バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

運命の岐路

 未来人は俺の決心を確認すると、「じゃ、時間を戻すわヨ」と言う。
 ――時間を戻す
 これからタイムマシンが現れて、それに乗れと言われるのだろうか。
 それとも壁掛け時計の針が逆に回って、陽が西から上って東に沈むのを繰り返し眺めるのだろうか。
 あるいは時空を超えるためのトンネルの入り口が目の前でぽっかりと開いて、その中へ入っていくのだろうか。
 昔、SFの漫画で時空を移動するためのトンネルをくぐり抜ける描写があり、その際にトンネルの出口へ向かう光線の束みたいな物が描かれていたような気がする。
(光線? ……光?)
 そう言えば、この並行世界に来た時、光に包み込まれた。
 だとすると、あの(まぶ)しい光の中では目を開けていられない。
 そこで、目を閉じて待つことにした。
 ところが、ジーッと待っていても瞼の向こうには何も変化が見られない。
 飛行機に乗っていて日付変更線を超えても何も感じないのと同じだ。
(騙されたか?)
 目を開けようとしたその時、フッと意識が遠のいた。

 体が揺れているので目を覚ますと、目の前に布団の生地が見えた。
 いつの間にか俺はうつぶせになって寝ていたらしい。
 まだ揺れている。誰かが揺さぶっている感じだ。
 首を後ろに回すと、間近に妹の顔が見える。
 妹は俺の肩から手を離し、「もう学校に行く時間よ」と言い残して部屋を出て行った。
「なんだ、朝か」
 欠伸(あくび)をしながら枕元の腕時計を見た。
 針は8時を指している。日にちも見えたが22日になっている。
 確か学校に復帰したのは1日だったと思うから、3週間ほど立っている計算だ。いつが最後だったか覚えていないほど、未来人からの連絡はない。
(ずっとこの並行世界で生きていくのかな?)
 装置が再起不能になるまで壊れていたら、本当にそうなるのだ。学校生活には慣れてきたが、元の世界に戻れない不安は募るばかりである。

 四時限目の授業中に居眠りをしていた俺は、教師に見つかり廊下に立たされることになった。
 窓から(のぞ)くと教師はこちらを見ていないので、また逃げることにした。
 しかし、廊下でカオル先生ともう一人の先生に見つかり、急いで昇降口へ走った。

 誰もいない昇降口にたどり着いて下駄箱を開けると、中からヒラリと白い封筒らしい物が出てきて下に落ちた。
(何だろう?)
 足下に落ちた封筒を手にとって見ると、裏に<歪名画ミイ>と書かれている。
 その文字に目が釘付けになった。急に、遠い記憶が蘇ってくる。

(この手紙……下駄箱から出てくるこれ……知っているぞ……そう、この名前の読み方……なんて読むか分からないと思ったことも知っている……前に経験したのか?……いつだ?)

 ボーッと考えていると、追いかけてくる先生の足音が近づいてきた。
 慌てて靴を履き替えて外に出るや否や、全速力で駈けだした。
 近くに臍ぐらいの高さで幅が10メートルほどある植え込みが見えたので、その裏に隠れた。カオル先生達は、走りながら植え込みの前を通り過ぎていく。
 ヤレヤレと地面に腰を下ろし、息を整えながら封筒を開けて中をのぞくと、可愛い絵柄の便箋が折り畳まれて入っていた。それを取り出しておもむろに開くと、また遠い記憶が蘇ってくる。

(なんだこれ……『あなたのことが前から好きでした。お話があります。17時に体育館の裏で待っています。』って……これと同じ手紙を読んだことがあるぞ……いつだ?)

 記憶を一つ一つ辿っても、どうしても思い出せない。
 でも、これは経験している気がする。
 こういう気持ちになる現象を何と言ったか? デジャブ、デジャヴー、なんかそんな名前の現象だった気がする。
 おそらくどこかで経験済みのことが、目の前でまた起こったに違いない。
 今はどうしても思い出せないが、この<何とかミイ>に会って話をすれば、きっと何かが分かるだろう。
 俺は会う決心をし、封筒をポケットにしまってポケットの上から手でポンポンと叩いた。

 後でカオル先生にたっぷり絞られた俺は、放課後に反省文を書かされた。
 カオル先生の駄目出しが続いて、どう書けばよいのか悩んでいるうちに、約束の時間が17時だったことを思い出し、時計を見た。
 17時直前である。
 慌てて修正中の反省文を机の上に放り投げ、教室を飛び出した。

 17時に体育館の裏と言われながらも、17時にまだ昇降口で靴の履き替えに手こずっていた。焦るとうまく靴が履けない。
 ようやく昇降口を出ると、3階の方から僅かにピアノの音と女声合唱の声が聞こえてきたので立ち止まった。
 上を見上げると、窓が開いている。聞こえてくるのはあそこからだ。
(何か……懐かしい音楽だな)
 なぜそう思うのか不思議だと思いつつ、体育館の方向に足を向けた。

 指定の場所へ向かってスピードを上げて走っていると、目の前に130~140センチくらいの背の低い女生徒が、体の半分の大きさの人形を持って俺と同じ方角へ歩いているのが見えた。
 ミディアムのヘアスタイル。少し赤毛。
(ああ、廊下でよく見る小学生か)
 あの髪で人形を持っているのは一人しかいない。
 彼女はうちの学校の女生徒だが、背が低いので俺は<小学生>と名付けている。
 すると、その彼女のポケットから何かが落ちた。また遠い記憶が蘇ってくる。

(この光景……どこかで見た……いつだ?)

 俺は彼女を追い越す際に、「落ちたぞ」と声をかけながらその場を走り去った。拾ったところまでは確認していないが、拾っただろう。

 少し行くと渡り廊下が見えてきた。そこに一人の女生徒と四、五人の男子生徒がいた。
 彼女には見覚えがある。ロングのツインテール。つやつやした黒髪。小さい顔に大きな丸い眼鏡。
(あ、あの子。廊下で本を読んでいる<本の虫>だ。男友達が一杯いるのか?)
 男子生徒達はニヤニヤしているが、彼女は深刻そうな顔をしている。またまた遠い記憶が蘇ってくる。

(なんだこれは……この光景も……どこかで見たぞ)

 こう何度もデジャブだかデジャヴーだかが続くと、さすがに気味が悪くなってきた。
(今から目の前で起こることも経験済みなのだろうか?)
 そう思うと同時に、心の奥底から何やら(ささや)く声が聞こえてきた。

(イヨを探せ……イヨを探せ……<本の虫>を探せ)

(イヨ? 誰だ? でも彼女は<本の虫>だ)
 急に足が止まる。勢いが付いていたため、砂の上でズザッと滑った。
 目は彼女へ釘付けになる。
 とその時、一人の男子生徒が彼女に向かって凄んだ。
「この死神野郎! お前がセンコーに言いつけたんだろう!?」
 彼女は返事をしない。
「どうなんだ!」
 奴は彼女の腕を掴んだ。
(これは尋常ではないぞ)
 女性に対して暴言を吐き、暴力を振るう現場を見ると、無性に腹が立ってくる。
 頭に血が充填されるのを感じた。この並行世界で喧嘩っ早い連中をたくさん見てきたので、俺まで怒りっぽくなったのか。
 腕を掴んだ奴、その一点を凝視しながら、拳に怒りを込めて大股で近づいて行った。

 すると、奴はこちらに気づき、彼女を掴んでいた手を離した。彼女は少し後ろへ逃げた。
「やべっ、鬼棘(おにとげ)だ!」
 ところが、奴の隣にいた男子生徒がニヤッと笑う。
「でも、あいつ最近丸くなったらしいぜ」
 他の連中が(はや)し立てる。
「トゲも抜けて鬼もいなくなったって噂だぜ」
「腰抜けが何か用か?」
「あの女がお前の新しい女か? それともナイト気取りか?」
 俺は連中に5メートルほど近づいてから、威嚇するため、右の拳を左の手の平にパンパンと大きな音を立てるように当てて、さらに指の関節をポキポキと鳴らした。
(何やってんだ、俺……)
 元の世界ではこんなことをしたことがないのに、この並行世界で喧嘩っ早い連中がやっていることを真似している。再現フィルムのように一緒なのだ。

 ところが、ビビるかと思った連中が全員首を(かし)げている。
(しまった、調子に乗りすぎたか?)
 正面の奴がニヤッと笑った。
鬼棘(おにとげ)は喧嘩の前に指鳴らす奴じゃねえし。誰だ、お前? 双子の兄弟か?」
(ヤバい! バレた……)
 連中は徐々に横一列に広がって、無言でジリジリと距離を縮めてきた。
 五人いる。取り囲もうとしているのだ。
 強そうな面構えは二人。真ん中の奴とその右の奴が強そうだ。後はどう見ても雑魚だ。
 背後を取られないよう、校舎に背を向ける位置へ回転移動した。
 連中もこちらに会わせて回転移動する。そして、背後をとれなかったので、扇形に取り囲む。

 正面の奴が「やれっ」と合図する。
 そいつとそいつの右側にいる奴は動かず、残りの雑魚三人が手柄を急ぐように飛びかかる。
 真打ちを温存し、こちらの体力を削る作戦だろう。
 一応俺は、ジュリと一緒に一時期空手を習っていた。
 空手は喧嘩をするための手段ではないと彼女は言っていたが、緊急事態なので使わせてもらった。
 大怪我をするので手加減したが、拳や蹴りは次々と三人の体に鈍い音を立ててまともに入った。三人ともあっけなく倒れて動かなくなった。

 真打ち二人のうち、右側の奴が飛びかかってきた。
 動きが素早い。
 油断したわけではないのだが、相手のズシリとくる重い一撃を右頬に食らった。棒立ちしていたら歯が折れるところだ。
 俺の怒りはMAXになった。
(ジュリ、悪いけどあの約束を破らせてもらう。大怪我させない程度にちょっとだけリミッタ外すぜ!)
 次の左頬への一撃をしゃがんで交わし、素早く右の拳を振りかぶって奴に渾身のボディブローを浴びせる。
 まともに入った感触が拳に残った。
 奴は蹌踉(よろ)めく。
 間髪入れず顔に拳を5発食らわしたところで、奴はドオッと倒れて動かなくなった。

 正面にいた真打ちがそれを見届けると、腕を組んでニヤッと笑う。
鬼棘(おにとげ)。お前、記憶喪失でおかしくなったと思ったが、勘は鈍っていないようだな」
 あの大ボス気取りの態度は無性に気にくわない。怒りで震えてきた。
(あれ?……俺って並行世界の偽の俺になりつつあるのか?)
 奴はボクシングの構えで近づいてくる。こちらは空手の構えだ。

 その後どう戦ったのかあまり覚えていない。
 二人ともメチャクチャになるまで殴り合った。奴の方が先に倒れて動かなくなった。
 それを見届けると、全身の痛みで意識が朦朧としてきた。遠くで女性の怒鳴る声が聞こえたが、言葉がよく聞き取れず気を失った。

しおり