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第86回「彼女の想い」

「そいつの扱いはてめぇに任せる」

 馬車と棺を運んできた僕に、シュルツは開口一番そう言った。

「いいのかい。君の目的は彼女の身柄確保だろう。命令違反で咎められるのは間違いないと思うが」
「俺の判断で作戦中止だ。現場の言葉も信用しねぇようなら、ぶった斬って出てやるまでよ。単に使われるだけなら丁稚にもできる。そいつを連れて帰ったら、間違いなく禍根になる。ああ、これは俺の判断だ。アヤナ、お前もわかったな」

 シュルツに声をかけられた魔道士、アヤナ・ルーがこくこくうなずいた。

「エリオットもニコラスも死んだ。こんなトンチキな作戦を考えやがったやつをぶちのめしてくる。それに、てめぇならそいつを殺したりせず、あの城で扱うだろう。なら、『いつでも取りに行ける』」
「なるほどね。そういうことなら、どうぞお待ちしています。今回の判断ミスじゃ済まないくらい、ひどい結果になると思うけどね」

 僕の言葉に、シュルツは歯を剥いて笑った。彼はまさしく肉食獣だった。戦いの予感が彼を高揚させるのだろう。その一方で、スワーナ・ボロメオという危険物の取り扱いに関して慎重になるあたり、単なる猪突猛進な存在でもない。アクスヴィルと事を構える際には、よくよく注意した方が良さそうだった。
 シュルツとアヤナが仲間の死体を載せて、馬車で去っていく。その様を、僕は最後まで見送らなかった。

「スワーナ」

 今、気にすべきはこちらにあった。スワーナだ。彼女はショックを受けているようだった。無理もない。立て続けにいろんなことが起きて、パニックにもなっていると考えられた。

「君はどうしたい。僕と彼女……プラムは、これからコンドンに戻る。あの街で起きたことについて、手続きを済ませないといけないからね。君も苦しいだろうが、まずは戻らないといけないだろう」
「あたしの目の前で、ノエミが死んだ」

 スワーナが僕を見た。美しい瞳を持っていた。その輝きが純粋な人間でないことを示していたが、それ以上に彼女の声には決意があった。

「あたし、あいつを許せない。ノエミを殺したあいつを」
「そうだろうな」
「でも、もっと許せないものがある。魔王は、こうなることをわかっていた。あいつが全部教えてくれた。そして、それは本当だと思う」

 シュルツは「真実の告知」を済ませてくれていたようだ。スワーナにとってはショックの大きい現実だろう。
 もちろん、本当に僕の推測通りとは確定していないが、この場に現れたスゥスゥ・アドヴィンキュラの言動から考えても、ほぼ間違いないと考えて良さそうだった。

「今ならゼネブが呼び出された理由もわかる」
「君はゼネブを知っているのか」

 僕の問いかけに、スワーナは「もちろん」と答えた。

「彼女はあたしの護衛だもの。シスカが作ってくれた魔導生命体、それがゼネブ」
「そういうことか。あいつ、ウェイロン・シュルツはゼネブの居場所について知りたがっていた」
「でしょうね。ゼネブはアクスヴィルの有名な冒険者であるファリズを倒したことがあるって言ってたもん」

 ゼネブはスワーナの護衛であり、アクスヴィルにとって大切な人物を討った存在ということか。ようやく失くしていたピースを見つけた気分だった。それならば、シュルツがスワーナの誘拐とともに「ゼネブ暗殺」も任務として与えられていても不思議ではない。

「だが、君の護衛なのに、あの場にはいなかった」
「魔王が呼び出したのよ。スカラルドへ来いって。代わりの護衛を送るって言ってたくせに、送ってこなかった。だから、ノエミは心配して自分であたしの家に泊まり込んでくれた」

 だとすると、アルビオンは本気でスワーナを誘拐、もしくは殺害させるつもりだったと見える。それはつまりスゥスゥの言った通りに、「役目は終わった」という判断によるものだろう。人間に拉致させることで、大義名分を得る。この企みはまんまと成功しそうだ。

「街へ帰ろう」

 僕はプラムとスワーナにコンドンへの移動を促し、さらに話を続けた。

「ゼネブを作ったのはシスカだって言ったね。それはかつてバハドゥール公に仕えていたオロスコ子爵、シスカ・トゥアゾンのことかい」
「そうよ。シスカはすごく長生きしてて、おじいちゃんとも仲良しだった」

 やはり、ギャリック・ボロメオを魔王軍に亡命させたのはシスカ・トゥアゾンだったのかもしれない。不老の術を得た今、彼女は魔王軍の大隊長になっていると伝え聞いてはいたが、まだまだ抱えている謎がありそうだ。

「ゼネブは魔導生命体だって言うが、僕は初めて聞いた。人造人間ということかな」
「そうね。まあ、魔族が作ったんだから、魔造魔族というべきかもしれない。だから、聞こえのいい魔導生命体って名称を使っているんだと思う」
「確かに、響きはそちらの方がいいな。シスカがそんな技術を持っているとは知らなかった。てっきりギャリック……君のおじいさんを亡命させた功績だけで登用されたんだと思ってたけど」
「レラート帝国はいくつもの『廃棄禁術』を封印していたと聞いているから、それを持ち出したんでしょうね」

 聡明な子だ、と僕は思った。彼女はこれだけ精神的な打撃を受けながら、今はこうして冷静に話している。それだけ非凡な人物ということかもしれない。さすがに現実の暴力の前には涙しても、今はそれをぐっと受け止める強さも持っている。
 しかし、「廃棄禁術」というのは魅力的な響きだった。なぜなら、僕はすぐさまルスブリッジ大聖堂地下の研究所、あの場所を仕切るビンドゥ・サトーの顔を思い出したからだ。彼女が自分に、またラルダーラ傭兵団の首領であるマルー・スパイサーに施した「攻撃魔法無効」の刻印は、その禁術にあたるのかもしれない。

 思い出したら、マルーに殴られた時の衝撃がありありとよみがえってきた。あれは僕にとって衝撃的な一撃だった。もしも今後、攻撃魔法を無効やそれに等しいくらいに軽減する魔法や魔法印が発達したとしたら、僕の力は一気に弱まることになる。そのための対策を考えておかねばならないとともに、サトーの研究への出資も慎重に行う必要がありそうだった。
 いや、逆か。積極的に出資して、技術の流出を防ぐべきなのだ。彼女、ひいては自由都市ルスブリッジは魔王軍と繋がっている疑いがある。そのルートを断っておかなければ、恐ろしい未来が待っている気がする。

「スワーナ、君はもう大丈夫かい」
「大丈夫って」
「君を普通人だと考えて、あんなにたくさんの死を目撃したら、心身の機能が麻痺することがある。僕はそれを心配している」
「ありがとう、えーと……」
「リュウだ。こっちはプラム」
「神、私の名前はさっき教えただろう」
「そうだっけ。でも、そういや自己紹介してなかったなと思って」

 今さらである。たくさんの死に動揺したのは僕の方なんじゃないかと疑いたくなる。まったく、駆け出しの冒険者でもあるまいし、情けないことだ。

「リュウにプラムね。私はスワーナ・ボロメオ。最初に見られたのが泣き顔で恥ずかしいけど、今後は笑顔ばかりを見せてあげる」
「頼もしいね。じゃあ、スワーナ。コンドンに入る前に、ああ、歩きながらで恐縮だが……僕は君に大切なお願いをしようと思う。僕は君に、僕と一緒に来てほしい」
「それってプロポーズかしら」
「色気のないプロポーズもあったもんだ。申し訳ないが、それは違う。僕は人間の都市ロンドロッグの近くに、チャンドリカという拠点を持っている。そこの力になってほしいんだ。正直に言ってしまえば、僕は君の迷宮師としての能力に期待している」

 癖っ毛を指先でいじりながら、スワーナは道の先へ視線を送り、何かを考えているようだった。僕はさらに説得を進めることにした。

「無理にとは言わない。住み慣れたコンドンを離れる不安もあるだろう。だが、ぜひ力を貸してほしい。僕はチャンドリカを世界で一番住みやすく、同時に最強の防御力を持った場所にしたいと思っているんだ」
「ねえ、リュウ。貴方が私にしてほしいことはわかった。じゃあ、私が貴方にしてほしいことを叶えてくれるのかしら」
「内容を聞こう」

 スワーナが立ち止まり、プラムと僕もそれに倣った。

「アルビオンを殺して」

 彼女の目が、それが単なる冗談でないことを語っていた。
 僕はすかさず指を鳴らし、見えない魔法の波動を周囲へ撒き散らした。それを三回続けた。もちろん単なる失礼な行動ではない。僕は魔法の響きによって、周囲に「異物」がないかを確かめた。魔法波は生命に共鳴して、一定の反射を行う。つまり、僕はアクティブソナーを打ったわけだ。
 そう、連絡役にして監視役である、エロイーズの存在を考慮してのものだった。彼女に過度に疑われる言動は避けたかったが、もしもまだ帰ってきていないのであれば、スワーナに対して誠心誠意の回答をすることができた。
 幸いなことに、僕はまだ監視の目からは自由なようである。ならば、本心を語ることができた。

「それは約束できない」

 僕ははっきりとした声で答えた。

「なぜなら、僕は必ず魔王と対決することになるとは考えていないからだ。今は破壊神を名乗って、魔王とは半分共闘している関係にある。むしろアルビオンの打倒からは最も遠いところにある勢力だ。だけど」
「神」

 プラムが言葉を挟んできた。横目で見た彼女の表情は、どこか悲しみを湛えているように感じられた。あるいは、それは僕の希望であったかもしれない。

「それ以上、言うな。言えば、私は『行動』せざるを得なくなる。私に主体的に行動させないでくれ」
「ダメだ。このことは、僕はスワーナとともに、プラムにも聞いていてほしい」
「スワーナ。私はプラム・レイムンド。王によって派遣された、神の書記官だ。つまり、私は魔王を殺したいというお前の希望を無視できない、無視できないが、今は非常時だということで、忘れることはできる」

 頼むから、とプラムが言った。声が絞り出すような調子になっていた。

「私に『影』のままでいさせてくれ」

 プラムの言葉には重みがあった。うかつに何かを言えば、彼女と決定的な断絶を生んでしまうことが手に取るようにわかった。僕には僕の気持ちがあるが、彼女にも彼女の気持ちがあるのだ。
 今、この場にいる三人は、三人ともが本心を打ち明けあった。それは非常に稀有な出来事で、遥か遠くに炭鉱の街を見ながら言うことではないようにも思えた。それでも、今まさしく熱を帯びそうな晩春の陽気が、隠していたものを光の下に引きずり出したようにさえ感じられた。

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