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影武者高校生(08)

 影号の機体がゆっくりと甲府城跡の石垣を壊さないよう慎重に倒れ、音もなく横たわった。その姿は、ただの巨大な廃棄物ではなかった。むしろ、甲冑を脱いだ武士が静かに眠るような、厳かささえ感じさせた。街中を包んでいた緊張の気配が徐々にほどけ、空に澄んだ風が流れ始める。

 匡は暁号のコクピットでしばらく動けなかった。全身の力が抜けていた。ただ疲労していたというよりも、自分自身の何かが流れ去ってしまったような、そんな喪失感だった。

「俺は……誰だったんだ?」

 戦いの中で、自分の中にいた“もう一人の自分”――誰かに似せて生きてきた自分、父親の影を追い続けていた自分、血筋に縛られた仮面のような人格――それが少しずつ剥がれていく感覚があった。

 自分は武田信玄の末裔かもしれない。だが、同時に“誰かの模倣品”でもあった。暁号が起動したのは、果たして血のおかげだったのか、それともこの意志のせいだったのか。それを確かめる術はもうない。

「おーい、匡ー! 無事!? 生きてる!?」

 無線から、咲花の半ば怒鳴るような声が響いた。それが、匡の身体にもう一度命を通わせた。腕が自然と動き、スイッチを押す。

「ああ、聞こえてる。暁号、完全に沈静化。影号も、もう動かない」

「よかった……! ほんとよかった……!」

 通信の向こうで、咲花が小さく息を詰まらせる音が聞こえた。それは安堵の吐息だった。正義感が強く、いつも任務や責務を優先していた咲花が、今だけは“感情”で話していた。

「……戻ってこいよ。あんたがいなきゃ、みんな帰れないんだから」

 その言葉に、匡の口元がほんのわずかに緩んだ。

「了解。……帰るよ」

 暁号がゆっくりと跪くように姿勢を落とし、開かれた昇降ユニットに匡の姿が現れる。甲府城の破損を最小限に抑えるようにと構造体が制御され、周囲の木々や構造物へのダメージはほとんどなかった。それが、匡たちの“戦い方”の証明だった。

 地上に降りた匡を最初に出迎えたのは、凌大だった。無言で右手を差し出してきて、匡はその手をしっかりと握り返す。

「見てたぞ。無茶すんなって言いたいとこだけど……あれは、お前じゃなきゃできなかったな」

「無茶は、ちょっとしたかも」

「ちょっとどころじゃねえ」

 冗談まじりの応酬に、周囲が笑いに包まれ始める。真優は笑いながらも無言でカメラのシャッターを切り続けていた。記録する。自分で言葉にするより、シャッターの連打が感情のすべてだった。

 開は機材を片付けながらもちらりと匡を見やった。

「……次にこのロボットを動かすときは、きっと“未来”のためなんだろうな。あんたが一度使ったその機体は、もう“遺産”じゃない。“現在”を背負うものだ」

 美紅は匡のそばに駆け寄って、なぜかじっと顔を見つめてきた。

「なに?」

「……あんた、顔変わったよ。目つきとか、前より“強く”なってる。でも、どっかで“柔らかく”もなってる。不思議」

「疲れてるだけだよ、きっと」

「じゃあその顔、ちゃんと寝てる顔見せてよ。生きてるって、ちゃんと確認したいから」

 その言葉に、匡ははにかむように笑った。まるで戦場から帰ってきた兵士が、久しぶりに人間の温度に触れたような、そんな表情だった。

 そして咲花が歩いてきて、何も言わずに匡の横に並んだ。

「信玄の末裔、だっけ?」

「……違うよ。俺は俺。血とか名前とか、関係なく、自分の意思でここにいる」

「そう、それでいい。私は……その“今のあんた”を、これから信じる」

 ふたりの視線が交わる。言葉の奥にあるのは、過去ではなく未来だった。

 甲府の街は、ゆっくりと日常を取り戻していく。崩れかけた歴史の片隅で、機械の眠る地下空間はふたたび静寂に包まれた。

 だが彼らの心には、もう一つの“記録”が焼き付いていた。それは伝承でも模造でもない、“彼ら自身の歴史”だった。

 そしてそれは、これから続いていく未来の――ほんの始まりに過ぎなかった。

(次:09へつづく)

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