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憑かれちゃった




 休みを挟んで登校した月曜日。
 江藤さんのことが頭から離れず、あの少女はいったいどうしたろうかと心配でたまらない。心配が苛立ちとなって、俺はつま先で貧乏揺すりをしながら、教室の入り口を睨んでいた。
「立野、なんかすげー機嫌悪くね?」
「あんま見んな。ぶん殴られっぞ」
「そういう系なの? やっぱ」
「らしいぞ」
 男子がそんなことを話しているのがきこえた。生まれてこのかた人を殴ったことなどないが、目つきの悪さからあらぬ噂が立ったようだ。無視しよう。それより江藤さんだ。
 がらっとドアが開いて、江藤さんが入ってきた。
 来た! 俺は貧乏揺すりをやめた。あの少女はまだひっついていた。半分溶け込むように、江藤さんの背に張り付いている。俺はそいつをジッと睨みつける……というかただ見た。
「江藤のこと睨んでるぞ」
「やっぱあのこと怒ってんじゃねえの?」
「どうする……?」
 さっきの男子が何か言っている。どうでもいい。あの少女が来たのが木曜日で、それから江藤さんに取り憑いたとするとこれで五日目だ。それは他と比べると長い。
 やっぱり俺がどうにかしないといけないのか? どうにかって? 前みたいにうまくいく保証もない。江藤さんにうちの父親とランニングしてと言うのも馬鹿げてる。
 江藤さんが辛そうに空咳をしている。
「おっはよーう!」
 教室に杉谷さんが入ってきた。ちらりと江藤さんを見て、別の友達と話を始める。この間の一件から、二人の仲は不安定になってしまった。崩れた? いや、まだ大丈夫だろう。
 俺は気持ちを固めた。
 と、いっても教室で江藤さんに声をかけるのは気が引けた。クラスメイトに自分から話しかけたことなどほとんどと言っていいほどない。必要性がない限り、誰とも会話をしてこなかった。それも、傾きかけた無邪気に入らないためだったのだが……。
 虎視眈々と機会をうかがい、結局放課後になってしまう。
 江藤さんはバドミントン部だ。だがきっと、今日の部活は休むだろう。誰がどう見ても顔色が悪い。俺が見てみると、少女が彼女に食い込むようにしがみついている。
 一人で帰る江藤さんの後ろを歩いた。少女は首を真後ろにひねり、俺を睨んでいる。江藤さんは駅に向かっているらしい。人目が少ない今がチャンスだ。俺は呼吸を整え、彼女に声をかけた。
「江藤さん」
 彼女はゆっくりと振り返った。声だけで立野だとは分からなかったらしい。俺の姿を確かめて、薄いクマに縁取られた目を丸くした。
「タ、タッチー君……?」
 タッチー? 杉谷さんがこの間そんな風に俺を呼んでいたが、まさか他にそんな呼び方をする人がいるとは思わなかった。
「ああ、うん……。突然ごめんな」
「いや……いいんだけど、なに……? やっぱりテストのこと?」
「テスト?」
 なんのことだ。
「うん。でもごめんね。あれ、わたし机に入れっぱなしで……。取ってきた方がいい?」
 よく分からないが、今はそんなこといいのだ。江藤さんの顔に重ねるようにして顔を透かした少女が目の前にいる。江藤さんは辛そうに顔をしかめている。はやく本題だ。といっても話題が話題だ。
「変なこときくけどさ、なんか最近……ってかこの間の木曜のテスト返しの日から変わったことないか?」
 そうきくと江藤さんは一歩身を引いた。
「ご……ごめんね。やっぱり怒ってるんだよね……? わたし思ったことぽろっと口にしちゃうとこあるから、それで、それ先生がきいてて……」
 かなり慌てた様子だった。まずはこの何かの誤解を解かなくてはいけないらしい。
「ごめん。何のことだ? 俺別に怒ってないし、今江藤さんを責めてるわけじゃないんだが……。ただテストじゃなくて別件で」
「え? わたしが採点ミスを見つけちゃったせいでタッチー……立野君の点数が5点も下がっちゃったことじゃなくて……?」
「いや。それは初耳だな。ちょっと驚きだがそんなことじゃない。ただ、江藤さんの身に何か変わったことがなかったかなって」
「変わったことって……」
 なんか俺キモイ感じになってないか? 採点ミス云々っていうのは別にショックでもなんでもない。あ、今朝あの男子達はこのことを言っていたのか。俺の点数が江藤さんの指摘で下がって、それで俺がキレてると。
「変わったことってどういうこと……?」
「うおッ!」
 江藤さんが口を開いた時、ぐっと少女の手が喉の奥から伸ばしてきた。俺は思わず身を引いてしまう。それはもうコミカルに、お前何やってんだ的に。
「……何してるの?」
「いや……」
 もはや何も言い訳も出来ない。虫が飛んできたなんて言っても女々しいし、他に上手いことを思いつかない。恥のかきついでに洗いざらい言ってしまうか? そんな考えが頭をよぎった時、江藤さんは信じられないことを口にした。
「もしかして立野君、見えてるの?」
 うそ…………?
「見えてるって……幽霊のことですか?」
「そうです。そう」
「え、江藤さんも見えるの?」
「うん。でもやっぱりそうだったんだ」
「やっぱり?」
「いや、わたし憑かれてたんだなって」
 江藤さんは少しだけ笑顔をつくった。取り憑かれてると分かって笑う? それに見えるのに『やっぱり憑かれてた』? 矛盾してないか?
「やっぱりって、見えるんじゃないの?」
「見えるんだけど、わたしが見えるのは悪い霊だけなんだ。でも今のわたしに憑いてるのが立野君には見えるんだよね? つまりその霊は少なくとも悪い人じゃないんだよ。わたしホッとしちゃった。うふふ……!」
 江藤さんがぷくぷくと笑う。彼女に憑いた少女は、どことなくバツの悪そうな顔を後ろに引っ込めた。
「わたし初めて見たよ! 嬉しい……、わたし以外に見える人」
「俺は取り憑かれてんのに笑う人を初めて見たよ……」
 力が抜けた。思わぬ形だったが、俺は幽霊を俎上に上げることが出来た。
「歩きながら話そうか? さっきから色んな子たちにわたし達見られてるよ」
「俺が誰がと話してんのも珍しいし、いい噂がないみたいだから江藤さんをいじめてるとか思われてないだろうか」
「明日みんなに説明すればいいよ。いこ? ふふ、わたしタッチーに声かけられるなんて思ってなかったよ」
 俺達は駅に向かって歩き出した。横須賀のちょっぴり汚い町並みを流しながら話す。戸惑いはあったが、俺の方こそ「見える人」に会えたのは嬉しかった。
「じゃあタッチーの家系はみんな見える人なの?」
「ああ。母さんも若い時はばりばり。親父はよく連れてくる。親戚付き合いはほとんどないから知らないけど、みんな見えたらしい」
「ふぅん。あっ、タッチー家こっちの駅でいいの?」
 江藤さんが学生鞄を肩にかけ直す。少女はふてくされたみたいにそっぽを向いている。おかしな下校風景だ。
「平気だよ。江藤さんJRの横須賀駅使うんだね。俺はその駅の向こうに家があるんだ」
「へー。いいね、おうち近くで」
「いやぁ……、いろいろ見ちゃうからさ。駅って人が多いから霊も多いじゃん? 見ちゃうのが嫌で電車使わないで済む学校を選んだんだ」
「ふふっ! おかしいねそれ」
 江藤さんが笑う。
 誰にも言ったことなかったことをさらりと話せた。霊が見えるという稀有な悩みが、俺達をこうも簡単に近づけた。不思議だった。なんだかとてもあたたかで。
「でもね、わたしもそうなんだよ。いつも見る人がいたんだけど、その人を見ないためにいつも絶対に乗らない電車があったりするんだ」
「へぇ……。というかさ、悪い霊しか見えないって本当? なんかそれ単に見えるより大変そうだよな」
「そう! そうなんだよタッチー!」
 江藤さんははじけるような笑顔て俺の肩を叩いた。教室でそんなハイテンションになるところは俺が見た限りだとない。だから驚いて固まってしまった。それを見て江藤さんも固まり、ちょっと沈黙。
「あ……、タッチーっていうのはスギちゃんが考えたあだ名でして」
「そうなんだ。俺って皆にどう見られてんの?」
「えっとね、目つき悪くてなんだか恐そうだけどたぶんほんとはいいやつなんじゃないかっていうのと、ただのクール気取りのコミュ障なんじゃないかって、七対三くらいで分かれてるよ」
「クール気取りのコミュ障……」
 まぁ、当たらずも遠からずだよな。江藤さんに声かけるの凄まじく緊張したし。
「ほんとうは?」
「えっ?」
 江藤さんが立ち止まる。ぷっとクラクションを車に慣らされ、俺も立ち止まった。歩行者信号は赤だった。
「本当は……」
 田宮先生を思い出す。俺の中で首を吊った先生が、僅かな焦燥のリズムで揺れる。ふらふらふら、ふらふらふら……。彼女と話すと、俺が避けていた無邪気さは、やはり真っ白に無垢なのではないかという気がしてきた。でも、汚れてからでは遅い。俺は既に汚れているのだ。不用意に笑うたびに、汚れが気にならなくなるのがこわい。
「本当はただのコミュ障なんだよ」
 信号が青に変わって、俺は先に歩き出した。
 田宮先生を忘れてはいけない。
「……そっか。でも大丈夫!」
 俺は少し振り返り、江藤さんを見た。矢のような西日が数本目に入る。
「これからゆっくり仲良くなろうね!」
 一瞬、江藤さんにしがみついた少女が消えた気がした。西日にやられただけだと思った。



「悪い霊だけが見える……。それすごく辛そうねぇ」
「お前にも女の子の友達がいたんだな」
 夕食をとりながら江藤さんのことを両親に話した。
「友達じゃないよ。クラスメイト、ただの」
「これから友達になればいいじゃないか。でも江藤さんの言うことが本当なら、その少女は悪霊じゃないんだな。その人に見えないんだから」
「まぁ、そうなるな」
「そうなるわよ」
 母さんは父さん特性のロールキャベツを頬ばる。おいしいねぇ、と父さんとじゃれつく。俺も料理を口に運ぶ。アツっ、とわざと呟いた。
「悪霊じゃないんなら無視してればよかった」
「どうして?」
 母さんがわざわざ箸を止めて俺にたずねた。俺は居心地悪くて料理に逃げる。
「別に。元より幽霊が見えなきゃこんなことにならないのになぁ」
「そんなこと言わないでよ。あなたが見えたって言うたびにお母さん嬉しいのよ? あー、わたしの子供なんだなぁって」
「父さんも悪いことばかりではないって思うぞ? 江藤さんと繋がりが持てて良かったじゃないか。かわいいんだろ?」
 父さんが身を乗り出してきいてきた。俺はそっぽを向く。
「そんなの重要じゃない」
「重要よー。お母さん自分がかわいくてよかったってつくづく思うわ」
「かわいいお母さんに惚れてアタックしたんだから。重要だよ」
 ねー、なんて顔を見合わせる両親。
「二人は見えないからって」
「あなたも恋をしたら見えなくなるかもよ。でもお母さんは、ちょっとさみしくもあったけどね。見えなくなってしまって。お父さんがいるからいいけどねえ」
 

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