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3話「理と夢」

 ミハエは両手に持った二つの植木鉢を、自分にあてがわれたデスクの上に並べて置いた。

「……最近、いつも地上でガラクタ拾いしてきてるけど、そんなものまで拾ってきたんだ」

「ん、まぁね……」

 背後から覗き込むアイラに相槌を打ちながら、改めて二つの植木鉢を見比べる。
 それぞれの植木鉢に植えられているのは、同じ品種の植物。特に珍しい品種というわけではなく、地下でも地上でもよく見かける、何の変哲もない品種である。花弁はついておらず、直立した茎にいくつかの葉がついただけの状態で、観賞用というには物足りない。

「随分と、葉っぱが萎れているけど……そっちのは、まだマシなのね?」

 ただし、二つの植木鉢に植えられた植物は、双方とも目に見えて弱っている状態であった。その程度に差異はあるものの、葉は萎れ、その色も薄くなってしまっている。

「より萎れている方が、地上で採取してきた方。もう片方は、地下で譲ってもらったものなんだ。少し前に、同じタイミングで暗室に入れて、光を一切浴びさせないようにしてた」

「へぇ……同じタイミングなのに、萎れ具合は随分と違うのね?」

「あぁ。とはいっても、サンプルはこの二つだけだから、信頼性にはまだ欠けるけどな。それでも、個体差という点を考慮してなお、二つの植物の状態には明確な差が生まれた」

「んー……どうして、そんな差が生まれるんだろう。品種は、同じなのに」

 顎に指を当て、思考を巡らすアイラ。すぐに答えを訊こうとせず、まずは自分で考えるのは、流石同類といったところだろう。こういう、思考によって満たされた空間が、ミハエは好きだった。少しだけ張り詰めた空気が心地良い。
 そこまで集中する程に、アイラが興味を持ってくれると、ミハエとしても危険な地上へと出た甲斐もあったというものだ。

 地上へ出る許可をもらってから一週間。ミハエはほぼ毎日のように地上へ出ては、ガラクタ漁りの手伝いをしている。
 ガラクタ漁りは、この地下都市にとってはとても重要である。なにせ地上には、未だ失われた先史科学文明の欠片が多く残されているからだ。それらを掘り起こし、持ち帰ってきたからこそ、今までの地下都市は技術を進化させてこられたといったも過言ではない。

 ミハエも一端の研究者として、地上に残された〝遺物〟には興味があった。それでも地上は、魔素の影響により人類にとってはあまりにも危険で、いくら好奇心旺盛な研究者といえでも、普通はガラクタ漁りの専門家に頼むものだ。地下でずっと暮らしていた人にとって、地上というのは異界そのものだといえる。
 だが、ミハエには必ず成し遂げなければならないことがあった。そして、それと同じくらいの、地上への憧れも。その二つがあったから、危険であろうとも、周囲から奇異な目で見られようとも、踏み出すことができたのだ。

「――俺は、魔素が原因だと考えてる」

「魔素……まぁ確かに、地上と地下の環境の違いで、一番大きいのはそこよね」

 先史文明が終焉を迎えることとなった原因であるとも考えられている魔素は、未だ人類にとっては謎そのものだといえる。ある程度の性質と、人体にとてつもない害があるということは分かっているが、地上に出られない以上、詳しいことは分からないままだ。
 人類が再び地上での自由を手にするには、謎に包まれた魔素について解明する必要がある。植物を暗室に閉じ込める実験も、その一環だ。

「魔素が植物から生み出されるのは有名だけど、きっと植物自体の生育とも強く結びついてるんだよ」

「それって何かすごいことなの?」

 アイラはきょとんとした表情で首を傾げる。魔素が植物から生み出される以上、それが植物そのものにも影響を及ぼすことに、アイラは違和感を感じていないのだ。とはいえ、ミハエとしても、それが驚くべき真実だとは思っていない。ただ――

「魔素は先史科学文明が滅ぶ前にはなかった物質だったんだ。植物の突然変異で魔素が発生し始めたって言われているけど、もっと細かく調べていけば、詳しい魔素の起源を知ることができるかもしれない」

 起源を突き止め、そして魔素のことがもっと詳細に分かれば、いずれ人類が魔素に対抗するための何らかの手段を見つけることができるだろう。
 ミハエの目的はとても大きくて、一朝一夕で果たせるようなものではない。だからこそ、内心に焦りを抱きつつも、一歩一歩踏みしめながら進んでいくしかない。

「何だか、気の遠くなるような話ねぇ……」

「それでも、やりきってみせるさ」

 ミハエの決意は揺るがない。どれほど困難な道のりでも、決して諦めることのない熱意と、それと同じくらいの冷静さが消えることがない限りは。そして、その源となるミハエの心の中にある魔女リィラへの想いは、どれだけの時間が過ぎようと色褪せることはない。むしろ、時間が経つにつれて増すばかりだ。


「ふーん……それって、地上から来たあの子のため?」

「――ん? ……え、はぁっ!? ど、どうして、アイラが……」

 当たり前のように告げるアイラのその問いかけに、ミハエは一瞬思考を硬直させた後、膨大な焦燥の波に呑み込まれてしまう。

「ずーっと前から気が付いていたわよ。あんたが、魔女との会談がある日にムクロ神社で地上の女の子に会いに行っていたこと」

「なっ……」

 リィラとの密会については、慎重に慎重を重ね、誰にも見つかっていない自信があった。

 ――会う時は、二人きりで。

 それが、リィラと交わした約束の一つだった。彼女にとって、会談の行われる場所から抜け出すところを地下の人に見られるのは、何かと都合が悪いらしい。
 これまで何の問題も起きていないことと、アイラの性格から、リィラとの密会が他の誰かに知られているということはないだろう。それでもミハエの心から動揺が消えることはなかった。まさか、よりにもよって、アイラに知られてしまっているとは。

「なるほど。どうりで、すごく熱心なわけねぇ」

「お、俺は別にっ、そういうわけじゃ……」

 にやりと口角をあげながら、横目を向けるアイラに、ミハエは慌てて口を動かす。

「ふふん、そんなに狼狽えて、認めてるようなものじゃない」

「ぐっ……うぅ」

なんて嫌味な女なのだろう。

「でも全く本当に、意外だわ。あのミハエが、ねぇ……」

「もう……別に、どうでもいいだろ」

「いいえ。これは極めて重要なことよ!」

 ミハエが無理やり話題を切ろうと視線を放り投げると、その視線を追随するようにしてアイラがそう口にする。

「……重要なこと?」

 どこか目を輝かせているように見えなくもないアイラに、ミハエは問い返す。ミハエにとってはともかく、アイラが重要に思うことなど、何もないはずだ。
 今度は逆にきょとんと首を傾げるミハエに、しかしながらアイラはすぐに答えようとはしなかった。不自然な沈黙が流れる。

「――と、とにかく! そういうことなのよっ」

「そういうことって……」

 妙に顔を紅潮させながら声を上げるアイラに、ミハエはますます訝しげになってしまう。

「うるさいわね!」

「どうしてアイラが怒るのさ……いや、何でもないです。はい」

 思わず口から洩れてしまった不平は、しかしながら鋭いアイラの視線に押さえつけられてしまった。これ以上掘り下げるのは、どうやら危険なようだ。

「……そういえば、来週は魔女との定期会談、よね?」

 ふと、アイラは思い出したように口にして、ミハエの顔を見る。人からの話はぶった切るくせに、自分は容赦なく踏み込んくる。アイラのそんな人柄は、数年来の付き合いで十分に思い知らされてきたので、ミハエは小さく溜息を吐くだけに収め、諦めたように頷いた。

「また、会いに行くの? その子に」

「……それは」

 ミハエの口からは答えられない質問だ。秘密にすると、約束したのだから。

「別に誰にも言わないわよ。今までも、そうだったでしょ」

「そう、だけど……というか、それを確認して、アイラはどうしたいんだよ」

 ここで答えを渋る時点で認めてしまっているようなものだろう。ミハエのその問いかけも、悪足掻きにすらならなかった。アイラは僅かに目を細め、

「ただの確認よ。あぁ、もう答えなくていいわよ。分かったから……ま、せいぜい頑張ることね。私は、自分の仕事に戻るわ」

 そう言って、結局ミハエの問いには一切答えることなく、研究室の奥にある執務机へと戻ってしまった。

「本当に、何だったんだよ。全く」

 アイラの思惑についてはさっぱりだった。ともあれ、あの雰囲気を見る限り、リィラのことを他の誰かに漏らすことはないだろう。そう改めて確信したミハエは、執務机で膨大な資料に目を通し始めるアイラを眺めながら、安堵する。

「――さて、俺も報告書まとめないとな」

 突然の波乱とした状況に心乱してしまっていたミハエは、再び目の前のことに集中するために、あえて口に出して意識を切り替えた。そして書類や資料が積まれ、本来の職務から逸脱している椅子を引っ張り出し、積まれた物を適当に整理した後、ようやく腰を落ち着かせる。
 次にミハエは机の引き出しを開き、まだ使われていない新品の用紙を数枚取り出した。手元にある針ペンを握り、黒インクのビンに浸す。いくらかの間を置いた後、ミハエはペンを手に取った。
 散り散りになった思考を拾い集め、文章の形で構築していく。白紙だった用紙は、すぐに黒インクの文字で埋まった。

 今回のことを書面に起こすのに、それほど時間は掛からなかった。小一時間程度でまとめ上がった報告書の量は少ない。暗室に置いた後の、地下産植物と地上産植物の状態と、その考察と仮説、そして今後の展望を書いたものの、驚くほど簡単にまとまってしまった。それだけ、まだまだ底が深い題材だということだろう。

「……何はともあれ、まずはサンプルをもっと増やさないとな」

 ミハエは報告書に書いた今後の展望の部分を読み返しながらぼやいた。サンプルのことについても、そこにはしっかりと記載されている。当面のうちは、これが最優先事項となりそうだ。

 地上の植物は魔素を作り出す。しかしこれは、地上でのみ起こる特殊な生化学反応であって、地下で起こることはない。その要因は自然光――太陽光にあった。
 人工的に作られた光では、魔素は生成されない。だからこそ、地下で育てられている植物は魔素を放出することなく、光合成だけを行って成長している。その理由は諸説あるが、現代で最も有力な説は、太陽光に含まれている未知の成分が光合成中に作用しているというものである。ただし、人類がその成分に辿り着いたことはない。そこもまた、ミハエの研究課題の一つであった。

 なにはともあれ、地下で魔素が生成されることがない以上、地下での研究や実験には限界がある。

「――それを解決するために必要なものはもう手に入れた。また、近いうちに地上に行かないとな」

 ミハエは懐から地上への許可証を取り出した。紛失すると、再発行にそれなりの時間がかかる貴重なものなので、ミハエはいつも肌身離さず持ち歩いている。
 とはいえ、許可証一枚で地上を好き勝手に歩き回ることができるわけではない。地上の探索については、とても厳しい取り決めが多く存在するのだ。探索範囲や、時間、持ち帰って良い物、悪い物。その他にも細かい規則があって、かなり行動を制限されてしまっている。なにせ地上には致死性の猛毒が充満しているのだ。人類として、慎重に慎重を重ねる必要がある。

「今のうちに、申請書も書いとくか」

 ミハエはふと思い立って、机の引き出しから、今度は何枚もコピーして保管してある地上へ出るための申請書を取り出した。

 記入事項を埋めながら、ミハエは空想を脳裏に過らせる。
 地上のただ青い空を。配管が複雑に絡む暗い地下の天井にはない、圧倒的な解放感を――そして、自分の隣を歩くリィラの姿を。

 初めて出会った日から、もう随分と時間が経ってしまった。今はもう、自分の想いすら理解できない幼いあの頃とは違う。
 自分がリィラという少女に好意を寄せていることを自覚できている。だからこそ、果ての見えない道のりにだって、躊躇うことなく突き進むことが出来るのだ。

 もう少ししたら、また彼女に会える。今度は、前よりも進歩した自分を見せることができるだろうか――

「……よし」

 ミハエは全ての記入事項を埋めるとペンを置いた。そして、何度も誓った決意を改めて心に刻み込む。
 いつの日か必ず、この暗い天井をぶち壊して、リィラと共に青い空の下にある世界を歩いて見せる、と。

しおり