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10.ドーマン・セーマン・鬼封じ

 役小角の口から告げられた言葉の意味を、玉座から立ち上がった巌鬼は理解しかねていた。

「……なにを……言ってやがる……クソジジイ……」

 黄色い鬼の目を細め、低い声で唸るように声を漏らした巌鬼。その当惑した顔を目にした道満が腕を組みながら口を開いた。

「──ふっ、御大様(おんたいさま)……どこまでも勘の鈍い鬼ですな、こいつは」
「……云うでない、道満──」

 役小角は後方に立つ道満にそう言って諌めると、〈黄金の錫杖〉の金輪をチリン──と鳴らしながら高下駄を持ち上げ、更に一歩巌鬼の前に歩み出た。

「──もう一度言うぞ。よく聞け、温羅坊──わしが"御師匠様"となり、桃太郎を育て上げた──二振りの仏刀を与え、お供の三獣を与え──鬼ヶ島の鬼どもを"虐殺"させた──これが、紛うことなき真実じゃ──」

 漆黒の眼を細めて告げる役小角の言葉を聞き受けた巌鬼は、激しく震え出した鬼の目を大きく見開きながら口を開いた。

「……なぜ、そのような……なぜ、そのようなことをした──ならば……ならば、なぜキサマは……今、この鬼ヶ島にいるのだッッ──!!」

 巌鬼は役小角に訴えるように吼えた。しかし、役小角は満面の笑みを崩さず、後方に侍らせた二人の陰陽師もまたにやりとした嘲笑を顔に浮かべるのみであった。

「……いや、20年だッッ──!! キサマは20年以上、鬼ヶ島で暮らし、俺と共に"悪行"をしたではないかッッ──!? あれはいったいなんだったんだッッ──!?」

 当惑した巌鬼の訴えに対して、役小角は左手をスッ──と持ち上げて片合掌しながら口を開いた。

「あんなものは"悪行"ではない……本当の"千年悪行"は、これより始まる──」

 役小角は深淵の闇を覗かせた細い眼で巌鬼の顔を見上げながら告げた。その言葉を耳にしながら、二人の陰陽師、道満と晴明も足を踏み出し、役小角の左右に立ち並んだ。

「……どういう、ことだ……鬼を殺しておきながら……鬼を助けるなど……おかしい……キサマ……いったい、何を考えている……」

 巌鬼は異様な雰囲気をまとわせた役小角の姿を見下ろしながら怯えの声を漏らした。役小角がやっていることが全く理解できないのだ。
 予てから意味のわからない謎の老人だと思ってはいたが、事ここに至って、巌鬼は役小角の底知れぬ恐ろしさが、大鬼の巨体の足元から侵食するかのようにひしひしと伝わってきていた。

「……なぜだ……ッ! なぜあの日、俺を助けたッッ──!! 答えろ、役小角ッッ──!!」

 役小角の得も言われぬ不気味な威圧感に対して、後ずさった巌鬼は悲痛な叫び声を発した。そして、その脳裏に過去の記憶が走り抜ける。
 命を二つ持っていたことにより桃太郎の虐殺を逃れたが、餓えが極まって母鬼を喰おうとした自分を〈黄金の錫杖〉で制した役小角。

 教育係として鬼蝶をよこした役小角。日ノ本を地獄に変えるという己の望みに賛同して協力してくれた役小角。
 経歴不明の謎の老人、いつも笑みを浮かべている薄気味の悪い老人ではあったが──しかし、確かに自分の育ての親ではあった役小角。

「……キサマ、いったい……何者だ……」
「かかか。世の中、知らんほうがよいこともあるでな──温羅坊」

 巌鬼は震える声で静かに告げると、役小角もまた満面の笑みを浮かべながら静かに答えて返した。
 その瞬間──巌鬼の全身の筋肉がグワッと盛り上がり、黄色い鬼の目を真っ赤に染め上げると、玉座の間が震えるほどの強烈な咆哮を放った。

「──鬼の敵が……俺の名をッッ──気安く呼ぶなァッッ──!!」

 体中の血管を膨らませ、壮絶な雄叫びを放った巌鬼は、鬼の両手を大きく広げながら役小角目掛けて駆け出した。

「──かかった」

 その光景を目にして満面の笑みを浮かべた役小角がしゃがれた声を小さく漏らすと、道満と晴明が両手で素早く印を結びながら、互いに声を張り上げた。

「──ドーマンッッ──!!」
「──セーマンッッ──!!」

 そして役小角が、右手に持つ〈黄金の錫杖〉を迫りくる巌鬼の巨体に向けて掲げると、左手の片合掌に力を込めながら叫ぶ。

「──鬼封じッッ──!!」

 次の瞬間──役小角の眼前まで迫った巌鬼の足元に、紫光する五芒星の陣が浮かび上がり、描かれた五つの梵字から、それぞれ太い鎖が伸び上がって、巌鬼の両腕と両脚、そして大きく開かれた牙の伸びる口に巻き付いて瞬く間に拘束した。

「──ぬッッ──!? ガアァッッ──!! グアアッッ──!!」

 五芒星の陣から伸びる紫光する五本の太い鎖に全身を拘束され、ギリギリ──と巨体を締め上げられると、身動きを封じられた巌鬼は、目をひん剥きながらよだれを牙の隙間から垂らして激しい苦悶の唸り声を発した。

「悪鬼め──我々陰陽師が千年前の日ノ本にて、いったい何百の大鬼を封じてきたと思うておるのだ」
「──しかし、これはなかなか……! ふふっ、御大様(おんたいさま)、立派に育て上げましたねぇッ!」

 道満が拘束された巌鬼を見上げながら吐き捨てるように言うと、晴明は巌鬼の巨体を目を見張りながら見上げて感嘆の声を上げた。

「かかか。そうであろう、そうであろう──この大鬼が、丹精込めて育て上げたこの温羅巌鬼こそが、"千年儀式"の総仕上げには必要なのよ──くかかかか……!!」
「ガアアアアッッ──!! ぐガアアアアッッ──!!」

 高笑いする役小角の言葉を耳にしてキツく拘束されてなお、もがき暴れる巌鬼。
 紫光する五本の太い鎖がギチギチ──と音を立て、五芒星の陣から引きちぎれそうになる。

「こやつ……なんて怪力だ……! 我ら三人がかりの"鬼封じ"を、己が剛力一つで破ろうとしておる……!」

 巌鬼の巨体が発するあまりの怪力に目を見張った道満は、両手で結ぶ印に力を込めて、更なる呪力を五芒星の陣に向けて送った。

「──道満、晴明、全力で参れよッ! ──この拘束が破られれば、わしらは温羅坊に喰い殺されるでなッッ──!! ──オンッ──!」
「──御意ッッ──!! ──オンッ──!」
「──御意にッッ──!! ──オンッ──!」

 師匠の役小角の呼びかけに、弟子の道満と晴明が応えて返し、三人がかりで印相を極めて五芒星の陣を紫色に極光させた。
 そして鎖は更に太さを増して、その四肢を完全に拘束せしめると、巌鬼は憤怒に燃える瞳孔をグルンと上に向けて、鎖を噛み締めた口の端からボタボタとよだれを垂らしながら、遂に気を失った。

「──さぁ……仕上げじゃ」

 呟いた役小角が懐から"黒い球体"を取り出すと、気を失った巌鬼に向けてふわりと宙空へ放った。
 "黒い球体"はふわふわと巌鬼に向かって漂いながら飛んでいくと、巌鬼の胸の手前で止まる。

「──ノウボウ──アキャシャ──キャラバヤ──オン──アリキャ──マリボリ──ソワカ──」

 役小角は全身全霊を込めて虚空蔵菩薩のマントラを唱え上げると、"黒い球体"の中に渦を巻きながらズズズ──と、巌鬼の巨体が吸い込まれて行く。

「……おお、お見事。御大様」
「……御大様特製の"鬼捕珠(きほじゅ)"。千年ぶりにお目にかかれましたな」

 役小角の左右に侍る道満と晴明が嬉々とした声を上げながらその様子を見届けた。
 巌鬼の体が"鬼捕珠"に完全に吸い込まれると、ふわふわと役小角の元に戻り、パシリと手で掴み取った。

「──かかか。これにて"千年儀式"、三種の神器が一つ、"鬼ヶ島の首領"が手に入ったわいの……くかかかかッッ!!」

 そう言って笑った役小角は、巌鬼を捕えた漆黒の球体"鬼補珠"を愛おしそうに撫でると白装束の懐にしまった。
 そして、顔に呪符を貼り付けた道満と晴明に告げる。

「二人共、ご苦労じゃったのう……"鬼封じ"で呪力を使い果たしただろう。しばし、休むがよろしい」
「──御意」
「──用がありましたらお呼びくだされ」

 役小角の言葉を受け、道満と晴明が拱手して応えて返すと玉座の間から立ち去っていく。
 そして、一人になった玉座の間にて役小角は目を細めると、巌鬼の姿が消えて空席となった黒岩の玉座に目をやった。

「……ふむ──温羅坊が連れてきた桃の娘は、どうするかのう……」

 呟いた役小角は満面の笑みを浮かべると、〈黄金の錫杖〉で黒い床を突いて、チリンチリン──と金輪を鳴らしながら城主不在となった玉座の間を後にするのであった。

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