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第11話  サーシャ・レビングという少女

「母上とサーシャは無類の本好きでね。この書庫はそんなふたりのために父上が新しく建てたものなんだ」
「は、はあ……」

 目の前に佇むこの建物がレビング家の書庫か。書庫っていうくらいだから、屋敷に比べると控え目な造りになってはいるが……それでも、確実に俺の家より大きいんですよね。

「この中でサーシャが君を待っているわけだが……サーシャに会う前に伝えておきたいことがあるんだ」
「? なんでしょうか?」
「サーシャが今のような性格になってしまった原因だよ」

 サーシャ・レビングが重度の人見知りになってしまった理由――それは、彼女の過去の体験から来ているものだとレナードは語った。

「サーシャは僕より3つ下で君と同じ5歳なんだが……実はすでに4回の誘拐未遂事件に巻き込まれている」
「誘拐未遂!?」

 伯爵の娘を誘拐しようとした輩がいるのか。……でも、それってハイリスクの割にリターン少ないんじゃ? もしかして、ログソンさんが言いかけていた、サーシャの持つスキルに関係があるとか?

「もしかして、サーシャ様には特殊なスキルが備わっている、とか?」
「! 鋭いな。その通りだよ」

 案外すんなり認めた。
 ログソンさんの様子からして、あまり大っぴらにしてはいけないスキルという印象を受けたけど、実際のところはそうでもないのか? でも、これまで何度も誘拐未遂に遭っているという現状を考慮したら、かなりのレアスキルだと思うんだが。

「……聞いといてなんですけど、そういう情報ってあんまり漏らさない方がよいのでは?」
「君になら打ち明けても平気だと判断した結果だ」

 うっかり口を滑らせたってわけじゃないのか。

「そういった事情もあって、妹はなかなか屋敷から出なくなってしまってね。唯一の外出は月に一度の母上の見舞いで、昨日もその帰りだったんだ」
「伯爵夫人は御身体の調子がよろしくないんですか?」
「妹を生んでからは特に、ね。サーシャも、『自分を生んだせいじゃないか』って、気にしている節がある」

 平静を装っているレナードだが、これは相当内側に溜め込んでいるな。なんとか発散させてあげたいけど――今の発言で、あまり喜ばしくない可能性が浮上してしまった。

「……もし、あのモンスターの襲撃が偶然ではなく、何者かの手引きによって行われたものだとしたら――」
「事情を熟知している者の犯行……というわけですね」

 もっと言えば、この屋敷の関係者である可能性が高い。レナードはそこまで言及しなかったけど、内心では同じ気持ちのはずだ。

「そんな妹が、自分から謝りたいと言い出したのは正直意外でね。これが何かのきっかけになってくれればと思っているんだ。――実を言うと、あの時に君を我が屋敷へ招待したのは、お礼を言うのと同時に、きっと後悔しているであろうサーシャに謝る場を提供することと、対人恐怖症克服の特訓という面もあるんだ」

 うぐっ……なんか、これから会う俺の方にもプレッシャーが。

「僕は剣術の自主訓練をしながら待っているよ。妹を――よろしく頼む」

 肩をポンと叩かれて、さらにプレッシャーがのしかかってくる言葉を置き土産にしてレナードは庭園の方へと戻って行った。わざとじゃないだろうな?
 俺は深呼吸を挟むと意を決し、書庫の扉へ3回ノックをしてから入る。

「こ、こんにちは」

 当たり障りのない挨拶をして書庫内へ。
 そこは書庫というよりも図書館って言った方がしっくりくる空間だった。天井付近まである背の高い本棚が、森の木々のごとく立ち並んでいる。これ、本好きにはたまらない光景なんだろうな。

 思ったよりも広い書庫内部を歩いていると、中央に設えられた大きなデスクの前にひとりの女の子が立っていた。

 窓から差し込む淡い陽光に照らされた、息を呑むほど美しい少女――サーシャ・レビングだ。

「サーシャ様、今日はお招きいただき、ありがとうございます」
「い、いえ、本来ならば失礼な振る舞いをした私の方からうかがわなければならないのですが……わざわざ屋敷にお越しいただき、感謝致します」


 深々と頭を下げるサーシャ。
 気が弱そう――というよりも、終始何かに怯えているような態度だった。まあ、この年になるまで4回も誘拐未遂になっていたら、人間不信にもなるよな。

「その件につきましてはお気になさらず。伯爵様やレナード様からいろいろとお話を聞きましたので」
「お父様たちが?」
「ええ。サーシャ様のことを大変心配しておいででした」
「そうでしたか……」
「…………」
「…………」

 そして訪れる沈黙。
 いかん。ちょっと踏み込みすぎたかな。話題を変えよう――人見知りの彼女でも思わず口を動かしたくなるような話題に。

「それにしても、この書庫は凄いですね。今度、王都の図書館へ本を借りに行こうと思っていましたが……ここにある本の数は王立図書館にも匹敵する数なのでは?」
「そ、そんなことありませんよ。この書庫にある本の総数はおよそ1万冊ですが、王立図書館ともなると、その数は1000万冊を越えるそうです」
「えっ!? い、1000万冊ですか!?」

 これは素で驚いた。
 1000万冊って……魔法について勉強しようとしていた決心が揺らぐなぁ。全部が魔法に関する蔵書じゃないんだろうけどさ。

「想定外ですね……関連書籍だけを厳選したとしても、全部読み終えるのに一体どれだけの時間がかかるやら」
「あの……本、好きなんですか?」

 俺が本の話題を振ったことで、サーシャが食いついて来た。いいぞ。良い傾向だ。そもそも会話自体が困難なところを、向こうが話題を提供するというのは「話をしたい」という意思の表れだ。

「ええ、まあ……」
「そ、そうですか」

 明らかにさっきまでと表情が違う。
 そんなに嬉しかったのか?
 しかし……本か。
 この世界にマンガがあるとは思えないし……活字ばっかりなんだろうな。

「えっと、実は俺のスキルに【詠唱吸収(風)】というのがありまして。風魔法の詠唱と関わりが深いようなので、その魔法の知識を得ようと思っていたのですが」
「風魔法ですね……ちょっと待っていてください」

 そう言い残して、サーシャは書庫の奥へと小さな歩幅で駆けていく。しばらくして戻って来た彼女の手には一冊の本が。

「これは、この世界に魔法が生まれてから現在までの間に公となっている風魔法のすべてが記された教本です。本来は王立学園に通う者しか入手できない代物です。――これをあなたに差し上げます」
「! そ、そんな貴重な物、いただけませんよ!」
「お詫びの印です。受け取ってください」
「サーシャ様……」
 
 よく見たら、サーシャの顔は耳まで真っ赤になっていた。極度の人見知りである彼女からすれば、体の奥底から勇気を振り絞って俺にこの本を薦めてくれているのだろう。俺はその気持ちごとありがたく頂戴することにした。
 でも、学園の教本ってことは門外不出ってことかな。日本の学校の教科書は書店でも買えるところがあるみたいだけど……念のため、人目につかないところで読むとしよう。

「ありがとうございます。生涯大切に読ませていただきます」
「お、大袈裟ですよ」

 さらに顔が赤くなるサーシャ。 
 このままだと茹で上がってしまうかもしれないのでほどほどにしとこう。

「ほ、他にも、魔法に関する書物はありますので……読んでいかれますか?」
「! 是非!」

 まさか彼女の方からここまで提案してくれるとは思ってもみなかった。当然、俺はその厚意に甘えることにし、魔法に関する本を読み漁った。ついでに、興味があったのでこの国の世界の歴史についての本も何冊か目を通した。
 
 ――どれほどの時間が経っただろう。

 俺とサーシャの間に会話はない。けど、お互いの存在を感じ合える距離で一緒に本を読んでいた。
 サーシャは小説が好きだという。
 恋愛ものから冒険ものまで、その範囲は幅広く、いつも空想の世界に思いを馳せていた。それは同時に、彼女が自由に行動できないという枷を持っているという証でもあった。

「この本に出てくる、妖精さんたちが月明かりの下で踊る場面が好きなんです」

 小説の挿絵を見せながら、嬉しそうにサーシャが語る。
 俺はそこで、初めて彼女の笑顔を見た。
 なんだ、普通に話せるし笑えるじゃん。

 なんか……ずっと眺めていたくなる笑顔だな。

 結局、俺たちの読書タイムは夕陽が世界を橙色で染め上げるまで続いたのだった。

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