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迫り来る危機

 翌朝登校して下駄箱を開けると、昨日ここから出てきた封筒のことを思い出した。
 今日は入っていない。
(当然だ。無視したから、二度目はないよな。……そう言えば昨日の封筒、まだ持っているな。妹に見つからなくて良かった)
 ポケットに残っていた封筒を取り出し、細かく破って近くのゴミ箱に捨てた。

 そのまま教室へ行くと、同級生達がジロジロとこちらを見ている。
 席につくと、彼女らが周りに集まりだした。
 そして、席の後ろの女生徒が俺の背中を鉛筆で突くので振り返った。
 彼女はニヤニヤして言う。
「ヒューヒュー」
「俺の顔に何か付いているか?」
(とぼ)けなくていいよ。あんた、イヨの彼氏だって?」
 なるほど、タケシ達が今朝広めたのだろう。この手の噂は30分もあれば野火のように学校中に広まるのだ。
 こうなったら嘘を盾にしても効果はなく、開き直るしかない。
「バレたか」
 周囲を取り囲んでいた女生徒が、一斉に「エー!」と声を上げる。やっぱり本当だったんだ、とザワザワし始める。

 そこにカオル先生が入ってきて助かった。みんながガタガタと音を立てて着席する。
 カオル先生は俺の方を見た。昨日とは別人バージョンで話しかける。
「マモルくん、もう大丈夫?」
 そのギャップに吹き出しそうになったが、必死で(こら)える。
「平気、へーき」
 俺の席の前にいる女生徒が挙手をして大きな声で言う。
「先生! マモルはイヨの王子様で、昨日イヨの窮地を助けたそうです!」
「知っているわ」
 先生も先生だ。クラス中がどよめいた。
「はいはい、あなたたちも喧嘩は駄目です。マモルくんはもうしないと約束しました」
(嘘つけ!)
 それから俺はしばらく、みんなにサカナにされた。

 一時限目が終わり、休憩時間にトイレへ行った。そこへ行くには、イヨがいつも立って本を読んでいる場所の前を通らなければならない。
 行くと彼女はいつも通り本を読みながら立っていた。
 噂が広まっているし、廊下を歩いている連中がこちらに期待の目を注ぐので気まずくなり、黙って彼女の前を通り過ぎた。
 次の休憩時間の時も同じく、彼女の前を通り過ぎた。
 三時限目が終わった時は、さすがに3回も無視するのは悪いから、購買部へ行くついでに彼女の前に近づいて「やあ」と声をかけた。
 彼女は少しの間目で活字を追っていたが、切りが良いところまで読んだのか、顔を上げて微笑んだ。
 笑顔が爽やかで(まぶ)しい。ずり落ちた眼鏡を指で上に持ち上げる仕草がキュンとする。
「昨日はありがとうございました」
「ああ」
「お昼はお弁当ですか?」
「いや、持ってきていない。これから買いに行こうかと」
「よかった。お礼にお弁当、といってもサンドイッチですが、よろしければ」
「そこまでしてもらわなくても」
「いいえ、受け取ってください。後で持って行きます」
「あ、ありがとう」
「何組ですか」
「2年6組」
「私5組です。隣でしたね」

 彼女は昼休み時間に小さな手提げ袋に入ったサンドイッチを持ってきてくれた。
 俺の周りにいた同級生が(はや)し立てる。サンドイッチをのぞき込む奴。どこまで進んでいるんだ、と聞いてくる奴。
 またしばらくの間、サカナにされた。
 あの咄嗟(とっさ)の機転が、思いもよらぬ方向に進んで行くのが少々不安だった。

 昼休み時間が終わる頃、彼女が手提げ袋を取りに来た。(はや)し立てる同級生の視線が痛いので、俺は廊下に出て視線から逃れた。
 彼女はちょっと眉を(ひそ)めて言う。
「嫌いなもの入っていたらゴメンなさい」
「いや、全部おいしかった」
 彼女は安心したようで、ニコッと微笑む。
「よかった。明日はおにぎりでいいですか?」
「え? そんなにお礼してもらわなくても」
「いえ、お礼させてください」
「今、物が不足しているから悪いよ」
 彼女は声を低くして言う。
「印税がありますから」
「そう?……でも無理しないで」

 こうして次の日は彼女のおにぎり、その次の日は彼女の巻き寿司が昼の弁当になった。
 おにぎりの日から妹の手弁当が再開したので、早弁して昼に備えた。
 同級生の間では早くも俺達は<夫婦>にされてしまった。
 巻き寿司が入っていた空の容器を彼女に返すと、彼女は俺の耳元に口を近づけて(ささや)く。耳に当たる彼女の息がくすぐったい。
「放課後、お話がありますので、門で待っていてください」
(秘め事か)
 胸がキュッと音を立てるくらい締め付けられた。
「な、何時頃?」
「17時で」
「あ、ああ」
 それから気持ちが高ぶって午後の授業は授業どころではなかった。

 17時に門のところに行くと、誰もいなかった。
(まさか、担がれたかな?)
 しばらく待っていると、門に向かって走ってくる女生徒が見える。
 イヨだ。
「ゴメンなさい。話が長引いて」
「友達?」
「出版社の担当さん」
「学校に来ているの?」
「ううん、携帯で」
 俺達は歩き出した。
「駅前のパーラーでいいですか?」
「ああ」
「ケーキ大丈夫?」
「甘いのOK」

 パーラーへ行くには、学校からだと商店街を通るのが近いのだが、なぜかイヨは遠回りの住宅街の方へ行く。
 しばらく歩いて角を曲がると、焼け跡が残り空き地の多い場所に出た。
 すると、道の向こうに三人の学ラン姿が見えた。
 タケシ達だ。
(あいつら、なぜここにいる?)
 俺はイヤな予感がした。
 すると、俺の左横にいたイヨが動いた。もしタケシ達の方向に走るなら、俺は謀られたことになる。しかし彼女は俺の後ろに隠れた。
 タケシ達が近づいてきた。5メートルほどの距離になると、今度はタケシだけが近づいてきて3メートルほどの距離まで詰めてきた。
 奴はニヤニヤ笑っている。
「おうおう。今日のマモルは彼女のボディガードかい」
 奴の声に身構え、声に力を込めた。
「そうさ」
「そんなにリキ入れて、誰を警戒しているんだ?」
「お前らみたいのが道の真ん中でうろつくと歩けやしないからな」
「おやおや、俺達が通り魔扱いされるとは困ったもんだぜ」
「なぜここにいる?」
「偶然さ。ダチと散歩をしたくてね」
「偶然にしては出来すぎている」
「ち、……バレたか。この道は彼女のお気に入りの道でね。お気に入りって奴は、行動パターンが読めて分かりやすいからな」
「謀ったのか?」
「いやいや。約束通り、俺達はお前の彼女には手を出さない。安心してお通りください」
 奴は左手を胸に当てて少しお辞儀をしながら、右手を斜め下に降ろすとそれを少し後ろに回し、どうぞお通りくださいという態度を見せた。
「ああ、手を出すなよ」

 俺達が歩み出そうとすると、急に奴は顔を上げて右の手の平を前に突き出した。止まれということだ。
「今日は話があるのさ」
「俺にはない」
「まあ聞いてくれ。お前が入れ込んでいる彼女、死神の過去の話をね」
 後ろの彼女が学ランを引っ張っている。小刻みに震えているようだ。
「俺には関係ない」
「そう言わず、聞きたいだろう?」
「名前を逆に読んだだけじゃないか」
「いや、それもそうだが、本当の意味での死神なんだ」
 奴は胸の前で十字を切りながら言う。
「そいつと一緒にいると、誰かが死ぬ」
 その言葉を聞くと、遠い記憶が蘇ってきた。

(死ぬ……誰かが……イヨ……そうだ、イヨと誰かが戦争か何かで死んだ気がする……助けなきゃ……そう、助けなきゃ)

「まず、そいつの家族だが、ご両親と三人のお姉さんは、全員従軍して戦死。可愛そうに今は独り身だそうだ」
 学ランが後ろからグッと引っ張られた。
「そして、マモルは記憶喪失で思い出せないだろうが、昔商店街が空襲にあってね。と言っても敵さん、こんな何もないところに軍需工場でもあると勘違いしたのか、たった1機で乗り込んで来て爆弾を落としたり機銃掃射したりと暴れ回って。その時、20人くらい乗ったスクールバスが襲撃に遭ったんだが、奇跡的に一人だけ助かったのがそいつなのさ」
 奴は俺の方を指さす。もちろん、彼女のことだ。
「まだ続きがある。バスから逃れてそいつが逃げ込んだビルに爆弾が投下されて、ビルは崩れた。そこに運悪く学習塾があって100人くらいの生徒や教師がいたが、そいつ以外の全員が死亡」
 奴は可愛そうにという顔をして首を横に振った。
「偶然だろう。言いがかりだ!」

「いやいや、まだあるんだな。今一番ホットな噂は、そいつの正体。お前、賀東(かとう)身間坂(みまさか)って作家知ってるか?」
「カトウ ミマサカ?」
 学ランが一層強く引っ張られた。それを通じて彼女の震えまで伝わってくる。
「今ね、正体不明の賀東(かとう)身間坂(みまさか)の家がやっと見つかったという噂が立っていて。その家の表札がお前の彼女の名前と同じ身賀西(みがにし)で、なんか作家の名前をひねった感じで似ていると。今(しゃべ)っている言葉じゃ分からないだろうが、漢字に書くと東と西の違いがあるけど、ちょっと文字をずらすと上の名前が一致するんだな、これが」
「だから何だって言うんだ!」
「知らないのか、賀東(かとう)身間坂(みまさか)の2年前の有名なSF小説『マジで鎮まれガイヤさん』って。作品では最初にOとUという町を震源地とした大地震がほぼ同時に発生、半年後にSという町を震源地とした大地震が発生と書かれている。そしたら、出版後1ヶ月してOとUの頭文字に一致する震源地で大地震がほぼ同時に発生し、さらにそこから半年後にSの頭文字に一致する震源地で大地震が発生したんだぜ。どちらも被害甚大で多数の死者が出た」
 奴は自慢げに話を続ける。
「作品では、次はちょうど1年半後に前と違うOの町を震源地とした巨大地震が発生すると主人公が予言しているんだ。つまり、後1ヶ月経つとこの国でも前と違うOで巨大地震が発生する。これでちょっと世の中ザワついていてね。これは予言書だと。そのお告げ本を書いた正体不明の作家のお家探しが始まっていたというわけ」
 彼女は俺の背中にグッと顔を押し当てて言う。
「OとUとSとOで<大ウソ>なのに……」
 彼女の息遣いまで背中に感じた。

 とにかく、奴の話を止めないといけない。
「作家の家探しとはプライバシー侵害も甚だしい。だいたい、全部偶然だろう? そんな話に付き合ってられん」
 ここで、ふと気づいたことがある。
 家の表札を見て、そう簡単に作家の家だと分かるのか。
 ペンネームは本名をひねっているから、一目で分かるはずがない。
 ここで鎌をかけてみた。
「正体不明の作家の名前と彼女の家の表札をどうやって結びつけた?」
「似ているじゃないか」
「全然似ていない。熱烈なファンでも気づかないはず」
「ほほう」
「誰が彼女と作家を結びつけた?」
「さあね」
「そういう情報は関係者しか知らないだろう」
「誰かが尾行したんじゃないか」
「尾行したとして、表札を見てアッと気づくか?」
「気づくんじゃね?」
「いや、気づかせた奴がいる」
「……チッ、お見通しか」
「やっぱりそうか。お前か?」
「ああ」
「彼女のことがどうして分かった」
「前から死神と編集者が打ち合わせていることを知っていてね。場所はいつも喫茶店。そこで会話から聞いちゃったんだよ、過去の作品名を。だったら、どう考えても賀東(かとう)身間坂(みまさか)は死神本人じゃん」
「地獄耳だな」
「そしてこないだ、たまたまお前の彼女の家の近くを歩いていたら、俺が知っている編集者を尾行している奴がいて、そいつが表札を見ていたので、知っていることを耳打ちしただけ。噂なんて一人に言えばそれから爆発的に広がる」
「何故そんなことをした!」
 タケシが不敵に笑う。
「お前の彼女だからさ」

 今ここで(かたき)を討とうとして拳で戦っても、彼女の身まで守れる自信はない。
 俺達はこの場を立ち去ろうと歩き出した。
 タケシが横目で睨む。
「おっと待ちな。これは親切心から忠告するんだが、お前の彼女の家の周りには今変な連中が見張っているから、近寄れないぜ。気をつけな」
「親切心だけ受け取る」
「忠告も受け取らないと痛い目に遭うぜ。ま、精々そいつのボディガードにでもナイトにでもなれよ。ただし、敵さん結構な数だから、こないだの俺達との喧嘩みたいにはいかないぜ」
 奴の言葉を無視し、連中を遠巻きにしてその場を去った。

 駅の近くにあるパーラーに入った。
 狭い店で、10人も入れば一杯だろう。
 パーラーと言っても古びた喫茶店の構えで、テーブルも椅子も古ぼけて相当年季が入っている。よく分からない音楽が流れているが、店主の趣味か。
 そばにいた女店員に案内されて、俺達は奥の席に座った。
 イヨはフルーツパフェと紅茶を、俺はモンブランとコーヒーを頼んだ。

 彼女はしばらく黙っていた。何かを言い出そうとして言い出せない様子だった。沈黙を破る必要がある。
「あいつ、人の気持ちも考えないでヒドイことを言うな。俺、死神って信じてないから」
「あ、ありがとうございます」
「そう言えば、担当さんと話してたみたいだけど、仕事の話?」
「いいえ、さっきあの人が言っていた話です。担当さんに謝られました」
「やっぱりそうか」
「実は私の担当さん、出版社から出たところを跡つけられたらしいの。出版社の何人もの社員が尾行されていたみたい。家に来ることなんて滅多にないのに、私も迂闊(うかつ)だったけど家に来るのOK出したの。どこかのお店で待ち合わせれば良かったのね」
「これからどうする? 家行くなら一緒に行くけど。やつらなら俺がとっちめてやる」
 彼女は黙っている。
「大事な物はすべて鞄の中にあるので、家にあるのは布団とか茶碗とか、後でどうにかなる物だけ」

 彼女はそう言うと、ハッとした。
 何か忘れてきた、という顔をしている。
「他にも大事な物があるんじゃない?」
「だ、……大丈夫」
 よほど大事な物なのか、狼狽(うろたえ)えぶりが気になって仕方がない。

「本は? 大事な本が家にあるんじゃない?」
「本は買わないの。一度床が抜けて大家さんに怒られたし」
「そうだ、ご家族は?って、あ、ゴメン-」
「あの人が言ったとおり、私一人。全員戦死したわ」
 一瞬、死神のことを思い出したが、そんな連想はすぐに振り払った。
「本当にゴメン。言いにくいことをまた聞いちゃった」
「ううん、いいの。家に家族がいたらって心配してくださったのでしょうし」
 彼女はまた黙った。目が下を向いた。顔まで下を向いた。
 沈黙が続く。
 フルーツパフェのクリームに刺さっていた棒状のクッキーがゆっくり傾いた。
「あのー……」
 彼女は顔を上げ、意を決したように言う。
「何?」
不躾(ぶしつけ)なことを言うようでゴメンなさい」
「いいよ。何でも聞くから」
 彼女はテーブルに頭をつけるくらい深くお辞儀をした。
(かくま)ってください」
 俺はその言葉にビクッとした。『(かくま)って』という言葉に驚いたよりも、周りで誰かがこれを聞いていないか警戒したからだ。
 幸い、店内の騒々しい音楽が邪魔をしてくれたらしく、こちらに顔を向ける客はいない。
 これは緊急事態だ。迷ってなんかいられない。
「分かった」
 彼女は安堵の顔を上げ、ずり落ちた眼鏡を指で上に持ち上げる。この仕草に少し萌えるのだ。

 パーラーを出ると、すっかり暗くなっていた。
 二人で俺の家に行く途中、彼女の鞄が重そうに見えた。
「持って上げようか?」
 彼女は首を横に振る。
「ううん、家財道具一式入っていて重いから」
 気を遣われた。重そうだからこそ持ってあげたいのだが。
「大丈夫?」
「慣れているから大丈夫」
「一式入っているって凄いな」
「トランク一つで宛てのない旅に出る物語があるけど、私は学生鞄一つで世の中を渡れるの」
「服も入っているの?」
「全部。下着も歯ブラシも何でも」
「魔法の鞄ってわけか」
「そうね」

 家の前に近づくと、俺はハッとした。
 台所付近に明かりが(とも)っている。トントンと音がするが、あれは妹が夕食の準備をしている音だ。
(しまった、妹の許可を得ていない!)
 どうしようかと迷ったが、緊急事態を説得するつもりで玄関をくぐった。
「ただいまー!」
 動揺を抑えるためわざとらしい声を出すと、それを聞いた妹は台所から顔を出してニコッと笑う。
「お帰りなさい」
 妹はセーラー服の上に割烹着を着たいつもの姿だ。
 イヨは「ごめんください」と言って玄関に入ってきた。
 それを見て、妹は俺を睨み付けた。
「誰連れてきたの?」
「ちょっと訳あって、しばらくここに……」
 イヨは俺の前に出て、「私から説明します。」と言って1、2分で事情を説明した。
 小説を書いていること、人前に出ない主義だがそれを探し出そうと家までつけられていること、今家の周りが取り囲まれているから(かくま)って欲しいこと。
 もちろん、肝心な話には触れなかった。

 妹はしばらく考えていた
「迷惑な人達がいるものね。警察にでも頼んで追い払えばいいのに」
 それも一案だが、小説の騒ぎが収まるまでには1ヶ月以上かかる。
「顔を見られたら困るから追い払っても駄目だ。1ヶ月。1ヶ月経てば(ほとぼ)りが冷めるはず。それまで(かくま)ってあげたいんだ」
「1ヶ月も!? 物価が高いから1人分の食費は出せないわ」
 イヨは頭を深々と下げる。
「お金ならあります。自分の食費は自分で何とかします」
 しばらく妹は下を向いて考えていたが、ゆっくり顔を上げた。
「いいわよ。1ヶ月ね。自分のことは自分でしてください。ただし、掃除、洗濯、炊事も手伝ってね」
「ありがとうございます」

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