バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

2話「回想:File No.001」

 ミハエが魔女リィラに出会ったのは、9歳の時だった。

 工作が好きで、他人とまともに交流することもなくモノ作りに没頭していたミハエは、当時から周囲で一際浮いた存在であった。学校でも、自分の家でも、誰かの視線にはいつだって奇異な色が含まれていた。
 モノ作りに集中している間は、別にそれでもよかった。しかしふとした瞬間、とてつもない居心地の悪さを感じるのだ。

 そんな時、ミハエは決まって外を独りで歩くようにしていた。誰も自分のことなんて気にしていない、そんな心地良い孤独感が、ミハエの心の平穏を保っていた。それでも人が多くいる場所を極力避けるために、その足は自と人気のない場所へと向かっていく。

 あてどなく歩き続けて、辿り着いたのは馴染みのある小さな神社だった。かつて地上で人類が繁栄していた頃はいくつも点在していたらしいが、狭苦しい地下都市においては、両手で数える程もない。そもそも忙しい街の中で生きる人々には必要のない空間だ。ミハエも、神社という場所は、ただ人のいない静かな場所としてだけ重宝していた。
 しかしその日は、彼女がいた。艶があって、触れればとても柔らかそうな黒髪に、地下都市では見たことのない装束で身を包んだ女の子。大きくぱっちりとした髪と同じ瞳は、神社の大きな鈴をじっと見つめている。

「――――」

 物心ついた頃から、ミハエは自分以外の誰かに興味を抱いたことはなかった。自分の中いあるカラフルな思考と、目の前で形作られていくモノ達だけで、ミハエの世界は完結していたからだ。
 それなのに、ミハエの目には周囲の景色から彼女だけが切り取られているように映っていた。心臓が跳ね上がり、思わず呼吸が止まってしまう。意識の全てが、目の前の少女を掴んで離さない。やがて訪れる感情は、当時のミハエには到底理解することができないものだった。

 見惚れてしまうという経験を、ミハエは生まれて初めて味わった。

「――あなた、ここに住んでいる人?」

 彼女の存在そのものに意識を吸い込まれ、五感が熱と交わり茫然としていたせいか、ミハエは目の前の女の子が顔をこちらに向けていることに気が付くのが遅れてしまう。

「……え、と。違う。僕は、たまたま通りかかっただけで。そ、そもそもここには誰も住んでいないよ」

「そう、だからこんなにも静かなのね」

 少女はまたすぐに神社の鈴を見上げる。一方でミハエはというと、少女のガラス玉のような澄んだ声に、また一際大きく心臓を跳ねさせる。それほどまでに、魅惑的な声だった。

「君、は……?」

 体が熱で痺れたように動かない。唇もいつのまにか乾燥していて、ミハエはいくらかの間を置いた後、ようやくそう問いかけることができた。誰かと言葉を交わしたいなんて思いもしない思考に、ミハエは彼女に疑問符を投げかけることにすら困惑してしまう。

「私? あなたは、私のことが知りたいの?」

 少女の大きな瞳に、ミハエの姿が映り込む。

「……う、うん」

 つっかえながらも頷くと、少女は顔だけではなく身体ごとミハエの方に向け、

「――私はリィラ。魔女の、リィラよ」

「魔女……」

「そう。この薄暗い天井のさらに上にある地上からやってきたの」

 魔女という存在については、幼いミハエでも知っていることだった。この地下都市の上に住んでいる不思議な力を持つ存在。ただ、この地下都市から出たこともなければ、実際に魔女を目の当たりにしたことがないミハエには、現実味のない、御伽噺に登場するようなものであったが。
 だからリィラと名乗った少女が魔女を自称したところで、ミハエにはピンと来ない。とはいえ、不思議と納得してしまう自分がそこにはいた。それはリィラという少女が醸し出す雰囲気のせいだろうか。

「どうして、魔女がこんなところに?」

「私はお母様についてきたの。今日は、地下の人間と魔女がお話合いをする日だから」

 魔女と人間の関係なんて、当時のミハエには知る由もないものだ。ただ、元々誰かと喋ることよりも、独りで思考に耽っているミハエの好奇心は人一倍大きかった。知らなくても問題ないことでも、一度疑問に思ってしまっては追及したい欲求を止めることはできない。それに、ミハエは意識的ではなかったが、目の前のリィラという少女について、どんなに些細なことでもいいから実感しておきたいと感じていた。そうでもしないと、目の前の現実味のない少女が、白昼夢となって次の瞬間には消えてしまうのではないか――そんなありもしない不安が胸中で渦巻いていたのだ。

「お話合いって、何をお話するの?」

「むぅ、あなたってば、さっきから質問ばかり」

 ただ、ミハエの気持ちとは裏腹に、リィラは不服そうに頬を膨らませる。

「ご、ごめんっ」

 咄嗟にそう口に出したのと同時に、ミハエの思考は羞恥と猛省で溢れかえった。自分でも信じられないくらいに、リィラに対して前のめりになっていたことに、その瞬間ようやく自覚したのだ。

「……まぁ、別にいいけどね。その代わり、一つ条件がある」

「条件?」

「そう。今からここで、私とお喋りしてくれる? 私、この街のこととか、もっと知りたいの!」

 リィラは両手を広げて、満面の笑顔を浮かべた。この薄暗い地下都市で、ミハエは彼女の笑顔ほど明るいものを見たことがなかった。だからこそ、リィラの言葉にミハエは否応なしに惹かれてしまう。

「そうね……、まずはあなたの名前を教えてくれる?」

 だから断るなんて選択肢は、頭の片隅にもありはしなかった。


§§§
「――ふぅん。つまり、カミサマのお家ってことね。どんな顔をしているの?」

「どんな顔って……そんなの、分かるわけないよ。会ったことなんて、ないんだし」

 リィラがもっぱら気になっていたのは、この神社という施設についてだった。周囲の街並みは鉄やコンクリートで統一された景観だというのに、二人がいる神社という建物は、古めかしい木造であり、明らかに異彩を放っている。

 当時から他人と話すよりも、様々な文献と向き合っていたミハエは、神社という場所についても一応の知識はあった。とはいえ、その発祥などの詳しいものではなく、神社というのが神様を祀る神聖な場所で、年の始まりになると、数はかなり少ないものの祈願者が参拝に訪れる程度の表面的な部分だけだ。リィラはそれを〝神様の家〟とかなりざっくりと解釈したようで、神様の顔も知らないと聞いた途端、不思議そうな表情をした。

「ミハエは会ったことないの?」

 小首を傾げるリィラの声は、純水に疑問を感じているようだった。

「いや、会えるわけないよ。だって、神様だよ?」

「でも、こんなお家を建てて、毎年誰かが祈りに来ているわけでしょ。それでも顔すら見せてもらえないなんて、ここに住んでいるカミサマって随分と冷たいのね。導魔様とは大違い」

「どうま、さま?」

 ミハエはリィラの口から出た知らない単語に首を傾げる。

「〝この世界を創造し、我々に魔法を与えてくれた始まりの魔女〟なんだって。私の里にも、実はここと似たような場所があってね。導魔様はそこから、私達のことを見守ってくれているのよ」

 導魔様については、何処からか借りてきたような言い方であったが、その表情は随分と誇らしげだった。それだけでも、リィラにとってその導魔という存在がどれほど偉大なのかは何となく理解することができた。人類はそれほど神様に対してあつい信仰心はないが、魔女にとってはそうではないらしい。
 ミハエが神様についてそれほど信仰していないのは、神様という存在に対して実感がないからだ。ところがリィラの瞳にあるのは、明確な信仰心。もしかして導魔というのは、神様のような存在でありながら、実在している存在だというのだろうか。

「……君は、その導魔様に会ったことがあるの?」

「ううん。でも、一度だけ夢の中でお話したことがあるよ」

 ミハエは口を半開きにしながら、リィラの表情を伺う。決して冗談の類ではなく、リィラの黒曜石のような瞳は、憧憬の輝きを含んでいた。
 魔女の世界では、それが普通のことなのだろうか。ミハエは、どう反応すべきか分からずに、思わず口を噤んでしまう。

「……ん、どうかした?」

「あぁ、ううん。ただ、魔女って色々すごくて不思議だなって思っただけだよ」

「そう? えへへ……まぁ、まだ私は半人前、なんだけどね」

 リィラの表情が僅かに曇る。出会った時は、胸を張って魔女と自ら称していたリィラであったが、今はどこか自嘲的だ。ミハエはさらに言葉を詰まらせてしまうが、代わりに思考は急速に回転し始める。

 魔女といえば、まず思い浮かぶのは、魔法という摩訶不思議な力についてだ。ミハエも詳しいことは全然知らない。魔法というものが具体的にどのような作用を引き起こすのか、正直想像すらつかない。
 それでも半人前という言葉から、ミハエは一つの推測を導き出す。

「……もしかして、魔法が使えない、とか?」

 瞬間、リィラの肩が小さく震え、見開いた大きな瞳がミハエへと向く。

「どうして、分かったの?」

「な、何となく、そうなのかなぁって……」

 ミハエもまさか的中するとは思わず、困惑が胸の内を埋める。魔女の里で魔法が使えないという状況が、どれだけ特異的なものかミハエには想像できない。だから俯くリィラに対して、おいそれと無責任な言葉をかけるわけにもいかなかった。

 お互いに無言の間が続き、ミハエの動揺はどんどん膨らんでいく。

「――祝福がね、まだ来ないの」

 ようやく放たれたリィラの一言が、息を詰まらせてしまうような緊張を弛緩させた。リィラの瞳が虚空を捉える。ミハエは咄嗟に口を開きかけるが、寸前で噤んだ。リィラの口が開く気配を感じたからだ。

「魔女はね、私くらいの年になると祝福が訪れて、それでようやく自分の魔法が使えるようになるの。でも、私はまだ……里の皆はもう自分の魔法の祝福を受けたっていうのに。もしかしたら、私このまま一生魔法を使えないかもしれない。このままじゃ、お母様のような立派な魔女になれないかもしれない……」

 リィラは唇を噛んだ。ミハエにはこれまた理解することができない悩みではあったが、漂う絶望感はひしひしと伝わってくる。祝福――魔法を授かれないというのは、きっと自分という存在そのものに関わる大事なのだろう。その不安は、計り知れないものだ。
 とはいえ、元より魔法という概念の外側で生きてきたミハエにとって、彼女への同情心はどれだけいっても結局のところはただの想像の範疇でしかない。だからどんな言葉をかけても、きっとむなしく空を切るだけだろう。

「……大丈夫だよ。君ならきっと、立派な魔女になれる」

 それでも、ミハエは口にした。紙よりもずっと薄っぺらな言葉の上に、自身の正直な感情をのせて。

「あなたに何が分かるっていうの。魔女《わたしたち》のこと、何も知らないくせに」

「……うん。それは、そうだけど」

 確かに、ミハエは地上のことを、魔女のことを全然知らない。だからリィラがそう言ってしまうのも当然のことではある。

 それでも、ミハエは。

 地上も、魔女も関係ない。今日、初めて出会ったリィラという女の子について感じた、ある種の確信めいた予感。

「――出会った時の君は、とても魔女らしかったからさ」

 無論、魔女なんて見たことはない。ただ、出会った時リィラが自分のことを〝魔女〟だと言った時、ミハエは不思議とそれを納得してしまった。目の前で実際に魔法を見せられたのならともかく、言葉一つでそれが事実なのだろうと呑み下してしまった。
 それはきっと、リィラという女の子の、どこか現実離れした雰囲気に、圧倒されてしまったからだ。胸の内側をまさぐられ、感情を鮮やかに蹂躙されてしまったからだ。

「何よ……それ」

 リィラはミハエから顔を逸らし、膝を抱えて俯いた。そして身をよじり、社の階段で並んで座っていた二人の間に、人一人分の空白をあける。
 俯く直前、リィラの表情には一言では形容しがたい、感情の目まぐるしい変化があった。それはとても同世代の女の子らしくて、ミハエは少しだけ驚いてしまう。これまで別世界の人だと思い込んでいただけに、まさかそんな親近感を覚えるとは思わなかったからだ。

「ご、ごめん。僕、何か変なこと言っちゃったかな」

 それでもいきなりのことだったので、ミハエは狼狽えてしまう。

「ううん、別に。ただ……」

「……ただ?」

 ミハエが聞き返すと、リィラは声にならない声を顔を隠す腕の中で出しては、身を悶えさせる。自分の一言がそれほどまでに威力があったのか。魔女の里の価値観を共有していないミハエには分からない。ただ、リィラの様子だけを見れば、相当に気恥ずかしいもののようだ。
 そう思うと、ミハエもだんだん恥ずかしくなってくる。

「――もうっ! どうして私ってば、知らない場所で知らない人に慰められてわけ!? 里の誰にも話したことなんてなかったのに……うぅ、この話はおしまいよっ おしまい! いいっ?」

「いや、でも……」

「お・し・ま・いっ!」

「……はい」

 強引に話題を断ち切ろうとするリィラの血走った目に気圧され、ミハエは首を縦に振る他なかった。

「……あなたのことも聞かせなさいよ」

 深い溜息の後、リィラは恨めしそうにそう口にする。

「僕のこと?」

「そう。私は自分のこと、こんなにも話したんだから、あなたも話すのがスジってものでしょう」

 そういうものなのだろうか。どうも話の行き先が怪しくなってきている気もするが、リィラの覇気を纏わせる形相に、疑問符を打ち立てることすら憚れてしまった。
 とはいえ、何を語るべきなのだろうか。ミハエは自身の生い立ちやこれまでのことを思い出せる範囲で思い出してみるものの、何を語ればリィラは喜ぶのか、皆目見当がつかない。

「ん~」

「……べ、別に何でもいいよ。無理にあなた自身のことじゃなくても、この街のこととか、住んでいる人達のこととか。楽しいことや、面白い話の一つや二つはあるでしょう?」

 ミハエが悩んでいると、頭にのぼった血が下がったのか、リィラは条件の水準を下げてくれる。そのおかげで、ミハエは一つ話題になりそうなことを思いつく。

「それじゃあ、楽しいこととか、面白い話かどうかは分からないけど……」

 それでも、魔法という力が常識である地上から来たリィラに通用するのか分からない以上、前もって予防線は張っておく。一方、リィラといえば、そんなミハエの僅かな緊張感など露知らずといった様子で、その瞳を純粋な期待に満ち溢れさせている。
 余計に不安に駆られながらも、ミハエはズボンのポケットに入れてあった、装飾の施された小さな箱を取り出した。これと同じものが、彼女の里にないようにと願いながら。

「……何、これ? 箱? これが、何だっていうの?」

「ただの箱じゃないよ。えーっと、ちょっと待ってね」

 ミハエは続いて金色のぜんまいを取り出した。そしてそれを小箱の後ろにある穴にさし、巻き始めた。閑散とした神社の敷地に、カチカチとぜんまいを巻く音が小さく響く。
 リィラはミハエの行動を見ても、不思議そうに見つめる姿勢は変わらなかった。つまり、彼女の里にはこの小箱と同じ物はないということだ。ほっと安堵すると共に、初めてこれを見たリィラがどのような反応を示すのか、少し楽しみになる。

「……よし、はい」

「何なの、これは」

 ミハエはぜんまいを巻き終えると、小箱をリィラへと渡した。

「開けてみれば、分かるよ」

 そう言うと、リィラの意識は再び小箱へと戻る。そして僅かな警戒心を向けつつも、彼女はその小箱を開いた。

「――――」

 リィラは大きく目を見開く。箱を開いた瞬間、その中からいくつもの音の粒が溢れ出てきたからだ。箱を映す瞳は、困惑に揺られながらも、爛々と輝き始める。

「オルゴール、っていうんだ」

「……オルゴール」

 ミハエから受け取った言葉を、リィラはまるで透き通る未知の飴玉を転がすように口にした。
 それからリィラは、音の粒が連なって奏でられる旋律を黙って聴いていた。ぜんまいを巻いた分が終わってしまった後も、余韻が溶けてゆくまで、その意識は小さなオルゴールだけに注がれる。

「――ねぇ」

「……ん?」

 オルゴールの音の世界に没入するリィラの表情に、うっかり見惚れてしまっていたせいで、ミハエは一瞬反応に遅れてしまう。

「これは、どんな魔法を使っているのっ?」

 気が付けば、リィラの顔が急接近していた。その大きな瞳に、面食らった自身の表情が映りこんでいるのが分かるくらいで、ミハエの胸の鼓動が跳ね上がる。

「い、いや……これは魔法じゃないよ。ほら、箱の中を見てみて」

 ミハエが箱の中に指をさすと、リィラはそれを追いかけるようにして、視線を箱の中へと落とした。

「この中にある粒々がついたシリンダーをゼンマイの力で回転させて、その隣にある振動板を弾いて音を出しているんだよ」

「へぇ、詳しいのね……」

「……まぁ、一応これを作ったのは、僕だしね」

「あなたが作ったのっ?」

 リィラの瞳がいっそう煌めく。

「そんな、大したことじゃないよ。教わった通りに、作っただけなんだから」

「教わった?」

「うん、親戚の人にね」

「……ううん、それでもやっぱりすごいよ。こんなにも素敵な物を作りだしてしまうなんて!」

 少しくらいは驚かせることができるだろう、ミハエとしてはそのくらいの気持ちで見せてみたのだが、結果は予想以上のものだった。もしかすると、魔女の里にはオルゴールのような嗜好品があまりないのだろうか。

「この曲は、なんていう曲なの?」

 ミハエが魔女の里について思考を巡らせていると、音を出さなくなったオルゴールをじっと見つめながら訊ねる。

「曲? あぁ、実は僕にも曲名とかは知らないんだよね。ずっと昔、よく聴いていた曲なんだけど……」

「そうなんだ。少し残念……でも、本当に魔法みたい」

「喜んでもらえて、何よりだよ。……よかったら、それあげようか?」

 うっとりとしていながらも、どこか寂しそうな瞳をするリィラに、ミハエは提案する。オルゴール自体はまた作ればいいし、何より自分の作った物でこんなにも喜ばれたのが嬉しかったからだ。

「本当に、いいの?」

「うん、ぜひ」

「やったぁ! 私、一生大事にするからね!」

 飛び跳ねて喜ぶリィラを見て、ミハエも自然と表情が綻んだ。誰かに対してこんなにも清々しい気分になったのは初めてだった。この街に住む人々は、ミハエを白い目で見るか、いっそ見ないふりしかしない。だからミハエは、今まで自分の作った物で喜ばれるということが、こんなにも幸福なことだとは知らなかった。

「――ねぇ、この街には、こんなに素敵な物がたくさんあるの?」

「素敵、かどうかは分からないけど、色々な物で溢れている街だよ」

 ミハエは、明かりの届かない真っ暗な天井を見上げて答える。
 この街は狭くて、雑多で、薄暗い。住まう人々も、誰も彼もがその瞳に薄く影を落とし、溢れていく物の中で溺れながら生活している。

 ミハエの持つオルゴールなんて、くだらない嗜好品で、きっと誰も相手にしない。それどころか、そんなものを必死に作っているミハエに冷たい視線を向けることだろう。
 きっと、リィラのような純粋で輝かしい感情を備えている人は、この街にはいない。だからこそ、ミハエは意識的ではないにしろ、リィラという少女に惹かれている。

「もっと、教えて! この街の色々なこと、あなたのことも!」

 嬉しい、この時のミハエは、ただその感情に身をまかせて、リィラの求める話をたくさんした。時間を忘れて、本当に色々なことを話した。街のこと、自分のこと、そしてリィラからも、たくさんの魔女の話や地上の話を聞かせてくれた。
 これまで自分でも感じたことのなかった空白が満たされていく感覚。ミハエはずっと、この時間が続けばいいなと、心の底から思った。それでも――

「――今日は、ありがとう。たくさん話してくれて」

「……うん」

 別れの時はくる。ミハエとリィラは地下の人間と、地上の人間。元々住む世界が違っていて、その日出会えたのは、単なる偶然――夢のような奇跡なのだから。

「また、お話しよう。ここで」

「え?」

 だが、リィラはそう言った。希望的な話ではなく、確固たる意志をもって。

「だめかな……?」

「ううん、僕もまた君と話したい。楽しいこととか、面白い話を、もっとたくさん、君と一緒に」

 上目遣いで訊ねるリィラに、ミハエは半ば被せるようにして返す。

「よかった……なら、約束ね」

 差し出された約束を受け取ることに、当然ながら躊躇いはなかった。

「うん。また、会おう。絶対に」

しおり