》》。
 
 その後、商業ギルドに連れられた私は、カミラさんにべったりで離れようとしなかった。街は初めてで、すごく怖かったから。
 おいしそうな匂いに釣られる私にカミラさんは食べ物を買ってくれたし、優しく撫でてくれた。
 さすがに受付業務中にくっついているわけにもいかず、リーネの特等席となっていた机でリーネと遊びながら文字や言葉を教えてもらった。そういえばリーネを怖いと思ったことが無い。リーネは小《ち》っちゃいから、かな。
 ……本人に言ったら怒っちゃうかもだけど。


――――――――――――――――

 《《ただの》》エレナとして商業ギルドで見習いをしつつ過ごす毎日は、やるべきことが多い。空いた時間に勉強や料理、戦闘訓練などなどカミラさんに追いつこうとしている。魔法も戦闘もまだまだだけど、これからもよろしくお願いします。

「エレナ、行くわよー?」
「はーい。」

 今日はカミラさんと他のギルドを回って依頼していた品物を受取りに行く。荷車や馬車があればと初めのころは思っていたけれど、カミラさんはいつも荷物が少ない。
 荷物を手に持たないだけで体重には加算されるようで。荷物運びには私と行く事で、床の軋み音をごまかす意味合いもあるらしい。
 カミラさんが急に立ち止まりこちらに振り向いた。じーっと見つめられる。

「カミラさん?」
「……エレナ、ごはん抜きね」
「え? 私、《《何も》》、言ってませんよ!」
「……私に分からないとでも?」
「ごめんなさい。」

 なぜバレたのだろう……カミラさんの感が良すぎると思う。
 露店や商店を見つつ各ギルドを回り、兵士の詰所にも顔を出し、商業ギルドに戻るため歩き出す。荷物が徐々に増えていくので重くなってきた。

「そろそろ……休み、ませんか?」
「もう少しなんだから歩く。ほら、これでも食べなさい。」
「はむ……うまうま。」
「ほんと、食べてる時は幸せそうよね。」

 食べている時は手や腕の痛みも忘れられる。長くはもたないけど。
 話しているうちに人通りも多くなってきた。ちゃんと食べ終わるまで待ってくれるからしっかり食べないとね。

 商業ギルドに着くころには手も足も痛くなっていた。カミラさんが私の荷物も持って中に入っていく。カミラさんはすごいなぁ。私の倍は持っていたはずなのに。
 カミラさんには帰って良いと言われたが、まともに動けそうもない。少し休んでから帰ろう。
 
 座り込み、足をもみほぐしていた私の前に降り立った《《キツネさん》》。
 夕日に照らされた綺麗な毛並みが目を引いた。
 あなたは誰? どこから来たの? どうしてそんなにキレイなの? 触っても良い? ……言いたいことがたくさんある。
 考えがまとまらず、私は狼狽《ろうばい》するだけだった。

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