芽生える気持ち
次の満月の夜。
いつもは人間になるのが億劫でたまらないのに、今日だけが違った。夜になり、満月の光を浴びて、人間に変化する。
待ち合わせの場所など決めていない。だが、初めて会った場所に違いないと、セリアは急いで出かけた。
彼はすでに来ており、一人だった。
「セリア」
名を呼ばれ、顔を上げると、違和感を覚える。
じっと顔を見て気がつく、
彼の髭がなくなっていた。
獣の人間ではなく、普通の人間になっていた。
少し残念に思いながらもセリアは彼に近づいた。
「変か?」
「ああ」
セリアが素直に頷くと、スイはあからさまにがっかりした表情になり、彼女は不安になった。 それに気がつき、彼は彼女の頭を撫でた。
頭を撫でられるのは初めてだったが、不安が消え、心地よくなる。
「頭を撫でられるのが好きなのか?」
「ああ」
彼女が答えると、スイは再度頭を撫で、ぎゅっとそのままセリアを抱きしめた。
身動きが取れないと、顔を上げると、彼は彼女を静かに見つめていた。
「なぜか、わからん。俺はお前が好きみたいなんだ」
唐突の告白だった。しかもセリアは長らく森で孤独だったため。言葉の意味がわからず、ただスイを見つめ返した。
「わからんか。俺もわからんからな」
自嘲するとスイはセリアを離す。
「お前、一人で森に住んでるのか?」
「ああ」
「どのくらいだ」
「わからない。数えたことがない」
スイはセリアの答えになにやら、思案している。
「お前の家に連れていってもらえないか?」
「家?」
「そうだったな。えっと寝る場所だ」
「寝る場所。住処か。いいぞ。ついて来い」
セリアは頷き、歩き出す。
住処に親以外が入るのは久しぶりで、彼女は浮き足立っていた。
スイは背後に目を配り、着いてくるなと合図をして、セリアの後を追う。
そうして洞窟に案内され、スイは言葉を失った。
人間が住むような場所ではないからだ。
ベッドもなく、椅子もテーブルもない。
「どこで寝るんだ?」
そう聞かれ、セリアはやっとこの住処が人間には珍しいことに気がつく。
母親から聞かされた知識を思い出して、人間の生活を想像してみた。
「床で寝る。敷物を引いてから」
「床?痛くないのか?俺は、お前にベッドを贈ろう」
「ベッド?」
「ベッドも知らないのか?」
そう驚かれ、セリアは母親の書いてくれた絵を思い出す。
――四つの足の上に白い布がおかれ、人間が寝るところ。
「知ってる」
「じゃあ、決まりだな。ベッドを贈る」
「いらない」
「必要だ。俺が眠りたいときに困るだろうが」
「スイが眠る?」
「夜に来て、夜に帰る。お前とゆっくり話したくてもできない。だから、お前の家に泊まることにしたんだ」
「だめだ。だめ」
「どうしてだ?俺がいやか?」
スイはすぐに否定されて、少し傷ついた顔をした。けれども、朝になれば蜥蜴の姿に戻るセリアが、彼の提案に乗るわけにはいかなかった。
その夜、前回のように邪魔が入ることはなかったが、スイがなかなか帰ろうとせず、セリアは困った。やっと帰ったのは、目覚めの早い鳥が鳴き始める頃で、セリアは蜥蜴の本当の姿を見られず、ほっと胸でなでおろした。
スイが洞窟を出てから、すぐに眠気がやってきた。だからセリアはそのまま寝てしまった。疲れていた彼女は、洞窟に人がやってくるのに気がつくことはなかった。
セリアが目を覚ますと、まず最初に見えたのは檻だった。そして檻を通して、スイがいた。
「水色の瞳。セリアと同じだ。だが、セリアがこの白蜥蜴だなんて、どうやって証明する気だ?」
彼の言葉は確信を得ているが、まだ事実は知られていないようだった。
彼と話しているのは、タンプ。
眼鏡の奥の底冷えした瞳がセリアを捉えていた。
「王よ。白蜥蜴の血に治癒の力があることを知っていますか?王の怪我が異常なくらい早く治っているので調べさせました。ナアンの森に伝わる伝説の生き物、白蜥蜴。その血は傷を治し、生き血を飲めば不老不死とも言われる。また満月の夜には美しい人間に変化し、人をたぶらかすとも」
淡々と語られるタンプの言葉。
セリアは心の底からこみ上げてくる恐怖を抑えることができなかった。
「タンプ!」
スイが強く彼の名を呼び、セリアは生きた心地を取り戻した。
タンプは視線をスイに向けており、腕を組みなおす。
「王よ。次の満月までにこの白蜥蜴を飼いましょう。もしその白蜥蜴が人の姿に変われば」
「変わればどうするのだ?」
「王。この地はやっとあなたという王を得て、国として安定しました。永遠に国を繁栄させてみる気がありませんか?この白蜥蜴が伝説の白蜥蜴であれば、あなたは不老不死を得ることができます」
「馬鹿な!」
「考えておいてください。それまで、この白蜥蜴を生かしておきましょう」
タンプは言いたいことだけを述べると,礼をとって退出する。
残されたのは、スイと檻の中のセリアだけ。
スイは腰を落とし、セリアに目線に合わせる。
「白蜥蜴よ。お前はセリアなのか?そうであれば教えてくれ」
かすれた声で懇願され、セリアに迷いが生まれる。
しかし、正体を知られたら殺されてしまう。
先ほどのタンプの冷たい瞳を思い出し、彼女は何も答えなかった。
しばらく、スイはセリアの瞳を見ていたが、小さく息を吐くと、背を向けた。