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4.帝都の隅

 嫁ぎ先にも連れて行った愛馬“ミルヒ”にまたがったパトリツィアは、とにかく目立った。
 城門を出るどころか、城の敷地内でも多くの騎士や兵士、文官たちからの視線を浴び、城を出てすぐの場所にある広場に出るや否や、周囲に居た民衆は何かの催し物でも始まったかのような落ち着きの無さを見せる。
 白い毛並みが美しいミルヒも注目され、どこか誇らしげだ。

「すげぇな……」
 彼女の後ろを同じように騎馬で続く新人たちのうち、最も軽装ですませている青年が呟いた。
 彼を含め、新人たちはパトリツィアの全盛期ごろはまだ訓練校にすら入っておらず、地方の帝国直轄領で生活していた。そのため、彼女の人気を目の当たりにするのはこれが初めてだった。

「パトリツィア様! こっちを向いてください!」
「復帰なされたのね!」
「また美しくなられたみたい……!」
 感嘆を吐いているのは女性が多いが、男性陣も憧れと劣情を含んだ熱い視線を向けて来ている。
 対して、本人は涼しい顔をして手を振っていた。この程度は慣れっこだ。

 そのまま城下町をぐるりと一周した一同は、街中のあちこちに設置された兵士の詰所を一つ選び、馬を預けて徒歩に切り替えた。
「どうして徒歩で移動されるのですか? 馬の方が足も速く、また平民たちを威圧するにも効果があるはずですが」
「教科書ではそうでしょうね」

 軽装の新人が尋ね、パトリツィアが答える。
 彼の名前はヨルク・ラッハーといい、代々続く帝国騎士爵家の長男、とパトリツィアはまだうろ覚えである書類の内容を思い出しながら話を続けた。
「馬は街中を走るには向いていないのよ。草原や荒野を走るには彼らの力強さは魅力的だけれど、街というのはあくまで『人間の為に造られているもの』なのよ。それを考えて」

「はあ……」
 ヨルクは今一つ理解が追いついていない様子だったが、パトリツィアは説明をそこで打ち切った。あとは自分で考えろという態度だ。
 冷たいようだが、自らの経験と感覚、そしてそこからの思考で理解できないのであれば、単に知識を詰め込まれた戦士でしかない。

『騎士は単なる戦闘員ではない。戦況を見据えて行動する指揮官たることを求められる』

 パトリツィアは幼少のころ、騎士になりたいと父親に告げた時にそう言われた。
 それまでは本で勉強していただけだったが、以降は引退した騎士から訓練を受けたり経験したことを語ってもらったりと、本に記されたもの以上のことを憶えるよう尽力したのだ。
 父親が帝国騎士への試験申請を許可してくれたのも、彼女の努力が一過性の憧れでは無いと示していたからだった。

「案内をお願いね」
「構いませんが、よろしいのですか?」
 詰所の兵士を一人、案内役として借り受けたパトリツィアが希望したのは、『普段騎士が見回りをしない場所』だった。
 そういう場所は裏の人間や風俗関連の施設が多く、騎士とはいえ女性のパトリツィアを案内するのは気がひけるらしい。

 だが、パトリツィアとて初心な少女では無い。
「あのね。男性がそういう場所に行くことは知っているし、そこで働いている人たちに何か含みがあるってわけでもないわ。仕事のために知っておきたいだけよ」
「はあ、わかりました」
 気が抜けるような返事をして歩き出した兵士に続き、パトリツィアはカチヤを連れて来れば良かったと後悔していた。

 彼女には“別の仕事”を頼んでいる。
「そう言えば、彼は何と言う名前だったかしら?」
「隊長、どうかされましたか?」
「いえ、こっちの話よ」
 話しかけてきた新人は、生真面目な雰囲気の、角ばってごつごつとした顔付きをしていた。

 そういえば彼もこんな雰囲気の顔だった、と先ほどまでイメージしていた昔の部下について思い出すが、やはり名前が出てこない。ついでに、この新人の名前も出てこない。
「短い名前だったはずだけれど」
 独り言を言いながら、次第に薄汚れていく街並みを見て行く。
 中には火事で焼け焦げてしまったまま、放置されているような建物もあった。驚くことに、そんな建物でも中には人の気配がある。

「このあたりから、治安はかなり悪くなります。とはいえ、貧民や裏稼業の連中が互いに奪い合い、殺し合いをしているような場所ではありますが」
 だから放っておいて問題ないとでも言いたげな兵士に、パトリツィアは何も言わなかった。
彼らの仕事は時に命がけではあるが、自分から危険に飛び込んで、やくざ者の恨みを買う愚かさを言っているのだろう。それは彼女にも理解できる。

 とはいえ、帝都の中に暗がりのような場所が堂々と存在するのは良いことでは無い。
「なるほど。クズどもが食い合っているというわけだな。では、このあたりは放っておいた方が良いですね、隊長」
 ヨルクが彼女の代わりに兵士からの言葉を受け、進言する。
 それにすら答えず、パトリツィアは案内の兵士により奥へ、ただしゆっくりと進むように伝えた。

 そして二十分ほど歩き続けた頃だろうか。
 服装に指示は無く、重い鎧を選んだ者たちが疲労の色を見せ始めたあたりで、パトリツィアの足がふと止まる。
「どうされましたか?」
 その動きに気付いた兵士が振り替えるや否や、パトリツィアはすぐそばにある木戸が破れた石造りの古い家にそっと近寄りながら、人差し指を立てて全員に声を潜めるように伝えた。

 じっと木戸の横に立っている彼女の右手が、サーベルの柄に触れている。
「……三人、彼の案内で建物の裏に待機して。何分かかる?」
 手招きで集められた一行の視線が、指名された兵士に集中する。
「い、一分もかかりません」
 返答を聞くや否や、パトリツィアは手振りで早々に向かうように伝えた。

「中に居る連中を捕縛するわ。武器を用意しなさい」
 残った二人は、先ほど声をかけてきた角ばった顔の男性――レハールという苗字だったとようやくパトリツィアは彼の書類内容を思い出した――と、ヨルクだった。
 彼らはいきなり戦闘が始まるらしいことをしり、理由もわからないままそれぞれの武器を掴んだ。

 いずれももろ刃の剣ではあるが、体格が良いレハールの方が分厚く長大な剣を持っている。
「相変わらず、すごい剣を使うな、レハール」
「いやいや、これでもまだまだ」
 などと互いを褒め合っている二人を見ているパトリツィアの視線は冷たい。これから室内へと突入しようと言うのに、振り回す必要がある大剣が何の役に立つのか。

 注意するのも億劫になってきたパトリツィアは、「行くわよ」と短く声をかけてから、腐りかけた木製の扉を乱暴に蹴り明けた。
「せいっ!」
 掛け声と共に大きな胸が揺れて新人たちの視線が注がれるが、本人はそれ以上にお腹の肉が揺れた気がして落ち着かなかった。

「突入!」
 言うが早いか、パトリツィアの身体が吸い込まれるように建物内へと滑り込む。
 掴んでいるサーベルは切っ先を前に向けて腰のあたりに引き寄せ、接敵したらすぐに刺突で対応できる体勢だ。
 背後からゴツゴツと何かをぶつける音が聞こえてくるが、無視する。

「な、なんだ?」
「帝国の兵士? いや、こいつらは……」
 中には古ぼけたテーブルを囲んだ三人の男たちがいた。
 手近にいた一人のふくらはぎに鋭い突きを入れると、引き抜いた流れで別の一人の肩を斬る。
「あつっ!」

 残りの一人がナイフを握るが、構える前にパトリツィアの姿が迫る。
 肩を斬った相手を蹴り飛ばして踏みつけながら接近した彼女は、大胆にも真正面から最後の一人の襟首を掴んだ。
「あなた、帝国の人間じゃないでしょ」
「な、なにを……」

 突然の質問に呆気を取られた直後、男はテーブルへと鼻っ柱を叩きつけられ、鼻血塗れになりながら床を転がって悶絶する。
「さっき、他の連中と話していて『貴隣国の』なんて言葉を使っていたでしょう? 訛りは無いようだけれど、西の王国は言葉の使い方に癖があって、自分の国を上げて、他国を下げて物を言うのよね」

「そ、そんなことだけで……」
「散々聞いた言葉遣いだもの。わかるわよ」
 そして、一応は法治国家ではあるものの、帝国に於いては恐ろしいことに、平民の犯罪は銀騎士以上の判断でその場での処断も許されていた。
「抵抗せずに捕まるなら良し、そうでないなら、ここで始末するわ」

「……くそっ!」
 追いつめられた男は、自分を押さえつけていたパトリツィアの腕を乱暴に振り切り、建物の裏口へと向けて走り出した。
「やれやれ」
 裏口には当然、騎士が三名待ち構えているはずだ。ナイフは落としており、持っているとしても小さな暗器程度。これに対応できないならば見込みは無い。

 そう。パトリツィアは敢えて逃がしたのだ。
 あの男一人が逃げてしまっても、怪我で動けない残り二人から話は聞けるということもあって、体よく新人の教育に使うつもりだった。
 しかし、そんな目論見は意外な人物との再会で御破算になってしまう。
「あら?」

「せいっ!」
 聞き覚えのある掛け声と共に、逃げ出したはずの男が後ろ向きに部屋の中へと舞い戻った。ぐしゃりと顔を潰された凄惨な姿で、生きてはいるがぴくぴくと痙攣している。
 追いかけるように、一人の偉丈夫が入室してきた。
 手には短くも太い棍棒を握り、がっちりと幅の広い肩を斜にして入って来た、その男の顔を、パトリツィアは知っている。
「ああ、思い出した。グストン。あなた、以前私の下に居たグストンね?」

 名を呼ばれたグストンは、細い目をパトリツィアに向けると、すぐに白い歯を見せて笑った。
「おお、おお! これは……まさかこんなところであなたに再会するとは、それに、そのお姿、まさか……!」
「ええ、復帰したの。再会は喜ばしいけれど、まずはこの連中をどうにかしましょう」
「左様ですな。では、まずは表に出ましょう。吾輩にお任せを」

 棍棒を腰に提げ、グストンは軽々と三人の男を抱えあげると、パトリツィアに従ってのっそりと建物の表に出た。
 新人たちはその膂力に唖然とし、自分たちの活躍の場が無かったことにようやく気付いて、互いに顔を見合わせた。
「少し、自信がなくなってきた」
「おれも……」

 がっかりと肩を落とす新人たちをちらりと見遣り、パトリツィアは小さくため息を漏らした。

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