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3.嫁騎士の悩み

「あなたも強引ね……」
 新人の訓練が終わったあと、執務室へと戻ってきたパトリツィアは呆れたように呟いた。
 相手は、目の前でお茶の用意をしているカチヤだ。
「そうでもありませんよ。皇帝陛下はお姉さまのことを大変気にしていらっしゃいますもの」
「そうなるように仕向けたのでしょう?」

 カチヤは表向きメイドとして出仕しているが、パトリツィア付きメイドだった時代から各所の調査や裏の仕事に従事して貰っている。その腕前は本物であり、パトリツィアも何かと頼りにしていた。
 だからこそ、退官の際には皇帝へと個人的に彼女のことを頼んでいたのだが、まさか城内専門の蒼薔薇にまでなっているとは思わなかった。

 そんな彼女が、自ら皇帝に進言してパトリツィアの専属侍従へと戻っていたのだ。
 いつの間に、とパトリツィアは頭を抱えた。
 どうやら訓練前に隙を見て書状を届け出ていたらしく、先ほどこの執務室へと早速許可が出たと辞令が届けられていた。
 外部から見れば降格であり、蒼薔薇の称号も剥奪される。

 それでも、カチヤ本人はまるで気にもしていないらしい。
「それにしても、良い感じに“教育”ができましたね」
 カチヤが嬉しそうに言っているのは、先ほどまで行っていた訓練のことだった。
 パトリツィアの実力を目の前で見せつけられた新人たちは、訓練が終わるころにはすっかり目の輝きが変わっていた。
 英雄と称された騎士の実力が本物であり、その指導を直接受けられるのだ。純粋すぎるきらいもあるが、人心掌握の第一歩として悪くはないとも思える。

「そうね。あの子たちはこのまま仕事と訓練を続けていけば、それなりの騎士になるでしょう」
「あれ、『立派な騎士に育ててあげる♡』とかじゃないんですね」
「何よそれ。本人にやる気があって、学びたいなら教えるわよ。教わるつもりで大丈夫なのは訓練生の時まで。あとは大人として自分で考えなくちゃ」

 母親としての優しさは子供にだけ向けられる。そいうものかとカチヤは納得する。彼女にしても殊更彼らに肩入れしてあげる必要性を感じていない。
「それよりも、面倒事が発覚したのが問題ね」
 脅しに屈したレオンハルトが話した情報は、意外な方向へと向かっていた。

――侯爵家の息がかかった商隊が襲われたことに、侯爵自身は驚いていた。

 完全に侯爵家による罠だと考えていたパトリツィアにとって、聞き出せると思っていた内容とは違うものだった。
「どうしますか? もう少しわたしが調べてみましょうか?」
「やめておきましょう。この状況で元とはいえ蒼薔薇のあなたが動き回るのは目立ち過ぎるから」
「不便ですねぇ」

 昔のように、単なるメイドとしてあちこちへと気軽に動き回れた時代が懐かしい、とカチヤは口を尖らせる。
「そうね……逆に、私の方が目立つ行動をしましょう!」
 良いことを思いついたとばかりに花が咲いたような笑顔を見せたパトリツィアは、パチンと手を打ってから鎧を用意し始めた。

「どうせ街中の見回りが当面の任務になるのだから、帝都の下見がてら、少し目立つようにやってみましょう。貴方が言う通りなら、町もそれなりに荒れているでしょう」
 それに、とパトリツィアはすね当てとガントレット、それに胸元を軽く覆うようなシンプルな軽鎧姿になった。
「あら、あの鎧では無いのですね」

 カチヤが指しているのは、金騎士時代に愛用していた美しい白の鎧だった。
 彼女がそれを着て戦場に立つだけで、誰もが彼女の美しさに視線を集め、誰が戦場の主役であり、誰が支配する戦いなのかを悠然と見せつけていたものだとカチヤは懐かしく思い出す。
 しかし、戦場で使う鎧では重すぎる、とパトリツィアは口を尖らせた。

「街中で、ひょっとしたら徒歩で犯罪者を追いかける可能性もあるのに、そんな重たいもの着る訳ないでしょう」
 準備ができたところで、パトリツィアは昼食の為に休憩を取っている新人たちを呼び集めるようにカチヤへ命じる。
「あら? お姉さま、お食事はよろしいので?」

 ぴたり、とパトリツィアの動きが止まる。
「……いらない」
「そうですか? でも、これから外回りというのに、朝も叙任の準備でお忙しくて、何も食べてらっしゃらないのでは?」
 大丈夫ですか、と問われてパトリツィアは首を振る。

「少し食事は控えめにしておきたいのよ」
 不機嫌そうに語る彼女に、カチヤは何かに気づいたように目を細めた。
「……少し、太られましたか?」
「はっきり言わないでよ……」
 カチヤはパトリツィアの腰回りの肉づきが以前よりふっくらしていることに気づく。

「お姉さま、心なしか、お腹のあたりが……」
「それ以上言ったら斬るわよ」
「失礼しました」
 豊かな胸が非常に目立つせいでわかりにくいが、領地にて跡取りの嫁として子育てをしているうちに、運動不足になっていたのは自覚していた。

 しかし、乳母に手伝ってもらいながらとはいえ、極力自分の手で育てたいと考えていたパトリツィアは、訓練の時間を大幅に減らしてでも子育てに集中していた。
 結果、彫刻のような引き締まった身体は、うっすらと柔らかな曲線を纏っていた。
「これはこれで……」
 パトリツィアは恥ずかしいと感じているようだが、カチヤは女性的な魅力がより増していると思っていた。

 鋭い、むき出しの刃のようであった以前よりもずっと母性的な優しさを感じ、包み込むような柔らかさを見せる肢体は、同性であるカチヤから見ても煽情的だった。
「私も鍛え直さなくちゃね……何よその目は」
「なんでもありませんよ」
 カチヤは以前のパトリツィアも美しいと思っているが、人妻だからこその妖艶さともいうべき匂い立つ色気がある姿も良いと思っている。

 兎にも角にも、パトリツィア率いる騎士隊は動き出した。
 彼女が言う通り、特段の命令が下るまでは帝都内での巡回、警備が任務となる。
巡回と言っても、別にエリアの割り当てがあるわけではない。無任所の帝国騎士はそうするべしと決まっているだけで、中堅あたりの騎士たちはほとんど散歩ぐらいの気分でやっていた。

 しかし、パトリツィアはそんな軽い気分で復帰したわけではない。
 任務をこなし、成果を上げて手当てが増える金騎士への再昇進を果たすこと。そして夫を嵌めた犯人を炙り出すためにも、一日たりとものんびりとはしていられない。
「カチヤ。初日から本気で行くわよ」
 一刻も早く息子ルッツの下へと帰るのだ。

 帝国史上初めての嫁騎士として復帰したパトリツィア。
 彼女にとって(ダイエットも兼ねた)最初の任務が始まる。

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